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大西洋・地中海方面 目次
<第二次世界大戦FAQ


 【link】

「Togetter」◆(2011/08/07) 勝者が敗者を処断する -ニュルンベルグ裁判と東京裁判-

World War 2 Live History & Historical Society

『タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図』( ジョン・キーガン著,原書房; コンパクト版,2001)

 あの世界地図でお馴染みのアトラスから,第二次世界大戦歴史地図のコンパクト版が出た.
 値段は6800円と少々値が張るが,買って損はない内容だった.
 むしろ安いくらい.
 もうあらゆるデータがテンコ盛り・・・・

------------軍事板,2001/08/08(水)

 図法をいじってしきりに鳥瞰しているのが難点だ.
 コンピュータいじれて嬉しかったんだねと微笑ましくも思うが,図上で距離を測れないのではなあ.
 もとより大威力に疑いは入れない.
 しかしもう少し使い勝手を考えて作られていれば,とも思う.

------------軍事板,2001/08/08(水)

 【質問】
 WW2の直接原因は?

 【回答】
 戦争がはじまった直接の原因は,ドイツがポーランドに,ダンツィヒ割譲とその周辺のポーランド回廊に交通網の施設と使用を要求して拒否されたんで,攻め込んだことかね.
 中止しないと戦争するぞと英仏が警告したが,ドイツは何とかなると思って警告を無視した.
 WW2の開始は,中止の期限が切れた瞬間とみなされる.

世界史板

 えー・・・キッシンたんの『外交』を読んでるわけですが,まぁ,迫害を受けた経緯があるキッシンたんの「対ドイツ」を鵜呑みにするのは危険としても,ワイマール体制から飛ばしています>ドイツ

 何せ首相が以下の発言をしとります.

[quote]

 ドイツのヴィルト首相はモスクワ駐在大使ウルリッヒ・フォン・グロックドルフ・ランツァウに次のように言った .
「私が率直に言うべきことが一つある.
 すなわち,ポーランドは抹殺されなければならないのである.
 私はポーランドを強化する可能性のあるいかなる条約も締結しない」

ヘンリー・キッシンジャー『外交』上巻(日経新聞社,1996.6) 397ページより引用

[/quote]

 まぁ,ポーランドはポーランドで,革命が起きたばかりのソ連に戦争吹っかけて,領土を掠め取ってるんですけどね.
 ポーランド分割案ってのは,独ソ共にポーランドへの反発の下地があったんでしょうなぁ.

 ちなみにキッシンたんの主張では,シュトレーゼマンが生きていれば,戦争に訴えることなく,ヨーロッパでの主導権を握れていて,ヒトラーはむしろそれを邪魔したっつー感じですな.

 同書では,その前の,WW1時のドイツの突っ走りっぷりもかなり面白いです.
 でも,さすがにヴィル三世閣下を弁護する方はいませんなぁ(笑)

ますたーあじあ in mixi,2007年06月20日19:18


 【質問】
 第二次世界大戦は回避可能だったか?

 【回答】
 恐らく回避不可能であったとは思うが,規模を小さくすることは可能ではあったと思う.

 1926年のロカルノ条約で,戦争の可能性はかなり低くなったが,1929年の世界大恐慌とフランスのルール地方占領・それを背景とした,1933年のヒトラー政権獲得のあと,戦争の蓋然性は高まり,1941年に地球規模の戦争となってしまった.

 以下,ナイ教授の文章を引用.

 第一次世界大戦でドイツ問題を解決するのに失敗したことで,既に1918年に第二次世界大戦の蓋然性はあった.
 もし西洋民主主義諸国が1920年代にドイツに宥和し,より懲罰的でない対応をしていれば,ワイマール共和国の民主主義的政府は生き残ったかもしれない.
 あるいは,もしアメリカがヴェルサイユ条約を批准し,(1945年以降そうしたように)ヨーロッパのバランス・オブ・パワーの維持に関与し続けていれば,ヒトラーの台頭はなかったかもしれない.
 ヨーロッパで何らかの戦争は起きたかもしれないが,それは必ずしも地球規模での第二次世界対戦ではなかったであろう.
 1930年代に,経済恐慌の衝撃が侵略を美化するイデオロギーの高まりに力を貸し,戦争をより現実的なものにしてしまったのである.

 その後も,例えば,1930年代の初頭に英仏とソ連が同盟を組んでドイツに対抗するとか,アメリカが国際連盟に参加するとかのifも考えとしては面白いだろうが,状況からすると難しいだろう.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」(有斐閣,2005.4)第4章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 第二次世界大戦のときに英仏がナチスに対抗できなかったのは,国内が平和主義,反戦主義的なムードで,チェンバレンが宥和政策を続けていたからですか?

 【回答】
 まあ,1940年の英仏戦役に関しては,デイトンの『電撃戦』を取りあえず一読してみてくれ.
 ハヤカワのノンフィクション文庫で入手もしやすい.
 英仏の平和主義とか反戦主義ムードというのもあるけれど,外交的には連中はアレだけど,ところがどっこい,対ドイツに関しての軍事面での準備は,むしろ熱心に行なわれている.

 ところが,本当に,連中の軍隊…特にフランス軍は,何だこれは…と思うくらいに,ものすごく軍組織そのものが混乱状態にあった.

 純軍事的に見ても,フランス軍の組織システムは明瞭性に欠けていた.
 総司令官から戦闘部隊に至るまでの序列と命令系統は,混乱状態にあった.
 これじゃあ,負けない方がおかしいというくらいに.

 しかも上級指令部でさえ,無線通信機器やテレックスなどの現代的な連絡用装備に欠く有様で,一部では高級将校が半日かけて,自動車で行き来することで,ようやくと指揮系統が守られていた.
 さらに,軍と軍との境界線の継ぎ目に二線級部隊が割り当てられていたり,戦役の焦点とも言うべき戦闘が行なわれた,セダンの防御割り当ては,『電撃戦という幻』の付録の地図を見る限り,まるでジグソーパズルのように,防戦区域の割り当てが複雑怪奇な様相を帯びていたり….

 とにかく,上から下まで,まったく合理性を欠く組織原理の中で動いていたのがフランス軍.
 国内の平和主義とか,反戦主義がなくとも,多少はマシという程度だっただろう.

 その辺は,『電撃戦』に加えて,もう1,2冊関連図書を読めば,明白にわかるはずだ.

軍事板,2010/12/20(月)
青文字:加筆改修部分

 他方,英国について言えば,19世紀初頭からすでに英国経済は下り坂にさしかかっており,ボーア戦争での醜態と負担に加えて,第1次大戦の戦費,軍の消耗で完全に勢力を失っていた.
 このため,閉鎖主義的な方針を取らざるを得ず,スペイン戦争でも傍観者に留まることにした.

 一方,共産主義革命は英国にも影響を及ぼしており,不況下,階級主義社会の英国では,労働者階級が共産主義に走ることを怖れていた.
 そこに,共産主義の輸出国,ソ連と戦ってくれるというナチスドイツが登場したわけで,内心不安を抱きつつも,共産主義の抑止をある程度期待してもいた.
 そもそも上記の事情で,積極的に動く余裕はなかった.

 結局,第二次世界大戦で英国は破産してしまったから,英国に侵略の危険が及ぶことさえなければ,傍観が正解だったのかも知れない,短期的には.

system ◆systemVXQ2 in 軍事板,2010/12/20(月)
青文字:加筆改修部分

戦争債購入を呼びかける,英国のポスター
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 テイラー論争とは何よ?

 【回答】
 1960年代,第二次大戦の起源に関して,A.J.P.テイラーの発表した所説をめぐって起こった論争.
「ヒトラーの下でナチスが計画的に展開した対外侵略に戦争勃発の根本因を求め,チェンバレンの宥和政策がその侵略を拡大させた」
とする1950年代までの一般的見解に対して,テイラーは,大戦が
「交戦陣営双方の外交的失敗によるもの」
としてドイツの侵略計画の一貫性を否定し,宥和政策についてもヨーロッパの全般的和解を目指した合理的政策であったと再評価した.
 テイラー説はナチスの戦争責任を完全に免責するものではないにせよ,従来の通説を大幅に修正するものであり,『我が闘争』をはじめとする各種史料にヒトラーの対外膨張計画の一貫性をみるトレヴァ=ローパーから
「史料の取捨選択を行っている」
と,社会経済状況から開戦状況の解明を試みるティム・メイソンからは
「ドイツ外交の背景にある国内的要因を軽視している」
と批判を受けた.
 テイラー論は通説の修正を急ぐあまり,説得的な論証とはなりえなかったが,同時期のドイツで起こったフィッシャー論争同様,世界戦争についての歴史研究と歴史意識のあり方を検証させる契機となり,ナチス外交研究や宥和政策研究の深化に大きく寄与した.

 詳しく知りたきゃ,テイラー著『第二次世界大戦の起源』(中央公論社,1977年)や斉藤孝著『第二次世界大戦前史研究』(東大出版会,1980年)でも読め.

世界史板


 【質問】
 以下から実際に史実に無かったものの番号を書き出しなさい.
                        (配点10点)
(1)
 44年7月にOSSの支援を受けて,南フランスのグルノーブル近郊の山岳地帯を拠点にしていたレジスタンスを,ロシア義勇兵中心のグライダー部隊が強襲.

(2)
 44年10月にベオグラード近郊で,M15/42戦車中心のドイツ軍と,ソ連軍のT-34戦車が戦闘.

(3)
 45年1月にウラソフ部隊と武装SS,海軍兵士混成の特殊任務コマンドが,運河沿いにハシケに乗って110キロ離れた包囲下のブタペストに,補給品を届ける任務を強行.

(4)
 ドイツ海軍にアドルフ・ヒトラーの名前が付いた軍艦が居た.

 【回答】
 皆さん,実は(4)は事実です.

 1932年に進水した438tのちっぽけな"Seefahrt"と言うトロール船がドイツ海軍から"Adolf Hitler"と命名されて特設掃海艇として使われています.

 でも,さすがにマズイのか,1940年には再び旧名の"Seefahrt"に名前を戻して,1943年の6月にオランダのWestkapelle沖で爆撃で沈没するまで在籍していました.

 ポケット戦艦"ドイチュランド"がドイツが沈むのがマズイと,"リュツオー"に改名される事以上に,1940年までこの名前が武装トロール船に付けられたままほったらかしだったと言うの事は,レーダー提督もほんとに人が悪いですね(笑)

 実は(3)は事実です.

 これは特別に編成された約30人のJagdkommando"Donau"が,44年の12月31日にソ連軍の新年のお祝いの混乱に乗じ,ソ連軍に化けてドナウ河の110kmを強行突破して,ブタペストに包囲されているドイツ・ハンガリー軍に何隻かのハシケで不足している補給品を届けるという,投機的な作戦でした.

 彼らは最初はハンガリー市民に化け,ソ連軍の射程距離に届くと,すかさずソ連軍の軍服に着替えてゆっくりと進んでいきましたが,3日目の45年1月2日にブタペストまであと17キロの地点で,異変に気付いたソ連軍の集中砲火を浴び,ついに補給品を満載したハシケは全滅.
 ようやく生き残った少数の兵士だけが,山岳地帯を抜けブタペスト北西の友軍の前線に辿り着きました.

まけらいおん in mixi,2007年08月27日00:06


 【質問】
 ▼「いかさま戦争(ファニーウォー)」とは?
 「いかさま戦争(フォニーウォー)」とは?▲

 【回答】
 ドイツに対して英仏が宣戦布告したものの,実際には翌年まで戦火を交えようとはしなかったことによる,その間の奇妙な平穏のあった時期を指す.

 一例としては,フランス国内にはドイツの発電所から電気をもらっている村があるのだが,宣戦後のあるとき,ドイツが無通達で電気の配電をやめた.
 そこで,フランスは脅かしの大砲(空砲だったかな?)を撃ったりした.
 やがてドイツの発電所から「配電をとめたのは発電所の点検のためであります」とかいう連絡がきて,電気の供給が再開された.

 また,ドイツがフランス国の橋を戦略的に破壊するときに,その前に爆撃機で橋を爆破するから気をつけてくれっていうビラをまいてから破壊したとか.

 ポーランドそっちのけで遊んでいたわけですな.

世界史板

▼ ちなみにファニーではなく,Phonyなのでフォニーです.
 電話(phone)が普及し始めた頃,今で言うオレオレ詐欺のような,電話越しの詐欺行為が流行したことがあり,いつしかイカサマやこれを形容するものとしてphonyと言うようになった,と聞いたことがあります.

クローム・ツァハル in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年08月12日 01:22
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次世界大戦が始まった直後,フォニーウォー Phony War といわれてるけど,その時,敵軍を訪問して記念写真まで撮ったというのは本当ですか?

 【回答】
 記念写真云々というのは最近映画になった第一次大戦のエピソードだと思うが.

 そこまでいかなくとも,川の向こうに敵がいるのに撃たなかったり,宣伝放送代わりに音楽を流したりと,双方やる気のあるところを見せなかったのは確か.
 当時のフランス軍は動員が進まなかったので,積極的な攻勢をかけようとはしなかった.
(開戦冒頭にドイツ側にちょっとだけ侵攻したがすぐに引き揚げている)
 ドイツ側もポーランド戦の直後で休養再編成や動員・訓練の必要があったし,何度か計画した西欧への侵攻が気象条件で中止になったり,侵攻計画が煮え切らないものでヒトラーがダメ出ししたりで伸び伸びになった.
 そんなこんなで,表面的には双方ダレダレで国境線で対峙する状態が40年の5月まで続いた.
 これを"Phony War","Twilight War"(米記者の表現),"Sitzkrieg"(ドイツ語で座り込み戦争)という.


 【質問】
 ポーランド侵攻を口実としてドイツに宣戦布告したイギリス・フランスですが,半分占領したソ連にはなぜ布告しなかったのでしょう?
 また両国国内では,ソ連にも布告しようといった世論はなかったのでしょうか?

 【回答】
 フランスはソ連侵攻作戦を計画しています.
 当時の仏政府はガチガチの反共でしたから.
 しかし,その計画たるや,フランス中近東軍がカフカスへ侵攻し,モスクワを突き,北方から来たフィンランド軍と握手しようという,壮大を通り越して妄想に近いものでした.
 これを聞いた英国は,呆れてまともに相手にせず,計画は立ち消えになっております.

(世界史板)

 また,準備も不足していました.

 そもそも,英国,フランスとも,対独宣戦したのは,米国国務省外交文書集によると,
「もし,自国領土の防衛にポーランドが専念している最中に,英仏がポーランドを見捨てることがあるのなら,中東欧でドイツの侵略に抗する国はなくなる(当時はルーマニア,ユーゴ,ギリシャ,それにハンガリーは,連合国とドイツとの間で辛うじてバランスを取っていた).
 そして,ドイツはこれらの国々を組織した上で,英仏を攻撃する絶好のチャンスを与えられることになる」
と言う判断から行われたものです.

 しかしながら,両国とも具体的行動,すなわち軍備強化は上手くいかず,例えば,フランス派遣英国軍は1939年11月時点で,フランスに上陸していたのは8万人.
 フランスが持ちかけた英国空軍と共同でのドイツ本土爆撃も,空軍力劣勢とドイツの報復爆撃の懸念から具体的に至っていません.

 しかも,Chamberlainは,戦局の予想が付かず,内部崩壊,経済封鎖のジリ貧化に望みを繋いだりしています.
 国民はまだ長期戦に対する覚悟は定まっていない,と.
 そして,フランスはと言うと,これがより酷かった訳で.

 そう言うことで,戦争準備がとても整わず,ソ連の軍事行動に対する掣肘など,とてもじゃないけど出来かねる状況でした.
 ソ連の側も疑心暗鬼で,英仏がドイツの矛先をソ連に向ける機会を窺いながら,馴れ合いでやっている戦争ではないか,と思っていたようです.

 しかし,冬戦争時点では反ソ,反共感情が国民の間に湧き上がり,英仏はフィンランド援助軍を派遣しようとしています.
 Churchillの旦那的には,ドイツの鋭鋒をスカンジナビアに向けることが主目的と言っていますが,フランスは, バクー油田空爆,カフカズ地方の回教徒を扇動して,反ソ暴動を起こさせ,ソヴィエト政権を転覆させる計画まで 持っていました.
 幸い,と言うか,なんというか,冬戦争が早く片づいたので,対ソ宣戦は見送られた訳ですが.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/02/02
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 もしバトル・オブ・ブリテンに勝利したら,ドイツ軍は英本土上陸作戦をやる気でいたんですか?

 【回答】
 というか,バトルオブブリテン自体がイギリス上陸作戦実施のために,イギリスの航空戦力を削る(というか叩き潰す)ことが目的だった.
 本土上陸やる気じゃなかったら,そもそもあの戦いが発生していない.

 海軍戦力でイギリスにかなり劣るドイツは,航空優勢を完全に確保した上で,ドーバーの両出口を機雷で封鎖して,ドイツの上陸船団が安全に通れる「海の道」を作ることを考えていた.

 結局はバトル・オブ・ブリテンが長引き,その間に海が荒れるわ,東部戦線がおっぱじまるわで,作戦は延期と言う名の事実上中止へ.

軍事板

(引用元:朝目新聞)


 【質問】
 ナチス・ドイツはイギリス本土上陸を本気で考えてたのでしょうか?

 【回答】
 本気だった.
 実際,英本土上陸を考えてあしか作戦を立てた.
 だが上陸用艦艇が不足しており,民間の船まで動員しても足りるかどうか,という状況だった.
 そのため,制空権を得ることがあしか作戦の前提となったが,独空軍の総力を挙げたバトルオブブリテンで英戦闘機隊を壊滅させることがついに出来ず,ソ連侵攻の準備のためにあしか作戦は無期限延期となった.

 ヒトラーが当初,仏降伏の後に英と講和出来るかも?という虚しい期待を抱いていた為,初動が遅れてしまった側面もある.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ナチスドイツ空軍は対英戦線の時に,1ヶ月程度航空戦を行い,航空機の被害が多く,総統がイギリス本土上陸を諦めたと聞きました.
 作戦の概要を見ると,ドイツ軍は爆撃機は都市部への攻撃に集中し,戦闘機がそれを守るという形と聞いたのですが,もし爆撃機がイギリスの飛行場破壊のみにつとめ,また,被害を被るのを承知で落下傘部隊による飛行場奪取を強行し,
(飛行場の制圧空挺部隊に任せるのが主ではなく,基本は爆撃で潰し,それでもカバーできない範囲を空挺部隊に任せる,
 落下傘部隊は飛行場を爆破させることを目的とし,最終的に全滅戦を展開する)
戦闘機がそれを護衛するという手段をとれば,制空権を取れたのではないでしょうか?
 確かに航空戦闘での被害はドイツが倍ですが,航空機の数ではドイツの方がそれ以上に勝っていて,ロンドン空襲を行うほどの余力がある為,飛行場空襲も可能と思います.

 またそうすれば,ドーバー海峡の強行突撃により,イギリス海軍からの被害を被るものの,イギリス本土に上陸し,ロンドンを占領できると思うのですが,考えは甘いでしょうか?
 イギリス海軍は各地域に戦力が分散されているため,一転に集中攻撃すればドイツ海軍が本土まで辿りつけると思うんです.
 また最悪の場合,ドイツ海軍はイギリス本土近辺に長期滞在はせず,上陸部隊だけ上陸させてロンドンを目指すというのは?
 空挺部隊が消耗していても,ドイツ陸軍ならイギリス陸軍を突破することは容易だと思うんです.
 イギリス軍は,機関銃や戦車が何km地点に1つあるかないかの防衛と聞いたので.
 後は上陸部隊が飛行場を制圧するという方向で向かえば,イギリス空軍は事実上崩壊すると思います.

 また補給に関してですが,飛行場を攻略してから潜水艦や輸送機を使い,物資の補給を行う.

 もしロンドンまで制圧することが出来れば北部まで攻め込まなくとも,イギリスの降伏は時間の問題だと思われます.
 イギリスさえ落とせばドイツの敗北は避けられると思うのですが.
 そうすれば西部戦線は(以下省略

 【回答】
 とりあえず,単なる後付け.
 当時9月のドイツ空軍は多数のパイロットを消耗し,他の者も疲労しており,機体は戦時増産体制に無かったため,緒戦では数でも優勢だったのが,英空軍とそれほど変わらない数になっている.
(英国が戦時増産してたのもあるが)

 8月から
「英空軍機はあとわずかしか残っていない」
と言われていたのに,いつまでたっても英軍機はなくならず,むしろ優勢に見える(実際には予備を使い始めていたが)

 こんな状況下で,
「今までどおりの事をやっていては,ドイツ軍が消耗しきっても英空軍は健在なのでは」
と考えても仕方ない.
 英国の窮状を判っているからこそ言える後知恵.

 質問者の言う作戦を仮に実行したとしても,その前にドイツ空軍が作戦能力を失うが.
 ドーバー海峡がグランドフリートの演習場になるだけ.
 グランド・フリートはヒョイヒョイと,好機を見計らって突入してくるが.

 あと,イギリスの航空機工場は,イギリス北部に疎開している.

 さらにいうと空挺は,上陸第一波に先立って,沿岸とロンドンの間に投入される予定でしたが,そんなことで空挺機材と輸送機を消耗すると,肝心の上陸戦に空挺が使えないだけでなく,輸送機も使えなくなる.
 そもそも飛行場1箇所に付きどの程度の空挺をおろすつもりなの?
 一時的にも飛行場を占領しないと,長期間使えなくするだけの爆破は出来ないと思うのだが.
 1個大隊は多すぎるにしても,1~2個中隊は最低でも必要だね,降下時の損耗を考えると.
 一箇所に付き3個中隊程度?
 爆破対象の飛行場を何箇所見積もってるか知らないけど,ドイツってそんなに降下猟兵もってたっけ?
 1943年まで1個師団しか持ってないよ.



288 名前: モッティ ◆uSDglizB3o [sage] 投稿日: 2008/10/23(木) 20:44:38 ID:???

 増援の来ない空挺部隊は特攻って言うんですよ.

軍事板,2008/10/23(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次世界大戦のとき,ヒトラーはイギリスとの戦争に決着が着いていなかったのに,なぜソ連と戦争を始めたのでしょうか?
 ヒトラーは共産主義は滅ぼさなければならないと考えており,またソ連を短期間で倒せると自信を持っていたようですが,
「敵の敵は味方だ」
ということでイギリスとソ連は手を結ぶことになり,2正面作戦となり危険だと思うのですが?
 イギリスとの戦争が終わってからでは駄目な理由でもあったのでしょうか?

 【回答】
 ヒトラーは元々ソ連を狙っていた.
 だがポーランド戦以降英仏と戦争状態となったため,後背の憂いを取り除き二正面作戦を避けるために,仏国を叩き英国とは講和を結ぼうとした.
 だが英国が講和に乗ってこなかったため,上記と同じ理由で英国を叩いた.

 だが予想以上に英国はしぶとく,ソ連侵攻の時期を逸してしまう可能性が出てきた.
 後背の憂いを取り除くための戦いで,主戦線の開始が遅れるのでは本末転倒なので,とりあえず力の削がれた英国は放っておく事にした.

 イタ公のお痛でちょっと遅れたが,相手が準備を整える前に仕掛けれたのでタイミングはOK.
 …物資や兵站の観点から絶対に勝てないにせよね.

 また,ドイツの戦争遂行に必要な石油が尽きかけていた.
 実のところドイツの石油供給はソビエトに頼っていた.
 ルーマニアの油田も,戦時体制に移行したドイツ軍を支えられるだけの産出量はなく,このまま行くとソビエトに言い値で石油を買わされるか,さまざまな譲歩を強いられる.
 それが目に見えていたため.

 さらに,
「英国が講和に応じないのはソ連を当てにしているからではないか?」

「ならば,英国の希望を打ち砕いてやろう」
というヒトラーの思考が根本に有った.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ドイツとソ連は,お互いの生存圏の拡大方向がぶつかり合っていたために戦争になったようだが,これをどうにか出来ないかな?
 ドイツには生存圏を西に向けてもらい,ソ連は社会ファシズム論を再燃させてもらう.
 これによって独ソ戦争を回避し,日独ソ伊の四国同盟を結成して英米涙目状態を作りたいんだが.

 【回答】
 独ソが争うのはいわゆる地政学的必然だから,どうにもならないだろ.
 「生存圏」を西に広げても,アングロサクソンを奴隷階級には出来ないだろうし.

 「社会主義の帝國」を目指すソビエトは,自国の周囲に緩衝地帯としての属国を必要とする.
 また,基本的に「スラブの支配者」としてスラブ人居住区域(=スラブ系国家)はみんな自分の勢力圏に入れたがるソビエトのテーゼは,「東欧」は自分達のお膝元」と思ってるドイツのテーゼと絶対に噛み合わない.

 ナチスの目指した「新世界秩序」は,奴隷制にしないと成立しない.
 更に,ナチスが実際に実行してた支配システムは参考にした(と言うか目指した)ローマの階級社会制度よりも劣ってるので,ますますうまく行かないだろう.

 ただし,ソビエトが革命の過程とその後の干渉戦争でもっとボロボロになって,スターリン時代の安定と成長がなければ,史実のソビエトと中国くらいの関係にはなれるだろう.
 トロツキーがレーニンの後継になれていれば,あるいはトハチェフスキーのソビエトが実現していれば可能だった,かもしれない.

 あるいは双方,普通に帝政が続行すればそれなりにいけると思う.
 ただしヴィルヘルム2世の外交上の大失点を,東方においては回復する必要がある.

 ポーランド人が泣く20世紀史になりそうだが・・・.
 ドイツとソビエトが覇を争う世界にポーランドの行き場はない.
 どうやっても国土分割されること確実.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼ 地政学的にいえば,「世界島に大国は一つしか存在できない」(故に独ソが衝突するのは必然)
 或いは,大陸国家は領土拡張意欲が強いため,とでも説明できると思います.

 もう少しドイツとソ連に特化した地政学的説明をおこなえば,"ロシア"は(帝国だろうがソ連だろうが),港を求めて行動する.
 そして太平洋,北極,中央アジア,東欧と東西南北にその可能性を探し,いずれドイツか日本とぶつかる.

 一方ドイツは西欧を支配したとしても,常にその背後のロシアに脅えなければいけない.これは現のEU(NATO)全土をドイツが支配したと仮定して,EU(NATO)とロシアが仲良くなれないのと同じことでしょう.

 ドイツとロシアが手を組むには,二国間に共通の敵となる大国の存在が必要だと思います.
 ポーランドとか(失笑)

 やはり衝突の回避は困難でしょう.

山田洋行 in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 なぜドイツは対米宣戦布告したのか?

 【回答】
 『西部戦線全史』(山崎雅弘著,学研M文庫,2008.3),P.315~318によれば,対米宣戦の真意をめぐる論争は明確な結論は出されていない,としながらも,41年の段階で米は
・英へのレンドリースや兵器,軍艦の供与
・(独の占領下にあった)デンマーク領のグリーンランド,アイスランド(当時)への軍隊の進駐
・米英による大西洋憲章発表
などにより独を敵とみなしていた.

 そして大西洋では既に米独の海軍が交戦状態にある中での真珠湾攻撃.
 独海軍としては米海軍の戦力を東西に二分できると歓迎.

 しかし日本を「独の敵の敵」という立場に拘束し続けるには,日本の単独講和の可能性を摘み取らなければならない.
 そこで独外務省は単独講和を禁止する条約を作成して日本側へ送付.
 12/11に独の対米宣戦,日独伊がこの条約に調印.
…という考察をしています.

グンジ in mixi,2008年05月04日16:55


 【質問】
 北アフリカ戦線ではドイツ軍は,スエズ運河を機雷封鎖したり破壊したりはしなかったんですか?

 【回答】
 ちょっとぐぐっただけなのでアレだが,ドイツ軍の空襲で76日間スエズ運河が閉鎖された,と記述された書籍のコラムが出てきた.
 あと,wikiにスエズ運河をドイツ軍の空襲から偽装するため,ジャスパー・マスケリンという奇術師が、運河から3マイル離れた場所にダミー運河施設を作って,ドイツ軍機を誤魔化したとあるな.
「wikipedia」:ジャスパー・マスケリン

 また,こんな記載もネット上にはある.

――――――
http://www.warbirds.jp/sudo/The_Purple_Sea/The_Purple_Sea_03.htm

 レールはこの他第4航空軍直轄の部隊として第4爆撃航空団第2飛行隊(II/KG4.Fw200装備.主にスエズ運河に対する機雷敷設を担当)と第126海上偵察飛行隊(SAGr126.Ar196装備)を保有している.
――――――

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「大恐慌は第2次大戦がなければ終わらなかった」というのは本当か?

 【回答】
 大和総研のエコノミスト,原田泰によれば,それは間違いだという.
 彼によれば,1937年の引き締めがなければ,アメリカの実質GNPは33年第1四半期を底とするトレンドで伸び,第2次世界大戦以前に大恐慌から脱却することができただろうという.
 1937年のGNPの減少の原因は,再び金融を引き締めたことであり,その証拠に,38年に再び金利を引き下げるとGNPはまた回復しているという.
「大恐慌はアメリカ連邦準備理事会(FRB)の誤った政策によって引き起こされ,長引いたのである.
 これが,大恐慌の研究から得られる最も重要な教訓である」
と,彼は結論している.

 詳しくは上記リンク先を参照されたし.

【ぐんじさんぎょう】,2009/4/17 21:00
に加筆

<以下,「大恐慌が長引いた本当の原因」>

・ドキドキキャンプの「24」ネタの引っ張りすぎ

・通貨単位の,「ドル」から「お尻」への変更

例題

 こみ★んてるんの陰謀!

ベタ藤原 in mixi,2009年04月16日 22:49

 とりあえず朝鮮妖術師の仕業かFRB柳生の陰謀で.

神無月久音 in mixi,2009年04月17日 00:05

 ユダヤ人のせいだったとロビン・クック元外相が昨年末にいっていたそうだ.
 しかしその説を唱えた直後の2005年8月6日,スコットランドで山歩き中に謎の死を遂げている.

ぎんなんそう in mixi,2009年04月17日 00:08

 ハドソン「ちょっとボンビーの設定やりすぎた」

フナムシ in mixi,2009年04月17日 02:30

>ボンビーの設定やりすぎた

 ギーガボンビーのことか!

 しかし本当に「大恐慌」って設定があるんだよな,あれ.

クローム・ツァハル in mixi,2009年04月17日 03:02

 ま,いつかは終わるでしょ(笑)

 満州事変で日本はいち早く不況から抜け出したと言われてますけどね.

 正しかろうが間違っていようが,そうゆう観念があるかぎり世の中は動くんです.
 政治史屋としてはそっちが大事.

 お尻コインが通貨になれば億万長者ですね.

鮭缶 in mixi,2009年04月16日 22:47

 ペンネームは読まれなかったが,10オシリが突然届いたことがあります.
 家宝ですね.
 なんでも鑑定団に出したら値段つかないでしょう.

割れ煎 in mixi,2009年04月16日 23:26


 【質問】
 第二次大戦で一番死者が多かった国は?

 【回答】
 たしか,ソ連は民間人込みで1千万人以上やられてます.
 数年前に出てた,ダニガンのWW2の余話集(文庫本で翻訳にけっこう誤りのあったやつ)に,各国の人的被害について軍人・民間人別でまとめられています.

 うろ覚えだけど被害の多かったのは中国,ソ連,ポーランドあたりだった覚えがあります.
 1913年(この数字信頼性ゼロや)生まれのソ連人全男性の80%以上が戦死したとか.
 死傷者数を見るよりも,恐ろしさを実感した覚えがある.
 その前後の世代も似たような戦死率で,50年代になって,未亡人や結婚適齢期を逃した女性の為の政策に政府が悩んだと覚えてます.

 あと,ポーランド人300万人も絶滅収容所で死んでますね.
 まさに,「世界は地獄を見た」ですな.

軍事板


 【質問】
 第2次大戦中最も多くの人が死んだ場所ってどこでしょう?
 ベルリン? 南京? ドレスデン? スターリングラード? 東京?

 【回答】
 レニングラード包囲戦で,市民を含めて67万人(ソ連政府発表),一説によると100万人以上が死亡したと言われる

 レニングラード攻囲戦についてはハリソン・ソールズベリの『攻防900日』がおすすめ.
 大都市が包囲されると,どれだけ悲惨なことになるか,読んでると背筋が寒くなってくるよ.
 けっこう重要なポストの役人の奥さんが,友達から譲ってもらった皮のバッグでゼリーを作ってたり,家族をボール紙の棺おけに入れて運んできた人が,そのまま墓地で行き倒れたりとか.
 町の往来で「解体」された人間の生首だけが転がっていたとか,行きずりの人に頼まれてアパートに行った少女がドアを開けたら,血抜きされた人体がぶら下がっていたとか.

 攻囲がようやくとけて郵便配達が始まっても,住民が全員餓死していて受取人がいないアパートがあったとか.

軍事板


 【質問】
 WW Ⅱのヨーロッパ戦線末期の状況を知る資料として,良い本はどれでしょうか?
 思いつくまま挙げてみたんですが,誰か教えてくださいませ.
『ヒトラーのいちばん長かった日』 福島 克之
『ヨーロッパ戦線の終幕  最後の100日』 ジョン・トーランド
『神々の黄昏』アラン・ムーアヘッド
『ヒトラー最後の戦闘』 コーネリアス・ライアン
『最終戦』 ヴォルフガング・パウル

 高橋慶史「ラスト・オブ・カンプグルッペ」はもう読みました.

ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :軍事板,2002/03/05
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 「最後の100日」をお奨めします!

 「ヒトラー最後の戦闘」はベルリン攻防戦が中心です.
 よい本ですが,戦争末期全体のことを書いているわけではありません.

 「ヒトラーのいちばん長かった日」は「ヒトラー最後の戦闘」を読んだ方は特に読む必要はないと思われます.
 内容が重複します.

 「神々の黄昏」はアラン・ムーアヘッドの「砂漠の戦争」の続編で,タイトルとは裏腹に,1943年9月から,1945年5月までの間のことが描かれています.
 本が書かれた時期も戦後すぐなので,多くの間違いがみられます.
 戦争末期のことを知りたい方にはお奨めできません.

 「最終戦」は1945年1月のソ連軍の大攻勢から,ドイツの無条件降伏までを描いてます.
 末期のことを知りたいのでしたらよいでしょう.
 ただし,文章がヘヴィーなので,読むのが疲れます.

 「最後の100日」も1945年1月のソ連軍の大攻勢から,5月のドイツの無条件降伏までを描いてます.
 デーニッツ,ルーデル,シェルナー,ディートリヒ,パイパーなどの著名な軍人も本に登場します.
 文章もさすがピューリッツァー賞作家というべきもので,わたしは上下巻を3日で読みきりました.

軍事板,2002/03/08
青文字:加筆改修部分

 上述で挙がっていない本としては,以下をお奨めします.

光文社
「KGBマル秘調書 ヒトラー最期の真実」

 ソ連の捕虜になったになった人物(シェルナー,ヴァイトリンクなど)の証言がのってます.
 とくにシェルナー元帥の尋問調書は,戦争末期のことを知る貴重な資料といえます.

軍事板,2002/03/05
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次世界大戦最後の戦闘ってどこで行われたものですか?

 【回答】
 敗残兵のゲリラ的戦闘を別にすれば,ソ連軍の満州侵攻作戦ということになると思います.
 侵攻が始まったのが八月九日,
 大陸命により停戦命令が出たのが八月十八日.
 しかし戦闘はまだ各所で続いており,虎頭要塞の陥落は八月二十六日,
 興安嶺で戦闘中だった第百七師団が停戦に同意したのは実に八月二十九日です.
 その後も九月になるまで小規模な戦闘が満州各所であったはず.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板


 【質問】
 ニュルンベルク裁判と東京裁判とでは,どのような違いがあるのか?

 【回答】
 京都大学教授・高山加奈子によれば,開廷の根拠に違いがあるという.
 前者はロンドン会議における,米英仏ソの協定に基づいて設立され,特にナチスの行為を重視して「人道に対する罪」による訴追を実現した.
 後者は降伏文書を設立根拠とし,アメリカ主導の下,「平和に対する罪」を必要的訴因として開廷されたという.

 詳しくは『ジュリスト』 2008.1.1-15号,p.182を参照されたし.


 【質問】
 ニュルンベルク裁判においては,通訳はどのように行われたのか?

 【回答】
 近代までの欧州の会議では,その使用語は英語とフランス語でした.
 例えば,国際連盟ではフランス語が主要言語であり,使用言語はその2カ国語があれば事足りました.
しかし,ニュルンベルク裁判では,被告は殆どがドイツ語を使用し,主要参戦国の言語,英国と米国は英語,フランスは勿論フランス語,ソ連はロシア語と4カ国語を必要としました.
 これを逐次通訳で行うと,翻訳だけで膨大な時間を食うことになります.

 そこで考え出されたのが同時通訳という方式です.
 この方式を考えたのは複数人ですが,主となったのは米国のジョージタウン大学からやって来た言語専門家で,フランス人のレオン・ドステールという人物です.

 同時通訳を行う為の要素は2つありました.
 1つは技術的な要素,2つ目は人的要素でした.
 前者は,東京裁判でも出て来たIBMの同時翻訳装置です.
 これは現在の目から見ると原始的なもので,マイクとケーブル,コンソール,録音装置とイヤホンを繋ぎ合せ,裁判の記録用としてワイヤー・レコーダが用いられています.
 ケーブルは遣っ付け仕事らしく,剥き出しの代物でした.
 後者は既にニュルンベルクに於て翻訳者として文書翻訳に従事している人や,公判前手続きの尋問をしている人,
 通訳者からリクルートしましたが,翻訳者の大半は双方の言語に非常に堪能であり,外国語の使い手としては優秀で,かつ翻訳者としての能力は一流でした…が,翻訳者の仕事は,辞書を繰って様々な語を検討して一番ぴったりとする表現を見つける…というものですから,時間を非常に掛けていきます.
 多くの場合,翻訳者は完璧主義者でもあります.
 しかし,マイクの前に座らせて左の人が話している言葉を瞬時に理解し,右の人に同時に伝えていくと言う瞬間的な理解力がありませんでした.

 同時通訳に必要な技術の1つとして,最初に選んだ言葉から次の言葉,それが駄目ならその次の言葉,駄目なら次の言葉…と言う様に,止まらずに流れを維持する能力が必要でした.
 翻訳者は完璧主義者である故に,最適な言葉が出て来ないと凍り付いてしまい,次に進む事が出来なくなりました.

 こうした能力は,稀に年配の人がいましたが,殆どは若い人に適応能力がありました.
 ただ,ニュルンベルク近辺だけでは同時通訳者が確保出来ない為,同時通訳者をリクルートする為,欧州各国に赴いたり,フランスやソ連代表団が用いていた通訳を試験して,同時通訳者をリクルートしています.

 こうして,36名が採用され,12名からなる3チームに分けられました.
 基本的に4カ国語のデスク,所謂ステーションが設置され,各々のデスクは3名で構成されており,そこにマイクを1本配置していました.
 ガラスで4つに仕切られたブースには,英仏独露の4カ国語のセクションに区切られていました.
 3人の役割は,例えば英語だと,1人が独→英,つまり,ドイツ語を聞きながら英語を喋る担当,他は仏→英,露→英と言う具合に通訳が行われます.
 これが,各言語ブースにいますので,円滑に通訳が行われると言う訳です.

 裁判官,検察官,オブザーバー,傍聴人にはそれぞれ4チャンネルのダイヤルが付いている小さなスイッチボックスが渡され,それを自分の使用する言語に合わせてイヤホンを付けると,審理全体を自国語で聞けると言う次第です.
 同時通訳がスムースに行っている場合は,通訳を意識せずに内容に集中することが出来ました.

 これら同時通訳に必要な能力には,他に言語のバランスと言うものが必要でした.
 2つの言語の間を浮遊するには,比較的最近の言語経験により日常生活での言い回し,方言,専門用語を理解する必要が有り,専門用語や表現される考え方,概念,法律用語などを理解する為の視座を持っている様な高い教養も求められます.
 尤も,完全なバイリンガルと言うのは非常に稀で,本来はどちらかの言語の一方がもう一方より優れていると言うのが普通です.

 通訳の選定が済み,IBMの機械の設定作業が終わり,リハーサルが行われた時,様々な問題が発覚しました.
 例えば,検察官が法廷で意見陳述を行う場合,大抵は書面が用意されています.
 この書面が通訳者の手に渡っていなければ,それは通訳者にとって非常なプレッシャーとなり,屡々通訳不可能な状況に置かれると言うことが判り,通訳者のグループは,検察,弁護,判事団それぞれに,書面を読む場合は事前に必ず通訳者にそれを渡すよう働きかけを行いました.
 また,法廷で使用される言葉,特にニュルンベルク裁判は大臣,官僚,軍人が中心に裁かれたものですから,政府関係,役所関係,治安維持,陸海空軍,親衛隊のそれぞれの組織の地位の名称,軍事専門用語などを覚えなければなりません.
 この解決策として,語彙集を作成して,それに必要と成る言葉を追加していくようにしました.

 また,こうした法廷では人々が興奮して怒鳴り合ったり,何人かが同時に喋ると言う事もあり得ます.
 その状態に成ると,同時通訳のシステムに多大な負荷が掛かり,機能不全に陥ると言うケースも判ってきました.
 この解決策としては,判事,検察官,弁護人,証人など,全ての机の前にはオレンジと赤が付く電球を設置し,通訳の流れをチェックするモニター係が,こうした機能不全に陥りかねない状況であることを見て取ると,モニター係はオレンジの灯りを点灯させます.
 これを見た判事は,小槌を机に打ち,審理を中断して,次のように宣告します.
「まず,今の発言を繰り返して下さい.
 それから通訳がついて行けるようにゆっくり話して下さい」
 通訳者にとっては,判事団,特に主席判事を味方に付ける必要性に直ぐ気づいていきます.
 そして,幸いにも主席判事始め判事団は,通訳の困難な状況を知って,可能な限りの手助けをして貰う事が出来たそうです.

 意外にも,被告人達もこうした同時通訳という仕組みに非常に興味を示しました.
 尤も,英語を理解する人々がこのうち4分の1から3分の1だったからかも知れませんが,時々,被告人自らが語彙や用語のヒントを書いたメモを通訳者に渡してくれる事もあったそうです.

 被告人の1人である,ゲーリング国家元帥は次のように述べています.
「この同時通訳というやつは大変興味深いが,私の命を縮めてもくれている!」
と.
 つまり,裁判が長引けば,彼も其の分長く生き延びられますが,こう粛々と裁判が進んでしまえば,後残っているのは絞首台だけだ…と言いたかった訳です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/09/03 23:42

 英語からドイツ語に同時通訳を行う場合の課題の1つに,ドイツ語の動詞を聞こえる前に先読みすると言うのがありました.
 ドイツ語の文での従属節に於ては,動詞は一番最後に来ます.
 話し手の頭が良ければよい程,従属節が長くなり,漸く動詞が出て来るまでに沢山の要素が盛り込まれることになります.
 英語の文章構造では,文が始まって直ぐに動詞が必要となるので,これでは同時通訳が成立しません.

 これに対処するのには2つの方法があります.
 1つは文脈から動詞を先読みすると言う方法で,これは時としてリスクが伴い,違っていれば訂正を入れる必要が有ります.
 ただ,多くの場合は通訳者が推定した動詞がそのまま出て来る訳です…
 とは言え,人の生死を分ける裁判の場合,推測でものを言うことは許されません.

 そこで,第2の方法として,通訳者は訳す場合,意味が決定されてしまわないような中立的要素で,文を構築し初める手法を編み出しました.
 動詞の前に来る副詞節の情報を出しつつ,あくまでも意味は中立に,動詞が出て来るまで訳し続け,動詞が出て来るように徐々に話しが向かうように,状況しか述べないような感じで続けておき,動詞が出て来たら,その動詞を使って全ての辻褄が上手く合うように纏める訳で,言葉ではそのプロセスは複雑に思えるものでしたが,実際にはこれを体系化した方法が良いと言う事になっていきました.

 また,同時通訳中,専門用語が出て来ることもあります.
 先述のように,原告や被告がメモを渡す場合もありますが,出来るだけ通訳者にも,事前に専門用語に対するブリーフィングを行う様要求することで対応しています.

 例えば,ニュルンベルク裁判の本裁判の後に行われた12の裁判の中には,医療関係者や科学者に対する裁判もありました.
 彼等は,医学的人体実験を強制収容所の収容者や戦争捕虜などに対して実施した人々ですが,彼等の裁判の際,困ったのはその専門用語でした.
 しかし,医学や科学用語はラテン語が語源であることが多いので,発音が異なると言う事だけを抑えておけば,医学用語を判るように訳すよう対応していきます.

 他に,「ナチス言語」と呼ばれるものがありました.
 これは国家社会主義労働者党や親衛隊,政府部内で使われた,意図的に曖昧,多義的な言葉であり,暴力的かつ残酷な物事を隠蔽する為に使われる言葉です.
 こうした言葉が出てきた際には,通訳者はどうやって対応するか,これは難しい課題でした.
 こうした言葉が出てきた場合の通訳の対処方法は,文脈で判断してそれに適した語を選択すると言う高度な技が必要でした.

 例えば,ドイツ語で「この村のスラヴ系ポーランド人が"erfassen"された」と言う文章が出て来た事が有ります.
 "erfassenn"と言うのは,1つは「掴む」または「身体的に捕まえる」=「逮捕された」と言う意味であり,もう1つは「登録する」と言う意味です.
 通訳者は,これを行為と受け取って「逮捕された」と訳しましたが,弁護側の異議申立てにより,15~20分間,弁護側による通訳者の解釈に関する批判を通訳すると言う奇妙な経験をしたそうです.
 最終的に,判事預りとなってこの件は終熄しましたが….

 その日の公判手続きが終了すると,判事,検察官,弁護人が4つの言語で正確に記録された文字起こし原稿を受け取ることが重要な仕事になります.
 これを効率的に進める為,通訳と翻訳者達が進めたのは,以下の方法でした.
 先ず,4言語の法廷速記者がイヤホンから入って来るそれぞれの言語で公判手続きを速記します.
 彼等が法廷で作業をするのは15~20分程度で,彼等は法廷から去り,オフィスに戻って証言の文字起こし原稿を作成していきます.
 午前中任務に就いていた通訳チームが,午後のチームと入れ替わると,彼等はオフィスに戻って文字起こし原稿を翻訳したものと,ワイヤーレコードで記録されているオリジナルとの比較を行い,誤っている箇所(言語の洗練とか編集は除きあくまでもその訂正のみ)を確認,修正して,4言語による報告書を作成していく形を採りました.

 ニュルンベルク裁判は,同時通訳方式が複数言語間で行われた最初の出来事でした.
 この方式を元にして,また,この方法で教育を受けた翻訳者は,その後,国際連合の立ち上げ,NATOの成立時,EECなどの国際機関立ち上げの時にも関わり,成果を挙げています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/09/05 21:28


 【質問】
 国連の敵国条項には,どんな国の名が挙げられているのですか?

 【回答】
 ん? 一般に「敵国条項」というものは国連憲章上には存在しませんよ.
 それと解釈されている国連憲章第107条には,以下のように規定されていて,どの国がと言うのは記述されていません.

------------
第107条〔敵国に関する行動〕
 この憲章のいかなる規定も,第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動で,その行動について責任を有する政府が,この戦争の結果としてとり,又は許可したものを無効にし,又は排除するものではない.
------------

眠い人◆gQikaJHtf2 ;軍事板,2006/02/25(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦が終了した後の物価について教えてください.
 素人考えでは下記の様に,2つの違った可能性が浮かんで分かりませんでした.

膨大な軍需が消失→鉄の値下がり
復興需要→鉄の値上がり

 鉄の値段が上がったのか下がったのか,実際はどうだったのでしょうか?

 【回答】
 海外の話は資料が手元にないので不明ですが,1945年8月時点で,日鐵広畑の場合は,原材料と石炭が枯渇し,製鋼工場の出鋼は急減,作業を再三中止する事態に追い込まれた上,最終的に輸送手段も無くなって,8月31日付で1号平炉は作業休止して平炉は完全に作業中止.
 9月15日には燃料枯渇により分塊,連続鋼片,鋼板の各工場も全面的に作業中止となりました.
 10月11日には主要設備の作業休止によって,自家発電が休止.
 製銑部門の高炉2基操業は,石炭事情逼迫によって困難になり,短期バンキングを繰り返し,最終的に8月23日に第1高炉をバンキング,第2高炉のみ操業を維持したものの,1946年1月7日にバンキング,休風となりました.

 釜石,八幡の各製鉄所も壊滅的な打撃を被っており,供給側は相当数減少しています.
 但し,鋼材を供給されても使うところが有りません.
 とは言え,値上げしようにも統制が未だ掛かっている状態なので,値上げも無理.

 朝鮮銀行などをバッファに中国でのインフレを食い止め,物価は一時的に安定したものの,その後の人口増加などの要因で,物価が上昇し始め,鋼材価格も値上げしなければならなくなる訳で.

眠い人◆gQikaJHtf2
青文字:加筆改修部分

 もっとも,壊滅したおかげで,平炉製鋼法から転炉製鋼法へと,新設備・技術への転換が早く進み,その後のアドバンテージを得ることも出来た.

 古い人に聞いた話で,艦砲を造っていた(民間)工場で,終戦後は,細々と鍋や釜を造っていたというが・・・

 また,終戦後は空襲で燃えた電線を拾って,中の銅線を闇屋に売るなんてことが日常茶飯事にあった.
 軍需はなくなったとはいえ,焼け野原になった日本を復興しなければならないわけだし.

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦後,ドイツもイタリアも旗変えているのでは?
 ドイツは,ナチス時代は鍵十字だったし,イタリアは真中の紋章が消えてるはず.
 国歌もドイツは大戦を反省して現在一番は歌ってませんね.三番のみを歌ってます.
 他の敗戦国は,いろいろ変えたのに日本だけはそのままんま,今さらながらもっと早くこの問題は解決するべきだったんじゃないかと思う.

ぎょろめ

 【回答】
 イタリアの真ん中の紋章は王家を象徴するものであって,ファシスト党とは関係ありません.
 無くなった理由も国王が退位して共和制になったからであって,別に敗戦とは関係ありません.
 ていうか,現在の国旗は北部にあったサロ共和国(1943年以降のドイツの傀儡政権)と同じなんですけど(笑)

 ドイツの鍵十字はアレは,Deutschlandの伝統から外れた異質なものです.
 黒赤金(黒赤白)や緑白赤,日の丸とは別物です.

>国歌もドイツは大戦を反省して現在一番は歌ってませんね.

 別に大戦を反省しているわけじゃありません.
 Memelとかの現在ドイツ領土でない地名が,歌詞に含まれてるからです.
>Deutschland, Deutschland uber alles
で始まる一番は第3帝国時代だけでなく,第2帝国,ワイマール共和国時代も歌われています.
 ベルリンの壁崩壊の際にも歌われておりました.
(それにしても2番が歌われなくなった理由は何なんだろう・・・訳わからんからか?(笑))

>他の敗戦国は,いろいろ変えたのに日本だけはそのままんま,今さらながらもっと早くこの問題は解決するべきだったんじゃないかと思う.

 貴方がそう思われるのは勝手で御座いますが,その他の国民にそれを押し付けないで頂きたい.
(2004年11月16日 20時40分53秒)

名無し地雷犬

 すみませ~んm( __ __ )m
 なんか,間違った情報流してしまったらしいですね.
 ドイツについては,ドイツ人の友人がいるので直接聞いてみます.
 ついでに2番が何故歌わないのかも・・・
 〔略〕
(2004年11月18日 20時36分26秒)

 ドイツは,ドイツの友人に聞きましたが,大戦を境に3番だけを歌うことが選はれたそうです.
 1番はそこで歌われる地名がドイツ領でなくなったこと,2番は単に選ばれなかっただけのようです.
 民主主義になるのを境に,必要のない部分は歌わなくなったとのことだそうです.
 時代とともに国歌も国旗も自然に変化していくものなのだということが,改めて感じました.
 〔略〕
(2004年11月19日 12時33分10秒)

ぎょろめ

以上,「週刊オブイェクト」コメント欄,2004/10/22付より


 【質問】
 エストニアの首都タリン(Talinn)で,1944年のソ連軍によるエストニアのナチス占領からの「解放」を記念する2メートルの立像を,なぜ撤去したのか?

 【回答】
 エストニア人にとっては,ソ連軍は解放者などではなく,植民地化と弾圧の象徴のようなものであるため.
 ソ連軍が1940年6月にエストニアを占領して以後,1991年までに何万人ものエストニア人がソ連によって殺されたり,収容所送りになったり,弾圧されたりした.
 また,ソ連の他の非ロシア地区同様,エストニアにはロシア人が労働者として,あるいは軍人として送り込まれ,現在でも30万人ものロシア系がエストニアに居住している.
 エストニア人からは,これは植民地化政策であると受け止められている.

 詳しくは太田述正コラム#1751(2007.4.29)を参照されたし.
 元ソースは外電記事なので,並み程度の信頼性はあるだろうと愚考する.



 【質問】
 立像撤去に対し,なぜロシア系住民の暴動が起き,ロシアからも非難の声が上がったのか?

 【回答】
 ロシア側から見れば,独立後のエストニアでロシア系が二級市民扱いされていることへの腹立ちもあるが,根本的な問題は,ロシアでいまだにソ連時代の第二次世界大戦史観が維持されているため.
 エストニアのロシア系も視聴している,ロシアの国営メディアは,そうした史観に基づく,ナショナリスティックな一方的な物の見方を視聴者に吹き込んでいる.

 ちなみに,ロシア国内では,第二次世界大戦の記念碑が壊されてもほとんど問題にされていない.
 例えば,2007年4月には,モスクワの郊外で道路拡張のため,6人の操縦士の墓が撤去されたが,抗議の声はほとんど挙がらず,1人抗議した人物は,警官に殴打されたという.

 詳しくは太田述正コラム#1751(2007.4.29)を参照されたし.
 元ソースは外電記事なので,並み程度の信頼性はあるだろうと愚考する.

戦勝記念日@ロシア in 2008
(画像掲示板より引用)


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