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<第二次大戦FAQ



 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍の火炎放射器について簡単に教えてください.
Kérem, könnyen mondja meg az magyar honvédségi lángszóró a második világháborúban.

 【回答 válasz】
 近代兵器としての火炎放射器の始まりは,ドイツの技師リヒャルト・フィードラーによるもので,1901年のことだとされている.
 ところが一部の人には,ハンガリー人のサカーツ・ガーボル Szakáts Gábor こそが火炎放射器の発明者だと信じられている.
「影響くらいは与えたかもしれないが…」
と,現在のハンガリー国防省の見解は否定的だが…

 それはともかく,第一次大戦ではオーストリア=ハンガリー軍でも火炎放射器は用いられた.
 火炎放射器は第一次大戦では最も危険な兵器の一つだと思われ,戦後,サカーツは戦犯リストに載ったほどである.

 結局,サカーツは刑を免れ,その後も発明を続けたが,殆ど報われることは無く,1937年に困窮の内に死去した.
 ハンガリー軍がトリアノン条約の軛を脱して再軍備を宣言したのは,その翌年のことで,火炎放射器の調達もその年から始まったから,もしこれがもう1年早ければ,サカーツの運命も違っていたかもしれない.

 その火炎放射器は,その時期の他の多くの兵器同様,イタリアからの輸入だった.
 国際情勢上,ハンガリーに兵器を売ってくれる国はイタリアかドイツかスウェーデンくらいだったからだ.

 まず,1938年にLanciafiamme Spalleggiato Mod.35を輸入.
 しかしこれは不採用になったようで,その後,やはりイタリアから輸入して,ハンガリー軍の制式兵器 lángszóró 41.Mとなった.
 41.M,すなわち41年制式.
 ゆえに,輸入されたのはLanciafiamme Spalleggiato Mod.40またはMod.41ということになる.

 火炎放射器を操作する兵士には,防護服が用意された.
こちらより引用)
 兵士前面と側面を保護する前掛け式の服,ヘルメット,そして手袋.
 火炎放射器は東部戦線に投入されたが,ごつい防護服着用の写真はあまりない.
 まあ,実戦において動きの鈍くなる服は着たくないだろうし…

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/376256/en/
http://www.honvedelem.hu/cikk/54291_ordogi_harceljarasok
http://mtklub.blog.hu/2008/01/03/szakats_gabor_meltatlanul_mellozott_feltalalonk?token=170711ece2a184d8255a17a73018f86f

サカーツ・ガーボル肖像写真
(wikipediaより)

イタリア軍のLanciafiamme Spalleggiato Mod.41写真
(wikipediaより)

火炎放射器を構えながらパトロールするハンガリー軍兵士
1942年12月,ロシアのヴォロネジ Voronezh にて
こちらより引用)

mixi,2017.2.13


 【質問 kérdés】
 41.M 火炎放射器とは?
Mi az 41.M lángszóró?

 【回答 válasz】
 41.M 火炎放射器は,重量22kg.
 ドイツの Flammöl 19と同じ液体燃料7号,7リットルを搭載した.
 この燃料は,タールと混合されて重量を増しており,それにより射程距離を増した.
 もう一方のタンクには高圧ガス propellant としてニトロゲンが使われており,タンクの内圧は30バールだった.
 燃料はトーチ点火器またはflambeau によって点火された.
 flambeau は写真1に見ることができるような,バレル先端に取り付けられた発火物質だった.
 この二重点火機構は,イタリアの"bengalotto"と呼ばれるイタリア・モデルのflambeau に酷似していた.
 火炎は10~12秒継続し,最大攻撃範囲は30m.
 炎の長さはコントロール・バブルで調節することができた.
 火炎放射手は,石綿でできた防護服&手袋を着用した.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434847/en/

2017.6.24


 【質問 kérdés】
 43.M 火炎放射器とは?
Mi az 43.M lángszóró?

 【回答 válasz】
 1943.11.21にハンガリー軍に採用された火炎放射器.
(写真1)
 重量は22kgで19号燃料7リットルを搭載し,推進剤としてニトロゲンを使い,内圧30バールといった点では,41.Mとは変わらない.
 しかし,外観は一新している.
 イタリアやドイツの火炎放射器にこれと似たものはないことから,41.Mをハンガリー独自に改良したものと思われる.
 41.Mのタンクは41.Mに比べて丸くなり,放射バレルも変わった.
 それはより厚くなっており,液体燃料を発火させるのに水素トーチを使っていると考えられている.
 チューブの上の直方体はおそらく,旧式のスパークトーチ,またはスパーク・プラグを作動させるダイナモである,第2の点火機構に属するものだろう――高圧流体ジェットが小型ロータのブレードをタービンのように押し出し,磁気ロータはダイナモのように働き,電気エネルギーはバレル先端にある点火プラグにワイヤで伝わる.
 こうしたメカニズムはイタリアのMod.40 火炎放射器でも用いられたものである.
 オペレーターが防護服を着用しなかったという事実は,43.Mが41.Mよりも安全であることを示唆している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434847/en/ ※写真1引用元

2017.6.25


 【質問】
 WW2ハンガリー軍の使っていた主な機関銃を教えてください.

 【回答】
 オーストリア=ハンガリー時代からあった一部を除き,基本的には全て輸入またはライセンス生産.

Solothurn 31. M Golyószóró

シュワルツローゼ重機関銃
 1907年にオーストリア=ハンガリー軍によって制式採用された機関銃.
 第一次大戦後もハンガリー軍はその一部を「相続」
 1931年には使用弾薬を変更するよう仕様を変更,Schwarzlose MG M.07/31と称した.

マドセン軽機関銃
Madsen Könnyü Géppuska (Golyószóró) 24.M

ラインメタルMG34
グロスフスMG42
 ドイツ軍の超有名汎用機関銃.
▼ 1944年,MG34は34.Mシュタンゲ Stange 機関銃として,MG42は42.M グルノヴ Grunow 機関銃として制式採用.▲

ラインメタルMG131
 ドイツの航空機用機関銃.

▼ショーシャ軽機関銃 FM Mle1915 CSRG
 ドイツ軍がフランス戦で鹵獲したもの.
 1940年にハンガリー軍に譲渡され,1942~1943年のソ連領占領地警備部隊の一部,また,1944年には矢十字党民兵部隊に配備された.

ブルーノZB26軽機関銃
 1926年にチェコスロバキアで開発された軽機関銃.
 ハンガリー軍ではソ連領占領地警備部隊および予備役部隊に配備.

ソ連軍の各種機関銃
 戦場で鹵獲.
 デグチャリョフDP28軽機関銃やマキシム重機関銃を,記録映画や写真の中に発見することができる.▲

 【参考ページ】
http://www.hungariae.com/Madsen.htm
http://www.hungariae.com/Gebauer.htm
http://www.avalanchepress.com/HungarianArmy.php
http://live.warthunder.com/post/434735/en/
http://live.warthunder.com/post/434781/en/

mixi, 2017.1.13
2017.6.21追記


 【質問 kérdés】
 24.M マドセン軽機関銃とは?
Mi az 24.M Madsen Könnyü golyószóró?

 【回答 válasz】
 1902年にデンマーク軍によって制式採用された軽機関銃.
 実用的な軽機関銃としては世界初のものであり,12の異なる口径で34ヶ国に輸出された.
 オーストリア=ハンガリー軍では1914年に632挺輸入.
 大戦後,ハンガリー軍が一部を継承した.
 1931年,ゾロターン軽機関銃が導入されると,マドセンは予備保管武器となったが,1943年に再就役し,主として対空機銃として使われた.
 その際には7.92x57mm モーゼル弾が使用されている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434735/en/
http://www.hungariae.com/Madsen.htm
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/24569-magyar-vagy-magyar-vonatkoz%C3%A1s%C3%BA-rep%C3%BCl%C5%91g%C3%A9pek/&page=5

https://www.youtube.com/watch?v=zpF2hS2avd8

2017.6.20


 【質問 kérdés】
07/31.M シュワルツローゼ機関銃とは?
Mi az 07/31.M Schwarzlose géppuska?

 【回答 válasz】
 シュワルツローゼ重機関銃は,ヨーロッパでは有名なドイツ人技師アンドレアス・ヴィルヘルム・シュワルツローゼによって1902年に設計され,1905年からオーストリアのシュテア・マンリッヒャー社によって生産された.
Schwarzlose nehéz géppuska a német származású Andreas Wilhelm Schwarzlose, a korban Európa szerte ismert konstruktőr 1902-ben tervezte meg és 1905-től kezdték gyártani az ausztriai Steyr Mannlicher-ben.
 水冷式で,遅延反動式(ブローバック)が採用されている.
 1907年にオーストリア=ハンガリー軍の制式兵器となり,第二次大戦後もこの機関銃はハンガリー軍によって使われ続けた.

 1931年,この機関銃は8x56 mmR弾を使用するよう改修された.
 この改修されたものが,07/31.Mと称される機関銃である.
(写真1)
 新しい弾薬用に,薬室を再穿孔.
 また,新しい目盛りのリアサイトをつけた.
 初速は700m/sに増加.

 しかし,新しいポイント弾(円錐形の弾丸)は,それ以前のラウンド・ノーズド弾(円柱形の弾丸)のようには薬室に納まってはくれなかった.
 射撃中にポイント弾は,薬室と銃身の中で,適切な誘導も密閉も無いまま数mm移動してしまい,圧力損失や機能上の問題を引き起こした.

 この問題を解決するため,銃身のその領域を,薬室を穿孔する前に,内径がより小さくなるよう冷間プレスした.
 これにより,初速は730m/sに増え,また,信頼性もより高くなった.

 また,ブローバック機構を,より強いスプリングでフィッティングさせたが,発射速度は毎分580発と変わらなかった.
 給弾方式は100発または250発のキャンバス製給弾ベルトによるものだったが,第二次大戦では金属製給弾ベルトも使用された.
 銃架は原型そのままの三脚架だったが,対空機関銃架(写真2)も使用された.

 1942年12月,ハンガリーはドイツのMG42機関銃のライセンスを購入し,旧式となっているシュワルツローゼ機関銃をMG42に交換しようとした.
 しかし,MG42がハンガリーで生産されることはなく,ハンガリーは1944年,ドイツから供与されたMG42を使用することになった.

 なお,大戦勃発後,ドイツではオランダ占領時にシュワルツローゼ機関銃を鹵獲し,ハンガリー軍などに供与している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434781/en/ ※写真1~2引用元
https://www.masodikvh.hu/haditechnika/kezifegyverek/magyar-kezifegyverek/1729-schwarzlose-190731-m-geppuska
http://honvedlap.tapolcanet.hu/fegyvertar14.html

2017.6.21


 【質問 kérdés】
 07/43.M シュワルツローゼ機関銃とは?
Mi az 07/43.M Schwarzlose géppuska?

 【回答 válasz】
 1943年,1943年,ハンガリー軍は正式に7.92x57mm マウザー弾を採用した.
 既存の07/31.M機関銃の銃身は,7.92mmのものに交換され,最初からその銃身を備えたシュワルツローゼ機関銃も生産された.

 ブダペシュトがソ連軍に包囲されても生産は続けられ,完成した軽機関銃は工場から直接部隊に届けられた.
 ソ連軍が市街戦で兵器工場を占領する前に,生産設備や部品は街の全域に分散され,銃を完成することを可能にしていた.
 弾薬が共通だったため,43.M軽機関銃は,43.M小銃を装備した部隊に支給された.
 ソ連軍がブダペシュト占領を宣言した後も,ハンガリー人との戦いは長く続いたという…

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434781/en/

2017.6.22


 【質問 kérdés】
 31.M ゾロターン軽機関銃とは?
Mi az 31.M Solothurn Golyószóró?

 【回答 válasz】
 1931年,ハンガリーはスイスのゾロターン社会から,2,000~3,000挺のゾロターンS2-200軽機関銃を,ライセンス込みで購入した.
 S2-200,またはMG30とも呼ばれるこの銃は,ドイツが軍備制限逃れのためにスイスに作ったダミー会社,ゾロターン社で1930年代に生産されたもの.
 ハンガリーでは,31.M ゾロターン軽機関銃として,ダヌヴィア Danuvia 社において,生産開始した.
 その際,ハンガリー軍が同年に使用を開始した,新型の弾丸,8x56 mmリムカートリッジを発射するよう改修されている.
(写真1)
 初速は730m/s,発射速度は600発/分だった.

 この銃はショートリコイル反動利用式.
 給弾は25発入りバナナ型弾倉によるもので,銃本体の左側面に水平にこれを挿した.
 引き金にはセミオートとフルオートの選択機能があり,引き金の上半分の窪みを引くとセミオート,下半分の窪みを引くとフルオートになった.

 この銃は回転ボルト閉鎖方式を採用している.
 ボルトを固定するためにロッキング・リングを用いており,これは銃身延長部の末端に位置している.
 ロッキング・リングの内側には,ボルト(遊底)後部に切られたラグ(突起)と噛みあう,ボルトの後退を妨げるためのネジ山として,6つのロッキング・ラグが配置されている.
 ボルトを固定したり解放したりするリングのローテーションは,リングの外側に取り付けられたローラーによって制御される.
 銃身とボルトが結合し一体となった部品が後退中,これらのローラーはレシーバー(機関部)の中に斜めに切られたカム道を辿る.
 これによってリングが回転し,銃身とボルトの結合が解け,ボルトだけがさらに後退し排莢する.
 後退したボルトは圧縮された復座バネの力で前進し,次弾を装填し,銃身と再結合し,銃身を元の位置へ戻す.

 この銃の問題は,ボルトが潤滑されていなければならないことで,そのため極寒の環境ではボルトが凍結した.
 ハンガリーでは31.M マンリッヒャー小銃に使用したものと同じ低温用ボルト潤滑剤を使用して,この問題を回避した.

 バレルジャケットの延長上に管状のレシーバーが繋がっている.
 コッキング・レバーがレシーバー右側面にある.
 銃床内には管があり,復座バネと,そのガイドが収納されている.
 銃身の冷却方法は空冷式.
 また,銃身は容易に交換が可能だった.

 この銃は二脚架で使用されたが,19.1kgの三脚架に載せることで,重機関銃としての運用も可能.
(写真2)
(図1)

 特殊な対空マウントに載せ,対空機関銃としても使用された.
(写真3)
(図2)

 生産数は10,000以上.
 戦争の全期間を通じて使用された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434735/en/ ※写真1~3 & 図1~2引用元
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_gu_31.html
https://www.masodikvh.hu/haditechnika/kezifegyverek/magyar-kezifegyverek/1730-solothurn-31-m-golyoszoro

2017.6.18


 【質問 kérdés】
 43.M ゾロターン軽機関銃とは?
Mi az 43.M Solothurn géppuska?

 【回答 válasz】
 1943年,ハンガリー軍は正式に7.92x57mmマウザー弾を採用.
 これにより既存の31.M軽機関銃の一部は,銃身を新しい7.92mmのものに交換され,また,最初から7.92mm銃身を備えた軽機関銃も新造された.
 それまでの25発入り弾倉は,30発入りの新型に変更.
 初速は760m/sに増加したが,発射速度は毎分500発に減少した.

 ブダペシュトがソ連軍に包囲されても生産は続けられ,完成した軽機関銃は工場から直接部隊に届けられた.
 ソ連軍が市街戦で兵器工場を占領する前に,生産設備や部品は街の全域に分散され,銃を完成することを可能にしていた.
 弾薬が共通だったため,43.M軽機関銃は,43.M小銃を装備した部隊に支給された.
 ソ連軍がブダペシュト占領を宣言した後も,ハンガリー人との戦いは長く続いたという…

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434735/en/

2017.6.20


 【質問 kérdés】
 FÉG 29.M拳銃とは?
Mi az FÉG 29.M pisztoly?

 【回答 válasz】
 FÉG社において1929~1935年に製造されていた,シングル・アクション式の自動拳銃.
(写真3)
 設計は,第一次大戦から使われた拳銃,「フロンマー・ストップ」を手掛けた銃器デザイナーのルドルフ・フロンマー.
全長:172mm
銃身長:100mm
重量:750g

 作動は,ロングリコイル方式のフロンマー・ストップとは異なり,シンプルブローバック方式を採用.
 コッキングセレーションは大型だが,スライドはよりコンベンショナルなデザインになった.
 グリップセイフティとグリップ底部のマガジンリリースレバーはフロンマー・ストップと同様の設計.
 弾丸はフロンマー設計の9×17 mmSR を使用.
 ただしブローニング・ショートカートリッジも発射できた.
 レアだがストック・アタッチメントも開発されている.(写真2)

 29Mはハンガリー陸軍と空軍に採用され,合計50,000挺が製造された.

 1933年には,練習用・競技用として.22口径モデルも登場.
 また,トリガーユニット内蔵のセミグリップストックと大型フォアグリップを装着したカービンモデルも少数ながら開発された.
 ただし,銃身長はそのまま.

 1937年,改良モデルの「37.M」が登場.
(写真1)
 このときフロンマー技師は既に死去しており,この銃への彼の関与は限られたものだったと見られている.

 29Mとの主な違いは,スライド後部に固定されたコッキンググリップを廃止してノーマルタイプへ変更,ハンマーの小型化,弾倉底部にフィンガーレストを追加,など.
 ただし,フロンマー・タイプのグリップレバーが唯一の安全装置だったのは相変わらず.

 弾倉は7発入りで,初速は274 m/s.
 ただし,300 m/sとなっている資料もある.

 37.Mは29.M拳銃のホルスター(写真1左下)に収納することができたが,37.M専用のホルスターも作られている(写真1右下)

 こちらは1942年まで300,000挺が製造された.
 品質は優れており,射撃精度も高く,実戦向きでもあったので,ユーザーからは好評だった.

 さらに,.32ACP弾が使用できるように改修したモデルも開発された.
 ハンガリー軍が使用していた37Mは.380ACPモデルだが,こちらはドイツ軍向けに生産されたもので,製造コードは「jhv 41」.
 ドイツ軍側名称は「P37(u)」で,50,000挺を主としてドイツ空軍が使用した.
 オリジナルの37Mにはマニュアルセイフティは無かったが,P37(u)にはフレーム左側後部にレバーが追加された.
 1343年に,ドイツから35,000挺の追加発注があり,1944年3月までに生産を終えた.
 第二期生産分には"jhv 43"または "WaA173"と刻印された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://mgdb.himitsukichi.com/pukiwiki/?%BC%AB%C6%B0%B7%FD%BD%C6%2FFEG%2029M
http://www2.odn.ne.jp/~cdh17500/WorldGun/SetAllETC.htm
http://live.warthunder.com/post/433910/en/ ※写真3引用元
http://live.warthunder.com/post/434059/en/ ※写真1引用元
http://www.hungariae.com/From29.htm ※写真2引用元
http://candrsenal.com/pistol-hungarian-29m/

https://www.youtube.com/watch?v=1ZiwD-aGsE0

2017.6.12


 【質問 kérdés】
 31.M マンリッヒャー小銃とは?
Mi az 31.M Mannlicher ismétlőpuska?

 【回答 válasz】
 1931年,ハンガリー軍はオーストリア=ハンガリー時代から使われてきた8x50mm小銃弾を,オーストリアのリム付き8x56 mm弾に置き換えることにした.
 新弾薬はストレート・プル方式のマンリッヒャー小銃M1890やM1895に最初に使用され,これら小銃がハンガリーでは31.M と呼ばれた.
(写真1)
 これらはオーストリア=ハンガリー時代のものに似ており,依然としてストレートプル方式のボルトアクションで,取り外し可能なボルトヘッドの2つのラグがレシーバにかみ合っていた.
 一部の銃はカービン銃の長さに銃身をカット,これは31/A.Mライフルと呼ばれた.
 また,8x56 mmR小銃弾用に薬室改造がなされると共に,1926年にハンガリーはメートル法を採用したことにより,新しいリア・サイトを装備した.
 さらに正面視力プロテクターも新しくなった.
 薬室上部には8-12mmの文字「H」の刻印が,浮き彫りにされていた.
 改造と生産はFÉG社によって行われた.
 弾倉は5発入りで箱型.
 初速は680〜720m/s.
 95.M銃剣を装着することができた.
 射撃精度は比較的高く,弾着分布は20発射撃して,距離100mで14x10.5cmだった.

 少数の長銃身M95ライフルもまた,政府警護用に31.Mに改修された.
 この銃は握把がクローム・メッキされ,スリングは革ではなくカンバス布,そしてガーズ・クレスト Guards Crest のための肩当てカバーがあった.
 バヨネットも特別な,長いものだった.

 戦間期,このライフルの就役期間は短かった.
 35.M小銃の採用により,予備保管兵器となったからである.
 だが,残存していた31.Mは,1940年に現役復帰し,主として予備役やソ連占領地域の警備部隊に配備された.
 東部戦線では小銃の凍結に悩まされたが,ハンガリー軍は解決策を見出した.
 それは低融点のボルト潤滑剤を使うというものだった.
 31.M小銃は極寒の中でも作動することができた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434635/en/ ※写真1引用元
http://www.hungariae.com/Mann31.htm

2017.6.14


 【質問 kérdés】
 33.M マンリッヒャー小銃とは?
Mi az 33.M Mannlicher ismétlőpuska?

 【回答 válasz】
 第一次大戦時,極寒の東部戦線において,ストレート・プル方式のマンリッヒャー小銃が,潤滑油のグリースが凍結して作動不能になったという経験から,旧二重帝国時代のM95 マンリッヒャー小銃を改良したもの.
(写真1)
 1895年式マンリッヒャー小銃の良さを生かしつつ,マンリッヒャー=シュナウアー Mannlicher–Schönauer タイプのターン・ボルト方式を備えた銃(写真2)にしようとしたもので,33.Mと命名された.
 1933年式の意味である.
 この銃は,より強力な弾丸である8x56mm リム付きの31.M弾薬を使用し,より耐久性を高めた.

 33.Mは35.M小銃のプロトタイプとなった.
 33.Mを35.Mに改修するにあたって,銃剣装着方式はGew.98タイプからベルティエ Berthier タイプに変更された.
 ただし,自転車偵察部隊といった特殊な兵科では,銃剣ラグは移動時に危険が生ずるため,スタッキング・ロッドに置き換えられている.
 また,強度を増すため,ボルト・ハンドルをレシーバー・ブリッジより前方へ移動.
 前腕と肩当てとの間にあったレシーバー・バンドをレシーバー後方に移動させた.
 さらに,アリサカ型スライドアクションカバーは廃止になった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434660/en/
http://www.hungariae.com/Mann33.htm ※写真1~2引用元

2017.6.16


 【質問】
 FÉG 35.M小銃について3行で教えてください.
Kérem, mondja el az A FÉG 35.M ismétlőpuskát a három sorban.

 【回答】
 35.M マンリッヒャー小銃とも呼ばれる.
 FÉG 35 M.小銃は8×56 mm R 小銃弾を発射する,遊底スライド式のボルト・アクション・ライフルで,FÉG社において製造された.
A FÉG 35 M. ismétlőpuska egy magyar fejlesztésű forgó-tolózáras puska, amely a 8×56 mm R töltényt tüzeli, a FÉG gyártotta a második világháború végéig.
 マンリッヒャー小銃をルーツとする95/31Mカービン銃を改良したもので,前線での交換が困難であり,かつ寒さで凍結し易い straight-pull 機構に変えて,rotating bolt 機構が採用されている.
 1935年から製造が始まり,第二次大戦後も,ソ連設計のモシンナガン小銃に置き換えられる1950年代まで製造が続けられた.

 【参考ページ】
http://elfnet.hu/haditechnika/kezifegyverek/feg35m.php
http://www.hungariae.com/Mann31.htm
http://www.militaryfactory.com/smallarms/detail.asp?smallarms_id=633
http://live.warthunder.com/post/434660/en/

FÉG 35 M.小銃
こちらより引用)

https://www.youtube.com/watch?v=YGYuoJlLp8k

mixi, 2017.1.2


 【質問 kérdés】
 ゲヴェーアG98/40小銃って何?
Mi az Gewehr G98/40 puska?

 【回答 válasz】
 35.M小銃の派生型の一つで,1940年,ドイツとの契約により再設計されたもの.
(写真1)
 ドイツ側の要請により,口径は7.92x57mmモーゼル弾用に変更され,ボルト・ハンドルは下げられ,千鳥状に弾丸を収納するマウザー・タイプの弾倉が,ストックの底面と面一に並ぶような形に取り付けられた.
 そして,ドイツのM98タイプの吊革と銃剣ラグが付いた.
 この銃は,ボルトを含む全ての鋼製部品が青色に塗装された.

 ドイツ軍はこの銃をG98/40と呼称し,レシーバー左側に刻印した.
(写真2)
 また,生産を行ったFÉG社は,ドイツ向け兵器であることを示す「jhv」コードの刻印を,薬室上部に行った.
(写真3)
 この銃のWaffenAmptsはWaA56(1941-42)とWaA173(1943-44)だった.

 生産データ:
1941年: 37000挺 - [est: 0001a - 7000d] (reported: 9500a - 6579d)
1942年: 28000挺 - [est: 7001d - 5000g] (reported: 7012e - 2163g)
1943年: 50000挺 - [est: 5001g - 5000l] (reported: 5355i - 5800k)
1944年: 23400挺 - [est: 5001l - 8400n] (reported: 5535l - 2679m)
合計 138400挺

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434660/en/
http://www.hungariae.com/Mann9840.htm ※写真1~3引用元

https://www.youtube.com/watch?v=OMOZkZP_40c

2017.6.16


 【質問 kérdés】
 FÉG 43.M 小銃とは?
Mi az FÉG 43.M ismétlőpuska?

 【回答 válasz】
 43.M マンリッヒャー小銃とも呼ばれる.
 1943年にドイツから発注されたG98/40小銃の成功はハンガリー軍総司令部に,7.92x57mmのマウザー弾を使う新型ライフルを採用する気にさせた.
 43.M小銃は,5発を内蔵するストッパー・クリップである内装式弾倉 internal magazine を持つG98/40小銃に,35.M小銃のようなバレル・バンド,ノーズキャップまたは銃剣ラグ,そしてスリング・スイベル sling swivel をつけたものとなった.
(写真1)

 銃の作動方式はマンリッヒャー式の回転ボルト方式であり,ボルトハンドルに加え,レシーバー内部へ向かうボルト本体の上の2つの回転ラグによりロックされていた.
 ボルトはツーピース・ボルトであり,ボルトが前方にあるときには,レシーバーブリッジの前方にボルト・ハンドルが位置する.
(図1)
 ボルトは表面にギザギザがつけられ,ハンドル底面に対して約45°回転される.
(写真2)
 ボルトを含む全ての金属部品は,青く塗装されていた.
 発射する弾は7.92x57mm マウザー弾(ハンガリー軍はこれを43.M 弾薬と称した)であり,初速は760-780m/s.
 35.M銃剣を装着することができた.
 木材部品は1944年まではクルミ材,1944年から生産終了までは合板だった.
Anyagaik 1944-es évig diófa, 1944-es évben laminált faanyagra váltottak a termelés leállásáig.

 この銃の生産はFÉG社によって行われたが,1944年後半,連合軍の空爆やソ連軍のハンガリー侵攻により,何度も中断.
 半完成の銃や部品,工作機械はブダペシュト全域に分散し,地下室に多数の銃器工房を開設し,可能な限り多くの小銃を完成させた.
 ブダペシュト包囲の中でも小銃生産は続けられた.
 ソ連軍が市街戦により生産設備を占領するまで,そうした小さな銃器工房から前線へと銃は届けられ,ソ連軍がブダペシュト占領を宣言して以降も,そうしたハンガリー人の勇敢な戦いは続いた.

 第二次大戦後も,1947年に生産設備を修復して43.M小銃の生産が再開されたが,ソ連軍の圧力により,ハンガリー軍の装備がソ連式に切り替わったため,この銃の生産は終了した.
 43.M小銃の正確な生産数は判明していないが,90,000挺という数字が,複数の情報源で挙げられている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/43_M._ism%C3%A9tl%C5%91puska
http://live.warthunder.com/post/434699/en/ ※写真1引用元
http://modernfirearms.net/rifle/repeating-rifle/hu/43m-e.html
http://www.hungariae.com/Mann43.htm ※写真2&図1引用元
http://elfnet.hu/haditechnika/kezifegyverek/feg35m.php

https://www.youtube.com/watch?v=FVojDUEmfjs

2017.6.17


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍が使用した外国製小銃は?
Mi az idegen gyártmányú puskák, amit használt a magyar?

 【回答 válasz】
・フランス製のマンリッヒャー=ベルティエ Mannlicher-Berthier
 ライフル銃&カービン銃.
 1940年,ドイツから供与されたもの.
 1942~43年にソ連占領地域維持部隊に,1944年に矢十字党民兵に配備された.

・ドイツ製の Kar 98k
 狙撃型が少数,ハンガリー軍の狙撃手によって使われた.

・ロシア製のライフル銃&カービン銃
 鹵獲したトカレフSVT-40半自動小銃を使用している姿が,写真や記録フィルムに多く残っている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434635/en/

2017.6.15


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍の銃剣について教えてください.
kérem, mondja meg a magyar szuronyei a Második világháborúban a három vagy több sorban!

 【回答 válasz】
 主に以下のようなものがあった.

・1890/1931.M Szurony
(写真1左)
 第一次大戦において,1890.M マンリッヒャー小銃用として使われたものだったが,1931年に改修され,31.Mカービン銃に装着できるようになった.

・ 1935.M Szurony
(写真1右)
(写真2)
 35.Mカービン銃に装着するもので,31.Mバヨネットよりも長くなった.
 31.Mバヨネットとは装着方法が異なっており,35.Mバヨネットは31.Mカービン銃に装着することはできず,31.Mバヨネットは35.Mカービン銃に装着することはできなかった.
 一方,35.Mはダヌヴィア短機関銃にも装着可能だった.
 (図1)は,銃剣のついた43.M ダヌヴィア短機関銃を持った空挺部隊兵士.

 31.Mや35.Mは陸海水軍,共に使われた.
 勤務服や正装においても,多くの兵士がバヨネットを装備した.

・憲兵銃剣 csendőrszurony
(写真3)
 憲兵隊員用.
 31.Mや35.Mよりも長かった.

▼ 写真4は志願兵用の銃剣タフト(房) szurony bojt
 勤務服や正装を着ての儀典において使用された.
 陸水空軍の兵卒・下士官用.
 タフトは茶色で円環状の飾りがあるが,「聖なる王冠」の飾りは無い.
 憲兵隊用のものは一方の側に「聖なる王冠」の飾りがあった.
 写真5は,その着用方法を示している.

 なお,憲兵隊用のタフトは剣にも使われた.▲

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/409316/en/ ※写真1,3引用元
http://www.csendor.com/konyvtar/irasok/magyar/M%20Kir%20Csendorseg%20szuronyai%20-%20Haasz.pdf
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_sz_s_5.html ※写真2引用元
http://live.warthunder.com/post/409353/en/ ※写真4引用元
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_sz_s_5.html ※写真5引用元
https://live.warthunder.com/post/459816/en/ ※図1引用元

2017.4.19
2017.4.27追記 utóirat


 【質問 kérdés】
 43.M小銃擲弾筒とは?
Mi az 43.M puskahomlokátor?

 【回答 válasz】
 1943年,ハンガリーはドイツの擲弾筒 Gewehrgranatgerät 42のライセンスを購入して生産を開始した.
 ドイツ人はこれを俗に "Schiessbecher"と呼んでいたが,ハンガリー人はこれを"Tromblon" ("ブランダーバス")と呼んだ.
(写真1)
 「Tromblon」500基と小銃榴弾20,000発がライセンスと共に輸入された.
 ハンガリーでの生産は1944年1月に始まり,毎月50,000発の小銃擲弾が生産された.
 しかし生産総数は分かっていない.

 この擲弾筒は30mm 43.M擲弾を400~500m遠方へ飛ばすことができたが,有効射程距離は30mだった.
 また,30mm 43.M成形炸薬弾を用いた場合は,距離100~120m,垂直角度で70~80mmの装甲を貫通することができた.

 この擲弾筒は35.Mまたは43.M小銃に装着できた.
 31.M マンリッヒャー小銃に装着できたかどうかは定かではないが,できた可能性が高いという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438343/en/ ※写真1引用元

2017.6.22


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍の使用した手榴弾は?

 【回答 válasz】
31.M ヴェシツキイ手榴弾
36.M ヴェーチェイ手榴弾
37.M デメテル手榴弾
42.M ヴェーチェイ手榴弾
43.M煙幕手榴弾
43.M 攪乱手榴弾
38.M,38/A.M,39.M,39/A.M 焼夷手榴弾
・モデル24 Stielhandgranate(ドイツ製)
・モデル39 Eihandgranate(ドイツ製)
・モデル43 Stielhandgranate(ドイツ製)
・鹵獲したソ連軍の手榴弾

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/437242/en/

2017.7.3


 【質問 kérdés】
 31.M ヴェシツキイ手榴弾とは?
Mi az 31.M Wesiczky kézigránát?

 【回答 válasz】
 1931年にハンガリー軍が採用した手榴弾.
(写真1)
(写真2)
 ヴェシツキイとはこの手榴弾の開発者の名前だが,開発者の正確な名前は今日では不明.
 この手榴弾にはいくつか欠陥があり,次第により新型の手榴弾に置き換えられたが,それでも1938年4月時点で,ハンガリー軍にはこの手榴弾がまだ約322.000個残っていた.
 衝撃作動式信管だったため,敵がこの手榴弾を投げ返すことは不可能だったが,その代わり,丘を転がっていってその背後に潜む敵を吹き飛ばすことも不可能だった.
 この手榴弾にはTNT火薬115gが装填されており,有効危害半径は5~10mだった.
 実戦用の手榴弾は当初は黒,後に赤く塗装された.
 practice grenades は青,practice grenade は黄色だった.

 兵士がヴェシツキイ手榴弾を携行する際は,安全装置である金属製のカップを外す必要があった.
 信管が作動するのを防止するため,左に回さねばならなかった.
 投擲前には,クリック音が聞こえるまで安全装置を押し下げる必要があった.
 軸周りにそれを一回転させ,その31.Mを投げた.
 この回転により,手榴弾から安全装置が解除され,衝撃作動式信管が活性化された.
 安全装置が最終的に解除されるには10m以上投げられる必要があったので,投げた者にとっては安全だったが,到底距離が十分にない対戦車戦闘・市街戦ではこの手榴弾は使えなかった.

 この手榴弾のもう一つの欠陥が衝撃作動式信管だった.
 このため,例えば深い降雪時のような,接地面が柔らかいところでは爆発しなかった.

 なお,スイスは31.Mのライセンスを購入し,攻撃用手榴弾1932(O. H-G.32)と称して生産した.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/437242/en/ ※写真1~2引用元

2017.6.27


 【質問 kérdés】
 36.M ヴェーチェイ手榴弾とは?
Mi az 36.M Vécsey kézigránát?

 【回答 válasz】
 1936年,ハンガリー陸軍のヴェーチェイ・ゾルターン Zoltán Vécsey 大尉によって開発された手榴弾.
(写真1)
 ただ,外見がイタリア軍の手榴弾と似ていること,また,当時,イタリア軍との間に協力体制があったことから,イタリア軍のそれを大いに参考にしただろうことは,想像に難くない.

 1937.12.11,ハンガリー陸軍によって制式採用された.
 上端に親指置きのついた型の手榴弾もあった.
(上掲写真右側)

 この手榴弾内部は,爆発物と信管のついた2つの小容器から成っていた.
 こちらが分解写真.
写真2
写真3
 こちらは内部図解.
 炸薬容量はTNT火薬85g.
 有効危害半径 5~10m.
 実戦用の手榴弾は赤,投擲訓練用 practice grenadesは青,trainer grenadesは黄色で塗装されていた.
(※訳注:訳し分け不明)

 この手榴弾を起爆させるには,革製の「舌」を引っ張る必要があった.
 舌はU字形の鋼線でできた安全ピンに繋がっており,砲丸投げの要領で体を回転させながら投擲すると,この安全ピンが外れ,手榴弾は地面に落下する等の何らかの衝撃を受けると爆発するという仕組み.
 この一つ前の型の手榴弾,Wesiczky 手榴弾に引き続き,衝撃作動式信管を採用していた.
 6m以上遠くに投げれば安全とされたが,そのために市街戦や対戦車戦闘のような近接戦闘ではこの手榴弾を使うことができなかった.
 また,衝撃信管であったために,柔らかい地面などでは信管が作動せず,例えば冬季戦では,積雪が80cm以上あると雪の積もった地面に投げても30%は爆発しなかった.

 衝撃信管であるため,何らかの衝撃を受けて爆発するような手榴弾だったと思われているが,こうした不信感は映画その他のせいで広まった.
 安全に携行するために,ネックレス状に繋げて首から下げるようなことが行われた.
 このイラストの中央の兵士参照.

 1942年に,上記の欠点を改良した柄付き手榴弾 42.Mの生産が始まると,36.Mは生産終了となった.
 けれども1943.7.22時点で,同手榴弾の在庫はまだ約237万1500個あったという.

 なお,スイスはこの手榴弾のライセンスを購入し,"攻撃用手榴弾 Offensive-Handgranate 1940 (O. H-G.40)"として生産している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/437538/en/ ※写真引用元も同じ
http://www.lexpev.nl/grenades/sovietbalkan/hungary/36mkezigranatvecsey.html ※内部図解引用元も同じ
Nigel Thomas 他『The Royal Hungarian Army in World War II』(Osprey,2008) ※イラスト引用元も同じ.
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_ga_k_t.html

2017.4.14


 【質問 kérdés】
 42.M ヴェーチェイ手榴弾とは?
Mi az 42.M Vécsey kézigránát?

 【回答 válasz】
 参戦後すぐにハンガリーは,自軍の手榴弾が都市や森林での戦いに適していないことに気付いた.
 衝撃作動式信管を持つ手榴弾には,適度な距離と遠心力が必要だったからだ.
 市街戦では距離が近過ぎ,森の中では手榴弾が枝に引っかかってしまって手榴弾が必要な遠心力を得られないことがあった.
 そこで陸軍では,ドイツ軍の42型手榴弾 Stielhandgranate の採用を勧めたが,一方,軍事技術研究所(HTI)はその手榴弾にも不利な点があると見て却下.
 代わりにソ連のRGD-33手榴弾と同じメカニズムを持つ手榴弾の採用を勧めた.
 36.M 手榴弾の開発者であるヴェーチェイ・ゾルターン Vécsey Zoltán 大尉によって独ソ両方の手榴弾が試験され,彼は新型手榴弾 42.M をHTIに提示した.
(写真1)

 42.Mは時限式信管だった.
 安全ピンについている布ベルトを引っ張り,適切な力で手榴弾を投げる必要があった.
 勢いが適切であれば手榴弾頭部は柄から遠心するように回るが,柄の中にある2つの強いばねによって引き戻される.
 この前後の動きにより,信管が活性化し,3.5~4.5秒後に爆発した.
 投げ方が不適切な時には爆発しなかった.
 頭部または柄を引っ張ることにより,手元で信管を活性化することもできたので,市街戦にも対応できた.
 信管に使用されているのはアジ化鉛.
 TNT火薬が120g充填されており,有効危害半径は5~10m.
 手榴弾弾頭部には上面と底面にネジ山があり,複数の弾頭を捻じ込んで,爆破効率を上げることができた.
(これはスイスの手榴弾に影響を受けたらしい)
 通常,弾頭を複数結合したものはobserved 地雷として使われた.[適訳不明]
 柄にくくりつけられた紐を,敵が引っ掛けると信管が作動した.

 42.M ヴェーチェイ手榴弾は1943年にハンガリー軍に採用されたが,36.M や37.M との交換はされなかった.
 36.M や37.Mでは効果的ではないような局面において42.M が投擲されるという使われ方をした.
 実戦用の手榴弾は赤,practice grenade は青,trainer grenade は黄色に塗り分けられた.
(写真はwikipediaより)

 1943.7.22時点で,42.M ヴェーチェイ手榴弾は約250万個残っていた.
 第二次大戦後も残っていた42.Mは,ハンガリー軍では大小の修正を加えた上で,戦後何年もの間使用し続けたという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/437975/en/ ※写真1引用元
http://hadtortenet.hu/node/962?size=thumbnail
http://combatgear.blog.hu/2016/06/23/magyar_kezigranatok_sziriaban?token=eb700f660a633627460a87b3b3baf809
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_ga_k_2.html

2017.6.29


 【質問 kérdés】
 ハンガリー軍の43.M煙幕手榴弾とは?
Mi az magyar 43.M füstgránát?

 【回答 válasz】
 1943年,ハンガリーはドイツのNebelhandgranate 39bのライセンスを購入,生産開始した.
(写真1)
(図1)
 これには亜鉛ベースの「バーガー Berger 」混合煙剤が充填されていた.
 資料の殆どが失われたため,正確な生産数は不明.

 また,ハンガリー軍ではドイツのNebelhandgranate 39も使用していたという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/437995/en/ ※写真1 & 図1引用元

2017.6.30


 【質問 kérdés】
 第二次世界大戦ハンガリー軍が使った地雷は?

 【回答 válasz】
36.M 接触式榴散弾地雷
 対人

43.M 接触式榴散弾地雷
 対人

36.M HAK
 角棒状地雷

36.M TAK
 対人・対戦車両用

43.M URAK
 対人地雷

43.M HAK
 大型角棒状地雷
 対戦車用

43.M TAK
 対戦車地雷

44.M LŐTAK
 対戦車路肩地雷

・ドイツ製の対戦車地雷および対人地雷

・鹵獲されたソ連製の対戦車地雷および対人地雷

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438586/en/

2017.7.15


 【質問 kérdés】
 36.M 接触式榴散弾地雷とは?
Mi az 36.M Érintő Repeszakna?

 【回答 válasz】
 対人地雷である36.M ÉRA(Érintő Repeszakna ="接触破片地雷")は,ハンガリー軍が1936年に採用し,全戦争期間中使用された.
(写真1)
 円筒形の地雷弾体,信管,圧力キャップから成る.
 アルミニウムの筒の中にはTNTが100g充填されている.
 鉄製の圧力キャップがあり,キャップ上面には安全ピン用の穴が2つあった.
 ÉRAはオリーブ・ドラブに塗装されていた.
 地雷埋設位置を決定する前に,鉄製スパイクで準備が行われた.
The mine was placed into the ground to its fragmentation coil.[適訳不明]
 不発の地雷をもっと深く埋める場合,また,あまりに地表に突き出ている場合には,地雷は簡単にどかされた.
 地雷埋設後,トリップワイヤと信管が結びつけられた.
 信管が作動するには,1kgの力が必要だった.
 トリップワイヤが強く引っ張られることにより,ストライカーが解放され,パーカッション・キャップに突き刺さった.
 信管の発火がデトネイターに点火し,地雷の爆発を引き起こす.
 有効危害半径は10mだった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438586/en/ ※写真1引用元

2017.7.5


 【質問 kérdés】
 43.M 接触式榴散弾地雷とは?
Mi az 43.M Érintő Repeszakna?

 【回答 válasz】
 1943年にハンガリー軍に採用された対人地雷で,36.Mの改良型.
(写真1)
 機能は36.Mとほぼ同様だが,小さな金属球と4mm厚のワイヤが,地雷起爆部の周りを取り巻いている.
 TNT 充填量は220gに増え,危害半径は15mになった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438586/en/ ※写真1引用元

2017.7.5


 【質問 kérdés】
 36.M TAKとは?
Mi az 36.M TAK?

 【回答 válasz】
 これは1936年,対人地雷と対戦車地雷を統合しようという,独創性豊かなソリューションのマンホール型地雷がハンガリー軍によって導入された.
Az 1936-ban a magyar honvédség által rendszeresített, szellemes megoldásokban bővelkedő tányérakna egyetlen fegyverbe próbálta egyesíteni a gyalogsági- és harckocsiaknákat.
(写真1)
(写真2)
(図1)
 TAK は Tányérakna (平板地雷)の略記.
 本体,圧力板,信管から構成されている.
 本体,圧力板はどちらも鉄製で,信管は真鍮製.
 突起が3つ本体についており,その上に圧力板がとりつけられている.
 信管は,感圧重量の異なる,以下の6段階に調整できた.
K ("Kicsi","小"の意味) - 35kg
1 - 100kg
2 - 200kg
3 - 300kg
N ("Nagy": "大"の意味) - 350kg
H ("Húzásra" or "引き手機能"の意味) ―― これはこの地雷がブービー・トラップとして使用され,物見の兵が地雷と結ばれたワイヤを引っ掛けた時に爆発することを意味する.

 信管の中にある剪断リングは調節可能で,望みの設定を行うことができる.
 圧力板が信管を作動させると,信管の中のストライカーが雷管キャップを打ち,デトネイターを起爆させる.
 「引手機能」に設定すると,剪断リングは信管の中にはいなくなる.
 トリップワイヤを介して信管ピンを引き抜いた後,ストライカー・スプリングが雷管キャップの中でストライカーを動かす.

 この地雷にはニトロスターチが1.5kg充填されている.
 この地雷を地面に埋設する場合,5~8cmの土砂の下でなければならなかった.

 この地雷は戦争全期間にわたって使用された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438609/en/ ※写真1引用元
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_ga_g_t.html ※写真2 & 図1引用元

2017.7.6


 【質問 kérdés】
 37.M デメテル手榴弾とは?
Mi az 37.M Demeter kézigránát?

 【回答 válasz】
 ハンガリー軍において1937年制式採用された手榴弾で,開発者の名に因む
(図1)
(図2)
 TNTは,上下の金型本体ボックス内に充填されている.
Az alsó és felső szelencében van elhelyezve a trotil préstest:
 この2つのカセット式外殻によって,互いに遠心力の効果が働い[て,投擲すると回転し]た.
A két szelence a külső burokban a centrifugális erő hatására egymáshoz képest elmozoghat.

 衝撃作動式信管だが,化学点火剤付きとなったため,それまでの手榴弾と異なり,柔らかい地面でも不発にはならなかった.
 最初のバルブは可燃物質を充填しているチューブに繋がっており,マッチの先にあるような物質が仕掛けられたリングが,側面にはあった.
Az első szelencéhez kapcsolódik az égő anyagot tartalmazó szelepcső és belülről a gyufafej anyagával bekent gyujtóegygyűrű.
 上段のボックスへと,外管と湾曲したバネの後ろには,スライド・パイプが装着されていた.
A felső szelencéhez a kűlső vezetőcső és egy hajlított rugó útán a csuszócső van hozzáerősítve.

 反面,この点火剤は水分に敏感という欠点があった.
 軸周りに回転させることで,安全装置が働くようになってはいたが.
 衝撃作動式信管であるために,近距離での市街戦や対戦車戦闘には使えないという点では,それまでの手榴弾と変わりはなかった.

 資料が失われたため,その他の詳細は不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/437926/en/
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_ga_k_t.html ※図1引用元
http://www.lexpev.nl/grenades/sovietbalkan/hungary/ ※図2引用元



2017.6.28

A működése azon az elven alapszik, hogy az egyes robbanóanyagok atmoszféríkus nyomason lassan, nyomásnövekedés esetén pedig robbanásszerűen égnek el.
操作は,各爆発的大気圧とゆっくりが爆発して燃焼の際に圧力を高めるという原理に基づいています.

Itt a nyomásnővekedés úgy áll elő, hogy a kiáramló égéstermékek nyilása a felcsapódáskor elzáródik.
ここでは,ブロックされているスプレースロットの排気ガスの圧力上昇です.

A gyűrű szelepesővön levő nyilásokkal bekent gyúitóelegygyűrű.
バルブのリングのベルト

A csuszó ütószeges csappantyús test közé és a két test a kettőskupű gyujtóhüvelyben egymásra ütközik.


 【質問 kérdés】
 43.M URAKとは?
Mi az URAK?

 【回答 válasz】
 1943年,ハンガリー軍に制式採用された対人地雷(図1)
 URAK は Ugró Repeszakna の略称で,これは跳躍散弾地雷と直訳できる.
 この地雷の起源は不明だが,外見はドイツ軍のSマインと似ており,その一つをライセンス生産したのではないかと推測される.
 この跳躍地雷は,トリップ・ワイヤで操作され,杭のように設置されるもので,鋼製のボール状の散弾,爆発物,起爆剤が充填されていた.
 信管は,この地雷のために特別に設計されたツイン・ストライカーを用いていた.
 起爆剤は黒色火薬であり,爆薬はTNT 800g.

 敗戦で資料が失われたため,詳細は不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438630/en/ ※図1引用元

2017.7.7


 【質問 kérdés】
 36.M HAKとは?
Mi az 36.M hasábakna?

 【回答 válasz】
 1936年に制式採用された,ハンガリー軍の角棒状地雷.
(図1)
(写真1)
 HAKは"Hasábakna"の略称.
 この地雷は角棒状の地雷本体,トリガー・ボウ,点火装置,信管から成る.
 本体は鉄,錫,またはアルミで作られており,TNTが1kg充填されている.
 点火装置はトリガー・ボウの開口部を通じて引っ張られることになっており,本体上部に固定されている.
 荷重が地雷本体のどの部分にかかっても,点火装置の安全ピンが引き抜かれ,信管が作動して地雷が爆発した.
 これは非常にシンプルだが効果的な仕組みだった.

 敗戦によって資料が失われたため,詳細は不明.

 戦争の全期間を通じて使われた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438694/en/ ※図1 & 写真1引用元

2017.7.8


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の地雷探知機について教えてください.
Kérem, mondja meg a magyari aknakereső detektorról a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 詳細不明.
 しかし少なくとも,1942年撮影の映像アーカイブの中に,ハンガリー兵が地雷探知機を使用している場面がある.
(写真1)
 この地雷探知機はドイツのMinensuchgerät Aachen 40と非常によく似ているが,ドイツ軍のものは,この写真に見られるようなコイルと工兵とのあいだにかかっているケーブルが存在しない.
 可能性として考えられるのは,Minensuchgerät Aachen 40のライセンスをハンガリーが購入し,独自の改修を加えて生産したということである.

 なお,ハンガリー水軍では水中機雷探知機を開発した経験がある.
 これは鉱床探知機を応用したものだったが,ハンガリー軍最高司令部ではソナーによる探知技術のほうを重視したため,実用には至らなかったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/440322/en/ ※写真1引用元

2017.7.14


 【質問】
 キラーイ短機関銃について3行で教えてください.
Kérem, mondja el az Király-géppisztolyt a három sorban.

 【回答】
 キラーイ短機関銃(1939M)は別名ダヌヴィア短機関銃といい,キラーイ・パールによって設計された.
A Király-géppisztoly (1939M.), más néven Danuvia géppisztoly egy Király Pál által tervezett.
 1939年にハンガリー軍の制式装備となり,ダヌヴィア工場において1945年までに8000丁が製造された.
 1943年には銃身が短縮された改良型(1943M.)が登場し,こちらは1950年代まで生産が続けられた.

▼ 兵器研究家・世田光司(文中敬称略・他も同じ)によれば,
「精度が高く優れた短機関銃だったと言われる」.
 ドイツ軍のSMG,MP-40と同じ9mm弾を用いていたため,大戦末期,兵器不足に悩むドイツ軍でもキラーイSMGは少数使われたという.▲

 【参考ページ】
http://www.forgottenweapons.com/submachine-guns/danuvia-39m/
http://modernfirearms.net/smg/hu/39m-43m-e.html
http://www.hungariae.com/Danu39.htm
http://www.hungariae.com/Danu43.htm
http://live.warthunder.com/post/434487/en/
世田光司「第二次世界大戦の奇妙な兵器集」,月刊『丸』2015年10月号, p.205

キラーイ 39M. 短機関銃
(こちらより引用)

内部図解
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/1/3 20:00
を加筆改修


 【質問】
 デダイ・キラーイ・パールって誰?
Ki az Dedai Király Pál ?

 【回答】
 デダイ・キラーイ・パール Dedai Király Pál (1880~1965?)はハンガリー人機械技師であり,銃器設計者.
Dedai Király Pál (1880 - 1965?) magyar gépészmérnök és fegyvertervező.

 ハンガリーの1880~90年代は,政府が積極的に工業支援を行い,資本主義経済が発展した時代だった.
 1888年にはウィーン~ブダペシュト~ベオグラード~イスタンブールを結ぶオリエント急行路線が完成し,1896年には「建国千年祭」が祝われた.
 1880年,ブダペシュトに生まれたキラーイも,工業分野の道へ進み,1902年にブダペシュトで機械工学の学位を取得.
 1907-08年,大学の講師助手となった.
 この時期に予備役砲兵中尉の資格を取得し,第一次世界大戦が勃発すると従軍して砲兵大尉まで昇進.
 その間,1915年に,彼の兵器技術研究の最初のものが,オーストリア=ハンガリー軍の専門誌に掲載されている.
 これは自動小火器に関する論文だった.

 戦後,兵器開発が規制されたハンガリーを離れ,スイスのシグ・ノイハウゼンに勤め,SIG KE等の軽機関銃やSIG MKMO自動カービン銃等を開発した.
 1928年,母国に対する規制緩和に伴い,シグに籍を置いたままハンガリーに戻り,ダヌビア Danuvia 社に務めることになった.
 1929年,9x19mm弾を使用する自動拳銃KDダヌビアを開発したが,軍は不採用.
 1932年,ノイハウゼン突撃銃をもとにして,マズルブレーキを利用した自動装填式ライフルを開発.
 1939年,ハンガリー軍がこれを採用して39M短機関銃となった.
 さらにレバー遅延式ブローバックを開発し,改良版の43M短機関銃も採用された.
 ついで44Mとなる銃も開発していたが,未完成のまま,1945年,ソ連軍侵攻前にスイスに逃れた.

 1947年,同じハンガリー人のシャーンドル・コヴァーチ SándorKovács を頼ってドミニカへ移住.
 サン・クリストバル・カービンとその派生型である自動小銃M3,自動カービン銃M1962を開発.
 カービン銃のほうは25万丁の販売記録を作った.

 【参考ページ】
http://www.honvedelem.hu/cikk/41846_sorsfordito_fegyverek_hires_tervezok
http://huszonharmas.blog.hu/2011/01/22/kiralypal?token=dd1c5b8b596065a0ddc20ba4f834d890
http://www.zoominfo.com/p/Pál-Király/1184159407
http://military.wikia.com/wiki/Pál_Király
http://www.hungariae.com/Bio.htm

キラーイ技師の写真を発見できなかったので,代用の写真をどうぞ
(こちらより引用)

mixi, 2017.1.18


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー陸軍の刀剣は?
Milyen kardok voltak magyar honvédség a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 主に以下のようなものがあった.

・1861.M 歩兵将校剣 gyalogtiszti kard
(写真1)
(写真2)
 1861年制式採用の由緒ある軍剣.
 陸軍または憲兵隊の下士官や将校によって儀典用として使われた.
 ただし,憲兵隊では標準装備だった.
 正装や勤務服と共に着用された.
 ブレート長:83cm

・聖バルバラ剣 szent borbála-kosarastüzértiszt kard
(写真3)
 砲兵将校の儀典用.
 聖バルバラの肖像画のリレーフがある.
 聖バルバラは,正教会,非カルケドン派,一部の東方典礼カトリック教会で崇敬されている聖人で,建築家や石工,砲手,消防士,鉱夫,囚人の守護聖人.
 写真4-5は,第二次大戦より前のもののようだが,聖バルバラの肖像画のリレーフがよく分かるので,参考のために以下に掲載する.
(写真4)
(写真5)

・憲兵隊志願兵剣 csendőr legénységi kard
(写真6)
 憲兵隊の騎兵が使用.

 他に,騎兵や空軍や水軍にも制式の剣があったが,それぞれ別項を参照されたし.

▼ なお,剣には以下のような飾りがあった.

・下士官・将校用の剣のフリンジ(刀緒) kardbojt
(写真7)
 陸水空軍・憲兵隊の下士官・将校は儀典において,勤務服または正装で帯剣したが,このようなフリンジが使われた.
 下士官用は銀,将校用は金色.

・帯剣ストラップ kardkötők
(写真8)
 剣はベルト(写真左)でズボンにとりつけられるか,または右肩にかけたストラップ(写真中央および右)にとりつけられた.
 ジャケットはストラップを覆うような形になっていた.▲

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/409316/en/ ※写真3, 6引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/16630 ※写真1引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/5329 ※写真2引用元
http://bushoojapan.com/tomorrow/2016/12/04/88740
http://www.militaria.hu/hadtorteneti-intezet-es-muzeum/hadtorteneti-muzeum/targyi-gyujtemenyi-osztaly/hidegfegyver-gyujtemeny ※写真4 - 5引用元
http://live.warthunder.com/post/409353/en/ ※写真7~8引用元

2017. 4. 23
2017.4.28追記 utóirat


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍の収束爆薬について教えてください.
Kérem, mondja a magyari összpontosított töltetről meg a második Világháborúban.

 【回答 válasz】
 制式名称はなく,ハンガリー語では"összpontosított töltet"と呼ばれた.
(写真1)
(写真2)
 爆薬を長い柄の先にとりつけたシンプルなもので,戦闘工兵により,野戦陣地 fortification や火点の破壊に使われた.
 望みのところまで爆薬部を届かせると,柄の末端についている起爆コードに工兵は電気的に点火.
 柄の末端を持っている工兵は,爆発物から十分に距離があり,かつ,爆発は標的に向かっていくので安全だった.

 時には戦闘工兵は,爆発物先端に短い起爆コードをつけて点火させることもあった.
 この場合には工兵が標的にかなり接近し,その工兵が走り去ってから爆発が起こるまでに十分な時間が必要だった.
 通常,この場合は標的に回り込んで接近した.
 なぜなら工兵が柄の末端の電気ワイヤを点火しようとする際に,地形上十分な隠蔽効果が得られず,その工兵が敵位置から直接射撃することができるからだった.

 歩兵には対戦車爆雷の準備がなかったので,ハンガリー軍は敵戦車に対し,より小さい収束爆雷を使用し始めた.
 この爆雷では,戦車の運転席またはターレットのハッチを狙うのが常だった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/439758/en/ ※写真1~2引用元

2017.7.16


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の爆薬筒について教えてください.
Kérem, mondja a magyari nyújtott töltetről meg a második Világháborúban.

 【回答 válasz】
 ハンガリー軍における名称は"nyújtott töltet".
 制式名称ではない.制式名称はない.
 たいていは,長細い板切れの上に爆発物を括りつけた形のものだった.
(写真1)
 これを戦闘工兵が,さもなくば銃火の中を直接接近しなければならなくなるような障害を除去するときに使用された.
 ハンガリー軍工兵はそのようなときのために板を2枚携行しており,障害物に届くよう2枚を縦に結び付けた.
(写真2)
 望みの場所まで爆薬が達すると,工兵は導火線に火をつけ,これを爆破した.
 十分な長さのある爆薬筒も生産されており,これは板に括り付ける必要も無かった.
(写真3)
 これは連合軍が使用したバンガロール爆薬筒 Bangalore torpedo と似ていた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/439751/en/ ※写真1~3引用元

2017.7.12


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