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◆◆陸戦装備
<◆陸戦関連
<欧州方面FAQ目次
<第二次大戦

Le Maquis(英語.カード・ゲームのサイト.マイナー小火器の画像あり)
Modelling & Military History - Romanian Army 1941-1945(英語?)
The heavy German military bikes with sidecar from 1940-45
「カラパイア」:【画像】ロシア軍の掩蔽壕(えんぺいごう)廃墟
『ドイツ歩兵携行兵器戦場写真集』(広田厚司著,光人社,2008.8)
「 ワレYouTube発見セリ」:1941-Russian position building (ロシアの塹壕やトーチカなどの拠点的建造物)
【質問】
米軍歩兵師団の装備を教えてください.
【回答】
米軍の1943年型歩兵師団で,
将兵総数:14,253名
榴弾砲:合計66門
・105mm榴弾砲54門
・155mm榴弾砲12門
迫撃砲:合計144門
・60mm軽迫撃砲90門
・81mm迫撃砲54門
対戦車砲:
・57mm対戦車砲57門
30口径カービン:5204,
30口径ライフル:6761,
45口径拳銃:1157,
30口径機関銃:157,
50口径機関銃:236
45口径サブマシンガン:90
突撃舟艇:14,
観測機:10,
トラクター:3,
救急車:30,
乗用車:1,
トラック計1337
M3ハーフトラック:5,
M8装甲車:13
◆◆◆WMD
【質問】
ドイツ軍は化学兵器を使用したか?
【回答】
1941年12月から開始されたセバストポーリ包囲戦において使用.
(吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕 from 「疫病最終戦争」,
ビジネス社,2001/12/20,p.,52 抜粋要約)
【質問】
ドイツ軍の化学戦準備は,どの程度のものだったか?
【回答】
吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下の通り.
第2次大戦開戦時,ドイツは約2900tの各種毒ガスを保有していたが,ヒトラーがガス攻撃を禁じたため,効果的な撒布手段を持っていなかった.
ただし,新型ガス開発にはドイツは極めて熱心だった.
1942年には致死性神経ガス,タブンを開発し,大戦終了間際にはサリンの生産に取り掛かろうとしていた.
また,ソマン開発も進行中だった.これは致死性の有機燐化合物の神経ガスで,サリンよりもさらに強力だった.
( from 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.52, 抜粋要約)
【質問】
英軍の化学戦準備は,どの程度のものだったか?
【回答】
吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下の通り.
1940年7月,ドイツ軍によるイギリス本土上陸作戦が実行されるかに見えた時期,英軍は各種毒ガス約410tを保有していたと言われる.
これが41年12月には1万5262tになり,終戦時にはこれがさらに倍増していた.
撒布方法としては砲弾・爆弾に詰めて発射・投下することが考えられていた.
これら毒ガスはドイツ軍上陸の場合には使用されていた確率が高いが,チャーチルが真剣に毒ガス使用を考えたのは,44年6月からロンドンに向けてV-1による攻撃が開始された時期である.
チャーチルは,ドイツがこの新兵器の弾頭に生物兵器を用いるのではないかと恐れたのである.
ドイツがボツリヌス毒素をドイツが開発したことを,情報によってイギリスは知っていたから,それに対する報復措置ということだったが,チャーチルの案は実現性に欠けるとして参謀本部から却下されている.
しかし連合国側は以後,ボツリヌス毒素の解毒剤開発に力を注ぐことになる.
結局,ボツリヌス毒素も,それに対する解毒剤も,実戦使用されることはなかった.
(「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.52-53, 抜粋要約)
【質問】
米軍の化学戦準備は,どの程度のものだったか?
【回答】
吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下の通り.
第2次大戦参戦時のアメリカは,化学戦に対する準備ができていなかった.
しかしイギリスとの協定が手際よく成立,共同作戦の手筈が整えられていった.
イギリス駐留のアメリカ陸軍第8航空軍には,イギリスからホスゲン爆弾1万発が供与されていた.
程なくしてアメリカの生産も軌道に乗るようになり,新たに13の各種毒ガス生産工場が建設されている.
1945年までに,アメリカは8700tの有毒化学物質を保有するまでになった.
アメリカが化学兵器使用に踏み切ろうとしたのは,45年2月19日からの硫黄島攻略戦のときである.
スフィンクス作戦と称するデモンストレーションで,アメリカ陸軍は,通常爆薬では効果の薄い洞窟陣地に対しては,毒ガス攻撃が極めて有効であることを知らされた.
自軍の損害を可能な限り押さえ込むために,全島が堅固な洞窟陣地で固められた硫黄島に対し,アメリカ軍は毒ガス攻撃を決心したのである.
しかしルーズベルト大統領の決定により,この計画は中止された.
彼は報復以外に化学兵器を使用する事はないと宣言していたからだが,日本側も毒ガス兵器を所有していたから,それによる報復を無視するわけにはいかなかったはずである.
( 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.53-54, 抜粋要約)
第2次大戦中にイギリスは作物を破壊する化学薬品を開発し,そのデータをアメリカに提供.
アメリカはそれを日本の稲田に使用する計画だったが,実行には移されなかった.1945年中盤のことである.
(同 p.55, 抜粋要約)
【質問】
第2次大戦で,生物兵器が使用された例はあるか?
【回答】
吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下の通り.
1943年,小規模ながらポーランド国内軍が使用している.
この攻撃により,ドイツ軍兵士とゲシュタポ要員,数百人が死亡している.
使用されたのは,腸チフスの病原菌に感染させたシラミだった.
(「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.58-59, 抜粋要約)
【質問】
英軍の細菌戦準備は,どの程度のものだったか?
【回答】
吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下の通り.
イギリスは1930年には,炭疽菌に関する実験を開始していた.中心になったのは,ウィルトシャー州ポートンダウンにあった化学防衛実験体制(Chemical Defense Experimental Establishment)に所属する化学者だった.
特に,ポール・ファイルズとディヴィッド・ヘンダーソンが結成したチームは,アメリカ人化学者の見守る中,炭疽菌を詰めた25ポンド爆弾を,ロープで繋がれた数十等の羊の群れに飛行機から投下.
場所はスコットランド北西部沿岸約5kmの沖合にあるグルイナード島で,1942年夏のことだったと記録されている.
この実験は防護策が不充分な状態で行われたため,島全体が汚染される結果となり,1986年になってやっと立入が許可される始末だった.
しかし,この実験により,炭疽菌を培養して武器として爆弾に詰め,飛行機で何百kmも輸送した上で,目標に向かって投下できることが立証されたのである.
羊は殆ど死亡したが,生き残った羊は後に処分されている.
また,別の計画としてイギリスは,炭疽菌似汚染された牛の飼料の開発を,1941年12月から開始している.ドイツの牧草地に投下するのが目的だった.
他に,小型の炭疽菌爆弾の開発にもイギリスは成功していて,それをアメリカに提供,大量生産を促した.
V-1ロケットがロンドンに飛来した際には,アメリカから炭疽菌爆弾を提供してもらい,それによって反撃を行うという計画も存在した.イギリスの参謀本部が検討した作戦.英米は,生物化学兵器の開発・生産・情報については共同で行うという事で同意していたからである.
しかし,炭疽菌爆弾に関するこのイギリスの要求は,アメリカ側に拒否され,イギリスの報復計画は挫折した.
アメリカ側の拒絶理由は,日本に対して生物化学兵器を使用する必要が起きた際,行動の自由を確保しておきたいとの思惑があったものと見られている.いちいちイギリスに相談して決めるというのが煩わしく思えたに違いない.
なお,ヒトラーが生物化学兵器使用を厳禁としていたため,V-1に生物化学兵器が搭載される事はなかったが,ゲシュタポ長官ヒムラーは,この禁令の抜け道を探して生物兵器開発を試みたことが明らかになっている.
( 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.59-61, 抜粋要約)
【質問】
米軍の細菌戦準備は,どの程度のものだったか?
【回答】
吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下の通り.
アメリカは1942年からボツリヌス菌と炭疽菌の研究を開始,44年までには相当な成果を上げるに至っている.
化学戦局(CWS)は工場での生産設備を整え,炭疽菌爆弾を1ヵ月当たり1.8kg生産することが可能になっている.
また,ある程度のボツリヌス菌の撒布方法も完成させている.
ブルセラ症や鼻疽病の研究も鋭意進められていた.
(「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.60, 抜粋要約)
◆◆◆火砲
【質問】
大戦中のドイツの有名な88mm対空砲(36型でしたか)に,対戦車用の徹甲弾や対地攻撃用の榴弾が製造され,配備され出したのはいつごろからなのでしょうか?
【回答】
http://en.wikipedia.org/wiki/88_mm_gun
によれば,最初に開発されたFlak18の時点で,対戦車戦を前提として徹甲弾や対戦車榴弾があった.
アハトアハトが対地目標に対しても絶大な威力があると認識されたのは,スペイン内乱に派遣されて実戦運用した時.
第2次世界大戦ではPzgr39という徹甲榴弾が開戦当初から装備されていた.
あと,いわゆる「ハチハチ」の最初の型は「8.8
cm FlaK 18」(8.8cm高射砲(19)18年型)と言う名前だが,これはヴェルサイユ条約の規制に高射砲がひっかかるために年式を誤魔化したためで,実際には開発されたのは1928なので注意.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ドイツの88mm砲による活躍は有名ですが,連合国や日本では高射砲を対戦車戦闘などに転用して戦果を挙げた例はあるのでしょうか?
ドイツ側の重戦車に対抗するには有効な手段だと思うのですが.
【回答】
英国では,元高射砲だった,3in20cwtを搭載したChurchill自走砲が1942〜43年に掛けて製作されていますが,少数生産で終わりました.
後,イタリア戦線では,3.7in高射砲を野戦砲代わりに使用しています.特に,榴散弾の様なエア・バースト弾は効果的に使用されました.
また米国も,M1高射砲などは本来の対空砲としてではなく,地上目標への攻撃に多用されています.
ちなみに,カナダが至るところで苦戦して,歩兵が枯渇しかけたときでも,高射砲部隊は歩兵師団に匹敵するくらい遊休化してた訳で.
日本のそれも対戦車攻撃などに使用されていますが,尾栓などが対地攻撃向けに出来て居らず,数発撃って故障,放棄という話しが多く出てきます.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
イギリスに関して言えば,主力野戦高射砲だった3.7インチ高射砲には直接照準機が取り付けられていなかったため,対戦車戦闘は難しかったようです.
むしろ対戦車戦闘用に多用されたのは25ポンド野砲でした.
名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE
また,イギリスも3.7インチ高射砲改造の対戦車砲を開発してます.
ソ連のT-34/85に搭載された85ミリ砲も高射砲の転用,
M4シャーマンも高射砲を載せたタイプがあります.
高射砲と対戦車砲は,要求される性能が似ている(高初速,高発射速度)ので,転用される例は多いです.
ドイツ軍の88mm砲

【質問】
なぜ戦時中の各国で37mmという口径が採用されたの?
【回答】
ちょっとうろ覚えだが,先込め式の砲だった時代の砲弾の重量が口径を決めたと言う話だったかと.
昔の方は実体弾,要するにただの金属塊だから重量が威力の目安になる.
そうなると重量がたとえば1ポンド,2ポンドというふうに標準化され,その重さの砲弾がどれくらいの直径になるかで砲の口径が決められたということ.
ここに重量と口径の対照表があるが,なんとなく近い数値にはなってる.
http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/faq/bore.htm
ちなみに英軍はたしか今でも,何ミリ砲とは言わず何ポンド砲と呼ぶ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
Che cos'è il cannone da 47/32?
【回答】
第2次大戦中のイタリア軍で,歩兵砲,山砲,対戦車砲,空挺砲などとして使われた47mm砲です.
1920年代後半にオーストリア・ベーラー(Bohler)社が開発した砲で,フランスが第1次大戦中に戦線投入したプトー砲の拡大改良型です.
1935年にイタリア軍はライセンス生産権を取得,第2次大戦全般を通じて使われましたが,対戦車砲としては威力不足であり,次第に歩兵砲としての役割が強くなっていきました.
【参考ページ】
http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/47atg_m35.htm
http://www42.tok2.com/home/avionroad/Italians.html
http://www.comandosupremo.com/Cannone4732.html
http://www.esercito.difesa.it/root/equipaggiamenti/mez_sto_art_ita_47_32.asp
http://www.afrikakorps.org/italianartillery.htm
【ぐんじさんぎょう】,2009/2/19 21:00
に加筆
チュニジア戦線で対戦車任務に就く,ベルサリエリ兵とアンサルド47ミリ砲

敗色濃厚な1943年のこの時期というか,北アフリカの全作戦を通じてこれ以上の対戦車砲を持っていなかったイタリア陸軍に,問題アリでしょうか.
ただ,47ミリ砲自体は,ご存知の様に1935年にオーストリアで開発された優秀な砲だったので,シャーマン相手にもそこそこは活躍したと思わされます.
元来がコンパクトな対戦車砲をコンセプトに設計された32口径なので,同じ47ミリでも一式機動砲よりだいぶ小さいかも知れませんねー.
以前,ピサの空挺博物館で実物を見ましたが,私も割と華奢な印象を受けました.
http://www.photohighway.co.jp/ImageAlbum.asp?key=204.654093&src=12670656&un=97071&m=2&pos0=11&type=2
http://www.photohighway.co.jp/ImageAlbum.asp?pos=15&key=204.654093&un=97071&m=2&pos0=11&type=2&cnt=235
そう言えば47ミリ砲にはなんで防盾が無いんでしょうね?
空挺仕様ならいざ知らず,他兵科にも防盾付は配備されていませんね.
そもそも作っていなかったとか?
よしぞうmaro' in mixi,2007年04月19日00:08
〜19日 14:25
【質問】
大戦中の英軍には,カチューシャやネーベルベルファー,カリオペのような対地ロケット発射兵器はなかったんですか?
【回答】
http://www.spaceline.org/history/5.html
に第二次大戦中のロケット兵器概要があるのですが,British
War Rocketsの項を見ると,地対地で5インチのロケットとか使っていたようです.
まず,化学戦部で射程3,600mの5inロケットが開発されましたが,化学戦用の弾頭なので,使用する訳にいかず,通常弾頭(焼夷剤,榴弾)を改めて開発し,これを6連装ロケット発射機から発射する形を取っています.
これを上陸用舟艇に載っけて,上陸支援用に使用していましたが,陸上用には改めて,射程を伸ばした型が開発され,Land
Mattressとして30連装発射機が2輪の台車に乗せられて用いられました.
この改良型は後に東南アジア戦線でも用いられ,16連装発射機が開発されました.
また,60ポンドの半徹甲弾で,対空用3インチロケット弾のモーターを用いた単発で一人で持ち運びの出来る簡便なものが開発されています.
【質問】
米軍の中隊や大隊の火砲は迫撃砲のみですが,敵部隊の大隊砲や連隊砲に苦戦したなどという話はあるのでしょうか?
【回答】
米軍は,自分たちの砲火力に不足が有れば,師団砲兵を呼び出したり,航空支援,戦車,或いは艦砲の支援を仰いだりしています.
苦戦という件については,日本軍が十分な戦備を整えていた緒戦の段階であれば被害甚大と言うケースがありましたし,上陸反抗戦の局面でも,砲配置が適正で奇襲となれば米軍の被害が或程度はありました.
しかし,例えば,第17師団の西部ニューブリテンでの上陸防禦の場合,水際撃滅のために全火砲を持って行こうとしていましたが,兵力が足りず弾薬が持てないということで,装備火砲を各口径1門ずつとし,弾薬も5発ずつを何十人かで持つと言う状況でしたので,有効な打撃が行えませんでした.
また,ガダルカナルでは,大攻勢を掛けたものの,迫撃砲のFPFのため,全て撃退されています.
更に砲弾が少なく,砲の門数も少ない状況では,何をしても無駄だと言う諦観もあったみたいで….
日本軍の歩兵学校が作成した対米戦闘法は,大砲は撃つと叩かれるから撃つなと言うものだったりします.
ついでに,ジャングル戦では,樹木が生い茂っているために平射をしても効果が少なく(後の陣地構築が充実した状況は別),樹木越しの見越し射撃が多用されました.
また,下が泥濘状態になっていれば,機動力に劣る牽引砲は不利で,迫撃砲の方が効果があります.
ジャングル戦では,寧ろ大隊砲,連隊砲より,重擲弾筒の方が敵に被害を与えています.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
US 60mm迫撃砲M2

◆◆◆◆ドイツ軍火砲
【質問】
ドイツがドーバー海峡越しにイギリスを砲撃するため,「ビッグ・ベルタ」という巨大砲を作ったとのことですが、google検索でもヒットしません。
どんな大砲だったのでしょうか?
また、実戦で効果はあったのでしょうか?
【回答】
「ビッグ・ベルタ」と呼ばれた重砲は,WW1のドイツ軍に二つ存在しました。
一つは1914年にクルップが製造した42cm超重臼砲ディッケ・ベルタです。
ベルギーとフランスのコンクリート製重要塞を破壊する目的で製造され、ベルギーのリェージュ要塞の破壊などに用いられました。
もう一つは21cm列車砲カイザー・ヴィルヘルム・ゲシュッツ、俗に言う「パリ砲」です。
38cm列車砲「マックス」を改造し、口径を21cmにする代わりに砲身長を6m延長して初速を増すことで、最大射程132kmを得ることが出来ました。
これをもって1918年に96km先のパリに砲弾を浴びせかけました。
被害はさほどではなかったものの、むしろ心理的効果が大きかったようです。
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
ドーバー海峡越えを狙った大砲は,コイル砲と多連薬室砲の二つ。
コイル砲は実用には至らず、多連薬室砲(ムカデ砲)もドーバー越えの砲撃にはいたっていません。
多連薬室砲は,高圧ポンプという意味の「ホッホドルックブンペ」と呼ばれていました。
43年にカレー付近の丘を切り取って、150メートル砲2門分の土地が用意されました。
43年10月に、これとは別に砲身長を小さくした実験砲が作られますが、満足な性能は得られませんでした。
その後に実物大の砲が組み立てられますが、3〜5発発射たびに砲身が裂けるというお粗末な物で実用には至っていません。
この特殊砲の存在をキャッチしたイギリスはこの地域に徹底的な爆撃を加え、これを破壊することに成功します。
結局、この構想は潰えてしまい砲の残骸はノルマンディーに上陸した連合軍によって捕獲されました。
短砲身の実験砲のうち1門は汽車でアントワープに運ばれそこかえら60km遠方を砲撃しました。
もう一門は44年10月のアルデンヌ攻勢支援としてルクセンブルクで使用された記録が残っています。
極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ
もっとも,このアントワープの件とアルデンヌ攻勢支援,「砲撃した」という記録はありますが,公式な資料も物的証拠も残っていないため,疑問視する向きもあります.
当時の記録を仔細に検討すると,どうも疑わしく見えてくるそうな.
以下,「ドイツの傑作兵器 駄作兵器」(広田厚司著,光人社NF文庫,),P65より引用.
この砲は1944年冬から1945年にかけて,ドイツ軍最後の攻勢作戦となった"アルデンヌの戦い"で用いられ,二門が参加しドイツ中部モーゼル川中流のトーリルと,そこから30キロ離れたヘルメスカイルから,距離30〜40キロほどのところにあるルクセンブルグのジョージ・パットン中将の米第三軍を目標に発射された.
一門は連結した平貨車の上から,もう一門は丘の傾斜を利用したコンクリート砲台から発射され,両砲共にドイツ軍撤退と同時に爆破されたとされるが,今日の研究ではこれを証明する資料はなく,また,当時の状況を子細に見ると実際に使用されたのか,大いに疑問が残るところである.
極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS
【質問】
第二次大戦中ソ連軍の砲兵戦力はトップクラスでしたが,対するドイツ側の砲兵戦力はどの程度だったのでしょうか?
連合軍・ソ連軍との規模や,砲の性能,砲兵部隊の錬度などをご教授願いたいです.
【回答】
第二次世界大戦当時のドイツ軍の師団砲兵は,軽大隊三個と重大隊一個で,それぞれ10.5cm軽榴弾砲と15cm重榴弾砲で編成されていました.
また,歩兵大隊に所属する二個砲兵中隊が7.5cm軽歩兵砲6門と15cm重歩兵砲2門を装備していました.
ところが対ソ戦が始まってみると,主力野砲だった10.5cml
eFH18と15cm sFH18はソ連砲兵の主力装備である107mmカノン/152mm重榴/152mmカノンに完全にアウトレンジされてしまいました.
そこで,改良型である10.5cm leFH18Mを投入したり,自走化によって射程の短さを補ったりしました.
後継砲の開発にも踏み切っていますが,終戦までに完成しませんでした.
さらに生産量の不足が拍車をかけ,多くの歩兵師団では鹵獲した野砲が支給されていたりしました.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
【質問】
カノン砲(重砲類)と榴弾砲を一緒に師団レベルで運用していたのはドイツだけだったと聞いたのですが,これは本当でしょうか?
仮に事実だとするとどんなメリット,デメリットがあったのでしょうか?
【回答】
カノン砲と榴弾砲を一緒に師団レベルで運用していたのは帝政ドイツの時からです.
当時は野砲として7.5cmFk16カノンと10.5cmleFH16軽榴弾砲を運用していました.
再軍備後の国防軍では,軽野砲の口径を10.5cmに定めたため,新型カノン砲として10cm
sK18重カノン砲(52口径10.5cm砲)を1933年から生産しました.
しかし,重榴とほぼ同じ重量(5.6t)や威力の低さから次第に第一線から退いて沿岸警備用にまわされています.
諸外国でも威力が半端なのか,10cmクラスのカノン砲はあまり用いられていないようです.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
【質問】
東部前線でT-34相手に歯が立たなかった3.7cm対戦車砲や5cm対戦車砲はその後,どのような使われ方をしたのでしょうか?
【回答】
二線級装備に格下げとなり,さほど重要ではない戦線に送られたり,本土防衛部隊に装備されたり,友好国に供与されたり,訓練用となりましたが,大戦終了まで用いられています.
後,Pak35/36については,成形炸薬弾が配備されていて,曲がりなりにも対抗出来るようにはなっていました(射程が360mと短すぎて,意味がなかったのですが).
また,5cm対戦車砲の方は,完全に代替するほど生産が為されませんが,辛うじてT34の装甲をぶち抜けるため,ほどほどに第一線装備になっています.
なお,戦後の一時期,この砲はベルギー陸軍に配備されていました.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
【質問】
ネーヴェルベルファーは役に立つ兵器だったのでしょうか?
色々検索しましたが,好評だった,恐れられた,……との話は出てきません.
【回答】
ネーベルファーとは日本では煙幕発射器と訳されており,最初は35型と40型の二つがありました.
前者は,歩兵突撃の際,煙幕を張って味方の損失を少なくするのを目的に使用されました.
また,毒ガス弾の発射も可能でしたが,国際法規の上から使用することはありませんでした.
1939年のポーランド侵攻や,フランス侵攻に使用されましたが,15cmのものが実用化されると,普通の迫撃砲として,歩兵師団で,歩兵5人を充てて使われるようになりました.
後者は,砲尾から砲弾を入れるために構造が複雑化し,ゴムタイヤまで付けたので,35型の9倍の価格(4000ライヒスマルク)になってしまい,少数生産に終わっています.
15cmネーベルファー41型,21cmネーベルファー42型は,迫撃砲弾に比べ,広範囲に飛散面積を持ち,発射地点の急速移動に耐えられる軽快な装置として製作されています.
弾体の爆発力は凄まじく,至近距離で爆風を浴びた場合,圧搾効果で可成りのダメージを蒙ることが確認されています.
但し,欠点として,初期のものは,発射煙と光跡が軌跡を描くこと,更に大きな飛翔音で攻撃地点が暴露されやすいことが上げられ,後期のものは,発射薬をディグリィコールに変えて改善されました.
15cmの次に21cmが開発されたのは,大量の弾薬を発射することが可能なものとして生産されたもので,砲架を15cmのものと共用とするため,5本の砲身に減らされました.
また,この砲身にはアダプターを取り付けることで,15cm弾体を使用可能としていました.
但し,21cm砲弾は榴弾しか生産されませんでした.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
◆◆◆◆米軍火砲
【質問】
WW2時の米軍の砲に105ミリ榴弾砲が有りますが,これは師団砲兵の装備なんでしょうか?
また,旧軍でいう大隊砲や連隊砲に相当する火砲はあったのでしょうか?
【回答】
基本的に,105mm榴弾砲は軽砲でありますが,編成上,師団砲兵の装備に組み込まれます.
師団砲兵の装備としては,105mm榴弾砲3個大隊と155mm榴弾砲1個大隊で編成されます.
但し,機甲師団の野砲大隊の場合は,105mm榴弾砲搭載のM7自走砲のみが装備されています.
米国の歩兵連隊は,3個歩兵大隊によって編成されます.
歩兵大隊は4個中隊で編成され,そのうちの1個は重火器中隊です.
(中隊を構成する小隊も,同様で,4個小隊のうちの1個は重火器小隊)
但し,その装備はM1917/M1917重機関銃8丁からなる機関銃小隊と81mm迫撃砲6門からなる迫撃砲小隊で構成されています.
従って,連隊砲というのはなく,迫撃砲で代替されます.
さらに師団砲兵の105mmを適宜,連隊支援に配備します.
分隊支援砲兵的なものとしては,更に小銃の擲弾発射がありました.
【質問】
米軍の圧倒的な対地砲撃は,単に物量に頼ったものだったのですか?
【回答】
物量だけではなく,砲兵火力の指揮・運用が極めて優れていました.
砲兵戦力の効率的運用法の最たるものは,一元集中管理.
陣地後方に陣取ってる各種火砲の多くは指揮所直轄.指揮所で状況を見ながら,必要な場所に集中射撃.
で,指揮所からだと細かい状況は見えないので,弾幕射撃になる.
しかも,状況不明であることから,開き直って梳櫛射撃をする.
言うならば,前線の各陣地を監視哨として扱うわけです.
陣地攻防戦そのものは「如何でもよい」というのは,攻撃側に於けるある種の発想の転換でした.
陣地は目的にあらず,陣地の裏にある要衝を突くのが目的なのであり,素早く要衝を押さえてしまえば,戦いは勝利できるし,ちんたらやってるよりそっちのほうが損害総数も少ないというものですね.
これを防戦でやってみせたのが米軍だとも言えるでしょう.
地図と監視哨と砲兵と通信ネットワークで戦場を管理しちゃったんです.
我が砲兵は敵砲兵を拘束できればよいと開き直れば,分散して他方向から五月雨で撃ってみる等の工夫で,少なくとも半日程度の攻防戦なら敵砲兵を拘束できなくはないでしょう.
つまりは,砲兵火力(砲数や弾薬数)ではなく,砲兵火力の使い方の部分に鍵があったわけです.
詳細は,
http://www.warbirds.jp/town/script/board.cgi?no=0002
を参照してください.
唯野 in mixi支隊
◆◆◆歩兵携行兵器
【質問】
ナチスドイツの有名なMG34.42機関銃ですが,wikiに
>過熱した銃身は磨耗を防ぐために250発ごとに交換する必要があり,
>機関銃チームは常に予備の銃身を持ち歩いていた.
との記述があるのですが,これは他の国の機関銃も同じだったのでしょうか?
また,同じならば航空機の機関銃は交換しなくても大丈夫な仕掛けがあったのですか?
【回答】
そもそも野戦で簡単に銃身が交換できるような機関銃というもの自体,MG34/42が初.
発射速度を見てもらえればわかると思うが,MG34,42の異常な発射能力によるものだから.
過熱した銃身は磨耗を防ぐために250発ごとに交換する必要があり,理想的な運用状態では,機関銃チームは常に予備の銃身を持ち歩いていた.
(しかし,末期のドイツ軍ではそうはいかなかった例もあって・・・)
同時期の他の国の機関銃は,機関銃自体を半分バラさないと銃身が交換出来ない.
当然,戦闘中にそんな事やってる余裕はまずないので,予備の銃身を持ち歩く必要もなかった.
たとえば,アメリカのBAR(機関銃ではないという議論はさておき)は,交換機構がありません.
日本でも最初の11年式軽機は,銃身交換が実際上は困難でした.
アメリカのM2重機関銃は,銃本体をバラさなくても銃身が取り外し/取り着け出来るようになっていたが,交換したあとはちゃんと調整しないとうまく作動しなくなるので,戦闘中の交換は事実上不可能だった(やった例はある).
次第に技術が洗練されて,ドイツのMG34になると非常に交換が簡単になっています.
これより前に,いわゆるチェコ機銃ZB26は,迅速な交換機構が付いてます.
銃身上部の取っ手を持ってえいやっと,数秒で換装できました.
名前のとおり1926年生まれで,MG34よりも古いものです.
同系列のブレン軽機(英国)や96式軽機(日本)以降は,銃身交換が容易になってます.
そのため日本の歩兵も,予備銃身持って歩いていました.(11年式時代から一応持ってるけど)
航空機用機銃の銃身は飛行中に撃つ限り,充分に冷却されている(飛んでる限り冷たい風が当たるから)のと,そもそも銃身が加熱するほどには撃たない.
空中戦で相手を照準に捉えて撃つのなんかほんの一瞬だし,何分何十秒も撃つほどの弾を積んでない.
航空機関銃は口径にもよるけど,1門あたり400発程度しか持って飛ばない.
だから,あまり問題にはならない.
一応,「航空機銃」と呼ばれるものは銃身の肉厚を厚くする,ジャケットを冷却に配慮したものにする,などして地上用のものよりは強化されてるのが普通.
逆に「風が当たってよく冷えるから冷却ジャケットは要らん.重くなるし」と取り外してるものもある(ルイス機関銃とか).
軍事板●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 507
青文字:加筆改修部分
【質問】
WWUの頃の狙撃兵について聞きたいのですが,狙撃兵の実際の交戦距離ってどれくらいなのですか?
それと狙撃兵が持っている小銃は特別仕様なのですか?
【回答】
ほんの数十メートルって事もあれば1000メートルオーバーも.
銃は特注や専用もあったけど,本当に精度が高いものはできるのは運なので,実際には大量生産された普通の小銃の中から精度の高いものを選んで使ってたケースが多いです.
日本の38式歩兵銃は事実上職人さんの手作りなので,時折物凄い質の良いものがあり,今でも欧米のマニアがハンティングなどに使用.弾も生産されています.
狙撃中の有効射程,この場合一発目でかなりの確率(たとえば90%)で敵を無力化する(数分内に攻撃力を喪失させる)という意味での距離であれば7.62mmの伏射で800m程度というのがおそらく常識的な数字です.
それ以上で当たることももちろんあり,倍の距離で当てたという話もあるでしょう.
ただ,まぐれをのぞいて最初に書いたような仕事的意味で言うなら,最大射程として800m程度,それも弾も銃も良い状態で,です.
実際の交戦距離はそれよりはるかに短く,戦場次第ですが,狙撃兵大活躍の市街戦などであれば100mを割ることさえ珍しくなかったと思います.
300mも離れれば,狙撃されても,市街ではまず射点を見定めることはできません.
音が反響すれば,もっと近くても,おおよその方向すらわかりません.
しかもその距離なら初弾の命中率は大変高い.
狙撃兵はこわいな.
【質問】
WW2のスナイパーはどのように歩兵部隊に組み込まれているのでしょうか? 小銃兵扱いですか?
(軍のいろいろな編成表をあたってみたのですが,該当する項目が見つかりませんでした.)
【回答】
一応,分隊の1名は,狙撃兵となり,かつ,グレネード・ランチャーを持って,分隊のミニ砲兵としての役割をするようにはなっていました.
実際には,規定通りの編成を取る部隊は殆どありませんでしたが.
ソ連の場合は,分隊9名のうち,隊長と機関銃手を除く7名が狙撃兵と呼ばれていましたが,大戦中期以降は形だけの名前になっています.
眠い人 ◆ikaJHtf2 in 軍事板
WWIIのドイツ軍に関して言えば,歩兵小隊の小隊本部の伝令兵のうち一名が,望遠スコープ(Zf
42)を装着した98Kを装備しており,純粋な狙撃手として配属されています.
(出典:Alex Buckner "The German Infantry
Handbook" (Schiffer, PA, 1991))
ただし,1943年以降のK.St.N.(戦時編成定数表)の各種の歩兵中隊(Schutzenkompanie)の編成では,この伝令が3名から2名に減員されており,その後も一名がスコープ付ライフルを装備していたかどうかは不明.
尚,1944年までは,K.St.N.上では,Infanterie(歩兵)の表記ではなく,すべからくSchutzenと表記されている.
これはあくまでRiflemen(ライフル銃を装備した兵)という意味合いで認識すべき.
【質問】
現代の兵士はヘルメットと防弾チョッキ,戦国時代の武者は鎧兜に身を固めているのに,なんで第二次大戦の兵士はヘルメットだけで防弾チョッキをつけてないんですか?
【回答】
鎧兜では弾を防げず,防弾チョッキはまだなかった(戦場で有用なレベルのものは)から.
既に幕末の時点で鎧兜は銃弾を防ぐどころか,害にしかならないことが判明したからね.
前装式ライフル銃の時代.
火縄銃の時代でも,距離によってはかなり厳しかった.
そして第2次大戦当時の防弾チョッキは重くて暑いだけで余り役にたたなかったんだ.
ケブラーもファインセラミックもなかったんだからさ.
銃弾からの防御というより,砲弾の破片を防ぐ目的の防弾チョッキが登場したのは,ヴェトナム戦争の頃.
それも軽くて強い素材が登場したから実用化できたこと.
拳銃弾でなく小銃弾を防御できる防弾ベスト(セラミックプレート入り)は,近年になって登場した.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
大戦中の赤軍は兵士の3人に1人がサブマシンガンを持っていたそうですが,どのような基準で持たせていたんですか?
こうも数が多いと,分隊長・副長のみというわけにもいかないし・・・
【回答】
http://www.stormpages.com/garyjkennedy/RedArmy/reduced_strength_rifle_battalion.htm
を参照.
中段にサブマシンガン部隊(サブマシンガンユニット)という見出しがあり,そこの記述を要約すると,1942年時点で,赤軍ライフル大隊に100名のサブマシンガン部隊が付属するように規定されていた(ただし,充足率のようなものは不明).
そして,1943年には,ライフル中隊を構成する3小隊中1小隊の装備が,すっかりサブマシンガンに置換されたと書いてある.
すなわち,兵装の充足率がぐっと高まったと思われる1943年時点において,赤軍の歩兵部隊の3分の1がサブマシンガンを装備していたと考えられるわけだ.
ついでにそこの記述には,近接戦闘時の火力が高まった変わりに損害を増やすことにもなったと補足的に書かれている.
軍事板
蛇足.
1941年当時では,分隊の兵士の主力は,M1891/30ライフルで,他にDP軽機関銃が1挺,分隊長のみPPSh1941サブマシンガンを装備していました.
しかしながら,独ソ戦初期に被った人的損害と,大量動員による訓練不足で,特に射撃訓練を必要とせず,更に戦術としても接近戦に主眼を置くものとなったため,サブマシンガンの装備率が向上し,戦車随伴歩兵は,DP軽機関銃手以外は,全員サブマシンガン装備となっています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
WW2ソビエト小火器一覧

CRS in mixi支隊
【質問】
第二次世界大戦時のソ連は銃を2,3人に一挺だったっていうエピソードが,映画「スターリングラード」にありますが,これは独ソ戦全体を通してのことだったのですか?
それともスターリングラード戦の補給事情が生んだ出来事で,銃が数人に一挺だったのはスターリングラード戦だけだったのでしょうか.
【回答】
独ソ戦初期の戦闘態勢が整わなかった時は,ソ連軍ではどこもそんなものだったらしい.
独ソ戦後半にはウラルの東に移転した工場が生産を増強し,さらにアメリカからの支援物資の輸送が順調になってきたので兵器不足は解消されている.
「ロシア兵はアメリカ製の生地で作られた軍服を着て,アメリカ製の靴を履き,アメリカ製のコンビーフを食べて,アメリカ製のトラックに乗って戦う」
なんて言われたくらい.
前半の損害について言えば,大量の兵員を損失したことの方が響いていて,戦争終結まで多くの部隊は定員を充足していない状態で戦っている.
戦争末期にはドイツ軍の方の兵員及び武器弾薬の不足の方が深刻で,国民突撃隊などはそれこそ三人に一丁の銃で,それもイタリア軍からの鹵獲品.
しかも,しばしば補給された銃と弾薬の規格が合わないなどという状況もおきている.
ダンケルク撤退後の英軍も火器不足が深刻で,急造型短機関銃を作って(それがステン・ガン)みたり,槍で武装したり.

【質問】
ソ連のアサルトライフル開発についての質問です.
巷ではよく
「AK47はドイツのStG44を模倣して作られた」
とか
「内部の構造は違うが,短小弾をフルオート射撃するコンセプトは借用した」
等といわれていますが,ネットを検索して調べたところ,ソ連で1939年には7.62×39弾の開発が行われていたようです.
ドイツのMKb42が戦場に出てくるのが1942年ですから,ということはドイツのそれを見る前から,ソ連は短小弾をフルオート射撃する火器を模索していた事になるのでしょうか?
【回答】
実は帝政時代にロシアは,フェデロフM1916という小口径弱装弾を用いた,フルオート可能なライフルを開発している.
曲銃床ではあるものの,これこそが世界初のアサルトライフルとも言われてる.
AK47がStG.44の影響を受けていないはずがないが,模倣というのは言い過ぎ.
メカニズムがまったく違う.
StG.44とその用法,成果を大きく参考にした,というのが正しい.
ソ連の7.62x39(Soviet M1943)について言えば,反動が軽く,撃ちやすい弾丸として,サブマシンガンの弾薬として1930年代にはソ連だけでなく,フィンランドやスイスでも開発が行われていた.
他に9x25mm Mauser Export,7.62x32 Mannlicher
Carbine,7x44mm Weibelなどが相当する.
しかし採用されることなく,その後,開発が止まっていたものが,1942年の7.92x33「Kurz」の登場で注目され,1943年に開発が再開され,M1943の制式名となったわけ.
ちなみにシモノフも,1946年の軍による試験にAvtomat,つまり全自動射撃できるライフルとして参加している.
この軍公試に参加した際のシモノフのライフルは,写真で見る限り,カラシニコフのAK-46とほとんど同じか,やや長い弾倉を装備しており,単に全自動可能にしただけではなく,装弾数もシモノフAVS-36の15発よりだいぶ多そうだ.
銃床もAVS-36の曲銃床と異なり,直銃床+ピストルグリップとなっている.
で,試験をパスしたAK-46に手を加えたものが,AK-47として採用されることになる.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
第2次大戦時のソ連軍の迫撃砲の種類を教えてください.
【回答】
37mm軽迫撃砲(スコップ兼用)
50mm軽迫撃砲
RM-38
RM-39
RM-40
RM-41
82mm迫撃砲
PM-36
PM-37
PM-41
PM-43
120mm迫撃砲
PM-38
PM-43
160mm迫撃砲
MT-43
【参考ページ】
http://www.wfyi.org/fireandice/history/weaponry_soviet_ar.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_infantry_mortars
http://www.mortarsinminiature.com/SovietM1938.htm
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=16166(写真も)
50mm迫撃砲RM-41

120mm迫撃砲PM-38 & PM-43
【質問】
第2次大戦中のソ連軍の手榴弾の種類は?
【回答】
F-1 手榴弾
M1914/30 Dual-Purpose (汎用?)柄付き手榴弾(源文本ではRG-14/30)
M1917 柄付き化学手榴弾
RG-1941 手榴弾(源文本のいうRG-41のことか?)
RGD-1 発煙手榴弾
RGD-33 Dual-Purpose 柄付き手榴弾
RTD-42 手榴弾
RPG-40 対戦車手榴弾
RPG-43 対戦車(HEAT)手榴弾
「S」 発煙手榴弾
【参考ページ】
http://www.lonesentry.com/articles/sovgrenades/index.html
http://www.armchairgeneral.com/forums/showthread.php?t=59443
『武器と爆薬』(小林源文著,大日本絵画,2007.5),p.91
【ぐんじさんぎょう】,2009/3/22 21:00
に加筆
RPG-43

ロシア海軍歩兵設立300周年記念本『大祖国戦争の海軍歩兵』より
燃えている海軍歩兵が持っているのが,おそらくRPG-43

CRS@空挺軍 in mixi,2008年03月30日18:22
【質問】
第2次大戦中のソ連軍の防弾ベスト,SN-42
body armorについて教えられたし.
【回答】
――――――
RUSSIAN WWII BODY ARMOR - A FASCINATING FIND
The plates were 2mm thick and weighs 3.5 kgs each. The SN-42 body armor was supplied to SHISBr (assault engineers) and Tankodesantnikam (infantry that rode on tanks) on some tank brigades.
――――――
まぁ,気休めの防弾性能だな・・・
砲弾の破片防護を重視した設計みたいだから,その後の6bシリーズにもその設計思想が受け継がれてるのは面白い点だろう.
右腕を動かしやすいようにしているのがポイント,
これは面白い.
昔読んだドイツのティガー乗りのカリウス氏の回顧録に,防弾ベストを着たソ連兵の話があったが,たぶんこの防弾ベストのことを言っていたのだろうか.
上記にあるようにバリエーションがあるので,一概には言えないけど
全体図

A German WWII corporal wearing the SN-42
body armor, possibly captured from the Soviets.
It is said to have saved his life during
combat

Finnish soldier wearing a captured early
version of the body armor, from Soviet-Finnish
Winter Wars (Nov. 30th 1939 - March 12th
1940)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年07月31日11:52
【質問】
バネで推進する携行型対戦車ロケットがあったらしいですが,何という名称でしょうか?
【回答】
PIATという,WW2にイギリス軍が使用した対戦車弾.
PIATは発射薬の撃発に撃針を用いる方式で,バネはこれに用いる撃発バネです.
で,この発射薬の爆風でバネを押し戻す仕組みなんですが,その辺がうまく働かず,手動でバネを押し戻すことがしばしばあり,
それを見た米兵が,バネで発射すると勘違いしたのがデマの発端とか何とか.
蛇足ですが,PIATは種別上,対戦車擲弾発射器,ないしは対戦車迫撃砲に分類されます.
丼炒飯◆HY/YgdSbHM
PIATは確かに撃針をバネで叩く仕掛けですが,見逃されがちなのはPIATの発射薬は補助的であり,撃針を叩くバネが同時に弾薬を推進している点です.
簡単に言えば,PIATはバネなしで撃針を叩いても飛びません.発射薬のガスは前方に放出され,このためPIATは閉所から発射しても安全ですが,
要するに反動が問題になるほどの火薬は使用されていません.
極論すればPIATは巨大なバネ銃であり,発射体の運動量とバネの後退量が相殺される仕掛けです.
大きな問題点は,バネ仕掛けゆえの(火薬に比し)ゆっくりした作動であり,それに伴う重心の移動,振動の発生です.
このため「時化の船でボーリングの球を転がす」ような状態となり,命中率は熟練した射手であっても高いとは言えませんでした.
また有効射程も数十メートルと言われています.
要は,でっかいパチンコ.
PIAT

【質問】
イギリス軍は第二次大戦中ヤリで武装してたそうですが,本当でしょうか?
【回答】
本当です.下は実物画像.
英国は,ダンケルクの撤退で武器が無くなったため,ありとあらゆるものを作りました.
で,その中にライフルの銃剣を用いた槍があり,それは1950年代に至ってもホームガードの倉庫に眠っていました.
ちなみに,バケツに入れたガソリンと毛布と鉄棒で戦車に対抗しようとしたり,トラック架装コンクリート製装甲車を作ったり,結構,モンティパイソンみたいなことをしてます,彼国は.
眠い人 ◆gQikaJHtf2


【質問】
ドイツ兵はヘルメットのあご紐をしめるのに,アメリカ兵はヘルメットのあご紐をしめないのはなぜですか?
【回答】
あご紐をしっかりと締めてると,爆風を浴びた時にヘルメットと頭の内側に爆風が吹き込み,ヘルメットが無理やり吹き飛んでいこうとするために結果,首の骨が折れる.
そういう事故を防ぐため,戦場ではヘルメットの顎紐はしないのが兵士のたしなみ.
ドイツ兵の場合は服務規程が厳しかったので,写真に撮るような状況だとみんな顎紐は締めて撮ってる.
もちろん戦闘時には緩めたり外したりしていた.
でも顎紐締めないとすぐ頭から落ちるので,最近では一定以上の衝撃が加わると紐が外れる構造になっているものが多い.
WW2 ドイツ軍型ヘルメット

WW2 米軍型ヘルメット

【質問】
迷彩服について質問です.
第2次大戦ではどこの軍隊も迷彩以外の服で戦っていることが多いようですが,迷彩効果のある服を採用できない理由があったのでしょうか?
ドイツ兵を描いたイラストに,現代の迷彩に近いものを着ているものがあったのですが,前線の兵全体に配らないのはなぜか,という疑問があります.
【回答】
まず,コストがかかるので全軍に普及するような数が生産し難い,というのがあった.
迷彩服つくるより普通の服いっぱい作ったほうが安い.
第2次大戦が始まるまでは,どこの国も軍縮傾向だったから.
で,戦争が始まると,ドイツ軍とその同盟国以外は迷彩服の採用が難しくなった.
何故なら迷彩服を着ていると,遠目に発見されてしまったときに「あ,ドイツ兵だ」と思われて撃たれてしまうから.
実際,アメリカ軍は迷彩服を採用していたが,「事故」が頻発してあわてて前線部隊から回収する羽目になった.
また,米海兵が採用したものは,「染め」の技術がいまいちで,使ってる間に白っぽく色が抜けて逆に目立ってしまった.
技術コスト面の問題も大きかったんじゃないだろうか.
なお,WW1の頃から,戦場で目立たない色であるカーキ色の軍服に切り替わっている.
緑系の迷彩だと草木の多いところでないと逆に目立つ.
戦場の環境に合わせて支給する服を換える,というのはなかなか難しい.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧日本軍以外でゲートルを使っていた軍隊はあるのでしょうか?
【回答】
第二次大戦初期の英国陸軍は長い巻きゲートルを用いており,その後キャンバス製の短ゲートルに変更されています.
ただ,古参兵の中には中後期に至るまで,長い巻きゲートルを用いた者も居たようです.
イタリアでは,1942年頃までカラビニエーリという憲兵隊に於いて巻きゲートルが用いられています.
また,海軍のサン・マルコ海軍歩兵連隊には兵士に巻きゲートルが支給されています.
ソ連では長靴が不足した折に,巻きゲートルが用いられていました.
フランスでは備蓄の軍装が第一次大戦型のものでしたので,巻きゲートルも支給されています.
フランスの影響が強かったルーマニアでも同様に巻きゲートルが支給されています.
チェコスロヴァキアやユーゴスラヴィアも同様です.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


◆◆◆◆ドイツ軍歩兵装備
【質問】
パンツァーなどの歩兵用の対戦車兵器で,多数の戦車を撃破したエースっていないのでしょうか?
ヨッチ
【回答】
え〜,質問はパンツァーファウスト&パンツァーシュレックでの対戦車兵器でのエースですね?
SSのアルフレッド・シュナイダーライト伍長
1943年12月20日の戦闘でT-34を4輌撃破したことにより,騎士十字章をヒトラーから直々に授与されています.
フリチョフ・エルモ・ポルシュSS中尉
SS戦車猟兵中隊【ドーラU】指揮官であった彼は,4月18日マルクスドルフ村での戦闘で,自らパンツァーファウストと集束手榴弾を駆り,単身でT-34,JS-2など13輌の戦車を破壊,ソ連軍の撃退に成功しています.
同中隊はこの日の戦闘で,約100輌の戦車を撃破していると言われております.
CRS@空挺軍
フリードリッヒ・アンディング大尉
『グロースドイッチェランド』戦車猟兵大隊に所属した彼は,1945年4月20日に一回の交戦で,6両の戦車および5両の装甲車両をパンツァーファウストで破壊したことにより,騎士十字章を受賞.
なお,彼が撃破した戦車は18両に及び,その右腕の袖には戦車撃破賞金賞(5両撃破)が3つ,同銀賞(1両撃破)が3つ縫い付けられており,その他に一級鉄十字章・歩兵突撃章・黄金ドイツ十字章・歩兵白兵戦章銀賞などを獲得している.
ハンス・レーガー上級曹長
敵中で捕獲した15.2cm榴弾砲を断固守り抜いたことで,1944年8月21日に騎士十字章を獲得したレーガー軍曹は,昇進後の東プロイセンで1945年2月2日に,パンツァーファウストを用いて4両の敵戦車を撃破している.
ナオ
以上,「軍事板常見問題 mixi支隊」より

【質問】
パンツァーファウスト(60M)の弾頭は,コンクリ製の壁だと,どれくらいの厚さを貫通できるでしょうか?
【回答】
http://boards1.wizards.com/showthread.php?t=437557&page=1
によると,RHA貫徹能力は(貫徹長,口径の順で表示)
Boys Antitank Rifle: 20mm/0.8"
Panzerfaust 30 Klein: 140mm/5.5"
Panzerfaust 30M: 200mm/7.9"
Panzerfaust 60M: 200mm/7.9"
Panzerfaust 100M: 200mm/7.9"
で,とりあえず20cm.
一般にHEATの貫徹力は
鉄筋コンクリートに対してはRHAの1.5倍,
レンガなどに対しては2倍
とされるので,この場合の回答は
鉄筋コンクリートなら30cm,
やわなコンクリート,いい加減なコンクリ壁なら40cmを貫徹できる,
ということになる.
もちろん,この意味はその厚さの壁の内部を(ぎりぎり)危害できるということ.壁を崩せるわけではありません.
【質問】
第三世代戦車にRPG7で対戦車攻撃するのは,ほとんど突攻に等しいとは思うのですが,大戦中にあったであろうT-34をパンツァーファウストで攻撃するというのも,同じように生存率に乏しいものなのでしょうか?
それともセンサーなどの索敵手段が,現代に比べ劣っていたから,生存率は割と高い?
【回答】
センサーといっても,暗視装置が登場してるぐらいで,視野が狭いのは今も同じ.
全周光学センサーが普及するまでは,この点は解決しない.
強いて言えば,車両間通信が発達しているから,お互いの死角を補い合えるという点で,やや戦車有利になってるか,程度.
あとは環境次第であり,歩兵と協働している戦車を野原で攻撃するのは自殺行為だろうし,裸の戦車を瓦礫だらけの市街で攻撃するのは比較的楽だろう.
まあ,パンツァーファウストよりはRPG7の方が有効射程が長いから,多少マシかも知れない.
T-34に限って言うなら,同車はキューポラがなく車長が周囲を監視する手段は視野の狭いペリスコープを使うか,危険を冒してハッチを開けて頭を出すしかなかった.
後期になると覗視孔のついたキューポラが付けられたが,それでも視界は悪い.
よって,パンツァーファウストを持った兵士への対策は,随伴する歩兵に頼ることになる.
先行しすぎたり,巧みな攻撃で兵士と引き離されたり,うまく偽装した敵を見逃すこともある.
要はやり方と経験次第.
実際,熟練した兵士で肉弾戦車撃破章を何枚も稼いだ者だっている.
それ以上に不慣れなまま戦場に投入され,怒涛の大群に押しつぶされた兵士や国民突撃隊もいるが.
軍事板
青文字:加筆改修部分
T-34

【質問】
パンツァーシュレックの発射手順を教えて下さい.
【回答】
こんな感じか,と.
0. 状況(季節とか距離が必要かなど)に応じて,砲身の照星を取り替える.
1. パンツァーシュレッケを発射位置に持ってくる.
2. ロケット弾収容箱の表示を確認し,現在の季節に合うかどうかを確かめる(滅多にないけど…夏用,冬用がある).
3. ロケット弾収容箱を開き,中のロケット弾を取り出す.
4. 脱落防止用クリップを上げ,パンツァーシュレッケにロケット弾を挿入する.
5. 脱落防止用クリップを下げて,砲身にロケット弾を固定する.
6. ロケット弾から出ている,点火用プラグを,点火用ソケットに挿入する.
7. 射手に装填完了を報告(出来れば,射線からこの時に離れる).
8. 目標に対して,照星を使って目標の照準を行う(照星Aならば目標設定のみ,照星Bならばそれに加え射程も調整可能)
9. 戦車が側面を晒して走行している場合は,照門を用いて,砲身が目標に対して水平になるように,進行方向を確認,速度
を推定して,大体の速度を定めて照門を調整する(速度は0〜30km/hで15km/h刻みで推定).
10. 照準を合わせたら,装填手に注意を促し,トリガーを引く.
11. 発射!
12. さっさと逃げる.
眠い人@まだまだ規制中
『ベルリン1945 ラスト・ブリッツ』(梅本弘著,学研新書,2001.4)にイラストで撃ちかたが載ってた思う.
見てみるよろし.
ベタリーニョ藤原◆RoMNjfnp0E
【質問】
カンプピストルは対戦車拳銃だと聞いたのですが,26.6mmの成型炸薬弾で戦車を破壊することは出来るのでしょうか?
【回答】
http://www.army-technology.com/contractors/ammunition/ruag/press4.html
に軽量型手榴弾の広告がありますが,STANAG4512仕様の防弾ベストを貫通し,5mの距離で2mm厚さの鉄板も貫通するそうです.
ただ,破片の空気抵抗が大きく,重量が小さめなので,距離が離れると急速に威力が低下します.
半径100m程度になると殺傷力はほぼなくなります.その意味では5.56mmライフル弾とは大違いです.
口径26.6mmの成形炸薬弾で貫通できるのは7〜10cmぐらいです.貫通するだけでは殺傷力少ないですから,もう少し薄めの所があれば,撃つといいんではないかと.
【質問】
MP40を構えた時,片手がマガジンを握っているように見えるんですが,装弾不良や暴発といったトラブルは起きなかったのでしょうか?
素人考えでは発砲時にマガジンが動いてしまうのはマズイと思うのですが.
【回答】
おっしゃるとおり,MP38/40のマガジンはそれほどがっちり固定されていないため,マガジンを持って支えてしまうと装弾不良の原因になりました.
このため,銃の下部か,マガジンの上のマガジンホールドの部分を持つように指導されていました.
しかし銃身にカバーがないため,銃の下部を持つとちょっとしたはずみで銃身に触れて火傷することがあり,マガジンホールド部で支えるのが好まれることになります.
すると往々にしてマガジン部で支えることも生じ,装弾不良の原因となる・・・と.
もともとMP38/40のマガジン自体に,装弾不良を起こしやすい設計上の欠点もありました.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
小銃分隊の軽機関銃チームは,どのぐらいの数の弾を持って行動するものなのでしょうか?
【回答】
WW2ドイツ軍の軽機関銃チームは指揮官、射手、弾薬手1、弾薬手2の4人。
弾薬箱は300発入りだが、弾薬箱の定数は残念ながら知らない。
補給状況や移動距離等にもよるだろうけど一応、肩掛けのバッグは弾薬箱1個入り、弾薬箱の持ち手自体は片側に寄っていて、片手で2つ持てるようになっている。
【質問】
銃身や銃自体をぶっ壊すくらいの気持ちで機関銃撃ったら同じ銃身で最高何発まで撃てるんですか?
M2やMG42だとして,冷却なし、本当にズ〜ッと撃ちっぱなしの場合.
【回答】
MG34およびMG42は連続射撃250発ごとに銃身交換を行うことが規定されていた。
一つの弾帯は通常250発なので、弾を撃ち尽くしたところで弾帯と銃身を同時に交換する。
実戦ではそうもいかない場合もあっただろうが、これ以上撃つと故障のリスクがあったということだろう。
MG42では無く戦後に製造されたMG3のお話ですが…。
三脚を使用した連続発射試験において、MG3は一万発の連続発射に耐えています。
さすがに銃身は白色となって、レシーバーも真っ赤になっていましたが、機構上は全く問題が無く、銃身を交換してさらに千発の射撃に耐えたとのこと。
もっとも、戦中に大量生産されたMG42ではこのようなことが行えたかどうかは分かりませんが。
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE

【質問】
アメリカは戦後,鹵獲したMG42をコピーしようとして失敗したと聞いたのですが,どうしてなのでしょうか?
【回答】
第二次大戦中,米軍はドイツ軍が使用していたMG42に惚れ込み,BARの後継機としてこれをコピーすることを考え,捕獲品を徹底的に分析した後,1944年2月にMG42を,米軍制式の.303口径弾丸に合わせた試作品を完成させた.
ところが,徹底的に分析し,コピーしたはずなのに,1,500発の試射で失敗作と分かった.
大がかりな調査の結果,所期の性能が出なかったのは機関部全長が6.3ミリ短いためと判明した.
(ドイツの7.92ミリ弾に比べ,米国の7.62ミリ弾は全長が長かった)
一製図工の基本的な設計ミスがなければ,米独両軍でMG42が使われる可能性があったわけで,信じられないが本当だ.
眠い人 ◆ikaJHtf2
【質問】
Stg44の配備状況は,45年始め,どれぐらいだったのでしょうか?
【回答】
Mkb42/MP43/MP44(StG44)を合わせた生産量は,終戦までに約44万梃,
StG44に改名してからでも,1945年初頭までに約12万4千梃が生産されています.
しかし,爆撃などにより,実際に配備された数はかなり少なくなっています.
一部の部隊が短機関銃代わりに装備するのがやっとだったかと.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
StG-44

(画像掲示板より引用)
【質問】
FG42は降下猟兵のみに配備されたんでしょうか?
【回答】
FGはFallschirmjagerGewehe(落下傘狙撃兵小銃)の略です.
1940年のオランダ,ベルギーへの降下作戦の際に,拳銃,小銃,短機関銃の装備で戦闘を行ったものの,短機関銃は成る程有効な火器として使用されましたが,敵側が十分な戦備を整えている状態では,短機関銃は威力が小さいため,一兵士が携帯し降下可能な地上用機関銃並みの軽量自動火器を開発しようとしたのが最初です.
当初は,空軍から陸軍造兵部を通じて開発を依頼する予定でしたが,陸軍に拒否されたため,かねてから空軍との関係が深かった,ラインメタル・ボルジヒに開発を依頼し,1942年に完成したものです.
この突撃銃の設計思想の原型ともなったFG42は独立した握把(グリップ)を持っていたが,形状に2種類のバリエーションがあって,強く傾斜した急角度(通常の木製銃床の握把部分と同じような角度)のものと,ごく普通のピストルグリップ(と言っても当時としては非常に斬新)を装着したものが存在しました.
(軍事板)
全部で7,000挺程度の生産量であるからして,高射砲部隊とか飛行場大隊とか整備大隊とかには配られてない感じですね.残っている写真には,降下猟兵が使っているのばかりです.
降下猟兵師団と言っても,純粋な意味での空挺部隊で使われたのは,Mussolini救出作戦くらいで,後は"太っちょ"降下猟兵師団@Normandyとかイタリア戦線の降下猟兵師団とか言う,謂わば空軍野戦師団と言った方が良い性格の部隊で使われていたみたいですね.
余談ながら,カナダ陸軍の第二次大戦の活動を描いた本,イタリア戦線に出てくるドイツ軍は全て降下猟兵と訳されてて,萎えた記憶が…(苦笑.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
【質問】
ドイツ軍がWW2で使っていたボルトアクションライフル,モーゼルKar98Kは,Gew98という小銃の騎兵バージョンなのだそうですが,なぜ騎兵用ライフルを全軍に配備したのでしょうか?
また,Gew98はWW2では使われていなかったのでしょうか?
【回答】
Gew98はその名の通り1898年に採用されたライフルで,一次大戦で使用されましたが,長すぎる,と前線の兵士からは不評でした.
一次大戦後にKar98b仕様に改造されましたが,依然として長すぎました.
Karとはカラビナー,英語で言うところのカービン,騎兵銃なのですが凡そ騎兵銃と呼べる物ではありませんでした
Kar98kはさらにこれを短くした物でしたが(名称末尾のkとはクルツ,短いの意)でしたが,それでもカービンと呼べる長さではありませんでした.
(軍事板)
蛇足ですが,1935年の再軍備の頃には,ドイツ歩兵の機動化が進み,車輌による機動が多くなります.
また,着剣した歩兵同士の白兵戦が将来的には少なくなっていき,歩兵用の小銃は短い方が操作しやすいと言う傾向にありつつありましたので,Kar98bより短い小銃を採用しました.
なお,Gew.98については,第一次大戦後に保管兵器となっていましたが,1933年に再び第一線装備となり,1939年に第二線装備となってはいますが,敗戦まで用いられています.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
【質問】
ドイツ軍が開発した自動小銃は,大概がスコープを付けて狙撃銃として使われていますが,これは何故ですか?
自動式の作動機構は精度でボルトアクション式に劣るので,狙撃銃には向かない,と何かで読んだ記憶があるのですが・・・.
【回答】
速射性を重視した結果です.
Kar98の様なボルトアクション式の場合,排莢と再装填の場合にボルトを操作するので,一時的に照準眼鏡から目標がずれてしまいますが,自動小銃だとそれが連続して行えます.
また,機構上,Kar98より,照準眼鏡の接眼レンズが射手に近いので,射撃精度に優れていると言うこともあったようです.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
【質問】
大戦末期にドイツは,真鍮不足で鉄の薬莢を使用していましたが,真鍮に比べ,鉄の薬莢を使用して何ら問題はなかったのでしょうか?
【回答】
問題あった.
発射すると真鍮の薬莢は一瞬膨らんでまた元に戻る.
鉄だと膨らんだまま薬室に張り付いて,作動不良起こすことがよくあった.
あと,保管が悪いとすぐ錆びる.
中国やロシアだと今でも鉄製薬莢使ってるが,あっちの銃は張り付きを防ぐために,薬室のスペースを大きめに作ってる.
【質問】
ドイツ軍の柄付き手榴弾の名前,"PotatoMasher"って正式名称?
【回答】
"PotatoMasher"は鹵獲した連合軍側がつけたあだ名.
ドイツ側の呼称は"Stielhandgranate"
英語なら"StickGrenade"と呼んでるみたい.
(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
【質問】
集束手榴弾って何?
【回答】
ドイツ軍が多用した対戦車戦法の一つで,見た目こんな感じ.
http://www3.plala.or.jp/Last-Kampf/Blue31.gif
画像の真中のものが集束手榴弾

この場合は単純に爆薬としての破壊力狙いです.
一個あたりTNT 170gでこれを集束して7個分なのでTNT
1190g.
WW2末期の化け物じみた重戦車相手ではちょいと辛いですけど,使い方次第では結構有効な手段でした.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ドイツのM35ヘルメットとM40ヘルメットの違いは何でしょうか?
【回答】
材質の変更(クロモリ鋼→マンガン・シリコン鋼)と,ヘルメット両サイドの通気孔が別パーツのものから,一発抜きに簡略化されたのが違いです.
【質問】
ドイツ空軍のスプリンター迷彩について教えられたし.
【回答】
もしかすると第二次大戦中,ドイツ空軍が空挺や地上部隊が装備する被服用に採用した細かいスプリンター迷彩の存在について,意外と一部の軍装オタ以外では知られていないかもと思い,柄のパターンとサイズ違いを写真でアップしておきました.
これは,1/35空挺のフィギュアをペイントする時にも重要で,テント柄だと大きすぎてバランスが崩れる事になります.
1/6フィギュアはこの点をどうクリアしているのでしょうか?
ドラゴンの降下猟兵はちゃんと細かいパターンのスモックを再現している様ですが.
それにしても,遠距離からの目視による迷彩効果を計算されたテントや車輌用のスプリンター迷彩を被服に転用する際に,迷彩効果の距離が短くなった事を考え直して柄を細かく複雑にしたドイツの配慮は,流石だと思います.
というか流石お金持ちドイツ空軍省と言うべきか.
ただし,折角の試みも空軍地上部隊でしか行われず,数の上で圧倒的多数の陸軍は終戦まで大柄のパターンを使い続けていたのも,官僚主義的おドイツならではでしょうか.
イタリアは戦中はここまで出来なかったので,M29迷彩パターンの大きな柄で被服も作ってしまいましたが,戦後はこのドイツの考えを取り入れ,似て非なる細かい迷彩柄を刷って被服を作っています.
下に揚げた写真は,私が三度の飯より好きな空軍地上師団のグランドスモック3種.
20年前に仏MILITARIA誌で出会って以来,このハーフコート状の迷彩服に惚れ込んで独軍装趣味を始めた経緯が在り,今も愛着が在ります.
一般の方には
「何処が違うんじゃい!」
と言われそうですが(笑),一応.1枚目は初期型の平綿生地製,2枚目は一般的な綾織生地製で動きやすい様に少し丈を詰めています,
1枚目は空挺生地や警察系と同様な,オレンジ色の糸が混紡された綾織生地製となります.
全て陸軍ポンチョより細かい柄の空軍タイプのスプリンター迷彩が使用されています.
またこのグランドスモックの使用例として,当時写真もアップしました.
〔写真1〕
〔写真2〕
また,空軍空挺迷彩スモックでは,陸軍でも改造して着用した例はいくつか例外的に確認出来ます.
この辺のダウトな使用例を見つけた時が,軍装考古学の学徒としては堪らない瞬間だったりしますが,世間的には(゜д゜)ハア?なんでしょうか.
それからドイツ迷彩とイタリア迷彩の意外な関係はこちらに.
スプリンター迷彩とイタリア迷彩の関係は,これもあまり世間では知られてませんね.
でも考えてみればヨーロッパの国同士,迷彩の開発で影響しあっているのも極自然な事なのかも知れません.
世界初の個人装備であるイタリア迷彩には,もう一つ,世界に先駆けて砂漠迷彩の開発,という経緯もあります.
これなどもイタリア本国のコレクターにも知られていません.
英米でも迷彩パターンへの思想に違いが在るように,元々各国の迷彩の成り立ちや完成したものはかなり異なっていました.
ところが近年は米軍のウッドランド迷彩とデザート迷彩が各国装備のトレンドになってしまったようで,イタリア陸軍もウッドランドの亜種の様なものを着ていて「迷彩柄はその国の一種の文化である」説を唱える私などはがっかりさせられます.
この現象はフランスでも同じで,ハンバーガーにジーンズ文化の侵食はもはや止められない様です(´_`)
空軍地上師団のグランドスモック



よしぞう(maro') in mixi,2006年05月02日01:06
【質問】
ドイツ陸軍型ウォーター迷彩スモックについて教えられたし.
【回答】
このフード付かぶりのウォーター迷彩スモックは,1944年頃から狙撃兵に配備され始めた為,一般的にスナイパースモックと呼ばれていますが,HG師団では組織的に使用され1944年代後半には擲弾兵の半数近くがこの迷彩スモックを着用していました.
(写真1)の左は,1944年10月の東プロイセン戦線で撮影されたHG師団擲弾兵.
右は手持ちのウォーター迷彩スモックで,実物は見ての通りペラペラのレーヨン混じりの生地で,おそらく防寒アノラックの表生地と同じ物でしょう.
(写真2)の左は,この実物スモックのフードを掛けて迷彩プリントされたフェイスベールを下ろした状態.
以前,AM誌でドイツ軍装特集記事を書いた時に撮影したものです.
右は1/6のフェイスベール.
ネットの目が粗いのは仕方在りませんが,迷彩は再現していなかったのが残念.
でもこの辺のフェイスベールの発想が戦後,東ドイツ軍にも活かされていて,軍装マニアとしては興味が広がります.


よしぞう(maro') in mixi,2006年10月19日19:46
【質問】
防寒着や不凍オイルなどをを徹底的に欠いていた,1941年末〜42年初頭の東部戦線のドイツ軍は,現場ではどのように防寒対策したのですか?
【回答】
基本的には防寒対策はとにかく重ね着.
独ソ戦最初の冬はソ連軍の方の装備がましだったので,遺棄死体から冬用のシープスキンコートとかフェルトのブーツなんかをはいで着用したりした.
とにかく凍死や凍傷で手足の指をなくすよりましなので,気持ち悪いとかいってる場合じゃなかった.
あと,歩哨に立つ兵士は,暖炉で暖めたレンガを懐に入れて懐炉代わりに使ったり,それで銃のボルトを暖めて凍結しないようにしたそうだ.
ヘルメットも直に被ると,そこから熱が逃げるので,布やシーツを頭に巻きつけた上から被ったりしていた.
後になるとトークという,毛糸で編んだ筒状の被り物が支給されて,それで頭と首を被ったりしている.
防寒用のアノラックは白と迷彩のリバーシブルになっていて,一面の雪原なら上下白,地面が出ているようなら上は迷彩という風に,状況にあわせて着用していた.
◆◆◆◆イタリア軍歩兵装備
【質問】
戦時中のイタリアのカラビニエリ(軍警察)の制服について教えられたし.
【回答】
カラビニエリ(軍警察)のM40型ウール野戦服.

今回は久しぶりに海外オクでやや大きめのバクチを打ちましたが,予想通り悪く無い品が届きました.
兵用3個ボタンのウール服は最近本国の市場でも枯渇しており,大体出て来るのは表がスムーズで,裏が起毛したイタリアサージ生地製のM40型がほとんどなので,思いきって張りました.
腰のバックポケットも残っていて,ウール服でもよくある裏返しもの(イタリア軍は使い古しの軍服をほどいて裏返して再縫製して支給したエコな軍隊(笑))では無い為,これは今どき貴重かも知れません.
そして一番肝心なのが,内装に在るLEGIONE
CARABINIERI(カラビニエリ憲兵隊)MILANO,LUG
1943(1943年7月)のスタンプ.

↓はオマケのベレッタホルスター付き拳銃弾用3連バンダリア.

このピストル弾用のバンダリアの面白い所は,ベースは小銃弾の騎兵用と同じなのですが,ポーチ部分が蓋の高さまでしかなく,下がスッカラカンなことです(笑).
まあ,恰好は良いのですが….
よしぞう(maro') in mixi,2007年03月13日01:26〜14:12
【質問】
イタリア海軍陸戦部隊のヘルメットは?
【回答】
イタリア海軍の陸戦部隊や基地警備,船上警備兵は,陸軍と同様のグレーグリーン色にペイントされたM33型ヘルメットを支給されていました.
サンマルコ陸戦部隊などを見ても戦闘時だけではなく,式典でも良く被っています.
昔入手したイタリア海軍陸戦隊用ヘルメット

イタリアの場合は休戦前までは,王国海軍としてイカリの上に王冠が付きます.
ただし,休戦後のRSI海軍ではイカリだけに.
シェルの後頭部に当たる縁には,“MRM”スタンプを確認(写真右上).
先日入手したM33ヘルメット解析本に寄ると,MRMとSRMだけが,王国海軍用ヘルメットを示すスタンプだとされており,これを見て一安心(^^;
また,シェルの左側面にはこれをピックアップした連合軍将兵が書いたと思われる,“Porto
Empedocle,Sicily,July 1943”の文字も確認(写真下).
ここから,シチリア島ポルト・エンペドクレに上陸したパットン指揮の米軍が捕獲した物ではないかとも推測出来ます.
よしぞうmaro' in mixi,2007年05月14日01:34
〜05月15日 15:37
より再構成
【質問】
第2次大戦中のサン・マルコ海軍陸戦連隊のセーラー(水兵)服は,どんなものか?
【回答】
サン・マルコ海軍陸戦連隊の夏期/熱帯セーラー服

ファシスト暦18年のスタンプ

ウールー製セーラー服

写真上は第2次大戦中のサン・マルコ海軍陸戦連隊の夏期/熱帯セーラー(水兵)服.これでも立派な野戦服です.)
この時代のセーラー服のデザインは,日独伊共にほぼ共通ですが,カーキ色の綿製生地のタイプは,イタリア独自のもので,1930年代から主に伊海軍陸戦部隊を中心としたアフリカ方面派遣部隊に支給され,1935年から駐留したエチオピアのサン・マルコ陸戦部隊も着用.
筆者が入手した品には襟裏に1940年(ファシスト暦18年)のスタンプ(写真中)が入り,サイズは4でした.
写真右下,以前入手した同連隊海軍歩兵(maro')が着用したウールー製セーラー服.
通常,水兵はウールー製濃紺や綿製白のセーラー服を着用したのに対して,陸戦兵はグレーグリーン色ウール製セーラー服を着用しました.
またブルーの襟布も脱着式になっています.
着用例写真はこちらに.
いやー,良いね,サン・マルコ部隊マニアとしてはもう満足です.
それにしても,今頃イタリア製セーラー服に惑う40歳代って…(爆
よしぞう(maro') in mixi,2006年04月29日13:49
▼ 以下は,あるぺんいぇーがぁーさんの紹介で入手したサン・マルコ海兵連隊と独海軍の混成写真.
キャプションでは北イタリアのラ・スペツィア軍港での撮影となっており,独伊軍の軍装から1942〜43年頃のものと推測されます.
前列右の座ったイタリア兵だけが通常水兵で,他のバスコを被った兵達は,グレーグリーン色の海軍歩兵(maro'/マロー)のウール服上下を着用しており,袖の赤い有翼ライオン徽章からもサン・マルコ海兵連隊と確認出来ます.
バスコには,将校服の襟章に付けられた金属のサン・マルコのライオンが.
因みに戦時中の有翼ライオン徽章が手にする本は,常に閉じられていますが,平時には開かれ「PAX
TIBI MARC EVANGERISTA MEUS」(我が使徒マルコに平和を与えん)というラテン語の文句が入っています.
これで『エヴァンゲリオン』の意味を知った私です(^^;

よしぞう(maro') in mixi,2006年11月04日00:49
▲
【質問】
イタリア軍空挺部隊のヘルメットは,どんなものだったのか?
【回答】
カリメロってイタリア生まれのCFキャラクターだと,世間では認知されているのでしょうか?
イタリアのキオスクでは,今だに子供向けにカリメロのノートや文具グッズが売られています.
私も直接見た事が在りませんが,当初カリメロはイタリアの漫画家パゴット兄弟が本国の台所洗剤CF用キャラクターとして開発したもので,その後人気が出てから日本でもアニメ化されたそうです.
1963年生まれという事は,ほぼ同世代.
そういえば,日本製アニメではエンディングの絵描き歌はオーソレミーォ♪でしたね,
これはイタリアへのリスペクト?(笑)
先日,このカリメロ頭のような形状をしたブツがイタリアから届きました.
その名はM41/42型空挺ヘルメット.



これは,当時の空挺ヘルメットに良く在る様に一般のM33型ヘルメットの鉄兜縁をカットした形状で,前ひさし部分に革パッドが付き顔を保護し,ウレタン入りのライナーは降下の衝撃を受け止めやすくしています.
初期のM40/41型ではこの革パッドは無く,首後ろにネックガードの皮張りが付いていました.
以下の写真は,1941年頃タルキニア降下学校で降下ツナギと初期型M40/41空挺メットを着用した陸軍空挺中尉.

ひさしのパッドはゴムでは無く革を袋状に縫ったもので,表革は顎革紐と同様にダークグリーンに染色され,中には髪の毛や粗もうウールがアンコで入っています.
実際はライナーを留める金属バンドにリベット留めされていますー,モデリングのご参考までに.
伊空挺部隊は実戦参加のタイミングが悪く,ほとんど降下作戦に投入されていないのが実情ですが,その装備は他国と同様に金と時間を掛けて開発されたものなので優秀でした.
そのため,空挺ヘルメットなども多部隊で流用されています.
下記写真は,1942年6月にセヴァストポリ攻撃に向けてフォロス(黒海)に派遣されたMTSM魚雷艇に乗るデチマ・マス特攻部隊員.
カポックを付けた二人の搭乗員達の右側が,イタリア空挺ヘルメットを着用しています.

そう言えば,ドイツ軍も空軍降下猟兵の空挺ヘルメットを海軍のSボート搭乗員が着用しているのを以前,記録フィルムで見ましたが,写真で残っているのかどうか知りたい所です.
独陸軍のスキー猟兵も東部戦線で空挺ヘルメットを着用していますね.
もっとも同部隊は,空挺布ガスマスクケースや空挺グラビティナイフも使っているので,かなり組織的な補給があったのかも知れません.
地上戦が主であったイタリア空挺ですが,コマンド降下はかなりのミッションを北アフリカで行っています.
『イタリア軍入門』ではページの都合でバッサリ省略しましたが,伊空挺の詳しい戦史は拙記事「イタリア空挺通史が」,『WW2欧州戦史シリ−ズVol.22
ヨ−ロッパ空挺作戦』(学研)に掲載されていますので,ご興味があればまたご覧下さい.
戦後も伊空挺で,このカリメロ頭形状の鉄鉢型は使われましたが,英軍カーキに塗られ,チンストラップはウエッブ(綿)製となり,ひさしの革パッドも小型化しています.
またこのひさしの革パッドシステムは,東ドイツ空挺ヘルメット(下写真)にも影響を残している様です.

〔略〕
皮革部分はヒビ割れが始っていたので,急ぎ師匠から頂いた軍用白ワセリンを塗りこんで応急処置を.
ヨーロッパの軍装品は革やゴムが日本の高い湿度や気温が原因で,一夏で独軍ガスマスクがダメになる事などよくあるので今後も注意が必要.
蜜鑞などもこういった保革素材として重宝で,以前ピアチェンツァのミリタリーショーでまとめて手に入れた,丸いラードケース状紙製ケースに入った戦中ドイツ軍の保革蜜鑞を今だに愛用しています.
これがミンクオイルなどの動物系油脂ならとっくに腐っていて,使い物になりません.
昔はドイツ軍の本物をイベントフィールドでかぶったり着たりと,結構バチあたりをしていましたが,流石にこの辺の物はもう自宅に鎮座させてレプリカで遊ぶ様にしています.
なんとなれば,我々軍装コレクターは世界の貴重な文化財を一時預かって,自宅で後世に向けて保管しているだけなのですから…しかも身銭を切って(笑)
嗚呼,酔狂も極まれり(爆笑)
よしぞう(maro') in mixi,2006年06月03日15:52
〜2006年06月07日 12:10
【質問】
デチマ・マス師団NP(潜水空挺)大隊兵士の装備を教えられたし.
【回答】
Twisting Toysの新作で500セット限定品であるデチマ・マス師団NP大隊兵セット〔を参照してください.〕
〔略〕
今回の品は潜水空挺(NP)大隊であった為,迷彩空挺スモックと迷彩カバー付き空挺ヘルメットや空挺ブーツが付属していましたが,野戦服も前合わせボタンが隠しのM41空挺型と4個ボタンが剥き出しのデチマ・ナス部隊型の2着がセットされていました.
しかも襟章は,全期間で使用された赤の五角形と,1944年夏以降に使用された青い五角形版の両方が用意され,設定にも気を使われています.
また,黒革の空挺ブーツもクロダ社製の独特の底面ゴムパターンを再現して,ドラゴン製空挺ブーツより凝った造りをしています.
実物空挺ブーツの底面ゴムパターン写真:
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000274.jpg
こげ茶革のイタリア山岳ブーツの出来も最高です.
また,武器もベレッタM38短機関銃以外にブレダM30軽機関銃やパンツァーファウスト60なども選べ,銃嚢にもなるベレッタ短機関銃の6連腹巻き式マガジンポーチまで付属していて,かなりお買得感があります.
休戦前サンマルコ時代から使用された銃嚢式マガジンポーチ写真:
http://www.jollyrogerxxx.it/kazu05c.jpg
襟無しM41型野戦服の生地の色や質感は,イタリアサージのドッピアファッチア(裏起毛生地)に近い良い感じですが,先日入手したドラゴンのモデルと比べると胸ポケッットフラップの造りの甘さや,ちょっとなで肩すぎるラインが気になりました.

また,実物のカラーレス服は相当に肩パッドが入っていて,ドラゴン製の野戦服がその着用時のいかり肩のニュアンスを良く再現している様です.
サジッタリオ(射手座)大隊海兵の当時写真:
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000181.jpg
隠しボタンの空挺型イタリアサージ生地服の現物写真:
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000030.jpg
また,通常M33型ヘルメットが付くものかと期待していたら,M41型空挺メットに通常のチンストラップをつけてノーズ防護パッドを取った珍妙な物が入っていました.
左は,昨年同社発売のデチマ・マス師団ルポ(狼)大隊兵セットに付属していた迷彩のM33型ヘルメット.
これの単色&錨マーク入り版になると思っていただけに,少しガッカリしました.何故でしょう?

またバスコ(ベレー)が今回のセットに入っていなかったのも残念.
やはりRSI軍のエリート部隊はバスコが定番なのですが….
まあ,それでもボタンが剥き出しのデチマ・マス部隊型服は,1/6フィギュア界では世界初の再現で,こうして組んでみると絵になります.

写真の迷彩ヘルメットは前作のセットから拝借.
それから後で気付いたのですが,袖口のボタンが左右逆に付いていました.
しかし私は1/6フィギュアに関して無改造主義なので,このままにしておきます(笑.
〔略〕
刺繍袖章の有翼ライオンの('A`)顔が私は気になりますが,こちらの同海兵部隊の非公式バッジはもはやライオンだかネコだか判らないプリチーさです.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000216.jpg
RSIデチマ・マス部隊に伝統が受け継がれたサンマルコ海兵連隊やそのNP大隊の歩みについては,マイミクであるfolgoreさんのこちらのサイトに以前ざっと書きました.
ご覧下さい.
http://www2.wbs.ne.jp/~camo0/ber-sanmaruko.htm
よしぞう(maro') in mixi,2006年07月15日05:00
〜07月19日 10:57
【質問】
GNR部隊の軍装について教えられたし.
【回答】
GNRとは,(グアルディア・ナッツィオナーレ・レップブリカーナ:共和国全国防衛部隊)の略称で,元々の黒シャツ部隊であったMVSN部隊が,サロ共和国に移行して名称変更したものです.
ドイツでいうと,さしずめSDとSSと治安警察部隊が一緒になった様な存在でしょうか.
このGNR部隊の記章にあるMは,当然と言えば当然ながらムッソリーニのMです.
赤M大隊歌の歌詞を読むと,さらに死(モルテ)のMにも引っ掛けたダブルミーニングだった事も伺えます.
以下の左写真は,この趣味をこれまで支えてくれたGNR部隊士官候補生の集合写真.
この男の色気を感じさせる軍装は,いつ見てもイカシます.
右写真は,1944年10月,対パルチザン戦に展開したマントヴァの黒い旅団“マルチェロ・トゥルチェッティ”の兵士達.
右の将校は,二重の電光M型のモールドが入った独軍式バックルを着用.
左の兵は独武装SSバックルをそのまま使用しています.

これ↓がドイツ軍型全鉄製ベルトバックル,
このダブルMのデザインは,明らかにSSルーンを意識したデザインですね.
RSI時代になって,よりドイツと密接な関係を示したかったのかも知れません.
それが良く判る,こういったSSとGNRの両兵士とマークが登場する,プロパガンダポスターも当時作られています.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000292M.jpg
左上のモットーは,「名誉,戦闘,勝利」となります.
軍用バックルとは言え,薄い鉄のM型ピースを黒染めのバックルに鑞付けして銀磨きしているアタリは,中世の甲冑製作を思わせる技術で,さすがはイタリアと思わされました.
これはレプリカには無いテイストですね.
イタリアの軍装BBSのGNRバックル・ページにも記載されていますが,世の中にはこんなレプリカも出回っているようです.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000291.jpg

これ↓は野戦服に襟章や士官候補生袖章を付け,ダブルM(GNR部隊記章)のトリプル仕様にしたもの.
「う,美しい…! なんというハーモニー! 完璧なイタリアンモードの美!」

黒フィアンメは,もともと一次大戦のアルディーティ(突撃兵)が黒フェズと共に用いたもので,これがそのままMVSNに伝わり,GNRに流れています.
マネキンが絞めてるベルトは,通常のドイツ軍用ベルトです.
システムが一緒なので取り合えず付けています,
今回(筆者が落札したバックル)は,アメリカからの出品でしたが,物の写真と共に米第5軍のヴェテランが戦地でピックアップした品々に混じって出た一品という触れ込みを読んで,確信してビットしました.
私の知り合いのRSI空挺兵だった方も,捕虜になった直後に,当時でも5000個も生産されなかった激レアの空挺バックルを付けていた為.それ欲しさの黒人米兵にベルトごとナイフで切られて盗まれたそうです.
それを聞いていた私は,数年前に複数のバックルを純銀で銀細工ショップで複製させた際,1個余計に作ってその人物にプレゼントしました.
本人は結構喜んでくれたので,良かったのですが.
もうこういったRSI軍のレアものは,アメリカ兵がお土産に当時持って帰った物が,こうやって市場に出て来る事を期待するしか無い様ですねー.
まるで一時のナチものみたいに.
この後は完全に本物が市場から枯渇してしまい,後はフェイクが出回るだけになってしまうのでしょうか.
よしぞう(maro') in mixi,2006年08月28日23:56
〜2007年10月06日 13:13
(文章は編者によって再構成されています)
ウール服は当時のGNR部隊の士官候補生学校で見られたタイプと同じで,他の部隊の襟無しM41型と比べて四角く小さい胸ポケットと肩当ての裁断線が無い点や直線/鋭角的なカットが特徴です.
下は士官候補生の当時写真で,いかにも良い所の勉強出来そうなボンといった感じ(笑
以前,コモの歴史博物館を訪ねた時,全く予期せずパヴォリーニ書記長が逃亡中に着用していた同型のM41型野戦服が展示していましたが,これは表生地がスムースで裏起毛のドッピア・ファッチァ生地でした. ※

カーキ綿服も下ポケットはプリーツが入った貼付けタイプで,これも士官候補生学校の写真で良く確認出来ます.
背中のトンビは,RSI時代に見られる3点タイプでした.
カーキ線服

カーキの熱帯型はは,前述の様にGNR士官学校で良く観られます.
下掲はこの熱帯服を着用した,ヴァレーゼのGNR士官学校の生徒達の写真.

両方共に内装にはスタンプが押してあり,グレーグリーンのウール服には,GNR部隊を示す二重の電光MとSVE
(Smistamento Vestiario Equipaggiamento:衣類装備区分)が,カーキ熱帯服にはMAGAZZINO
CENTRALE G.N.R. CONFEZIONI VERONA(ヴェローナ縫製とGNR中央デポ)表示がありました.
熱帯服のサイズ表示1が,ファシス形の枠に入っているのも興味深いところ.

それにしてもイタリアの軍服は,戦闘とは関係なくどうしてこうも格好が良い物なのか.
ドイツとは異なり機能優先では在りませんが,今見ても充分に新しいラインを持っていて,流石はモードの国だと思わされます.
元はサハリアーナ熱帯服の襟を取っただけの様なデザインでしたが,空挺服以降は肩パッドも厚く入り,胸や背中のスカラップラインは洗練され,このラインは今のイタリアコートにも受け継がれていて,見ていてもいつまでも飽きが来ません.
それから,1944年のドイツ傀儡政権下で縫製――この当時の軍服は,おそらくミラノを中心とした北イタリアでデザイン・製造されたものだと思います――された服らしく,随所に改良点やしっかりした縫製が見られ,休戦以前の左右のポケットがずれていたり,袖を通すとひっつりそうになるM40野戦服の酷い縫製とは雲泥の差でした.
縫製が甘いのがイタリア軍服の特徴.おそらくデザイナーは縫製能力を考えず,デザインだけをしていたとも思われます.
その点を鑑みて,縫製者の視点で改良したのが今回のGNR服なのでしょうか.
これは,ドイツの被服製造マイスターの管理下で製造された事を意味する物で,やはりイタリアのデザインにドイツの技術が加わると,良い物が出来ると言う典型の一つなのでしょうか(笑
当時の北伊サロ共和国の記録映像を見ていると,戦局が押し詰まった1944年に来冬の婦人服ファッションショーをミラノで行っており,これはもはやイタリア人の血ですかねえ(笑).
※アレッサンドロ・パヴォリーニの着ていた野戦服について補足します.
パヴォリーニを含むRSIの高官達は,1945年4月25日にムッソリーニの後を追うようにミラノを離れ,コモ湖周辺のドンゴで第52ガリバルディ旅団のパルチザングループに捕えられ,28日に処刑されているので,可能性は高いのですが,この2本フィアンメで電光MにSVEのデポジットスタンプが入った無徽章,官品のGNR服が黒い旅団司令官で党書記長であったパヴォリーニ服とされているのかは,疑問が残ります.
ただし,物は間違い無い典型的なGNRタイプのM41型カラーレスだったので,良いサンプルとして見学しました.
因に2番目の写真右下は,1981年に出版された『LA REPUBBLICA DI SALO'』に掲載されていた同じ服の写真で,この写真が撮られた時には右襟章はまだ破れていない事が判ります.
この本でも服はパヴォリーニ,ボルサリーノ帽はボンバッチの物とされていました.
パヴォリーニの遺骸はロレート広場に運ばれて,統帥と共に吊るされた後で仮埋葬され,現在はミラノのRSI軍人共同墓地で,ムーティ部隊のコロンボ司令の近くで眠っています.
よしぞう(maro') in mixi,2006年05月21日00:01
〜06月28日 16:03
【質問】
RSI空挺部隊の軍装について教えられたし.
【回答】
今年カリフォルニア・アナハイムで行われたドラゴン・エクスポを記念して限定製作されたRSI「ネンボゥ」独立空挺大隊空挺兵ニーノ・アレーナモデルが,ようやく昨日我が家に到着.
http://www.dxpo.com/dx/06/exclusives/exclusives-nino.asp
〔略〕
実はニーノ・アレーナ氏とは数年前,デチマ・マス海兵師団の慰霊祭後の昼食会で知り合い,その後も何度か私が日本でイタリア物の記事や拙書を書くにあたり写真の供与でもお世話になっており,その意味でも是非ゲットしようと思っていた一品でした.
同氏は,イタリア空挺や空軍,RSI軍についても多数の著作があり,まだお元気な内にこうやってフィギュアの世界でも脚光を浴びる事は,足跡を考えても慶賀な事だと思います.
http://www.dxpo.com/dx/06/vip/vip-nino-bio.asp
---------------------------------------------------------
さて,今回も中身をチェック.
襟無しのM41空挺服上下は,前回出されたサムライマガジンベスト装着版と同様ですが,今回はバスコ(ベレー)がついていたのが良かった.少し薄手の生地でシワになりやすいので,中にティッシュで芯を入れて回りにボリュームをつけました.(写真1枚目)
〔略〕
そして今回の目玉は,初めてモデル化された前5連だけの軽装型サムライマガジンベスト.
実物と比べて革ベルトを留めるホックの位置が内側すぎるきらいがありますが,全体の形状はなかなか良い感じ.
M42型履き込み式迷彩スモックは,前回よりやや浅めの刷り色ですがこちらの方が好みです.(下写真手前)
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000282.jpg
ただ,このセットには唯一の欠点が.
というのは,元々この前だけの軽装型サムライマガジンベストは,ブリガータ・ネーラ(黒い旅団)やGNR等の治安維持系戦闘部隊に配備された様で,私が調べる限りでは空挺部隊で使用された実例はまだ見つかっていない点.
これは,おそらくアレーナ氏の名著『PER L'ONORE
D'ITALIA』(イタリアの名誉の為に)の表紙にインスパイアされた企画だったからでしょう.(写真2枚目)
ただこれは今のマニア写真なので,この組み合わせは軍装学的には参考になりません.
〔略〕
写真1枚目は,このRSI空挺本表紙に似せてポーズを取ってみました.
イタリア軍フィギュアコミュの軍装資料コーナーにこの軽装型サムライベストの資料写真をアップしました.
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9018126&comment_count=1&comm_id=1162103
これを見るとやはり左右の金属ホックの位置が,中央に寄っているのが判ります.
おそらくモデルは,構造上/強度上あまり端に付けられなかったからだと思われ,個人による改造も難しそうです.
〔略〕
折角,Twisting Toys製サムライベストが発売されたので,実物資料をまた1/6イタリア軍コミュにアップしておきます,ご覧下さい.
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9018126&comm_id=1162103
それから,折角RSI空挺を再現するなら,このショッカーみたいにカッコイイRSI空挺ベルトバックルも作れば良いのにと思いますがどうでしょう.
これは,もう4年前に鎌倉の銀細工ショップに無理無理言って,ロストワックスで作ってもらったもので,モールドは実物より荒いものの雰囲気は実物の感じを伝えています.
〔略〕
デチマ・マスや他のRSI部隊が着用したM41襟無し空挺服の下は,基本的に空挺パンツと同じ物です.
ウールと熱帯のM41空挺服の基本ライン図や資料写真もアップしておきます.
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9018126&comm_id=1162103
この前のNP大隊セットに付属していたパンツは,尻ポケットが二つあり裾が七分丈ではなく,全周にベルトループが付き,ロングで裾をブーツに折り込むタイプなので,空挺パンツと言って良いでしょう.
〔略〕
それから1/1でブルーグレーウール生地でM41型空挺服を再現して高級複製に,カフタイトルを再現させたものを付けた写真をアップしておきます.
フィギュアの取り付け位置の参考までに.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000204.jpg
これは,パリのパレロワイアルにある老舗の勲章店で見つけた,MVSN勤続10年章と同じ黒ベースにイタリア三色の縁取りが在るリボンをメーター買いして,パキスタンで金糸刺繍させ,当時の空挺カフタイトルと同様に再現したものです.
当時は,金糸と銀糸,白糸の三種の刺繍が確認出来ます.
〔略〕
野戦服とバスコは揃って大隊単位で支給される物なので,ちゃんぽんで着用された例は,ほとんど無いと思います.
因にRSI空挺では,第3大隊「アズッロ」がその“青”という名前の通り,多くがブルーグレー生地服を着用しています.
その際の襟章は,こちらの火を吹く擲弾と翼と剣を組み合わせた空軍空挺タイプが一般的でしょうか.
これは元々「アズッロ」空挺大隊が空軍の突撃空挺大隊を中核に編成された事に由来します.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000131.jpg



よしぞう(maro') in mixi,2006年07月29日19:01
〜2006年08月06日 20:36
▼
先日オークションで落札したアズッロ空挺大隊の写真

出元がトレヴィーゾなので,1944年秋頃の撮影でしょうか.
右後ろにマスコットらしき少年兵も見えます.
袖の空軍型空挺章や初期型水筒がイカシます.
よしぞう(maro') in mixi,2007年03月07日02:39
▲
▼ 以前入手した,空挺部隊兵用の降下とパラシュート装備マニュアルはこちらに.
その1
その2
よしぞうmaro' in mixi,2007年04月07日21:42
▲
【質問】
「8.9.1943 PER L'ONORE D'ITALIA」のカフタイトルの意味は?
【回答】
これは,1943年9月3日の休戦時からすぐに義勇空挺部隊に身を投じてそのままRSI空挺に編入された筋金入りのみに与えられたカフタイトルです.
「PER L'ONORE D'ITALIA」だけの文字のバージョンは,アンツィオ-ネットゥーノ戦までにRSI空挺隊員に成った兵士に与えられたものです.
カフタイトルは,実寸上で左腕の手首バンドより5cm〜7cmぐらい上に付けられます.
こちらの写真にカフタイトルをつけた実写写真をアップしています.
後列右から3人目と4人目の左腕を見て下さい.
意外とドイツ軍のカフタイトルより下に付けられています.
また,こういったドイツ空軍の熱帯服に取り付けるのもアリです.
よしぞう(maro') in mixi,2006年08月06日 00:04
【質問】
「PER L'ONORE D'ITALIA」という,RSI空挺部隊のカフタイトルについて教えられたし.
【回答】

この「PER L'ONORE D'ITALIA」(イタリアの名誉の為に)というカフタイトルは,RSI空挺が左腕に巻いていた物でMVSNの10年勤続章のリボンを利用して刺繍された物です.
写真下は比較用に並べた,同リボンのデッドストックで,10年前にパリのパレロワイアルの勲章ショップで見つけてメーター買いしたものです.
兵用の白い糸はミシン刺繍も存在しますが,大抵が写真の様に応急的に手縫いされたものが多く,これは将校用の金糸刺繍.
このカフタイトルも全員が着用した訳では無く,1944年1〜5月のアンツィオ・ネットゥーノ戦とその後のローマ防衛戦に参加した将兵にのみ許可されました.
当時の写真もそう多くは残っていません.
更にそれ以前の初期から,RSI空挺に参加した将兵は,忘れてはならない不名誉な休戦日を更に加えた「8.9.1943
PER L'ONORE D'ITALIA」(イタリアの名誉の為に1943年9月8日)のバージョンを加えていました.
実はこのブツは,軍装業界の重鎮でドイツ降下猟兵と空軍地上師団の専門家でもあるGeorge
Petersen氏が,自らのスタンドで他のイタリア空挺記章と共に当日売っていたもので,おそらく1970年代にイタリアから仕入れたロットに混じっていた様です.
長い間額縁アイテムで日光に晒されていて色が抜けたのか,左右に残った押しピンの頭の部分だけ色が残っていて,やや痛々しいものの,見た瞬間シビレましたが,値段もなかなかのもので躊躇しました.
…が,何故かブツを手にして会場を出ていました(爆
…結局,苦労して制作した原稿料の大半が消えましたが,いやもうこれだけの空前絶後の品なら,これはしょうがないでしょう.
結局イタリアで稼いでイタリアで支払う,そう言う運命なのかも知れません(笑
よしぞうmaro' in mixi,2007年06月02日22:37
青文字:加筆改修部分
【質問】
イタリア軍の山岳スキー大隊の軍装は?
【回答】
写真は,アルピーニ(山岳)軍団直轄部隊として1942年から東部戦線に派遣され,その勇猛さから“白い悪魔”と呼ばれたモンテモンテ・チェルヴィーノ(マッターホルン)山岳スキー大隊兵士フィギュア.

TwistingToysの1/6イタリア軍フィギュアで,今回は,冬期防風/雪中迷彩のジャッカヴェント上下にアルピーニ帽,第4山岳連隊のステンシル入りのM33ヘルメット,さらに白い迷彩カバー付きM33ヘルメットまで付属した豪華な内容.
被りもの全てには,赤いナッピーネ(ポンポン)とペンネ(大ガラスの羽根飾りも)付いていました.
腰回りも一次大戦から使われている,白キャンバス製バンダリアとサスペンダーやピッケルを差せるカルカノ銃剣&フロッグ等の装備が良く再現されています.
惜しむらくは,バンダリアと共布製の銃剣フロッグが入っていなかった点.
よしぞう(maro') in mixi,2006年12月22日00:13
より再構成
▼
私の所属サークルB.S.K.主催の「1942年の東部戦線におけるイタリア・ドイツ軍装展」の,会場オークションで戦中戦後のアルピーニ帽3個がまとめて出品されていたのでこれを救出

『アサヒグラフ』昭和16年7月16日号は,クリアな97式中戦車写真が載っていたり,『同盟グラフ』昭和16年2月1日号は,エチオピア戦のパイロットを主人公にした未知のイタリア空軍映画,「空征かば」について特集記事があったりして購入.
左の盾は,今回の展示に対して主催者から頂いた功労賞.
取り合えず代表して私が預かりました.
よしぞうmaro' in mixi,2007年05月06日11:28
▲
【質問】
イタリア・ベルサリエリ兵の熱帯軍装を教えられたし.
【回答】
先日商品を購入したフィギュアショップより,以前から予約していたTwisting
Toysの新作ベルサリエリ兵フィギュアが入荷したとの知らせが在り,早速購入.本日宅配便で届きました.
今回は北アフリカ戦線の設定でしたが,ベルサリエリ兵の証しであるピューメ(羽根飾り)の付いた熱帯帽と共に,略帽である赤フェズも付いていて,脚絆を巻いた熱帯服の印象も含めて前回同様,全体的になかなか良い感じ.
M1891型カルカノ騎兵銃も細かい造りで,スパイクバイヨネットもちゃんと折り畳みを再現してコッキングも出来ます.M35型手榴弾<赤い悪魔>も汚し具合がリアル.こういう1/6フィギュアの世界の進化ぶりには,いつも感心させられます.

さらに再現されたイタリア陸軍熱帯服は,ポケットフラップが四角ではない初期型ですが,このかぶりタイプは下ポケットはプリーツが付かないアコーディオン型の袋状なので,ここが異なるのが残念.
おそらくポケットフラップが四角い後期型と混同されたようにも思えます.
またフィギュアのポケットフラップも英軍のような逆三角形ですが,実際はもっとスカラップがきついので,この点も考慮して欲しい所.

たとえ邪魔でも,この羽根飾りを付けてこそ粋というもの!と多分思っているのか判りませんが,今でもシンボルとして普通に戦闘中も使用されています.
イラク派遣のベルサリエリ兵がかぶるフリッツ型ヘルメットにも,ひつこくデザート迷彩カバーと共に砂漠の風にたなびいています.
当然あのナイトキャップのような赤フェズも.

アフガニスタン派遣のアルピーニ兵の大ガラスの羽根飾り(ペンネ)も現役ですし,これらを見ただけでもイタリア人の頑固さが伺えます(笑).

確かに羽根は目立ちそう.壁ぎわで発砲する時も,ベルサリエリ兵は右半身を隠して撃たなければ…って左利きじゃないとダメです(笑)
アルピーニは逆付けだから,左半身を隠して右手撃ちなので有利?などとバカバカしい事は考えないのでしょう,彼等は.
よしぞう(maro') in mixi,2006年06月19日01:59
〜2006年06月20日 08:32
【質問】
イタリア・ベルサリエリ兵の冬季の軍装を教えられたし.
【回答】
写真中は,RSIベルサリエリ義勇部隊ベニト・ムッソリーニ大隊の下士官フィギュア.

TwistingToysの1/6イタリア軍フィギュアで,厚手の生地で作られた防風ジャッカ・ヴェントを着用して,M33ヘルメットにはアタッチメントと共にピュウメ(雄鶏の尾羽根飾り)が付いています.
また片方のヒルトが長いM35型MVSN用コンバットナイフやスコップ付銃剣差し等も付属し,パンツァーファウスト60やカルカノTS小銃等の武器も充実していますが,マスクがどうも….
なんでこんなに悪役ツラなんでしょう?RSI部隊だから?それからジャッカの襟回りの形もかなり甘い作りで,大きく襟刳りが開いてしまって残念.
こちらは,昨年の展示で飾った同大隊設定の実物ジャッカ写真です.
でも,ベニト・ムッソリーニ大隊の特徴である髑髏の金属襟章や胸の髑髏バッジは,極小ながらきちっと作ってあって感心しました.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000360.jpg
よしぞう(maro') in mixi,2006年12月22日00:13
より再構成
【質問】
RSI軍モンテ・ローザ山岳師団の軍装について教えられたし.
【回答】
これについては,1945年の末期イタリア戦線を主題にした戦争映画,『The Fallen』(日本未公開)が大変参考になります.
軍装マニアの意地悪な見方をしても,モンテ・ローザ山岳師団は全員M40野戦服に緑の兵科色の3本フィアンメをグラディオ章と共に取り付け,左胸には銀色のドイツ再訓練章を着用し,独ベルトに98kポーチを付けるといった具合で,スキのない軍装考証に舌を巻きました.
さらにジアーニ部隊長の右胸に付くドイツ再訓練章はちゃんと将校用の金で兵/下士官の銀と分けていましたし,サルバトーレ伍長勤務上等兵はG43自動小銃と共に,布製のG43専用マガジンポーチをベルトの左右に付けるというマニア好みの凝り様.
モンテローザ師団兵士の当時写真をアップしておきます.
http://www2.ezbbs.net/13/atf19450815/img/1154927687_1.jpg
映画サイト写真にも在りますが,RSI軍兵士達はそれまでのおろし金型のイタリア軍認識票では無く,だ円型の亜鉛製ドイツ軍型認識票を身に付けていたりして,これまた実際の設定通りで驚かされました.
映画の内容も,独軍部隊は第362歩兵師団(写真中),RSI軍部隊はモンテ・ローザ山岳師団第2連隊登場.枢軸側双方が,苦悩しながら戦いを続けるといった人間的な内面を描き,人間味の在る理知的で驚く程まともな姿で表現されていて好感がもてました.
フィールドキッチンの前で飯の量を巡って,独伊軍の兵士達が大乱闘をおこしたり,地雷布設を教えるドイツ工兵に
『地雷はイタリア語で何と言う?』
と聞かれて男性器名称を教え,それを取り入れたドイツ工兵の真面目くさった解説を聞きながら,イタリア兵達は( ´,_ゝ`)プッとしているというナイスなシーンも各所にありました.
戦争映画でRSI軍が出るのは,ジュリアーノ・ジェンマ主演の「特攻大戦線」ぐらいで(あれも今観ると軍装的にミックスされた架空のRSI部隊設定でした),今回の様にまともにちゃんと部隊単位で語られるのは,劇場映画では初めてでしょう.
モンテローザ師団は,もともと義勇志願兵のデチマ・マス海兵師団とは異なり,捕虜収容所から志願兵を募った寄せ集めの感が在り,実際のところ志気も相当開きがあったと思います.
この映画の凄いところは,その辺の個人の忠誠心や戦争への考えの温度差をきっちり描いていて,例えばパルチザンに山中で包囲された時,同じイタリア人だからと武器を置き投降するグループと,最後までドイツ側に残る者達と分かれていました.
最後に蛸ツボ陣地でMG42機銃を撃ちまくるサルバトーレ伍長勤務上等兵は,M8グレイハウンドの砲撃に吹っ飛ばされ,今弁慶の様に仁王立ちで絶命しますが,その身体を横たえさせて十字を切って眼を閉じさせるのが,さっきまで撃ち合っていた米兵だったりします.
この辺は結構感動です.
また,敵を食い止めるためにギュンター中尉としんがりに残ったドイツ兵達が,生き残って後退するジアニーニ中尉達と敬礼しあうシーンも,最後に独伊両軍が解り合えた感が伝わりました.
どーしてこういう映画がこれまで作られなかったのでしょう?
ただ,この歴戦の兵士サルバトーレがムッソリーニに似た様なスキンヘッドの顔だちで,少し意図的な感じがしましたが.
また,いかにも職業軍人だったジアニーニ中尉の右胸には,初期のRSI軍参加を示す義勇兵バッジがあり(これは本来は左胸ですが),左胸上には旧MVSN部隊のスクアドリスタ(突撃兵)に所属していたことを示す赤い菱形&ファシスバッチが見えますので,彼はコチコチのファシストだと見る人間が見ると判ります(笑
本当に軍装設定は良く練られていて,感心しました.
(以前,ゴチックラインの西側で戦っていたモンテ・ローザ山岳師団の慰霊祭に参加した時の教会写真です.
また,RSIモンテ・ローザ山岳師団戦友会の会員紙もPDFで見れます,
ご参考までに.ここに登場する方々は,は戦後もドイツ軍とお互いの慰霊祭を行き交っていたバリバリの武闘派(?)ですね.
この中でも,私が4年前に訪ねた上記教会で行われた慰霊祭が記事になってます.)
しかも,3つの主役グループの一つである米軍にも,最後に多数の戦死者を出す(というか主役が戦死)と言う,今までのアメリカ製戦争映画としては考えられない展開も一驚.
やはり時代は確実に変化しつつあるのでしょうか?
映画の中の1コマ
独伊両軍の軍装に注目


よしぞう(maro') in mixi,2006年08月26日07:48
〜2006年08月27日 16:54
加筆修正部分:青文字
【質問】
ブレダM37って何?
【回答】
ブレダBreda M37重機関銃は,フィアット・レベリ
M1914の後継として,1937年にイタリア軍が採用した重機関銃です.
1943年まで生産され,第2次世界大戦のイタリア陸軍の代表的な重機関銃として1945年まで使用されました.
射ちガラ薬莢をわざわざ弾倉に戻す機構をそなえていたり,装弾数が20発に激減していたりと,謎な構造もありますが,長射程と強力な貫通力,高い持続射撃性能は高く評価されています.
【参考ページ】
http://www.keddy.net/~titose/weapon_I.html
http://blindkat.hegewisch.net/lrdg/axis_weapons.html
http://www.bayonetstrength.150m.com/Weapons/heavymachineguns/heavy_machine_guns.htm
http://www.geocities.com/spumadacinque/Spwaw/ITwe3.htm
【ぐんじさんぎょう】,2008/11/13 01:30
に加筆
http://www.rap4.com/paintball/os/breda-machine-p-1135.html

Twisting Toyz社の新製品,第28歩兵師団「パヴィーア」の機関銃手“ダヴィデ”

ブレダM37機銃は,ご覧の通り三脚や補弾板も再現されており,なかなか良い感じでしたが,ここまで作っているなら取っ手の付いた補弾板ケースも欲しかった所.
同機銃に関しては,イタロさんが素晴らしいまとめアルバムを作られているので,こちらをご覧下さい.
http://mixi.jp/view_album.pl?id=1090836&mode=photo
ブレダM37はああ見えて実は8ミリ口径で,大型のボディを三脚に搭載して安定した射撃を行うという,古い設計思想の重機関銃なんですね.
補弾板は,左側から入れて右側から出て来る構造ですね.
この辺は,日本の三年式重機と同様です.
それにしてもこのブレタ重機は,確かにガタイがでかくて扱いづらいですが,兵器としての信頼性は高く,使い物にはなったと,RSIのヴェテランの方は言っていました.
被りの熱帯服は,以前のベルサリエリ兵熱帯服での間違い
(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=157979769&owner_id=3584373)
を他からも指摘されたからか,ちゃんと下ポケットにプリーツがついても,上下ポケットのフラップが四角い第2期タイプになっていました.
どうやら少しずつ進化している様です.
ただ,パッケージ・イラストにあった様にガスマスクバッグが付属されていないので,腰回りがやや貧弱.
また,実際は北アフリカのこの時期では兵/下士官は熱帯服に襟章を付けていなかったのと,左腕の部隊シールドは1940年には防諜上の理由で廃止になっているので,この設定はややファンタジーと言えるでしょうか.
とは言え,一般的なイタリア陸軍歩兵部隊がようやく1/6フィギュアの世界でも登場した訳.
この調子でウール服を着たロシア戦線のトリノ歩兵師団あたりを,真打ちで発売して欲しいものです.
しかし,もはや我が家の兵舎スペースが….
よしぞう(maro') in mixi,2007年02月12日13:03
〜2007年02月13日 16:29
【質問】
FNAB43短機関銃について教えられたし.
【回答】
このレアな短機関銃は,1942年に試作され,イタリア休戦後の1943年から1944年にかけて,北イタリアサロ共和国のブレッシア兵器廠で約7000挺製造,ドイツ軍とRSI軍で使用された.
作動は遅延ブローバック方式で独特なボルトや内部機構を有しており,そのおかげで1分間に400発の発射速度に押さえられ,コントロールしやすい銃であった.
マガジンは20発と40発の2種類で9mm口径,初速は381m/秒.
折り畳みストックを畳むと,全長は790mmから527mmとコンパクトになり,セミ/フル切り替えレバーもついていた.
また,前に折り畳み出来るマガジンハウジングは戦後,フランス軍のMAT-49短機関銃にもその影響が見られ,大戦中の銃器としてはかなり優れた設計と言えよう.


よしぞうmaro' by mail,2009/3/8
【質問】
ベレッタM38って何?
【回答】
イタリア軍によって用いられた制式短機関銃のシリーズで,ベレッタ
Beretta M38Aは1938年,ベレッタ社によって完成されました.
M38Aはおもにイタリア陸軍の空挺部隊で使用され,のちに短縮・改良されてM38/42というモデルになったほか,最終型であるM5は極近年までイタリア軍で使用されていました.
「赤い悪魔」の件といい,「いつまでも使い続ける」というのはイタリア軍の知られざる伝統なのかも.
【参考ページ】
http://blog.livedoor.jp/lightdoor/archives/50079918.html
http://www.securityarms.com/20010315/galleryfiles/2000/2044.htm
http://ww2db.com/weapon.php?q=18
【ぐんじさんぎょう】,2008/12/2 22:48
に加筆修正
ベレッタM38A

よしぞう(maro') in mixi,2008年12月1日
ベレッタM38/42

これは1/6アクションフィギュア系のルーズ・パーツ,枢軸武器セットの一挺で,造りは甘いものの,ちゃんとブルバレル銃身はフルート付き.
20連マガジンが付属.
よしぞう(maro') in mixi,2007年02月28日01:33
【質問】
カルカノ小銃用の紙箱について教えられたし.
【回答】
兵用のカルカノ弾薬盒には必ずこの紙箱ごと入れるもので(故にほとんどのカルカノポーチには弾頭が中で擦れた跡が無い),実物軍装コレクターとしては欠かせないアイテムなのです.
この弾薬盒すき間からチラリと見える茶色の紙箱がポイントです.モデラーの方も1/6フィギュアの方もご参考にしてください(^^;
更に説明しますと麻のテープ状紐が紙蓋に付いていて引っ張る蓋が開け易くなっています.
私のこういう弾薬関係の紙箱ものが好きなのですが,結構マニア間で良い値段で取り引きされていて中々手が出ませんねー.
7.62mmクルツ・弾薬箱を自作している方のサイトもあります.
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yon-yon/const/kurz_box/index.html
意外としっかりしたボール紙で出来ているので,グチャグチャになる心配は無いのでは.
なにせ今でもしっかり残っていますし(笑).
おそらく紙箱に入れておく方が,湿度も調整してくれるのかも知れませんね.
ドイツ兵も予備弾はこういった紙箱のまま雑嚢に入れていたと聞きます.
去年暮れに海外オクで落札したカルカノ小銃用の紙箱2箱ペア

後期の7.65mm口径の方ですが,なかなか滅多に出ないもので大満足.
工場違いでメーカースタンプが微妙に異なるのも嬉しい所.
片方は以前から1個だけ持っていたファクトリーと同じでした.
右の箱にはテネシー州の印紙が貼ってあったので,戦後大量にスポーツ/狩猟ライフルとしてアメリカに持ち込まれたカルカノ小銃用のものだった様です.
この内の一挺がダラスで….
よしぞう(maro') in mixi,2007年01月05日14:44
〜2007年01月05日 22:07
より再構成
【質問】
「赤い悪魔」とは?
【回答】
第2次大戦時にイタリア軍が使用した手榴弾のこと.
OTO M35型,ブレダ35型,S.R.C. M35型の3種類があり,どれも赤いエナメル塗装がされていた.
導火線式起爆装置が主流の中,イタリア軍では衝撃作動式信管を使用したが,地面が柔らかかったり作動不良だったりで不発が多く,しかもこの不発手榴弾が後で爆発する事故が度々起こったため,「赤い悪魔」と呼ばれて味方にも恐れられた.
消印所沢
「赤い悪魔」は化学反応式の着火装置が災いしましたね.
デザインは未来的でキているのですが.
以前入手したミニマニュアルをアップしています.
イラストと真面目くさった解説が笑えます.
http://www.photohighway.co.jp/ImageAlbum.asp?key=247.847574&src=17295178&un=97071&m=2&pos0=13&type=0
http://www.photohighway.co.jp/ImageAlbum.asp?pos=15&key=247.847574&un=97071&m=2&pos0=13&type=0&cnt=2837
http://www.photohighway.co.jp/ImageAlbum.asp?pos=16&key=247.847574&un=97071&m=2&pos0=13&type=0&cnt=2857
よしぞう(maro') in mixi,2006年06月19日01:59
〜2006年06月20日 08:32
写真↓はM35手榴弾のハンドマニュアル.以前入手した物(続きは画面右上の三角形をクリックしてください)の別バージョン.
これは,前回のメーカー発信のマニュアルとほぼ同一ながら,透視図が入り,投擲イラストがMVSN兵士から陸軍歩兵になっています.
しかも,どうも丈の短い,隠しボタンの英軍式バトルドレスに見え,足元も巻きゲートルではありません.
つまりは,戦後!バージョンと思われます.
表紙には陸軍火薬工場の文字があり,トッレ・アンヌンツィアータは,カンパーニア州の街の名前です.
まあ,ストックがある内は戦後もこの“赤い悪魔”を使用したと思いますが,何時頃まで新生イタリア軍で使ったのでしょう?

イタリア軍は装備や靴,ヘルメット等や材料の一部を戦後もそのまま流用しています.
手持ち写真をアップしました.
戦後50年代の英軍型軍装を着用した陸軍ですが,茶革の蹴り革付きアンクルブーツは,戦中の在庫流用ですね.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000344.jpg
でも「赤い悪魔」は経年変化で,化学反応しないか心配です(笑).
以前,イタリア本国の軍装フォーラムで,このM35手榴弾のスレッドを立てて論議していた時,一人の戦後ヴェテランが
「1970年代まで使っていた」
と証言していて,驚かされた事を思い出しました.
赤い悪魔の化学反応式の信管では賞味期限があると思うので,戦後も同じタイプを引き続き製造していたとも考えられます.
それにしても相変わらず不発も多そうですが(笑
よしぞう(maro') in mixi,2006年11月04日00:49
〜2006年11月05日 13:50
◆◆◆◆米軍歩兵装備
【質問】
バズーカ砲 bazooka の名前の由来を教えてください.
【回答】
同名の楽器から.
広田厚司によれば,以下のように説明されている.
正式採用された当時,米国で著名だった音楽コメディアン,ボブ・バーンズ Bob Burns が,「バズーカ」と呼ぶ舞台で小道具として用いた,長くて先端に大きなラッパのついた筒に,この兵器の形状がよく似ていたので,「M1バズーカ」と呼ばれるようになったものです.

なお,本兵器は元は,1942年初頭に活動した小銃用榴弾開発チームの責任者であるロケット技術者レスリー・A・スキンナー陸軍大尉が,海軍から派遣されてきた技術者ウール少尉と共に開発した,ロケット推進弾発射型の鋼製発射筒です.
その後,多くの技術者が加わって,1942年5月に,歩兵携行兵器となるロケット発射筒として作り出されました.
そして異例なことに,最初の発射実験に立ち会った少数の軍関係者によって,全く何の改良もなしに正式兵器として採用されました.
(広田厚司 「丸」 Feb. '03,抜粋要約)
【質問】
米軍の重機関銃小隊の装備を教えてください.
【回答】
第二次大戦中の米陸軍の重火器中隊の場合,4名で分隊を構成し,分隊には1丁のM1917A1機関銃を装備しています.
構成は,分隊長が1名(M1カービン装備),機関銃手,装弾手(いずれも拳銃装備),弾薬手(ライフル銃装備)です.
弾薬手は弾薬箱二箱と,予備パーツを持ちます.
人数に余裕があれば,5人目がおり,5人目は弾薬箱を一箱と予備銃身を携行します.
この分隊が2個で,1個半小隊(セクション)を構成していますので,機関銃は2丁,ライフル銃2丁+,拳銃4丁とカービン銃1丁と言ったところではありますまいか.
眠い人◆gQikaJHtf2
【質問】
第二次大戦時の米軍の軽機関銃について質問です。
M1918、通称BARを持つ兵士というのは何人に独りという割合なのでしょうか?
また、BARを持つ兵士の他の装備などは他の兵士と比べて何か異なるのでしょうか?
【回答】
BARは歩兵一個分隊につき1丁配備された。
今で言うところの「分隊支援火器」の元祖だね。
当然、BARを持つ兵士は小銃を持つ兵士とは違う予備弾倉入れを携行する。
小銃用に比べて重く,BAR用予備弾倉入れを携行する際はサスペンダー着用が必須だったそうな。
BARについてのあれこれ・・・を一つ上げるなら、シカゴを中心としたマフィアとFBIの抗争時に、トムソンSMGで武装したマフィアに対抗して官憲側に,予備兵器として保管されていたBARを配備して対抗する計画が立てられた。
でも、配備直前で「国内治安行動に軍用の強力な機関銃を配備するなど・・・」という反対意見が出て計画は没に。※
他にもスゥェーデンでライセンス生産されたりとか,自衛隊にも供与されて今でも自衛隊の倉庫に眠ってるとか、BARにまつわるエピソードは色々あるね.
軍事板
※ ただし,「機関銃の社会史」によると,映画になった,仲間にした少年?の父親の通報により待ち伏せに遭いトミーガンの斉射により射殺された強盗のアベックは史実ではBARだったようなことが書かれていた.
計画的配備でなくそのあたりの当局が独自配備したのかもしれませんが,言い切れない可能性があるのかもしれません.
以下,ジョン・エリス著『機関銃の社会史』(平凡社,1993.4)P251より転載
ボニー・パーカーとクラウド・バローの離れ業でも機関銃が活躍する.
一九三五年五月,彼らが警官の待ちぶせにあって殺されたとき,警察側が使ったのは主にブローニング自動小銃だった.
【質問】
第二次大戦時の米軍のM1ガーラントと短機関銃のM1トミーガンって,どっちが威力高いんですか?
【回答】
威力の概念にはおおよそ二通りあります
一つは弾丸そのものの重量と速度に由来する殺傷能力.
もう一つは有効射程内で同一または複数の目標に対して多数の弾丸を投射する能力.
弾丸威力で言えば,30口径のM1ガランド小銃が大きいと言えますし,また,沢山の弾丸を撃ちだす火力の高さで言えばトミーガンの方が高い能力を持っています.
さらに,有効な弾丸威力が保持される有効射程距離ではトミーガンが100m前後,
対するM1ガランド小銃では約600mと,射程の点ではガランド小銃の方が有利です.
三等自営業◆LiXVy0DO8s
ドイツ軍が鹵獲使用しているトミーガン

【質問】
M1ガーランドは現在でも生産・販売が続けられているのですか?
【回答】
少なくとも,販売は続けられています.
世界の銃パーフェクトバイブルとか,wikipediaにも書いてあるし,調べりゃいくらでもでてくる.
軽く調べた限りでは,相場は新品で¥10〜20万くらいみたい.
オプションによって値段はまちまちで,中古だと¥10万切るようだ.
生産に関しては,少なくともネット上からPDFファイルで見られるspringfield
armoryのカタログにはしっかり載ってましたから,確証はないですが,生産も続いていると思います.
極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS
中国のノリンコがM1ライフルのコピーをUSに輸出していることは「Gun」でも記事になっていた記憶がある.
【質問】
springfield armoryのM1ですが,競技での装弾数の不利があるとか無いとかで,M14のセミオートタイプがM1として売られていたと思うのですが,それとは別物なのでしょうか?
(軍用銃を競技用とはいえ民間に云々,という感じで名前を変えて売っていたような?)
【回答】
はい,M14のコマーシャルモデルは,M1Aと呼ばれて販売されています.
むろん,M1ガーランドとは,別物です.
ややこしいですね.
自分の目で確かめたければ,ここからカタログを見てみてください.
http://www.springfield-armory.com/index.php
極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS
【質問】
トンプソン短機関銃はどう評価されたの?
【回答】
トンプソンSMGは
*小銃並みに重いし大柄で携行しづらい
*その割には所詮拳銃弾だから射程が短い
*生産が面倒でコスト高
*弾倉の装弾数が少ないので,大量の弾倉を携行しなければいけないので重くてかさばって面倒くさい
*でも装弾数の多いドラム弾倉は大きくて重くておまけに弾を込めるのが面倒くさい
と不評だった.
戦争が始まると,細部を簡略化した型が開発されて,それに生産が移行したが,それでも生産性が悪くてコストがかかるので,
「とにかく安く作れて必要最低限の性能であればいいから」
ということで,かの有名なM3”グリースガン”SMGが誕生した.
もっともグリースガンも
「トンプソンは豪華過ぎるがグリースガンはチープすぎる.
どっちか極端なのしかないのかよ」
と,あんまり評判はよくなかった.
軍事板
青文字:加筆改修部分
◆◆◆その他
【質問】
WW2当時のドイツ軍にシチュー砲というものがあったそうですけど,
これの総生産数はどのくらいあったのでしょうか?
【回答】
シチュー砲ってのは,ドイツがつかっていた馬挽きの野戦調理装置(フィールドキッチン)のこと.
馬挽きの野砲を引くような感じで移動するので「シチューをかっとばす砲」と愛称がつけられた.
生産数はちょっと手元に資料が無いが(あるのかどうかすら…)
大型の物が歩兵連隊直轄の補給部隊1つにつき1台
小型の物が歩兵大隊直轄の補給部隊1つにつき1台
らしいので,そっからある程度逆算はできるかも.
【質問】
独ソ戦でドイツ軍は冬将軍に悩まされていましたが,当時ソ連軍はどのような防寒装備をしていたのでしょうか?
【回答】
ソ連軍の防寒装備で最も基本になったのは,ウール製のコート.
シューバと呼ばれる羊の毛皮を使った厚手のコートもあります.裏側には羊毛が敷き詰められており,保温性は非常に高いです.
また,1941年にはチュラグレイカと呼ばれる木綿製のキルティング衣服も用いられました.
ブーツは皮製で,ワレンキと呼ばれるフェルト製のオーバーシューズを使うこともあります.
ブーツを履くときには,ポルチャンキと呼ばれる木綿製の布を靴下代わりにしっかり足に巻いて,その上からブーツを履きます.
冬季は分厚い布を使い,ワンサイズ大きいブーツの隙間に新聞紙や藁などを詰めました.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
ただし,キルティング防寒服はあんまり寒さは防げなかったというのをごく最近何かで読んだ覚えがあります.
【質問】
M&Msのチョコレートはアメリカ陸軍が開発したというのは本当ですか?
【回答】
本当です.以下,抜粋.
〔略〕あのM&Msプレーン・チョコレート・キャンディも米軍と深い関わりのあることは案外,知られていないのかもしれない.そう,「お口で溶けて,手に溶けない」というコマーシャルで有名なやつである.
現在の溶けにくいタイプのチョコレートは,陸軍のIG(Inspector General:監察官)が開発(あるいは協力)したと言われている.
ある監察官が第2次世界大戦中,南太平洋に展開する兵士達を視察した時に,一人の兵士が監察官に「口の中で溶けて,手に溶けないチョコレートを開発してくれ.単純で当たり前のことだろう」と嘆願した.当時のチョコレートは「お口で溶けて,手にも溶ける」が常識だったのだ.
そこで考案されたのが,チョコレートをオートミールでコーティングしたものだった.
しかし,このオートミール・チョコレートも,やはりユニフォームのポケット内で溶け出した上,チョコレート本来の味が損なわれた失敗作だった.
次に開発されたのが,薬の糖衣(Sugar coat)錠のようにコーティングされた,マーズ・コーポレーションInc.のプレーン・チョコレート・キャンディだった.一般的に日本でキャンディと言うと,飴やドロップなどを想像するが,米国では飴ではなくこうしたタイプのものを言うこともある.
このプレーン・チョコレート・キャンディは1940年に市場へも売り出された.
第2次世界大戦が起こると陸軍は,今までのチョコレートに替え,紙筒にM&Mプレーン・チョコレート・キャンディを詰めたものを補給品目に加え,海軍もこれに従った.
これにより,世界中いかなる所に展開しても,溶けにくいチョコレートを兵士達は手にすることができるようになった.これが世界ではじめて大量生産されたパン・コーティング・チョコレートで,この登場は,今までの市販チョコレートでは考えられないほどの画期的出来事だった.
しかも,これはまだ一般家庭に冷蔵庫やエアコンが普及する前のことである.
当時のM&Mプレーン・チョコレート・キャンディのキャッチ・フレーズは
"The family treat that's neat to eat"
で,
"The milk chocolate melts in your mouth, not in your hand"
に代わったのは1950年代初頭だった.
しかし,すぐにはそれを兵士達は真に受けなかった.
当時,砂糖は多くの軍需品の内の一つであり,また,大変貴重品でもあったため,プレーン・チョコレート・キャンディの一般向け生産量も限られ,ほぼ軍が独占する形となった.
こうして,初の軍・政府御用達チョコレートとなり,後にはスペース・シャトルのクルーの食料の中にも加えられることになる.
最近では,セントルイスに司令部を置く陸軍TROSCOM(Troop Support Command)が開発したMRE(Meals. Ready to Eat C-ration)にも,他の数種類のドロップなどと共にバリエーションに加えられ,現在でも人気が高い.
TROSCOMは陸軍マテリアル・コマンド傘下にあり,マサチューセッツ州ボストン近くのNatick Research Centerで陸海空海兵4軍の野戦食開発を行っている.現在は宇宙食を中心に味の良い物を開発中で,「まずくて食べられなければ,食事の意味をなさない」というのがポリシーである.
TROSCOMは,この他にも色々な食品やアウト・ドア用品を開発しており,一般製品の約30%は,何らかの形でTROSCOMが開発に携わっていると言われる.
特に乾燥野菜,チキン・ナゲット,ミート・パテ,インスタント・プリン,ケーキ・ミックス,フリーズ・ドライ製品などは,陸軍が開発に大きく寄与している.言い換えればアメリカ人にとって,自分達の支払った税金により開発されたといってもよいだろう.
TROSCOMはチョコレートに限らず,より良い製品開発・改善のため,戦場の兵士達の意見を熱心に取り入れており,これから先も,もっと質の良いMREなどが開発されれば,それらはいつの日か一般にも販売されることになるだろう.
マーズ・コーポレーションInc.には,今でも世界中の兵士達から賛美の手紙が送られてくるそうである.これに敬意を表してか,'84年には戦闘補給艦USS「マーズ」AFS-1艦載のHC-1, Det.3のCH-46D(Bu.No.154000)にはマーズ・チョコ・バーのパッケージが描かれたこともあった.
(M. TOYOSHIMA,「GIチョコレート・キャンディ」,from『航空ファン』 '92?)
【質問】
よく,ジェリ缶ジェリ缶言いますが.語源は何ですか?つか,何語ですか?
【回答】
まずjerry canと英軍の石油缶の比較.
http://www.fandom.tv/SunCompass/gear.htm
ここの2段目の写真.
第二次大戦当時の石油缶が4つ並んでいるが,それぞれ左から,
英軍石油容器初期型
英軍石油容器"フリムジー"
改良型フリムジー
ドイツ軍ジェリ缶
英軍の缶はいわゆる「石油缶」で,今でもせんべいや駄菓子などを入れるのに使われている.フリムジー(ぺなぺな)とあだ名がつけられていた.
直方体の隅の辺を折り曲げてハンダづけしてあるので,衝撃で簡単に口が開いてしまう.
当時の英軍ではなんと,輸送中に半分近くの燃料が失われていたそうだ.
ドイツ軍の燃料缶はこれに対し,缶の角を大きく丸めた上,板を容器の中央でハンダ付けしたので,「石油缶」に対して比較にならないほど強度が上がった.
さらに一体型のハンドル,強度を上げるための側面の形押し,斜めに落した角に設けた注ぎ口など,今われわれが使ってる「ポリタンク」のデザインは,全てジェリ缶から来ている.
英軍はアフリカ戦線で,ドイツ軍の燃料容器の優れていることに驚き,全力でコピー生産に乗り出して大きな成果をおさめた.
なぜドイツ軍がjerryなのかだが,これには,german→gerry→jerryと訛ったという説と,WWI当時英国兵がドイツ軍のヘルメットを便器(chamberpot)呼び,便器の英国でのスラングがjerryだったため,ドイツ軍の俗称になったという2説があるようだ(笑).
http://www.feldgrau.net/phpBB2/viewtopic.php?t=13516&postdays=0&postorder=asc&start=15
(語源家)
【質問】
WW2では,戦地で兵隊さんはテントを張ったりして寝るんですか?
【回答】
個人に持たせる,一枚ではポンチョ(雨合羽)だが何枚か合わせるとテントになるという装備があった.これは今でもある.
それとは別にトラックや輸送馬車なんかで持ち運ぶ大型テントも当然あった.
アメリカ軍は金属のパイプで骨組みを組んで,そこに布を張る大型テントや,簡単に組み立てられるプレハブ式の小屋も装備していた(2X4,ツーバィフォーというやつね).
この辺の後方装備が充実していたのはアメリカ軍の強み.
これらの軍用大型テントは,外布の他に遮光用の暗幕があり,外に光が漏れないようになっている.
作戦指揮所などの大型のテントや,小屋の中には,小型発電機で電気を起こして電灯をつけた.
それとは別に,兵士は大体個人装備として燃料式のランプを持っていることが多く,兵用テントの明かりは主にこれを使っていた(当然必要も無く点けるのは禁止).
軍事板FAQ
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