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<第2次世界大戦


(画像掲示板より引用)


 【質問】
 米陸軍は第2次大戦中,報道に口を挟むことはなかったのか?

 【回答】
 当然,陸軍も検閲に対し,横槍を入れてきています.

 最初の横槍は,1942年1月20日に陸軍広報局長のA.D.Surles大将が,AP通信を名指しで非難した事から始まりました.
 AP通信は,カナダの港を出港した後,英国に到着した米国軍人100名の到着と言う記事を,カナダから入手して配信し,その記事は,転載されてWashington Evening Star紙に掲載されました.
 ところが,陸軍は配信から2時間後に,件の記事を公表しない様に要請していたのです.
 当然,検閲規定に違反していると,SurlesはPriceに捩じ込みますが,Priceは陸軍の要請が,検閲局への事前相談が無いのに行われたことを指摘し,陸軍が例え,検閲局に事前相談をしても,当該記事は全く問題がないので,公表を許可していたと述べました.

 この記事はカナダから入手したもので,これは即ち,カナダの検閲当局が発表した記事であり,正当な権威によって発表された記事であると言うこと,即ち,当該記事が発表されたと言うことは,カナダの放送局で放送され,国内や海上で聴取出来,英国にも送られて,英国の新聞紙上やBBCで放送されたものであると言う訳で,この記事を抑える効果は,米国の善良な市民たちを聾桟敷に置くことだと言い切ったのです.

 これで陸軍は一旦引き下がりましたが,前回の海軍のタンカー撃沈事件と同じ様な事例が,今度は太平洋側で2月22日の晩に発生しました.
 即ち,日本海軍の潜水艦が,Santa Barbara沖に浮上し,陸上に砲撃を加えました.
 昔,Spielbergが公開した「1941」と言う傑作で,Toshiro Mifuneが観覧車を砲撃していましたが,その元ネタとなった事件です.

 検閲局には幾つかの報道機関から電話が掛かり,この件に関するニュースを発表する適切な権威は誰なのかと言う問い合わせをしていました.
 当日の夜間担当は,海で発生した事件だから,と,電話を海軍に回しましたが,海軍広報局は,それが陸上に対して行われた事件だから,と,権威は陸軍にある,として,陸軍に電話を回しました.

 その間,CBSニュースは,全く不適切な情報源状態の儘,ニュースを放送してしまっていましたが,AP通信は記事の承認を待っていました.
 一方,UP通信は,適切な権威として,Santa Barbara警察署を選択し,その発表をニュース配信に載せました.
 INS社は,陸軍の第四軍司令部から掲載の許可を得ましたが,その発表は30分後に撤回され,UP通信のすっぱ抜きが一人歩きしました.
 こうして,検閲局は再び矢面に立たされ,このニュースは3日後の2月25日,規程制限から解放され,自由に報道出来る様になりました.

 この事件の教訓から,検閲局は敵の本土攻撃に対する記事については,軍事上の目的,軍艦や航空機の航路,防衛上の対応などの詳細を除けば,適切な権威は不要であると言うことをジャーナリスト達に内密に告げることになりました.

 1942年6月15日の検閲規定改訂版では,敵機による空襲が予測される場合,ラジオ電波を目標に誘導する手段に使用されない様,攻撃の恐れのある地域のラジオ局を閉鎖する事にする,とされ,空襲の間の情報発信は全て陸軍が行うと言うことになりました.
 因みに,空襲の間,新聞の発行は許可されています.
 但し,その記事は,陸軍の発表が無ければ,記事には空襲が行われていると言う事実関係だけ書くこと,とされ,敵機の数や爆弾の投下量は書いてはいけないが,味方が応戦していると言うことは書いても良い,とされていました.
 詳細な記事,扇情主義,噂は掲載してはならないのです.

 こうして規定された空襲時の対応ですが,結局本土空襲は殆ど単発的なものだったので,規程の有効性を試す機会はありませんでした.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,1941 2007年10月06日21:54


 【質問】
 第2次大戦中の米軍の移動は,報道規制の対象になっていたのか?

 【回答】
 軍隊の移動に関しては,最初に書いた様に,陸軍,そして海軍も含め,極めてナイーブになっています.
 これが報道されることによって,敵側は該当地区に於ける,戦力見積もりを容易にする事が出来,対抗措置の設定に役立てられると言う訳です.
 新聞社の編集室の多くには,“Careless Talk Costs Lives"と書かれたポスターが配布,掲示され,情報の漏洩を諫めていました.

 この様な報道規制は,人種差別と戦っていた黒人系出版社に大いに影響を与えました.
 この大戦に参加することによって,黒人の地位向上を目指し,それを報道することによって,黒人達に希望を与えようと言う企図が挫折に追い込まれたのです.
 特に,欧州戦線に於けるタスキーギ飛行隊については,一種,黒人達の希望の星であり,その動静を報道しようとする黒人系出版社と,検閲局との間に,一時,非常な緊張関係を与えています.

 陸軍は1943年と1944年にタスキーギ部隊による戦果発表を行いますが,これは極めて曖昧な形で黒人系出版社の発行する新聞に取上げられたに過ぎません.
 ただ,1944年1月に第332戦闘機飛行隊の欧州戦線への出発についての詳細を不用意に発表した事で,黒人系新聞の出版元は検閲局から注意を受けています.
 幸い発見が早く,この記事は,殆どの新聞社で没になりましたが,Defenderと言う黒人系新聞で発行部数2位に入る新聞社では,記事を部分修正したのみで発表します.

 しかし,それでも隠蔽が不十分であるとして,彼らは叱責を受けていたりする訳です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,1941 2007年10月06日21:54


 【質問】
 第2次大戦中,アメリカでは損害の過少発表はあったのか?

 【回答】
 600隻の商船が撃沈されたのに,報道発表は400隻に過ぎない,といったことはあった.
 ただしそれは,国民を欺こうとするものではなく,手続き上の問題だった.

***

 1942年,検閲規程が出来ていましたが,それは未だ完全ではありませんでした.
 特に,情報を公表する当局として振る舞う権利を陸海軍に与えたものの,何処が軍を代表して話をするのか,明確になっていない所は致命的な欠陥でした.

 1942年1月14日,英国のタンカーがLong Island近辺で沈められました.
 UP通信は,その沈没に対し,
「船は沈没し,岸では関係者たちが生存者が辿り着くのを待っている」
と言う地元警察署長の声明を,公式のものと受け止めて記事を作っていました.
 AP通信は同じ沈没に対し,
「陸軍の爆撃機が沈没海域上空を飛び,水面に油が流れていることを確認したこと.
 そして,救命艇に乗った乗組員14名に,ウィスキーと食料を投下した」
と言う沿岸警備隊の情報を得ていました.
 そして,INS(International News Service)は,
「救助機と救助船が現場に向かう途中である」
と言う情報を得ていました.

 そしてこの記事の確認の為,彼らは海軍の広報報道課長に記事を持ち込みました.
 この中でAP通信だけが,情報源が信頼出来ると答えた為,記事を配信することが出来ました.
 残りの2社は,記事が適切な出所か否かを答えられなかった為,発表を差し止められ,海軍広報報道課長は記事の確認の為に,海軍作戦部,航海局,第三海軍管区の司令部に電話を掛けますが,何れも沈没したという確証は得ていないと回答しました.
 実際には海軍は,そのタンカーの沈没を確認していたのですが,事実の確証が得られるまで,そして,ドイツの潜水艦が撃沈場所から逃げたと海軍が確信出来るまで,配信を抑えたかったのが真相でした.

 結局,AP通信だけが特ダネをものにした為,残りの2社が海軍に抗議し,最終的に3社に対しては,船舶の沈没が起こった場合は,海軍広報局が同時に3社に発表すると述べ,それ以外の如何なるニュースソースによる発表があっても,それを発表することは出来ない,と言う方針が立てられました.
 これは,新聞やラジオなどの報道機関にも適用されることになりました.

 こうして,徐々に艦船の沈没については,報道発表が為される事になりましたが,敵が確実に沈没を確認している場合とか,残骸の様な物的証拠があって,明白な沈没のみが発表されていました.
 珊瑚海海戦でのLexingtonの沈没は5月8日にありましたが,日本海軍が確認していたかどうか,海軍が確証を得られなかった為,実際に報道発表があったのは6月12日でした.
 7月になると,こうした艦船が激増し,600隻の商船が撃沈されたのに,報道発表は400隻に過ぎない事を,海軍広報局は検閲局に報告しています.

 こうしたことがジャーナリストたちにとっては海軍による事実の隠蔽と写り,不満が鬱屈して,10月にNew York Timesと海軍の対決という事態が発生する事になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年10月05日22:29


 【質問】
 第2次大戦中,アメリカ政府による検閲強化の動きはなかったのか?

 【回答】
「どういう訳か,検閲制度其の物には誰も反対するのに,誰でも検閲制度に関わりたがるのだ!」
とは当時の検閲局長Priceの回想です.

 検閲局による自主検閲は効果を発していたのですが,それでは緩すぎると考えた人々が多かったのも事実です.
 比較的ジャーナリストたちに寛容だったEisenhowerですら,記者と軍隊が完全な協調をすることはないと書き残しています.

 意外なことですが,検閲局は,ジャーナリストだけでなく,内側の敵,即ち,政府,陸軍,海軍を相手に,検閲の範囲を賭して戦わねば成りませんでした.
 基本的にF.D.Rooseveltは,大体に於ては検閲局の味方をしましたが,報道機関の批評に過敏で,戦争について最も喧しい批評家に対して法的行為を取ろうと躍起に成りすぎている人物でもありました.
 彼は屡々ジャーナリストに不平を鳴らし,検閲局長だったPriceに1942年2月頃に数度苦情を述べたことがあります.
 ただ,それを真に受けてしまうと,F.D.R.の名声に傷が付くと考えたPriceはそれを慇懃に断りました.
 しかし,余りに不満が募ると,大統領として何をしでかすか判らない所でもあり,適当な所で,Priceと司法長官のBiddleは反ユダヤ的言辞を呈する数種類の出版物を発行停止としました.
 大統領は,その一罰百戒的な措置に満足し,以後,余り不満を述べることはありませんでした.

 実際に,1942年2月には,英国の機密法を下敷きにした包括的な戦時機密法案が,下院司法制度委員会から提出されたり(これは,政府の機密ファイルに一般の人々が近づくのを許した者は,誰であれ提訴すると言う法案),春には海軍諜報局が,特定の部隊と艦隊に関する殆ど全ての新聞上の言及を不法とする法案を用意しました.

 また3月20日には,F.D.R.はBiddle長官に,「破壊的な印刷物」に対する積極的な措置を執る様圧力を掛け,内閣全体がそれを支持したりもしています.
 一つ間違えば,米国も独裁国家と変わらない状況に陥ってしまうところでしたが,BiddleとPrice,情報局のMacLeishらと共に,これらの法案や措置に対抗する事を考え,何とかこれらの事態を乗り越えることに成功しています.
 これにより,政府部内からの揺さぶりは表向き影を潜めました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年10月04日23:04


 【質問】
 ジョンストン事件とは?

 【回答】
 1942年5月7日〜8日に掛け,航空母艦Lexingtonでは激しい戦闘が行われていました.
 武運拙くLexingtonは,日本海軍の荒鷲たちの前に膝を屈し,炎に包まれつつ8時間後に海中に没しました.
 偶々,Johnstonと言うChicago Tribuneの記者がこの艦に従軍記者として乗り組んでいました.
 彼は幸いにも救助されて,New Caledoniaに送還され,其処から輸送船でSan Diegoに後送されました.

 其処で彼は,一人の海軍将校と知り合います.
 彼は,一通の海軍急送公文書を持っていました.
 それには,米国海軍による日本海軍の作戦暗号解読に基づく,日本海軍機動部隊の構成を詳述した情報が書かれていました.
 Johnstonは,その文書を写し,自分の社に持って帰りました.

 後にAP通信が,Midway海戦による米海軍の勝利を速報した時,彼は自分の持っている文書の価値に気がつきました.
 かくして,Chicago Tribuneは6月7日,Washington発の無記名記事で,一面大見出しでこう報じました.
「海軍,日本海軍の攻撃計画を事前に察知!!! 」
そして,記事には,「海軍は海戦が始まる数日前から,日本の攻撃部隊の勢力をよく知っていた」と述べ,この転換点となった太平洋の戦闘に於ける日本海軍の軍艦の名前,トン数や装備の一部を明らかにしていました.

 Washingtonでは,Washington Times Heraldによって記事が転載されました.
 これにより,海軍省は文字通り大揺れに揺れ(機密文書が漏れたのだから当然),F.D.R.の最初の反応は,ChicagoにあるTribune Towerを海軍によって占拠し,社主を反逆罪で告訴する!と言うものでした.
 因みに Chicago Tribuneは,反F.D.R.の急先鋒で,屡々,F.D.R.はその記事にイライラさせられていた事もありました….

 激高から落ち着くと,F.D.R.は,三つの主要通信社以外のジャーナリストを全て,陸海軍の現地から閉め出す様提案しますが,Stimson陸軍長官やKnox海軍長官が,柳に風を受け流し,この提案は実行に移されることはありませんでした.

 実際には,これは検閲局の事前検閲を受けていない記事だったのですが,どちらにしても,この記事は検閲局を通り抜ける可能性が大でした.
 別項で紹介した機密に関する実務規程の初版では,敵国の領海に於ける敵国の艦船の移動についての報道については,何も制限していませんでしたから….

 ただ,収まらないKing提督他の実務者に押し上げられて,Knox海軍長官は,Tribuneをスパイ防止法で起訴する様Biddleに求め,渋るBiddleに対し,海軍が有罪判決の為の証拠を提出するからと請け合っていたので,起訴手続きを進めることにしました.

 しかし検閲局から見れば,検閲局に事前検閲の為に記事が提出されたことはないですし,先述の様に,実務規定上何ら抵触するものではありません.
 更に,Johnstonの記事は海軍の検閲に掛けられるべきだったのに,Johnstonは海軍から信任状約定に基づいた署名を求められていなかった為,海軍の規制を回避した容疑での起訴も無理だ,と言う事も判ってきました.

 司法長官のBiddleは淡々と起訴手続きの為の調査を続行しますが,当の海軍が,暗号解読の機密が漏れるのを恐れ,彼らを有罪とすべき証拠を提出しなかった為,JohnstonもTribuneも不起訴処分で終わりました.

 実際には,海軍の暗号解読については,首都では広く知られていて,議会やカクテル・パーティーの席上や,クラブなどで結構噂として広まっていたと言います.
 しかし日本海軍にはそれを知る術は無く,結果的に敗戦まで,若干の疑いは持っていたものの,遂に根本的に暗号を変えることはありませんでした.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年10月04日23:04


 【質問】
 第2次大戦中のアメリカにおける,報道に対する検閲ルールは?

 【回答】
 規則を守らせるためにはどうしたらいいか?

 ……答えは簡単.規則を簡単にすることです.

 第二次大戦中,米国の政府検閲局が作成した『アメリカの新聞雑誌の為の戦時実務規程』は僅かに5ページ,
 『アメリカの放送者の為の戦時実務規程』は,ラジオ信号が情報を広める早さに特有な問題を扱った為に2ページ多く,7ページで構成されていました.

 先ず,序文では,ジャーナリスト達に対し,常識を働かせ,経験則に従う様に要請しています.
 ジャーナリストが記事を報道しようとする際,「もしも私が敵の立場ならば,これは入手したいと思う情報だろうか」と言う自問を行い,その自問自答に応じて行為をするべきである,としています.
 そして,規程にて報道を避ける問題としては,次の8つを挙げています.

 第1条では,合衆国内外にある陸海軍,海兵隊の位置,移動,構成についてのもので,これは当然,機密に関わる情報ですから,掲載はNGとされていました.
 但し,野営訓練中の軍隊については,何故か例外とされていました.

 第2条は船舶条項です.
 これも当然の事ながら,合衆国の軍艦や商船の全ての移動について,更に,米国の領海内やその付近にいるであろう敵国船舶についての情報を掲載することをNGにするもので,後にこの規制は,建造中の船舶と進水日にも拡張されます.

 第3条は飛行機に関する条項で,これも,陸海軍機の配置,移動,その性能や装備している武器の威力などについての情報掲載をNGとするもの.

 第4条は防備に関する条項で,要塞,防空壕,対空砲や,沿岸砲兵部隊などの防御施設の位置などが含まれている情報掲載をNGとするもの.

 第5条は生産条項で,これは船舶条項や飛行機条項などと一部被さりますが,どんな種類の製品を生産しているのか,その生産計画はどの様なものか,引き渡し日は何時か,戦略物資補給の見積もりなどの軍需物資生産に関する契約の詳細情報や,破壊工作員に対する情報を与えることになる,其の他の工場情報が含まれる情報掲載をNGとするもの.

 第6条は天候条項で,合衆国気象局で正式に発行された気象情報以外の予想を掲載しない様求めると共に,印刷物に掲示する通常の天気予報の範囲は,発行される州のみか,例外的に発行場所が隣接州から半径150マイルにある場合は,隣接州の気象を,3つ以内まで掲載出来ると言うもの.

 第7条は,上記条項の対象となる写真と地図情報の掲載をNGとするもの.

 最後は一般条項で,国立公文書館と芸術的至宝の位置,最高司令官の移動,軍需品の輸送,そして属性に注意を払わずに転載した敵国のプロパガンダに関する情報を報道してはならない,としていました.
 例外的に,新聞の「地元地域」からの死傷者数情報を報道する事は認めていましたが,「地元地域」何処を指すのかと言う定義はしませんでした.
 また,死傷者に関する情報を掲載するとしても,各部隊と位置に関する正確な情報はその中から除く様に要請しています.

 ラジオに関しては,更に,合衆国の艦艇や海岸沿いの軍事施設に対する攻撃を計画している敵国の海軍将校を助ける様な,現在の天候状態や許可されていない天気予報の送信はしないこと.
 そして,一般人がマイクに近づく,台本のない視聴者参加番組の打切りを要請していました.
 後者については,規程を知らない一般市民が,不用意に情報を発信する場合や,敵国のスパイや破壊工作員が秘密のメッセージを発信する場合が考えられたからです.

 これらの禁止要請に対応するのはジャーナリスト自身であって,検閲局ではありません.
 この為,彼らの指針となる様,更に2つの条項を追加していました.

 1つ目は,ジャーナリストが規程に対して疑問を持ったり,ニュース報道に対する何らかの不合理な制限に挑もうと望む場合には,彼らが検閲局に照会する様促すものであり,これによって,大統領以外の官僚達が,規程に反して国内検閲を行う歯止めとした訳です.

 もう1つの条項は,特にイタリック体で強調されたもので,ジャーナリストは,例えそれが規程に反している場合でも,適切な機関によって公式に発表されたあらゆる記事を報道出来る,としていました.
 つまり,報道する自由は認められている訳ですが,その情報を発表する為には,その情報を肯定する,公式の情報源を見つけなければ成らないことをジャーナリストに課した訳です.
 これは公式の情報源となる人は,ジャーナリストが発表する報道内容に対し責任を負わねばならないと言う事ですから,勢い,その責任の重さが,警戒と抑制を助長することになると言う考え方で,即ち,混乱時に付物のデマや噂話の類を打ち消す効果がありました.

 また検閲局には,その情報が真実か否かを判断すると言う考えは余りありませんでした.
 あくまでも,規程に違反しているか否かと言うのが判断基準であり,ジャーナリストの批評についての異議は差挟むことはしませんでした.
 検閲官達は,「民主制では何を信じ,それにどう対応するかを最も良く判断出来るのは国民である」と言う考えの下で,行動していました.

 ジャーナリストの自主検閲と言う仕組みは,国民が意見を表明する権利を保証して初めて成り立つもので,一つの出来事から幾通りにも考えられる批評に対して制限を掛けると,一つの考えだけが先行してしまい,ジャーナリスト達の自主的な取組みが放棄されてしまう事に危惧を覚えた為です.

 尤も,戦地に於ける軍の戦時検閲はこれを否定している訳ではありません.
 戦地ではジャーナリスト達は,軍の行動に従っているのですから,軍の命令に従う義務が生じます.
 従って,戦地では戦域司令官の検閲規則が適用される訳です.
 ジャーナリスト達が戦地に入る為には,全ての記事が陸海軍の検閲を受ける旨の合意書に署名が求められていますので,その方針に反する記事は掲載出来ません.

 例えば1942年1月に,New York Daily News紙が真珠湾攻撃の詳細な記事を掲載しようとした際には,検閲局に事前検閲の為に記事を提出しましたが,軍の合意書を盾に,彼らはその殆どの記事を削除してしまいました.

 これらの自主検閲は,米国の報道機関の殆ど全てに於て,受容れられる所となりました.
 何でもかんでも,一言一句まで横槍を入れてきた枢軸国とは,極めて対照的で,かつ,効果的な方法でした.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年10月01日22:41


 【質問】
 第2次大戦中のアメリカにも,報道に対する検閲はあったのか?

 【回答】
「白いワニが来るよ…」

 因みにあろひろしではありませんので,念為.

 1942年3月2日のKansas City Journalには,全段抜きで次の様な見出しが踊っていました.

---------------------------------------------
 広い範囲に渡って恐怖と死が忍び寄る.
 日本軍爆撃機の三波の攻撃がアメリカの心臓部を打ちのめす.
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 その関連記事は20もあり,米国の穀倉地帯にある共同住宅,一戸建て,企業,工場,倉庫,公共施設に対する奇襲を描き出し,その上に破壊工作が加わったことを報じています.

---------------------------------------------
 小型船に乗ったスパイが,ミズーリ川の市営取水場の取水塔を爆破したのである.
 その数秒後,一連の爆破(それが破壊工作か空襲で落とされた爆弾かは判らないが)により,A.S.B.橋,ハンニバル橋,そして,ミルウォーキー橋が破壊され,シカゴ西部にある米国最大の冷凍工場が轟音と共に消え,インディアナ通りのカンザス・シティガス会社も同様に破壊された.
---------------------------------------------

とまぁ,のっけから,何処かの国の大本営発表みたいですが,この新聞はKansas Cityで発行されている新聞で,新聞を買った市民は,それがでっち上げであることが判っていました.
 何しろ,Kansas Cityの通りは普段通り歩けましたし,爆弾の跡もなく出火もありませんでした.
 それに,水道やガスが破壊された割には普段通り利用出来ましたから.

 で,これらの記事の末尾には,斯う記されていました.

---------------------------------------------
 これは何時でも此処で起こり得る
---------------------------------------------

 この記事が合衆国検閲局の関心を引いたのは,何もセンセーショナルで悪趣味な見出しではありません.
 某国なら,神の国が負ける様な記事を書くな!と一喝されたでしょうが….

 検閲局の手紙には,こう書いてありました.

---------------------------------------------
 もし,捕まっていない敵の破壊工作員がいれば,新聞一部の料金で,Kansas Cityが国の食料を多く蓄え,ノース・アメリカンの爆撃機とレミントンの銃器を製造し,無防備な水とガスの供給所を知り得る.
 無論,上記の情報の多くは,あなた方の地元では常識に属する.
 しかしこの情報は,戦略的価値を具体的に説明するやり方に於て際だっている.
 全体として,これは破壊工作にとって可成り明確な青写真を構成するのではないか…
---------------------------------------------

 米国に於て戦時期の戦時検閲と言うのは,日本と対照的にマスコミによる自主検閲の側面が強く滲み出ていました.

 普通,軍や官僚組織は,戦時期になるとマスコミの動向に敏感になり,場合によっては,それを統制しようと言う誘惑に駆られるものです.
 第二次大戦が勃発した当初,海軍のKnox長官は,それをしようとしゃかりきになって,マスコミの失笑を買っています.

 とは言え,マスコミに対する情報統制や検閲は必要になる為,大統領以下,政府はFBIのHoover長官を委員長として,検閲の為に必要な措置を検討させます.
 しかし,HooverはHooverで,こんな辛気くさい仕事をやるより,FBIはもっとアクティブな仕事をしたいとして,体よくこれを断り,マスコミの統制はマスコミに任せる,と言う訳で,AP通信の編集主幹を努めているByron Priceが大統領によって抜擢され,彼はAP通信を辞めて,検閲局の責任者に就任することになります.

 検閲局は発足して間無しであり,どんな方針で検閲を行うか,どんな情報を流し,どんな情報を堰き止めるか,その方針が未だ確定していない混乱状態だった為,逆にPriceには自由裁量が与えられました.

 彼は検閲局を郵便,有線,新聞,放送,報告,総務の6部門に分け,郵便部と有線部は陸海軍が戦前から或程度の訓練を行っていた為,その人員を引継ぎ,陸軍は郵便検閲を,海軍は国境を跨る電信,電報,無線電報,電話による通話の検閲を分担することになりました.
 報告部はこうして得られた情報や,英国やカナダなどの連合国から齎された情報を収集し,分配する部門,総務部は予算と人事を統括する部門で,その他,秘密のセクションとして,検閲部,そして専門工作部がスパイの発見に繋がる情報を求め,必要ならば,OSSやFBIに情報を渡しています.

 一方,新聞部や放送部は陣容が遙かに小さく,有線部が3,000人以上,郵便部1万人以上の人員に対し,両部門には僅か16人ずつしかいませんでした.
 只,この部門は自主検閲に任せられたとは言うものの,それが機能しているのかどうかを判断するのに,発足当初非常な注意を払われています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi, 2007年09月30日21:38


 【質問】
 第2次大戦中,アメリカではどんな検閲が行われたのか?

 【回答】
 第二次大戦中の米国も官僚主義から逃れられませんでした.

 各政府機関は一般に対する広報を多く行い,情報の嵐を作り出していました.

 A.MacLeishの情報局(OFF)は,合衆国中のジャーナリスト達に戦時報告書を送付し,W.J.Donovan率いる情報調整局(OCI)は,国家保安関係の情報収集をしつつ,外国情報課では海外にプロパガンダを発していました.
 但しOCIの管轄外だったのは中南米で,そこはN.Rockefellerのアメリカ諸国間調整局が管轄し,プロパガンダを行っています.
 政府報告局は,検閲局と同様に国内のニュースメディアを監視し,OFFと同様に国内にニュースを配給する二重構造を作り出し,他の政府機関も,自らの事績を各自で広報していました.

 因みにPriceの検閲局は,その設置期間を通じて,公式には4回しか記者会見を開いていません.
 後は全て,編集者や放送者に対する覚書を内密に発送するだけで,その事績を誇っている訳ではありませんでした.
 それでも,検閲官達はその仕事に誇りや遣り甲斐を感じていたと言います.

 1942年,こうした機関が様々な広報活動で,様々な情報を垂れ流す事で,情報制度全体が危うくなります.
 第一は情報が多すぎ,
第二は情報が十分ではなく,
第三に情報が混乱して一貫性がない
と言う三つの不平に代表される様に,戦争当初の三ヶ月の間,政府の戦争報道の伝達制度は無駄が多く,矛盾し,検閲の為にも逆効果とPriceも考えていました.

 こうした混沌状況から脱すべく,大統領の法律顧問S.I.Rosenmanを中心に,戦争報道の為の統一機関を作成する動きが行われていました.
 Rosenmanらは,その機関を検閲と一体化させることで効率化を図る積りでしたが,それをすると第一次大戦中の検閲機関と同様になってしまうことから,Priceはその試みに反対し,独自案を作成して提出します.

 こうして1942年6月13日に出来たのが戦時情報局(OWI)で,そのトップには,軍人や官僚ではなく,これまた民間から放送記者のElmer DavisがPriceの意向で選ばれました.
 OWIは政府報告局,情報局を合併し,情報調整局の外国ニュース収集機能とプロパガンダ機能を吸収します.
 この機関の活動は,「記者に公表して欲しいと望む素材を,私たちは伝える」と言うスタンスの下で運営されます.
 これは検閲局の「記者が公表できない事柄は何かを,私たちは伝える」と言うスタンスのまるっきり裏返しでした.

 とは言え,幾らトップがこうした綺麗事を述べても,実態は戦時情報局の現地事務所の数が多く,「戦時情報局」と言う名称の為,屡々検閲局の任務も併せ持つと言う誤解を現場から受け,しかも,戦時情報局の人間も,屡々検閲局の領分を侵して記者の報道内容に口を差挟む事が結構あったので,両者は頻繁に衝突していました.

 1942年10月になると,こうした状態を放置できず,トップ同士の妥協により,戦時情報局−検閲局合意書が11月15日に出来上がりました.
 合意の中で,両機関は情報を共有するが,前述の両者のスタンスに沿って各機能を分離するとし,外国語ラジオを含む国内ニュース・メディアを検閲する唯一の権威が検閲局であること,戦争遂行を促進する様な報道やテーマや話題は検閲官が示唆しないとしました.
 また,逆に戦時情報局には戦争遂行を促進する様な報道やテーマや話題については,戦時情報局が一手に引受け,戦時情報局は検閲局の検閲規定を無効にする適切な地位としての権限を与えると言う調整も行っています.

 1943年には再び政府上層部の動きもあって,こうした関係が危機に晒されますが,4月10日には上記役割分担を再確認する文書を交わして,何とかその危機は回避されました.

 その戦時情報局は,人種的・階級的・民族的紛争に火が付くかも知れない写真や報道記事は,陸海軍と同じ様に検閲しています.
 とは言え,国内報道で行われた,人種差別に端を発した白人兵と黒人兵の銃撃戦などの報道には介入していません.

 検閲局の範疇外だったのは戦時情報局のみならず,陸海軍でも同じです.
 陸軍の広報部は,各管轄区域内に於て,軍事情報の発表に関する情報統制を行い続け,作戦地帯からの写真は強制的な軍事検閲に掛けられて,一般の人々が目にするには余りにも陰惨だとする写真が多くお蔵入りとなりました.
 大統領や国務長官始め,政府高官達は,一般大衆に向けて発する戦争のイメージが楽天的ならば,国民の士気は維持されると信じていました.
 結果的に,真珠湾攻撃から20ヶ月間は死んだ米兵の写真は1枚も公表されませんでした.
 映画でも台本は検閲され,1942年5月から11月まで戦争場面を含む61本の長編映画の内,6本だけ米国人の戦死に触れただけでした.

 しかし,余りにも楽天的に過ぎる動きに対し,戦時情報局局長のDavisは戦争を綺麗事に見せるやり方と戦っていました.
 と言っても,敵は内にもおり,「流血場面を最小限にする」とか「傷ついても微笑みながら患者輸送機に乗り込み,誰一人酷く撃たれたり血を流す者はいない」と言う指定をしてみせたり.

 戦争には精神的や肉体的な苦痛は付物.
 映画も次第にそうした描写を加える様になり,下手をすれば実態を知った国民が猛反発して,戦争遂行に支障が出かねません.

 そこで戦時情報局は,1943年9月から戦死者の遺体写真を公表する様に動きを改めます.
 New Guinea戦線での死んだ兵士の遺体写真が,Lifeに掲載された時の読者の反応は,拒否ではなく,戦争に対する支持と理解が大半で,こうした事からも,米国人戦死者の写真は定期的に掲載される様になりました.

 ただ,規則が緩められても,今までの動きに慣れきったジャーナリスト達は,意図的に戦争の悲劇に関する部分の描写を避ける様になっています.
 こうした猛反発が噴出するのは,多分硫黄島戦になってからでしょうね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年10月14日22:15

▼「情報を出したがる奴らが,検閲をやりたがるのは何故なんだろう」
…とは,Priceのメモにあった言葉.

 自主検閲は緩すぎる,もっと検閲を厳しくすべきだと言う意見は,幾度も政府サイドや陸海軍から出て来ていましたが,彼はその都度,妥協したり,意見に従うふりをして裏で大統領に手を回して,結局,そうした雨や嵐を巧妙に避けてきました.
 この為に,米国の検閲制度は,民主主義の範囲内,憲法修正第一条の範囲内で上手く折り合いを付けていけた訳です.

 そう言えば,今後,機会が有れば取上げようかと思っているのですが,現代の日本でも出版業界や放送業界を中心に自主規制と言う名の自主検閲を行っています.
 ただ,日本のこれらの自主検閲は,自分の頭で考えて,何処まで掲載できるか,あるいは報道できるかを問い詰めるものでなく,極めて機械主義,事なかれ主義だったりします.
 とは言え,各種圧力団体が団交と言う名の吊し上げを繰り返した時代は過去のものとなり,今は,少数派による多数派への攻撃と言う側面が大きい様な気がしますが….

 日本の事情は扨置いて,第二次大戦中,米国の検閲局と政府機関との最後の縄張り争いは,1943年から1944年に掛けての冬に勃発しました.
 その中心人物は,Priceと陸軍軍事諜報部のGeorge Strong大将でした.

 Strong大将は,Patton殴打事件や,各種軍事機密を巡る報道を通じて,ジャーナリスト達による戦時報道,特に軍事に関する報道規制のあり方に不満を示していました.
 そして,こうした信念から,新聞雑誌とラジオ局を強力な検閲統制の下に置く必要がある,と考える様になります.

 特にNormandy上陸作戦の立案作業を通じて,Strongは,上陸場所やその日時を推論する報道を,軍の安全を侵害するものだと考えていました.
 こうして,軍事諜報部は広報担当官に圧力を掛け,情報の発表を段々減らす様にし,その結果として,軍事機密が増加し,資料類が配付されなくなった事による無味乾燥な軍国主義調の語調の双方が齎される事になりました.

 この危険な風潮に気がついたPriceは,検閲局が「戦時実務規程」第三版を出す前日,そして,Patton殴打事件が暴露された2週間後の12月9日に声明を出し,一般の人々がもっと多くのニュースを得られる様,また他の機関が検閲するのを認めない様,放送人と編集者に促す事にしました.
 この中で彼は,「勝手な火消し役の寄せ集め」によって作られ得る「過剰検閲の危険な心理」について警告しています.
 「勝手な火消し役」…彼はそれが何者であるかは明らかにしませんでしたが,会見の中で,「思い当たる節のある人はみなそうだと思えば良い」と答えています.
 つまり,Strong大将による密かな攻撃に対して,受けて立った訳です.

 12月24日のクリスマスイブ,Strong大将は,Priceに対し電話を掛け,国内検閲に関する文官の権限を終わりにする準備をしている,と述べます.
 これは,9日にPriceが行った防禦に対する正式な宣戦布告と言えるものでした.
 そして,Strong大将は統合参謀本部にその文書を送りつけました.

 実は,その文書が送りつけられる前に,Priceの方は防禦を更に固めていました.
 彼は,Strong大将の異議申立てを,Rooseveltの首席補佐官で統合参謀の一員でもあったWilliam.D.Leahy海軍大将に回しました.
 Leahy提督は独自に,検閲局の指導による自主検閲の効果の無さに対する,軍の異議申立てを調べてみますが,その結論は,民間人は軍隊と同じ程度に国家の安全を危うくしていないと言うのが判っただけでした.

 統合参謀本部は,この異議申立てに対する会議を持ち,Strongの軍隊式検閲よりも,Priceの自主検閲方式に支持を与えます.
 結局,Strong大将はこの紛争に敗北し,軍事諜報部の職を失う事になり,彼の後任にはそうした軍主導の検閲を良しとしない,穏健派のClayton L. Bissell大将が就任する事になります.
 Bissell大将は,大戦最後期の重要な課題に対し,Priceと良く協調して難関を幾度も切り抜けています.

 ちょっとした歴史の歯車が軋んで,此処で軍による国内報道機関の検閲が進んでいたら,もしかしたら,国民の不満は溜まり,Roosevelt自身の大統領再選は難しかったかも知れません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年10月19日22:16


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