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アジア・太平洋方面 目次
<第2次世界大戦FAQ


 【link】

「戦時期航空機工業と生産技術形成 三菱航空機エンジンと深尾淳二」(前田裕子著,東京大学出版会,2001年)

「日本軍試作機計画機」(保坂宗雄他,双葉社,2006.9)

「陸軍カ号観測機―幻のオートジャイロ開発物語」玉手 栄治 (著)


 【質問】
 古書店にて「日本航空機総集」I〜V巻セット\13K
 亀甲縛りで中身が見られんのですが,セットで買いでしょうか?

 只今,柳田邦男著『零戦燃ゆ』を読んでいるので,その参考資料になるのであればと思っております.

 【回答】
 内容は「買い」.
 値段は・・・まあお財布と相談してください.
 ただしそれ,全8巻セットです.
 んで残り3冊,特に8巻がほんっと手に入らない・・・

ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 う〜ん,編者が野沢正さんなので,それなりに買いだとは思いますが,最後がVIだった筈なので,完全セットではないかと.
 正直微妙.

 因みに,モデルアートの増刊『日本航空機辞典 明治43年〜昭和20年』(モデルアート社,1989)が一冊有れば事足りるレベルです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧日本軍の航空機では,天山,紫電,烈風 とかの名前が付いているものもあれば,零戦や九七式艦〜なんてのもありますが,なにか理由があるのでしょうか?
 それとも自分が知らないだけで,すべてに前者のような名前が付いているんでしょうか?

 【回答】
 昭和17年に海軍の航空機命名基準が改正されています.
 それまで採用年(皇紀)の数字が付けられたのですが,それ以後,以下のように命名されています.

戦闘機 気象に基づく語  「紫電」「烈風」「迅雷」等
偵察機 雲がつく語    「瑞雲」「紫雲」「彩雲」等
爆撃機 星・星座に基づく語「銀河」「彗星」「流星」等
攻撃機 山岳に基づく語  「天山」「連山」「深山」等
哨戒機 海がつく語    「東海」「南海」「北海」等
輸送機 空がつく語    「蒼空」「晴空」「天空」等
特攻機 「花」がつく語  「桜花」「橘花」「梅花」「藤花」「剣」海軍名とか
その他草木・風景に基づく語

 例外:
 「秋水(しゅうすい)」というのは,研ぎ澄ました刀のことを言います.
 「秋水一閃」という言葉もありますのでぐぐってください.

軍事板
および
三毛招き(青文字)
極東の以下略 ◆5cYGBbCsjQ(緑文字)
in FAQ BBS

彩雲


 【質問】
 零戦21 52とかっていうじゃないですか.
 これの10の位は機体の改良 1の位はエンジンの改良って聞きました(だから火葬の零戦100型なんて有り得ないとか言ってた)が,ホントですか?

 【回答】
 当初は,1926年2月23日に採用された,「兵器名称付与基準」に基づき,大きな改修については,「號」で,「型」で小改修,用途変更を示していました.
 例えば,零式艦上戦闘機は,零式一號艦上戦闘機二型とかになります.
 「號」は,機種名の前,「型」は機種名の後とされ,数字は日本数字を使うという指定がありました.

 1942年頃から簡略化され,10位が機体の改修を,1位が発動機の改修を示す様に改められ,武装変更などの細かい改修をした場合は,甲,乙,丙…を用いるようになっています.
 で,先の零式一號艦上戦闘機二型は,零式艦上戦闘機二一型となります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 これってホント?

 海軍ではこのように,実用化年度(皇紀.BC660年=皇紀元年)の末尾2桁で機体を識別していたが,陸軍は,戦闘機については,採用された順番に1式,2式……と順番に名付け,なおかつ,分かりやすい通称をつけていた.
 1式戦闘機が「隼」,2式が「鍾馗(しょうき)」,3式が「飛燕(ひえん)」,4式が「疾風(はやて)」である.

林信吾著『反戦軍事学』(朝日新聞社,2006/12/30),p.112

 ※「順番」という言葉が重複していますが,原文ママです.

 【回答】
 ふーん,すると,九七式戦闘機は97番目に採用された戦闘機ということだね……あれ?

 陸軍の「●式」という式番命名も,海軍と基本的には変わらない.
 つまり,皇紀の末尾2桁で機体を識別していたわけで,だから,皇紀2597年(1937年,昭和12年)制式採用の戦闘機は「97式戦闘機」,2600年制式採用の重爆撃機は00式……とは呼ばれず,100式重爆と呼ばれることになった.
 そんで,皇紀2601年採用の隼は,01式ということになるけれども,最初のゼロは取り去って,1式と呼ばれるようになった,という次第.「零零戦」ではなく「零戦」と呼ぶのと同じだね.
 同様に皇紀2602年採用の「鍾馗(しょうき)」が2式で,2603年採用の「飛燕」が3式で……(以下省略)

 もっとも,この方式になったのは昭和2年から.戦闘機で言えば91式戦闘機から.
 その前は,メーカー別に「甲乙丙」と符号を振っていた.
甲:ニューポール
乙:サルムソン
丙:スパッド
丁:ファルマン
戊:コードロン
己:アンリオ

 例えば,甲式4型(ニューポール29C-1)なら,ニューポール社設計のもので日本陸軍に採用された,4番目の機材を意味する.

 この甲乙丙式の名称が使われることになるのは大正10年からで,それ以前は,例えばスパッド13型は「ス式13型」と呼ばれていた.同機は後に丙式1型と改称される.
 同様にニューポール81E2練習機は「ニ式81型」.
 日本初の国産軍用機「会式1号」の「会」は,「臨時軍用気球研究会」から.

 「採用された順番」ってのは,「キ番号」と間違えてんじゃない?
 キ番号というのは,要は開発番号.計画順に振られる.
 93式重爆がキ1で,それ以前の機体には付与されていない.
 管理面ではこれが便利だったようで,後のほうの年になると,正式採用された航空機であっても,「○○式」でも愛称でも無く,キ番号が主に使われるようになったとか.

 それから,「隼」や「飛燕」などというのは愛称,ニックネームで,国民に対する宣伝のためのもの.
 だから5式戦のようにニックネームがつけられずじまいに終わったものもあるし,「飛燕」というニックネームの命名は,正式には1945年1月になってから.
 ちなみに隼というのは,当時の陸軍戦闘機全体に対する象徴名だったりする.

 余談だが,91式戦闘機は,現存するものが所沢航空発祥記念館にある.胴体だけだけど.
 一度は見に行っておこう(ただし今は格納庫収蔵.常設展示じゃないので注意).
 甲式1型練習機(ニューポール81E2)の残骸とレプリカや,丙式1型のレプリカ(これも格納庫収蔵だけど……),乙式1型偵察機(サルムソン2A2)のプロペラもあるぞ.

消印所沢

 疾風は,設計陣と軍のテスト担当はもっぱらハチヨンと呼んでたそうです.
 現地部隊は四式(戦)もかなり使われたそうで,愛称「疾風」で呼ぶ人はごく少数だったようです.
 ま,国民向け戦意昂揚ってところですか・・・.

軍事板


 【質問】
 日本軍機についていた連合軍側コードネームを教えてください.

 【回答】
●陸軍戦闘機
九七式戦闘機⇒Nate(ね〜と)
隼→Oscar(オスカー)
鍾馗→Tojyo(トージョー)
飛燕=Tony(トニイ) どういうわけか5式戦も同じ.
疾風→Frank(フランク)
屠竜→Nick(ニック)
キ102→Randy(ランディ)
キ64試作高速戦闘機→Bob(ボブ) これにコードネームが付いてたのがスゴイ.

 この他にも試験導入していたメッサーBf-109EにはMike,
Bf-110にはDoc,
フォッケウルフFW-190にはFred
っていうコードが付いていた.

●海軍戦闘機
九六式艦戦=クロード(Claude)
零戦=Zeke
零戦32型のみ=Hanp
烈風=サム(Sum)
雷電→Jack(ジャック)
紫電→George(ジョージ) 紫電改も同じ
月光→Irving(アーヴィン)
極光→Frances(フランシス)
二式水戦→Rufe(ルーフ)
強風→Rex(レックス)
閃電→Luke(ルーク)
セバスキー(S号戦)→Dick(ディック)

震電はコードネーム無し
 碇義朗著「幻の戦闘機」ではアメリカにバレなかったと書いてあります.
 もっとも,B29の搭乗員の手記で「逆さに飛ぶ飛行機を見た」というのがあったとかないとか.
 まあ,初飛行も終戦前の8/3ですし,B29に発見されたとしてもコードネーム付ける時間が無かったでしょう.

●陸軍爆撃機
97式軽爆→Ann(アン)
98式軽爆→Mary(メアリー)
99式軽爆→Lily(リリー)
99式襲撃機=ソニア(Sonia)
97式重爆→Sally(サリー)
呑竜→Helen(ヘレン)
飛竜→Peggy(ペギー)
キ74→Pasty(パスティ)
フィアットBR20(イ式重爆)→Ruth(ルース)

 戦闘機と同様,陸軍が試験導入していたユンカースJu-87スツーカにはIrena,
Ju-88にはJanice
というコードが付いていた.

●海軍爆撃機&攻撃機
96式艦攻→Jean(ジェーン)
96式艦爆→Susie(スージー)
97式艦攻→Kate(ケート)
天山→Jill(ジル)
流星→Grace(グレース)
99式艦爆→Val(ヴァル)
彗星→Judy(ジュディ)
銀河→Frances(フランシス)極光と同じ.
96式陸攻→Nell(ネル)
1式陸攻→Betty(ベティ)
深山→Liz(リズ)
連山→Rita(リタ)
桜花→Baka(バカ)

●陸軍偵察機
97式司偵=バッズ(Babs)
100式司偵=ダイナ(Dinah)
試作司偵機ki-70=Clara
98式直協機→Ida(アイダ)
99式軍偵察機→ソニア(Sonia) 99式襲撃機と同じ
3式指揮連絡機→Stella(ステラ)

●海軍偵察機
98式陸上偵察機→陸軍の97式司偵と同じBabs
2式陸上偵察機→月光と同じ
2式艦上偵察機→彗星と同じ
東海→Lorna(ローナ)
96式水上偵察機→Hank(ハンク)
98式水上偵察機→Laula(ラウラ)
94式水上偵察機→Alf(アルフ)
95式水上偵察機→Dave(デイヴ)
96式小型水上偵察機→Slim(スリム)
零式小型水上偵察機→Glen(グレン)
零式水偵=ジェーク(Jake)
零式水観=ピート(Pete)
彩雲=マート(Myrt)
紫雲→Norm(ノーム)
瑞雲=ポール(Paul)

●その他の海軍機
97式大艇=メイビス(Mavis)
99式中型飛行艇→Cherry(チェリー)
2式大艇=エミリー(Emily)
2式輸送飛行艇→2式大艇と同じ
零式輸送機→Tabby(タビイ)
90式機上作業練習機→Pine(パイン)
93式中間練習機→Willow(ウイロウ)
2式初等練習機→CYPRESS
4式基本練習機=2式初等練習機に同じ
白菊はコードネーム無し

●その他の陸軍機
97式輸送機→Thora(ソーラ?)
ロ式輸送機→Thelma(テルマ)
100式輸送機→Topsy(トプシー)
1式貨物輸送機→Thalia(サリア)
1式輸送機→Theresa(テレサ)
4式特殊輸送機=Gander
ダグラスDC2→Tess(テス
ku-7試作滑空機=Buzzard
95式1型中間練習機=Sprice
95式3型練習機=Ceder
99式双発高等練習機=IdaまたはLda(どちらかよくわかっていない)
1式双発高等練習機=Hichory

軍事板

 どうでもいいことですが,上のコードネームの英単語を
http://www.alc.co.jp/
で調べたら,なぜかかなり詳しく出てきました

<例>
peggy
【機名】 ペギー◆第二次世界大戦で使用された陸軍4式重爆撃機「飛龍」の連合国コードネーム.型番:キ67.製造会社:三菱.

クーゲル in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

輸入メッサー


(画像掲示板より.原出典不明)


 【質問】
 これ↓ってホント?

 面白いのは米軍が勝手に敵機に名前をつけていたことだ.
 ゼロ戦はゼロ,またはジーク.これはまあそのまんまだが,隼がオスカー,二式大艇(飛行艇)はエミリーというように,どういう発想か分からない命名も多い.
 ひどい渾名もあって,海軍の一式陸上攻撃機など,防御力が弱く,一連射で燃え上がることから,「ワンショット・ライター」などと呼ばれていた.

林信吾著『反戦軍事学』(朝日新聞社,2006/12/30),p.112

 【回答】
 コードネームとニックネーム混同スンナ.
 「ワンショット・ライター」はあだなで,オスカーやエミリーのようなコードネームではありません.一式陸攻のコードネームは「ベティ」.
 そもそも,「ワンショットライター」が米軍で呼ばれていたという確証もありません.
 佐貫亦男著『ヒコーキの心』によれば,これは日本軍内部で叩かれていた陰口だったという話があります.
 一式陸攻の防御力が弱いというのも,俗説でしかありません.

 で,なんでコードネームで呼んでいたかだけど,そもそも,正式名称が分からなければコードネームで呼ぶしかないでしょ?
 日本軍がわざわざ米軍に
「新型機,作りました.名前は(じゃじゃーん♪)一式陸上攻撃機でーす!」
などと教えてくれるわけがないんだから.
 かといって,諜報部が正式名称を探り当てるまでの間,「あの正式名称の分からない新型機」などと呼んだりしたら,
「ハァ?どの正式名称不明機? 新型機だけでいくつあると思ってるんだよ!」
ってなことになって,現場は大混乱.
 それゆえ,機種を識別するためニックネームがつけられたわけで(日本語の発音がアメさんには厄介だったってのもあるらしいですが).
 つまり,軍事的必要に迫られてのことですんで,面白いも何もあったもんじゃありません.
 このコードネームは正規の文書に記載され,たとえ「本名」が分かっても,文書上では日本軍側正式名称がコードネームにとってかわられることはありませんでした.
 コードネームに添えて併記されるのがせいぜい.

 米軍が日本機につけたコードネームの命名法ですが,戦闘機とその他で男性名と女性名を使い分けるのが基本でした.
 例外として,「桜花」のニックネーム「BAKA」(馬鹿)なんてものもあります.まあ,そんな命名をした気持ちも分からなくはありませんが…….
 ていうか,
オスカー(隼)ニック(屠竜)トニー(飛燕)フランク(疾風)クラウド(96艦戦)ジャック(雷電)ジョージ(紫電)サム(烈風)
サリー(97重爆)リリー(99双軽爆)ソニア(99襲)ヘレン(呑龍)ペギー(飛龍)ダイナ(新司偵)ケイト(97艦攻)ジル(天山)ジュディ(彗星)ネル(96陸攻)ベティ(1式陸攻)エミリー(2式大艇)
……
 こんだけ並べれば,むしろZEKEやBAKAの方がイレギュラーだ,と普通は気付きそうなもんだが.

 この分だとフィッシュベッドやバックファイアも,なんのことだか分かっちゃいないんでは?……と思ったら,なんと,上記引用文直後にその話が載っております.

 第二次大戦後もこの伝統は引き継がれ旧ソ連のミグ21はフィッシュベッド,ミグ25はフォックスバット(大こうもり),スホーイ27はフランカー(アメリカン・フットボールでサイドを守るプレイヤー.スラングではいんちきの意),といった具合に呼ばれていた.ホワイトハウス筋が小泉政権をポチと呼んでいたかどかは,定かではないが.

同,p.113

ファゴット・フレスコ・ファーマー・フィッシュベッド・フロッガー・フォックスバット・ファラクラム・フォックスハウンド・フィッター・フィッシュポット・フラゴン・フィッター・フェンサー・フロッグフット・フランカー・フリーハンド・フォージャー・フリースタイル
バジャー・ブラインダー・ベア・ブラックジャック・バックファイア・ビーグル・バイソン・バウンダー
フック・ヒップ・ヘイズ・ハインド・ヘイロー・ハヴォック・ホーモン・ヘリックス・ホーカム

 これ見てそんな事しか思いつかないとか,オイラには考えられない.
 これ"すら"知らない見たこと無いって場合は
,軍事入門書を書こうという人がそうなら,もう色々と致命的,

 ちなみに,ソ連の兵器に NATO がつけたコードネームでは,頭文字をカテゴリー別に分けていました.
 以下に例を.

戦闘機 : F
爆撃機 : B
哨戒機・AEW 機 : M
輸送機 : C
地対空・艦対空ミサイル : G
空対空ミサイル : A
空対地・空対艦ミサイル : K
弾道ミサイル : S
対戦車ミサイル : S
艦対艦ミサイル : S
ヘリコプター:H

 ただし,レーダーのコードネームについては,見たまんまだったり,よく分からなかったり.
 ビッグ・ネットやトップ・プレートは分かりやすいですけれど,ストレート・フラッシュなんかは謎.


 ちなみに,Mi-8Hipは台湾の本だと「臀腰式」というらしいです.
 Su-15の「酒壷式」やUH-1の「北美土人式」はヒドすぎ.

ゆきかぜまる井上@Kojii.netメッサー=ハルゼーin 「軍事板常見問題 mixi支隊」)のレスに加筆

 余談ですが,アメフトのフランカーはオフェンスでして,フランカーがサイドを守るのはラグビーです.
 間違いだらけなのは軍事知識だけではありませんね.

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年03月28日 13:06:42

「週刊オブイェクト」コメント欄,2007年03月28日付


 【質問】
 日本側からは連合軍機をどう呼んでいたのでしょうか?

 【回答】
 コードネームはないけど,ニックネームで呼ぶことはあった.
 例えば,
P38=メザシ
P39=カツオ節
 もう,見たまんま.

P38=ペロハチ(ぺロッと喰えるP38の意)という異名も.
 これは,登場後しばらくは格闘戦を挑んでは零戦にバタバタ落とされていたから.
 ただ,日本機を最も撃墜した1位と2位のパイロットの乗機がこれだかんね…
 あと,あどみらるヤマモトのベティを撃墜したのもこれ.

軍事板

 ただし,P38のニックネーム「ぺろ八」ですが,
P=「ぺ」
3=「ろ」(文字の形に注目)
8=「八」そのまま
と読んだという説もあるようです.
 出典は『零戦隊長 二〇四空飛行隊長宮野善治郎の生涯』(神立尚紀著)

M1965 in FAQ BBS

 異説は他にもあります.
 『朝日新聞の戦争責任』(太田出版)によれば,『週刊少国民』誌の募集により
「(略)少国民の烈しい敵愾心を結集して敵機に進上した傑作のあだ名はまずB29が「ビイ公」,
 P38は串刺しにして撃墜してやるというので「めざし」,
 艦上機のグラマンはブンブンとうるさく鳴ってくるというので「くまん蜂」と呼ぶことになった.(略)」
との記事が昭和20年5月12日東京朝日新聞朝刊に載ったということです.
 同書では紙面からのコピーの形で,記事全文を読むことができます.

きろきろ in FAQ BBS

B-29=カラス

って〜のもありますよね.

ベラ藤原 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 『歴史群像』2006年6月号の元統幕議長竹田五郎氏の回想では,B29のことを「くじら」と呼んでいたと書いてありました.
 『丸』1969年7月号にも同様の記述があるそうです.

名無し初年兵 inf FAQ BBS

「メザシ」

(うそ)


 【質問】
 実戦配備されている海軍機の尾翼に書いてある番号ですが,どういう基準で付与されたのでしょうか?

 【回答】
 何処に資料を埋めたかがはっきりしないのでうる覚えモードなので,誰か有識者の補完を希望しますが.1978年〜80年くらいの『航空ファン』にその辺りの記号を解説した連載がありました.

 航空母艦航空隊は
(1) 1941.4以前:
 カタカナまたはアルファベット等

GI:龍驤(1940.11〜)
GII:鳳翔(1940.11〜)
K:加賀(1937末〜1940)
P:加賀(1940.11〜1941)
QI:蒼龍(1940.11〜)
QII:飛龍(1940.11〜1941)
R:龍驤(1937末〜1940)
VII:蒼龍(1941)
W:蒼龍(1937末〜)

イ:蒼龍(1937.9〜)
ハ:赤城(1936.10〜)
ヘ:飛龍(1939.10〜)

 以上,『丸メカニック28 九六式艦上戦闘機』(潮書房,1981.5.10),p.71より.

(2) 1941年4月〜1942/7/14:
1航戦が「A」,
2航戦が「B」,
3航戦が「C」,
4航戦が「D」,
5航戦が「E」

(3) 1942/7/14以降
旧5航戦が1航戦となったが,記号は「E」そのまま
旧4航戦は2航戦となり,これも記号はそのままで「D」


 1943年は
1航戦が「A」,
2航戦が「B」,


 2文字目のローマ数字は,所属航空戦隊内における1番艦,2番艦……の順を表し,開戦時は
1航戦なら赤城が「I」,加賀が「II」,
2航戦なら蒼龍が「I」,飛龍が「II」,

 これが1942年7月末になると,
「翔鶴」が1航戦1番艦なので「EI」
 18年になると,
「翔鶴」が1航戦1番艦であることに変わりはないが,航戦のほうの記号が変更になっているので「AI」.

 また例えば,空母「龍驤」では
1941.4〜1942.7:「DI」
1942.7〜同8  :「DIII」


 なお,1944年6月頃,
隼鷹隊は321または21
飛鷹隊は322または22
龍鳳隊は323または23
千歳隊は331または31
千代田隊は332または32
瑞鳳隊は333または33
を使用したという資料もあるそうです.

 以上,
『世界の傑作機 零式艦上戦闘機11-22型』(文林堂,1982.7.10),p.44〜47 & 54-56
に拠(よ)ります.

 ハイフンの次は機種を表わし,
戦闘機なら「1」,
爆撃機なら「2」,
攻撃機なら「3」

 末尾2桁が機番.

 したがって例えば,
赤城の零戦飛行隊1号機なら「AI-101」,
飛龍の九九艦爆1号機なら「BII-201」,
瑞鳳の九七艦攻1号機なら「CI-301」.

 陸上基地の部隊は以下の5タイプ.

(1) カタカナ:
 隊の名前の頭文字.内戦部隊〔原文ママ.内地部隊のことか?〕で使用.
 旧カナ遣いなので注意.
 また,濁音は濁点を取り去る.

アツ:厚木航空隊
アマ:天草空※3
イハ:岩国空
ウサ:宇佐空※4
オ :大村空
オウ:黄流空※4
オキ:沖縄空※2
オタ:大分空
オツ:大津空※3
オヒ:追浜空
オミ:大湊空
オヰ:大井空
カ :霞ヶ浦空
カイ:海口空
カウ:第2河和※3
カシ:鹿島空※3
キタ:北浦空※3
ク :呉空
クシ:串木空※3
ケ :元山空
コウ:神ノ池空
コマ:小松島空※3
サ :佐世保空
サヘ:佐伯空
サン:三亜空
スク:宿毛空※3
タ :館山空
タイ:台南空
タク:詫間空※3
ツイ:築城空
トク:徳島空
ナコ:名古屋空※4
ハタ:博多空※3
フヤ:福山空※3
ヤ :谷田部空
ヨ :横須賀空
リ :百里原空※2

(2) アルファベット:
 開戦当時から1943年前半までの間,外戦部隊が使用.

F:4空戦闘機隊(1942.2〜同4)
G:元山空(初代,1940.11〜1942.9),252空(1942.9〜同10)
K:鹿屋空(初代),752空(1942.10),253空(1942.11〜1943.9)
Q:2空戦闘機隊(1942.7〜同10),582空※4
S:千歳空(1940.11〜1942.10),201空(1942.10〜1943.6)
U:6空(1942.4〜同10),204空(1942.11〜1943.6)
V:台南空(初代,1941.10〜1942.10),251空(1942.10〜同11)
X:3空戦闘機隊(1941.4〜1942.10),202空(1942.11〜1943.6)
W:1空戦闘機隊(1942.7〜同11)
Z:1空戦闘機隊(1941.4〜1942.7)

(3) アルファベットとアラビア数字の組み合わせ:
 1943.6〜1944年初め頃まで外戦部隊が使用.
 アルファベットは所属航空戦隊,数字は1番隊,2番隊を示します.

T2(=26航戦2番隊):204空(1943.6〜1944)
T3(=26航戦3番隊):582空戦闘機隊(1943.6〜1944.8)
U1:251空(1942.11〜1943)
U3:253空(1943.9〜1944)
W1:201空(1943.6〜1944)
X2:202空(1943.6〜1944)
Y2:252空(1943.6〜1944.2)
Y3:552空※4

(4) 数字:
 19年初め頃から外戦部隊で使用.
 19年初めから同年夏頃までは,隊名数字の下2桁のみ(251空なら「51」)を記入していましたが,19年秋ごろから,隊名をそのまま記入するのが普通となりました.
 また,飛行隊編成をとってからは,飛行隊名の下2桁(戦301なら「01」)を記入するケースも多くなりました.

 なお,飛行隊別を示すため,221空のように,隊名数字のほかに飛行隊を示す文字(アルファベット)を記入するなどしたケースも幾つかあったそうです.

3 :12空(初代,1940.8〜1941.9)
9 :14空(初代,1940〜1941.9)
01または501:501空戦闘機隊(1944.2)
02 :201空先頭第301飛行隊(1944.10)
03 :203空(1944.2〜同年夏)
11 :11空(2代目.1944.5〜1945.4)
31 :331空(1944夏)
43 :343空(初代,1944.1〜同年7)
52 :252空(1944夏)
61 :261空(1944)
63 :263空(1944)
65 :265空(1944)
81 :281空(1944),1081空(1944.4〜1945.8)
203:203空(1944秋〜1945)
210:210空(1944.9〜1945.8)
252:252空(1944〜1945)
256:256空(1944)
261または虎:261空(1943.6〜1944)
263または豹:263空(1943.10〜1944)
265または雷:265空(1943.11〜1944)
281:281空(1943.3〜1944)
331:331空(1943.7〜1944 & 1944秋〜1945.8)
652:652空(1944)
653:653空(1944)
341-H:341空戦闘第401飛行隊(1944〜1945)
 Hは401飛行隊を示す記号.同第402飛行隊の場合は341-S.
501または01:501空戦闘機隊(1944.2)
722:722空戦闘機隊(1945)
903:903空(1944.12〜1945.8)
951:951空(1944.12〜1945.8)
 なお,951空は舞鶴空,鎮海空,沖縄空を統合した部隊で,兵力も各地に散っていたため,「951」の上に,基地の頭文字のカタカナ1文字を記入していました.※3

(5) 漢字:
 19年前半,一部の外戦部隊で使用.

暁:141空※4
嵐:221空
電:322空※4
雷または265:265空(1943.11〜1944)
神:721空戦闘機隊(1944.10〜1945.8)
虎または261:261空(1943.6〜1944)
響:541空※4
豹または263:263空(1943.10〜1944)

(z) 上記の(1)〜(5)に含まれない例外的なものもあります.

II:第22航空戦隊司令部付戦闘機隊(1941.11〜1942.3)

 以上,
『世界の傑作機 零式艦上戦闘機11-22型』(文林堂,1982.7.10),p.44〜47 & 54-56
『世界の傑作機 97式艦上攻撃機』(文林堂,1992.1.5)(※2の部分のみ)
『丸メカニック 零式観測機』(潮書房,1980.1.10),p.75(※3の部分のみ)
『丸メカニック 99式艦上爆撃機』(潮書房,1982.5.10),p.78(※4の部分のみ)
より.

(+1)
 『丸メカニック 零式観測機』(潮書房,1980.1.10),p.74によれば.海上護衛航空隊の場合は,アルファベット3字の記号や,カタカナとアルファベットを組み合わせた記号を使用した隊もあったそうです.

KEA:901空
KEC:453空(1944.7)
サA:453空(1945)
ヨD:302空(1944.3〜1945.8)
ヨG:903空(1944.12〜1945.8)

 そしてハイフンがあって,機種記号があって(上記参照),二桁が機番と言う感じ.

 大型機(陸攻)は,アルファベット順に基地を割り振っている.
 「K」は鹿屋,「H」は三沢,「R」は木更津,「G」なら元山,「T」なら高雄.
 ハイフンを挟んで機種記号は3を使用し,後は連番.
 これも,3桁航空隊の場合は,下2桁が左辺に来たり,従来のものを引き摺ったりしているので千差万別.

 偵察機は彩雲の様な機体は,戦闘機と同じ.

 飛行艇は爆撃機と同じだが,右辺が機番1〜2桁のケースが多い.

 水上機は当初,所属の戦隊or航空戦隊を示すアルファベットと,その間の順位を示す数字を組み合わせたものが普通でした.
 例えば「大和」艦載機の場合,
A1(=第1戦隊1番艦)(1942.2〜同7)

 しかし,アルファベット1文字のものもありました.
 例えば「大和」艦載機の場合,
A(=第1戦隊)(1972.7〜1944.8)

 1944年夏以降は,3桁の数字を組み合わせ,所属部隊,戦隊または航空戦隊,順位を示すシステムが採用されました.
 例えば「大和」艦載機の場合,
212(=第2艦隊第1戦隊2番艦)(1944.8〜)

 以上,
『丸メカニック 零式観測機』(潮書房,1980.1.10),p.74
より.

 練習機は,所在地名(霞ヶ浦なら「カ」,大津なら「オツ」,追浜なら「オヒ」,谷田部なら「ヤ」でハイフンを挟んで,機番3桁.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
加筆修正部分:青文字

 ※ご要望により,可能な限り補完しました.疲れた.何か奢ってください.

消印所沢

各種尾翼番号


 【質問】
【すごいぞ日本】ファイルII 重厚長大健闘中

 【やばいぞ日本】シリーズの次は【すごいぞ日本】シリーズですか,産経・・・
 まぁいいですけどね.

>戦前は数々の戦闘機を開発し航空王国といわれたが

 イタリアが一時期,航空王国と呼ばれた事は知っていますが,日本が言われた事ってあったっけ?

JSF

 【回答】

    ハ,_,ハ  :::|     どうせイカロスあたりの変な本でもパラ読みしたモサリね
   .,;゙'A` '; .::::|   所詮は主観評価なので気にしないモサリ
 ̄ f`,,.、0,,_,J. ̄\   さてVaRTMは尾翼への適用しか決まってないモサリね
  .          .\  この記事の書き方では,まるで主翼までVaRTMを適用すると勘違いさせるモサリ
             . \ 787にさっぱり触れてないのもどうかと思うモサリが

モッサー=ハルゼー

 うーん……寡聞にして聞いた事がありませんね>日本が航空王国と呼ばれた.
 そもそも,航空王国ならもっと大馬力のえんじ……おや,誰か来たようだ.

MIB@生物兵器

>航空王国
つ 発動機
つ 防弾
つ 稼働率

 あれ? 誰だろうこんな時間に

島の人

 所詮パイロットの技量が最も重視されるレベルで,何が航空王こk・・・・

 ん? こんな夜更けに,だれかな?

EF63-24

>航空王国

つ 製造技術・工作精度
つ 燃料・潤滑油の品質
つ パイロットの訓練システム
つ 飛行場の建設能力

 …うわー,なにをするきさま(ry

井上@Kojii.net

 松根油を根拠にバイオ燃料先進国とでも言ってくれたほうが面白いのに.

ヨシフ

 戦前はコピー機か,他国戦闘機のライセンス生産が多かったようですし,航空王国はちと大袈裟なんでしょうね.

もぐら怪獣モングラー

 まぁ,航空機を設計製造できる国そのものが数えるほどしかなかったわけだし,せめて航空藩国くらいで手を打ちませんか.

Tono

>航空王国

〜/   ´ω)コククウズモウ<だれか「航空王」とか呼ばれた人でもいるんでしょうか?(笑)

〜/  ´・ω)ミ

――――――

 アフガニスタンで生まれた「アフガン航空相撲」は,その驚異的な破壊力ゆえに世界の注目を浴びた.
 当然,日本にもその情報は伝わり,数多くの力士達がこれを物にせんとアフガンへ渡った.

 その修行は過酷であり,大半の力士が命を落とした.
 しかし,生き残った僅かな力士が日本へと帰国し,後に「SUMOU」へ統合される「航空相撲」を日本へ持ち込んだ.

 その一人が雷電竜右衛門である.
 彼は航空力士界でも無双を誇り,「航空王」とも評された.
 彼の強さはその圧倒的な上昇・下降力であり,これを生かした「重力落し」を受けて倒れなかった力士は極僅かである.
 その僅かな力士も,その時の重力落しが全力全開状態でなかったためであり,受けた後はまともに立つことすらできなかったと言われている.

 また,海軍の局地戦闘機「雷電」は雷電竜右衛門にあやかった名前であり,上昇力と火力を追求した本機にぴったりの名である.

―――――民明書房『SUMOU 〜隠された力士達〜』より抜粋

ヘリックス

>航空王

 う〜ん〜,中島知久平でも十万石の大名ぐらいか?

島の人

 それじゃあ,航空公国とか.

ゆきかぜまる

 航空王国・・・ちょっととっかえて,王国航空にすればつじつまがあわないでもない.

 ひずまじぇすてぃーずえあらいん・・・
 だめだこれじゃ英国のにおいがっ

Pekonen/Suzuki

 王立の航空機屋……

「なるほど,航続距離とスピードを両立させて,さらに格闘戦にも強くしろと」
「無理ですか,やはり」
「無理というのは簡単ですが,それじゃあ航空王国の名折れだ.ようござんす,引き受けましょう」

 そんな,どこかの仕立屋が脳内に.

寄星蟲

>航空王国

 「亜細亜の」「白人以外の」とか前置詞をつければ,どうにかなりませんでしょうか.
(フォローになってない)

 …「鉄道王国」というフレーズでも同じことになりそうですが orz

あっとさせぼ

 枕詞に「ムツゴロウの」とつければ,なんとかなるのではないかと.

消印所沢

「ムツゴロウの航空王国」

 ムツゴロウさんが零戦に頬ずりしてノックアウトします.

「ムツゴロウの鉄道王国」

 ムツゴロウさんがD51形に頬ずりし(ry

あっとさせぼ

「ムッソリーニの航空王国」

 空中艦隊構想を進めている途中までは王国なのですが,予算が無くなり次第,終了です.

「ムッソリーニの鉄道王国」

 イタリアの鉄道の電化を成し遂げたドゥーチェは,次にイタリアの列車を正確に運行させる事に成功した.
 正に奇跡,
 ラテンのノリを乗り越えて,イタリアが鉄道王国となった瞬間であった.

JSF

>ムツゴロウさんが零戦に頬ずりしてノックアウトします.

「プロペラがすごい唸りを上げて回ってますけどねぇ,怒ってる訳ではないんですよぉ.
 わーしゃっしゃっしゃ(と言って高速回転するペラに近づくムツry) 」

肥後守

 「一式陸攻物語」撮影で,幼い陸攻を米軍機の群れに放す黒ムツさん

zen

>雷電

 博学な人のことだと思ってました.
 ムツゴロウさんを,こう,肩に乗せてですね…(以下略)

ポポフ

 雷電 Rydeen は乗るものではなくて聴くものです.なんて,おっさん丸出しなことを書いてみたり.

井上@Kojii.net

 両肩に高出力レーザーを搭載したロボットの事じゃなかったんですか?

肥後守

〜/  ´・ω)エキサイティングNEOGEO<雷電つーたら,シューティングの雷電シリーズか,餓狼シリーズのライデン,と言うのはオールドアーケードゲーマーですかそうですか(笑)

〜/  ´・ω)ミ

 え〜,ジオン軍の少佐殿ではなかったの?

鉄底海峡

>雷電

 バーチャロンのライデンではないのですかい?

CRS@空挺軍

 ここまでのまとめ

「ムツゴロウさんは雷電に乗ってイタリア機を七面鳥撃ちしていた」

丼炒飯

以上,「軍事板常見問題 mixi支隊」より


 【質問】
 航空機の主要損失要因は?

 【回答】
 主として非戦闘要因.
 以下引用.

 太平洋戦争の特徴の一つは,非戦闘要因で破壊された航空機が多いことだ.
 戦争全体を通して見ると,敵前の行動で失われた航空機は,たったの25%にすぎない.
 残りの原因は天候不順,空母からの発着艦ミス,急造滑空路による事故と,熱帯性気候による航空機の損傷だった.こうした太平洋独特の状況のため,航空機のロスは欧州戦線などよりはるかに高かった.
 アリューシャン作戦では,なんと87%が非戦闘要因による損害だった.
 たしかにアラスカには熱帯性の気候はなかったが,北極の悪天候が航空機の寿命を大幅に短縮したのである.

「第二次世界大戦 あんな話こんな話」 ジェイムズ・F・ダニガン
アルバート・A・ノーフィ 大貫昇=訳 文春文庫,P295

 また,ダニガンは,
「日本軍は航空機輸送での損失が不可解なほど多い」
とも書いている(ソースは失念).

 日本陸軍機損失23,835機中,輸送中の損失は2,015機.

 日本海軍は輸送中の損失は区別されて無いが,でもまあ常識的に考えて陸軍より比率が高いだろう.
 海軍機の統計は,損失27,120機中,作戦消耗10,370機,自然消耗16,750機.

 ちなみに,彼がデザインしたゲーム「WarInThePacific」<SPI/HJ>では10機単位で航空機を管理しており,4週間ごとに作戦配備してある航空機の10%,輸送を行った航空機の20%を損耗する.
 比率はなぜか?日米共通となっている.

(軍事板)


 【質問】
 開戦から終戦までずっと活躍できた飛行機は,日本にはあったの?

 【回答】
 原型は零戦・隼とほぼ同時期の百式司偵は,終戦最期まで輝きを失せなかった.
 三型では630km/hに達し,さらに後期量産(改造)型は12km/hの増加となった.
 P47とP51のみいくらか優速であったが,上昇追跡となることが多いため,振り切られる場合が多かったといわれている.

軍事板

 百式司偵に関して言えば,エンジンを高性能な物にとっかえひっかえすれば,よほどのことが無い限り,ずっと使い続けられるていうのは,ごく普通のことだと思います.
 1型でハ26-1公称875HPを,3型ではハー112公称1350HPに換装し,さらに風防の改設計など機体構造にまで手を入れてれますし……

 例えば,Bf109は1935年に初飛行の機体を1945年まで10年間使い倒してます.
 スピットファイアに至っては,1936年に初飛行なのに,最終生産機がロールアウトしたのは1948年,実に12年間後のことで,さらには1955年まで実戦的な任務についています.
(これは空母用ジェット機の開発が遅れてたせいもあります)

 当然,これらはエンジンや機体構造など,改良に改良を重ねた結果ですが,百式司偵にしたってエンジンと機体設計を変えてるので,立場は一緒です.

 まともなエンジンさえあれば,機体設計などどうにでもなるという好例だと思います.

 あと,偵察機も含めるのであれば,零式三座水上偵察機のことも忘れないでやってください.
 昭和15年に採用されてから終戦まで,海軍の目として飛び続けました.
 奇襲直前の真珠湾の偵察をはじめ,偵察や連絡,一部では船団護衛や魚雷艇攻撃,対潜哨戒など幅広い任務につき,百式司偵に勝るとも劣らない活躍をしています.
 スペックが平凡だからこそ,あまり気付かれないんです.特にスペックばっかり見てる人たちには.

極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS


 【質問】
 太平洋戦争末期の日本陸海軍のジェット機のまとめお願いします.

 【回答】

陸軍
 キ201「火龍」(参考:Me-262/試作中に飛行せず) ジェット戦闘機
 キ200「秋水」(参考:Me-163/8月10日,滑空試験に失敗,飛行できず) ロケット戦闘機
 キ148(参考:無し/イ号一型甲ならびに乙/試作・生産) 誘導弾
 キ48(九九式双発軽爆撃機/エンジンテストベッド) 試験機

海軍
 「橘花」(参考:Me-262/8月7日,飛行試験成功,試作のみ) ジェット有人特攻機
 MXY7「桜花」22型(参考:C.C.2+桜花11型/8月12日,飛行試験失敗,生産中) ジェット有人爆弾
 P1Y1「銀河」試作機(参考:なし/エンジンテストベッド) 試験機
 J8M1「秋水」(参考:Me-163/7月7日,飛行試験に失敗,試作のみ) ロケット戦闘機
 MXY7「桜花」(参考:なし/実用化) ロケット有人爆弾
 技研「奮龍」(参考:なし/試作実験直前に敗戦,試作のみ) 対空ミサイル

  以後,計画機
 桜花43型(参考:桜花22型)
 震電改(参考:震電)
 景雲改(参考:景雲)
 銀河改(参考:銀河)

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 下の写真の飛行機は,どういう機種で,何のために使われていたのか,教えていただけませんでしょうか?

 報國第六十九号(共同漁業号)

 【回答】
 中島九○式二号水上偵察機二型です.
 米国製 Vought O2U Corsair 水上観測機の製造権を中島が購入,エンジンを中島Jupiter発動機に換装して国産化したものです.
 基本的な任務は,近距離用の偵察,観測ですが,急降下爆撃等もしていました.
 上海事変〜日華事変初期に掛けて艦隊に配備されました.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 WW2におけるアジア・太平洋地域での日本海軍水上機の活躍はどれほどだったのでしょうか?

 Wikipediaによると二式水戦を開発した理由に,中国戦線における水上偵察機の意外な活躍があり,対米戦で敵機を落とした二式水戦も少数ながらあったとのことですが,これらの
"中国戦線における水上偵察機の意外な活躍"

"対米戦で敵機を落とした二式水戦"
ついて具体的なエピソードなどを知っている方,いましたら教えてください.

迫撃砲弾 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 【回答】
 昭和12年8月に上海にて,95式水偵2機が敵機2機を撃墜してたりします.
 遭遇戦でもなんでもなく,"空中警戒任務に就いていた"という記述で,普通に戦闘機代わりに使用していたご様子.
 無理な注文に見えるのは私だけでしょうか・・・.

 詳細は「海軍航空隊,発進」(源田 實 著). 

 また,NAL氏(あってるかな?)のサイトである「辺境の人々」に,「海軍水上戦闘機隊」というコンテンツがあります.
http://www2.cty-net.ne.jp/~purejwp/

Pekonen/Suzuki 626 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


 【質問】
 百式司偵に改造を施して三座にしたものがあるというのはホントですか?

 【回答】
 百式司令部偵察機の練習機型がそれです.
 中央部の燃料タンクを取り外して,教官席を設けました.

 蛇足ですが,後,4座以上の一種際物の現地改造もありました.
 南方から連絡業務のために百式司偵で飛行をしてきたのですが,台湾でエンジンが故障して不時着.
その不時着機を修理する為の交換条件として,不時着した飛行場にいた整備士も一緒に故国に帰らせて欲しいと言うのがあって,操縦士が,
「自分で場所を作れれば乗せて帰ってやる」
と言う条件を付けたら,放置されていた百式司偵の壊れたのを持ってきて,中央の燃料タンクを取り外して,人が乗れる空間を作って,台湾から九州の飛行場まで6人乗せて帰って来たという話があります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 百式司偵の試作,四型は平均700km/hを出したそうですが,なぜ可能だったのですか?

 【回答】
 正確には,百式司偵の1機が,昭和20年2月に北京・東京間を3時間15分で飛行したという記録があり,この時の平均速度が「700km/h」だったというコトですが.
 何故こんなに速く飛べたのかというと,「追い風に乗った」からです(笑)

 ちなみに,百式司偵四型(キ46-IV)は,排気タービン付きの「ハ112-IIル」発動機搭載型であり,この発動機の出力は三型と同じ(公称1350hp)です.
 あくまでも高々度性能の向上を計ったタイプであり,速度の大幅アップを狙ったわけではない.

シア・クァンファ in FAQ BBS


 【質問】
 以下の写真,説明には韓国語で,2次大戦中日本軍輸送?と書いてあるらしいのですが,この機体(ロッキード F14WG3)は日本軍の物でしょうか?

 【回答】
 ロ式輸送機として,陸軍が1938年にLockheedから30機を輸入し,後に立川飛行機で製造権購入の上,国産化されたものです.
 1940年から生産を始めますが,当時はグラウンドループと低速時の安定性不良の問題を抱えており,翼端固定スロットを追加しています.
 立川では1942年まで45機,川崎が1940〜41年に掛けて55機が生産されました.

 陸軍は要人輸送とか空挺隊用の輸送機として主に使われています.

 後に,積載量を増す為に胴体を延長し,離着陸時の安定性不良を改善し,貨物輸送用にした一式貨物輸送機が川崎によって開発されていますが,偶然にもLockheedも同じ思想でLockheed18を開発しています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 MXY5(16試特殊輸送機)について教えてください!
 空挺部隊用の輸送機で,単発・兵員11名の輸送が可能なスペックというのはわかったのですが,具体的な性能(要求性能)とか,じっさいに試作されたのかとか,よくわかりません.

(毛無し珍毛ボー&bow ◆nCOdVecG1w)

 【回答】
 製作機数
MXY5:9機
MXY5a:3機

 仕様
高翼単葉,木金混合骨組,外板は積層合板および羽布張り
全幅:18m,全長:12.5m,全高:3.57m
自重:1,400〜1,600kg,搭載量:1,100kg

 MXY5は無動力のグライダーだから,「単発」ってのは間違いだと思うが

(軍事板)

 例によって蛇足ですが.
 空技廠の山本晴之技師を主務者に,日本飛行機の手で試作し,1942年2月〜1945年7月までに12機を製作しています.
 設計要求は,乗員1名,兵員11名を輸送し,九六式陸攻か一式陸攻1機で2機を曳航出来るもので,離陸滑走距離は800m以内,風防と胴体の扉は着陸後速やかに開放されて,兵員の進出を容易にすることを考慮しろ,と言うものでした.

 主翼はジュラルミン2桁式で小骨は木製,木金の接着はビニール性溶剤を用い,外面は合板または羽布張りで,フラップ,スポイラー装備,操縦装置は並列複座で,曳航機と電話連絡が可能な装置を備え,降着装置は離陸滑走時は車輪(実戦時は投下式),練習用は引込式になっていました.

 試作機,増加試作機は,霞ヶ浦,木更津で実験が重ねられていましたが,滑空機の奇襲作戦研究が遅れたために実戦には出ずに終わっています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 陸軍で患者輸送機として使われたDH「プスモス」について教えてください.
 英国では単距離離着陸性能を活かして連絡機として使われていたようですが,日本ではそんな話を聞きません.三式指揮連絡機を開発するよりも,これをコピーすれば手っ取り早くて良かっただろうに,とか思うのですが,性能の方に問題でもあったのでしょうか?

 【回答】
 プスモスは,民間では朝日新聞が4機,満州航空が10機,蜂須賀侯爵の自家用機として1機輸入しています.
 この他,陸軍が連絡機として5機(愛國64〜68号)使用し,後に蜂須賀侯爵の機体も愛國114号として献納されました.
 ちなみに,満州航空と陸軍の蜂須賀家を除く献納機は,奉天航空工廠で製造されたもので,在満州官民の献金で献納されたものです.

 と言った訳で,一応,陸軍が連絡機に用いていますが,その機数は少ないです.恐らく,軽飛行機関係には余り資金が回らなかったってことでしょうか.
 それと,Puss-Mothは荒天に弱く,朝日新聞社機が1932年9月15日に遭難,2名死亡という事件がありましたし,キャビンの狭い2〜3名乗りの機体は過小に過ぎたと言うことでもありましょう.

 患者輸送機として使われたのは,Puss-Mothではなく,複葉のFox-Mothです.
 この機体は室内にキャビンを持つもので,胴体内部に担架を搭載できると言う利点が買われ,輸入機を大阪薬種製薬が2機(愛國95〜96号),陸軍軍医団が1機(愛國106号)を献納しています.
 また,満州国警察で1機が使用され,残り1機は東京瓦斯電気工業(今のいすゞとか日野の前身)が,購入し,これを研究した結果,国産のKR-1/KR-2小型旅客機を製造し,これらは海軍の連絡輸送機としても用いられています.

 De Havillandの機体は,瓦斯電の機体にかなりの影響を与えたと見て良いでしょうね.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 旧日本軍に「カ号一型観測機」というオートジャイロ偵察機があったという話を聞いたので調べてるのですが,情報が少なくて困っています.
 カ号一型観測機は実際に実戦配備されていたのでしょうか?航続時間はどの程度なのか? 教えてください.よろしくお願いします

 【回答】
 日本のAutogyroは,英国のCierva(スペインのCiervaの英国現地法人)から,1932年に朝日新聞が輸入したC.19Mk.4が最初です.
 同時期に海軍も輸入しましたが,採用には至りませんでした.

 陸軍は,米国のKelletから陸軍学芸技術奨励寄付金によって,K-3を連絡機として愛國第81/82号の名称で購入し,下志津陸軍飛行学校で,研究機材として使用されました.
 このうち,82号は墜落,大破しましたが,代機として,Kelletから再びKD-1を購入しました.
 これも事故で破損しています.

 しかし,1939年のノモンハン事件で,砲兵観測用の繋留観測気球がソ連戦闘機に容易に撃墜された為,それに代るものとしてAutogyroを製造することになります.
 そして,陸軍技術本部第四部から萱場製作所に委嘱して製造したのが,カ号観測機です.
 但し,一号機は,前述の大破した,米国製Kellet KD-1をAutogyroを修理改造したものです.
 これを基準として,朝日や海軍が輸入したC.14の実績も加味し,エンジンを空冷星形のヤコブスから,ドイツのアルグスに換装して製造されました.

 元が米国の機体で実績がありますから,性能は優秀な部類に入るでしょうね.

<性能諸元>
最大速度:165km
実用上昇限度:4000m
航続距離:360km
航続時間:3時間

 ちなみにカ号のカは萱場製作所(現カヤバ工業株式会社)のカ.
 カヤバはいまでこそ油圧機器やバイクのショックアブソーバのメーカーとして有名だが,戦前・戦時中は空母の着艦装置や戦闘機の主脚油圧装置などを製造していた.
 また創立者の萱場資郎氏は発明家にして航空マニアであり,萱場では無尾翼機やジェットエンジンの研究まで行っていた.
 言ってみれば日本のホルテンかリピッシュみたいな人物である.

 なお,下記のような書籍が出版されている.
「陸軍カ号観測機―幻のオートジャイロ開発物語」玉手 栄治 (著)

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)


 【質問】
 祖父から聞いた戦時中の話について質問させて下さい.
 祖父は当時十代後半で,埼玉県の旧大宮市にあった軍需工場で働いていたそうです.木製飛行機の製造を行っていたとか.
 そこで質問なのですが,木製機がどのようなものであったのか,お教えいただけませんでしょうか.

 【回答】
 木製機として代表的なものとしては,東京キ107練習機,国際キ86練習機,キ105輸送機,キ76連絡機,立川キ106戦闘機,満飛キ116戦闘機,空技廠の明星爆撃練習機があります.

 このうち,東京航空は新潟,国際は東京,神奈川と京都に工場を持ち,満州飛行機も満州にあり,明星は,実際には大阪と滋賀の松下飛行機で製造されています.
 大宮には中島飛行機の大宮工場がありますから,中島系の機体であるかもしれません.
 とすると,立川ですが,キ106の生産は,岡山と苫小牧の王子航空,富山の呉羽紡績で生産されていますので,大宮には当てはまりません.

 可能性としては,国際キ86かキ76の可能性が高いのではないでしょうか.
 キ86は,四式初歩練習機として採用された陸軍の初等練習機で,元はドイツのビュッカーBu131ユングマン練習機です.
 キ76は,三式指揮連絡機として採用された陸軍の連絡,哨戒機で,ドイツのフィーゼラーFi156の影響を強く受けた短距離離着陸の可能な機体です.

 思いっきり外している可能性は非常にありますが….

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 航空機搭載の対水上レーダーについて教えられたし.

 【回答】
 光人社NF文庫「海軍技術研究所」によれば,昭和十七年に空技廠が俗称『空六号電探』あるいは『H−6電探』と呼ばれる航空機搭載の対水上レーダーを開発した.
 大艇や中攻に搭載され,重量百十kg,大型艦艇なら百km,小型艦艇なら五十kmの探知距離を持ちましたが,海面からの反射があるため三km以上遠方の目標でないと探知できなかった.
 『空六号電探』は天山艦攻に搭載され,マリアナ海戦において索敵を行った.

 この電探は終戦までに二千台余り作られたが,これに対しアメリカは,昭和十八年の時点で,艦爆搭載の対空見張り用,同雷撃補助用,B−24搭載のパノラマ型,夜間偵察機用など四種類,二万数千台の航空機搭載レーダーを装備していた.

(極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS)


 【質問】
 タイに提供された日本機にはどんなものがあるのか?

 【回答】
 島千秋によれば,全93機.
 以下の種類があるという.

1) タイ空軍

立川  98式直協(キ36)  9
中島 1式戦2型(キ43) 12
三菱 97式軽爆(キ30) 9
三菱 97式重爆1型(キ21)  9
中島 97式戦甲(キ27) 12
満州 2式高練甲(キ79) 12

2) タイ海軍

三菱  零式観測機(F1M2)
立川 95式中練(キ9)

(別の資料では,95式水偵や零式3座水偵もあるとの説あり)

(from 『航空ファン』 Apr., '01)


◆◆◆生産関連


 【質問】
 従来,日本の兵器生産は軍工廠中心に行われていたのに,なぜ航空機生産は民間主体で行われたのか?

 【回答】
 予算に縛らるる官営工場からは新鋭機は現れないので,民間でやろうとしたこと.
 日本における軍用機生産の開始期が,建艦競争時代の真っ只中にあったことにより,海軍が独自の航空機生産設備を拡充する余裕を全く持たなかったこと.
の2つが理由.
 以下,ソース.

 先ず第1に,中島知久平が自ら航空機生産に乗り出す際に語ったように,
 欧米飛行機の日進月歩は,その基礎を民営の競争におく.
 年1回の予算に縛らるる官営工場からは新鋭機は絶対にあらわれず(池田清「日本の海軍」下,p.159-160)
ということである.

 第2に,さらに決定的な要因として,日本における軍用機生産の開始期が,まさに史上空前の建艦競争時代の真っ只中にあったことにより,海軍が独自の航空機生産設備を拡充する余裕を全く持たなかったことである.

 よって1915年,海軍は将来の航空兵力拡充に備えるため,民間の航空機製造能力を育成培養すべきである,との部内意見を採用,翌16年よりエンジンの民間発注を開始した(三菱神戸造船所).
 そして1919年には,機体・エンジンとも生産は主として民間工場に,修理は全部海軍工廠で行う方針を決定するのである.

(山田朗「軍備拡張の近代史」,吉川弘文館,1997/6/1,p.138-139,抜粋要約)


 【質問】
 中島・三菱は海軍機も陸軍機も作ってたけど,川崎が陸軍機ばかり,愛知が海軍機ばかりだったのはなぜでしょう? たまたま得意分野が偏ってたのか,人脈とか生産の割り当てとかの理由があったのか.

 【回答】
 最初に民間資本で企業を設立し,航空機産業に打って出た企業が三菱と中島しか無かった為です.

 三菱,中島はそのため,或程度の独自性を有して,陸軍,海軍両方との関係を持つことが出来ましたが,他社は,航空機産業育成に対して,軍部が或程度の方針を決めて来たことから,どちらかの軍と密接な関わりを持つようにして成長するしか無かったわけです.

 川崎は川崎造船の流れではありますが,1921年に当時の松方幸二朗社長によって,多角化の一環としてサルムソン発動機の国産化に取り組み,そのエンジンを搭載した偵察機のLicenseを購入します.
 この偵察機が陸軍に採用されたために,以後,陸軍との密接な関係が築き上げられます.
 岐阜工場は,各務ヶ原の陸軍飛行隊の側にありました.

 愛知時計電機は,精密時計の製造から出発し,その技術的完成度から,海軍向けの信管,雷管,機雷,その敷設装置などの兵器部品を生産していたことで,海軍と関係を持つようになりました.
 で,1920年に海軍の設計した機体(元々はハインケル設計のハンザ・ブランデンブルグ偵察機)の生産工場に指定され,その製作を始めたのがきっかけです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

川アの工場(明石工場?)


 【質問】
 P-51などのレシプロ(第二次大戦くらい)の戦闘機を一機製造するのには,どのくらいの日数がかかったの?
 B-29も教えてくれ.

(裸足侍 ◆cljj.KUKAI)

 【回答】
 米国のなら1機当たりの生産に必要とされる延べ労働時間数の記録があります.単位は「時間」です.

                            1943年1月   1944年1月
 B-17(Boeing Seattle工場)            35,400     18,600
 B-24(Consolidated Valtee San Diego工場)  24,800     14,500
 B-25(North American Ingulwood工場)     14,800     10,700
 C-54(Douglass Santa Monica工場)      142,100     62,600
 P-38(Lockheed Burbank工場)          14,800     9,600

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 ゼロ戦や隼のボディはリベットで留めてあるのですが,あんなに沢山のヶ所を,勤労動員の子供がトンカチで叩いたんですか?

 【回答】
 米国の例ですが,1944年7〜8月のNorth Americanの社報にこんな記事が載っています.
題して,「家事と航空機工場の仕事は似ている!」

・掃除機でリビング・ルームを奇麗にする → 掃除機でB-24の先端部を奇麗にする.
・脱水機で洗濯物を絞る → ローラー切削器で板金を加工する.
・キッチンテーブルの上で生地を裁断する→ エンジンカバー用の金属を裁断する
・キッチンで卵をかき混ぜる → ハンドドリルで戦闘機P-51に穴を開ける
・家で刺繍をする → 爆撃機B-25のヒートダクトを縫う
・爪にマニキュアを塗る → 機体に塗装する
・ミシンで洋服を縫う → 爆撃機B-25の皮カバーを縫う
・洋服をハンガーに掛ける → 熱処理のために部品を吊す

 米国ではまず,型板を使って板金を打抜き,ヤスリを掛ける作業から入り,次いで,ドリルプレス工に進みます.
 そこから職業訓練校の機械工養成コースを修了して,フライス盤操作に就きます.
 こういった単能機械の操作が女性の仕事とされました.

 一方,日本では,こういった作業は流れ作業化,あるいは機械力がなかったため,本来は熟練工による職人芸が必要とされていましたが,熟練工が徴兵されたため,代わりに,女子労働力と若年労働力を充てるしか有りませんでした.
 日本の場合,まず,鋏,ハンマー,鏨,パンチ,へら,やすりと言った工具,切断機,ローラー,ドリルを用いた軽金属加工から入ります.
 次いでリベット打ちになりますが,監督者の指示通りにジグをセットし,予め決められた印に従って,ハンドドリルで穴を開け,ボルトを試しに取り付ける.
 問題がなければ,二人一組の工員が,片方がエアハンマーでリベットを打ち,もう片方は全体を支えると言う工程です.

 ところが,色々なサイズのジュラルミンを機体のカーブに沿ってリベットを打つのが難しく,機体表面に凸凹が多数出来てしまっています.
 ちなみに,彼女らの養成期間は熟練を擁する作業なのに,一週間しかありませんでした.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

 なお,女性や学生が飛行機生産に関わるようになったのは戦局がかなり不利になってから.
 それ以前の飛行機生産は熟練工が非常に丁寧に組み立てていました(逆に言うと,製品の規格が甘く,熟練工・熟練整備兵でなければならない,ということでもあった).

軍事板

 【参考文献】
 佐藤千登勢著「軍需産業と女性労働 第二次大戦下の日米比較」(彩流社,2003年発行).
 ちなみに,前田裕子著「戦時期航空機工業と生産技術形成 三菱航空機エンジンと深尾淳二」(東京大学出版会,2001年発行)というのもなかなか面白い.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

航空機生産にたずさわる女子工員


 【質問】
 日本の航空機生産が順調ではなかったのは何故か?

 【回答】
 航空機工業の生産基盤は,原材料・工作機械・労働力を3要素としていたが,この3要素が揃って順調だったことがなかったため,と山田朗は述べる.
 以下引用.

 軍部の要求は下回ったものの,原材料(アルミニウム)供給がようやく大幅な伸びを示し始めた頃(1941年)には,いまだ工作機械生産は重要な部分が自立できておらず,辛うじて大工場に優秀な工作機械が配された時期(43年前半)には,労働力の質的低下が深刻化する,という具合に,生産が全体として順調に拡大することはなかった.
 つまり日本の航空戦力は,安定した工業的基盤を遂に確保できなかったのである.

 ソロモン諸島で大規模な航空消耗戦が展開された1943〜43年の時期,日米の航空機の生産性格差は,3倍近くに開いていた.
 つまり,一人の労働者が一日に生産する製品重量で比較した場合,日本を1とするとアメリカは,
1941年――2.25
1942年――2.98
1943年――2.65
1944年――3.89
の生産性を有していた(R. J. Overy, "The Air War 1939-1945", p.168).

(「軍備拡張の近代史」,吉川弘文館,1997/6/1,p.215-216,抜粋要約)


 【質問】
 日本の航空機生産が,1941年よりも1944年のほうが多いのは何故ですか?
 粗悪品が増加しつつも生産力が上がっていったのは分かるのですが,そのころになるとアルミ等がなくなって作るに作れないのでは?

 【回答】
 戦略爆撃調査団はこう述べています.
 戦争中期には航空機生産に関しては,アルミニウムは潤沢な供給があった.
 しかし44年に急激に引き上げられた航空機生産目標を達成しようとすれば,アルミの供給は需要を満たすことはできなかっただろう.
 以上要約.

 アメリカの潜水艦が輸送船攻撃を明確に打ち出したのが43年後半.功を奏すのが44年半ばごろからです.つまり,44年前半までは,ある程度アルミの新規取得が可能でした.
 43年のアルミのストックと44年前半のアルミで,44年の航空機生産を支えていましたが,景気が良かったのはあくまで前半の話.
 後半になるにつれ,輸送船の被害が拡大.44年後半にはアルミの取得は前年の66%に低下,末には新規取得は事実上0となります.
 こうして45年の航空機製造は寒いものになってしまいますが,44年はある程度のアルミの取得が可能だったことと,生産設備の充実に伴って,航空機生産はピークを迎えたのでした.
 で,あとは資材不足と空襲で生産設備が被害をうけ,下り坂を転がり落ちていく,と.


 【質問】
 日本評論社から出版された『日本戦争経済の崩壊』(アメリカ合衆国戦略爆撃調査団編,1950)の38ページに
「1942年にはアルミニウムは記録的増産となったとはいえ,その絶対量はまだまだ相対的に低かった.
 だがそれよりもっと注目すべきことはアルミニウム地金の配分であって,全量の僅か69パーセントが航空機生産用に向けられたに過ぎないということである.
 相当量のアルミニウムが,禁止された用途に横流れていたから,この数字は航空機へ廻った比率を過大に示していた.
 ことアルミニウムに関する限り,1942年においてもっと精力的な航空機増産が可能だった筈である」
との記述があったのですが,その横流しされた大量のアルミニウムは,誰がどういう用途に使っていたのでしょうか?

軍事板

 【回答】
 「横流し」という言葉は些か語弊があるか,と思います.

 当時のアルミニウムの用途としては,航空機の主要部品やエンジンの主要部品に用いられた他にも,自動車部品,船舶用材料,鉄道車輌に用いられていますし,電熱器,変圧器,電動機部品,理化学機械や試験器具類の材料,什器,食器類に用いられています.
 電動機や変圧器と言った部品は,直接軍事ではないにしろ,間接軍事の製品として,航空機の工作機械,発電所の発電機などを構成するものなど使用されており,それを全て航空機に用いるというのは些か暴論の類か,と愚考します.

 当時,一般の目に触れることが多かったのが食器類ですが,この食器類は全体数量から見れば微々たる物で,殆どが機械部品だったりします.

 余談ですが,三菱財閥には,アルミ素材を生産する日本アルミニウムと,中間加工メーカーの三菱軽合金工業(日本アルミニューム製造所),そして,最終製品加工会社の三菱重工業という形で垂直統合が出来ている様に見えますが,実際にはそんな綺麗な形を形成せず,三菱重工業は,住友金属工業,古河電気工業,神戸製鋼所から中間製品を購入しており,実際に三菱軽合金工業からの納品は多くありませんでした.
 でもって,三菱軽合金工業は,三菱重工業以外の会社,愛知航空機,川西航空機,住友金属工業,日本楽器製造,島津製作所に提供している非常にいびつな形になっていました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 この暑さからか,昨日から体調が悪く,今日は完全にグロッキー状態です.
 一昨日までは調子が良かったのに,アルカリ乾電池の如く,急に調子が落ちるのは,困りもの.

 今日は結局,通算11時間以上昏々と眠り続けました.
 それでも未だ身体は本調子ではありません.

 昨日今日と,戦時中のアルミニウム用途についてちょこっと調べていましたが,確かに「日本戦争経済の崩壊」の表で,3分の2は航空機用途として使用されています.
 で,残り3分の1は何に使われているのか,今一はっきりしません.
 この3分の1をして,同書では「横流し」と書かれている訳です.

 当時のアルミニウムの用途について,資料を漁ってみましたが,一つは食器,鍋釜類がありました.
 ただ,これは全体数量からしても微々たるものです.
 ちなみに,アルミの食器も陸海軍に納められると軍用品,民間に出されると民需品となります.

 それ以外には,自動車や鉄道,船舶でもアルミ製の部品が使われていました.

 ただ,エンジン・ブロックを完全にアルミ製にしたというのは,自動車の場合は,戦後の東洋工業が最初の筈.
 鉄道では,満鉄や朝鮮鉄道の軽量客車にアルミニウムが多用されていたくらいで,国内向けのものは,大抵が鋼板製の車体だと思います.
 船舶は,内航客船で軽量化の為,上構をアルミニウム製にしたものがあった様な気がする.

 1943年まで民間航空機は生産されていますので,航空機用の各種部品として,アルミニウム製品を使用した場合,その分は民需用として計上されるのではないか,と思ってみたり.

 また,間接軍需として計上されているものもあります.
 直接軍需の場合は,直接軍用に資するもので,例えば,軍用機そのものや,そのエンジンなんかは完全な軍需品となります.
 これは軍用になるのが明確なもので,統計上も軍用になるものですが,その生産の為に必要な生産機械に,アルミニウム製品が使用されているのならば,それは間接軍需となります.

 生産機械もアルミニウム製品の一つの用途ですからね.

 ところが間接軍需というのは,軍用か民間用かの区分で行くと,民間用の方に計上される訳です.
 そうした機械の方に振り向けられた製品は,民需として扱われたのであれば,1943年まで3分の1の生産量が民需となったのも頷けます.

 つまり,「横流し」という表現は不適当なものではないでしょうか.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年08月07日21:55


 【質問】
 陸軍で隼の代わりに零戦を,海軍で紫電改の代わりに疾風を採用するには部品の規格が陸海軍で違っていて,工場の設備まで総入れ替えせざるを得ず,余計手間がかかると聞きます.
 無線機や機銃はともかく,陸海軍で機体の部品まで整合性がないんですか?

 【回答】
 当時の日本にはJIS規格などは無く(あっても規格どおりの製品を作るのは無理だった),同じ零戦52型でも生産工場によって部品があわない等と言うことは常でした.
(下手すると同じ工場でもヤスリなどで調整しないと合わない)
 なので,設計段階から別物の陸海軍の航空機の部品の共有など夢のまた夢です.

 たとえば全国共通の10mmのネジを作るとすると,まず,幅・長さ・ねじ穴の大きさ・ピッチ・山の数などの詳細な規格を定め,その規格どうりに寸分違わぬネジを作成しなければいけませんが,当時の日本にはそれだけの工業力や工作精度はありませんでした

 現在ではJIS規格などによりネジや部品がどの工場生産の物か等気にしなくても,規格さえあえば使用できるようになっているので気がつきにくい事ですが,当時の日本では考えられない事だったのです.


◆◆◆発動機関連


 【質問】
 日本のエンジンの命名規則について教えてください.


 【回答】
 発動機は1938年5月23日に,「航空発動機ノ名称竝ニ製造番号付與様式」が定められ,漢字名で種別,形式名となりました.
 例えば,栄の場合は榮発動機一二型となります.
 最初の一桁目の数字は,重要な構造の相違,残りの一桁目の数字はその他の構造の変更を示していました.
 また,試作中の制式発動機の場合は,形式を示す数字の後に「改」が付き,改修の順番に一,二と番号が振られていきました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 第二次大戦期の日本軍の航空機は,米国軍のものに比べてプロペラ径が小さいものが多いようですが,プロペラ径を小さくしていた理由として,
1)大直径だと主脚が長くなり,重量が増す,
2)大直径だと加速が悪くなる
3)技術力が足りなかった
というような事を聞いたことがあるのですが,これで正しいのか,他の理由があるのか教えて下さい.

 また,2)の加速が悪くなる,というのは戦闘機なら加速性が重視されるであろうことから何となく分かる気がするのですが,攻撃機にも適用するのでしょうか?

(のりんこ ◆hj2qSUtMV2)

 【回答】
 プロペラの設計/製造技術自体も日本は欧米に比べて遅れていたようです
 戦前はアメリカのハミルトンからライセンス買ったりNACAからデータ貰ったりしてたのが,日米関係の悪化で技術が入ってこなくなっちゃいました.
 戦中はドイツのVDMなんかのライセンスに頼ってましたが,プロペラ設計に関しては日本独自の技術は確立できなかったようです.

 その辺の経緯については佐貫亦男先生(プロペラ設計の専門家で,プロペラグ術習得のために戦中にドイツ留学されてた方)の著作に縷縷嘆き節が書き連ねてあったと思いますので,興味があれば一読されてはいかがでしょうか.


 【質問】
 プロペラシャフトから機銃を発射する形式のエンジンが,日本に無かったのはなぜですか?

 【回答】
 一応,三菱にてHispano-Suiza 12XCrs/12YCrsの国産化が図られましたし,川崎ではDB601,愛知ではDB600の国産化が行われていました.

 で,1935年にフランスからMotor Cannonを装備したDevoitine D.510J戦闘機を陸海軍共同で1機ずつ購入してテストし,陸海軍とも一時的にこれを装備した戦闘機を開発させています.
 陸軍は中島にキ-12を,海軍は三菱に九六式三号艦戦を試作させました.

 しかし,D.510Jの評価に関しては,高空に於ける速力,上昇力,運動性は優れているものの,4,000m以下の中,低高度での運動性は,九六式艦戦,九七式戦闘機に劣り,昇降舵,補助翼の操作が重く,各舵の釣り合いに難があり,当時の操縦士には余り好まれませんでした.
 またCannon自体,給弾装置に欠点があったために,実用性が劣ると判定されています.

 キ-12は,D.513の様な国産初引込脚式の野心作でしたが,運動性が他の機体に劣り,発動機の製作困難で中止,九六式三号艦戦も,運動性に難があり,同様に試作のみで中止されました.

 三菱の12YCrsは,そもそも650馬力エンジンの実用化に手間取ったのに,更にエンジン負荷増大による精度,材料対策不足があり,また,三菱自身も空冷にシフトしたため,頓挫しました.
 12Xでは接合棒は叉状式で,これに悩まされたのに,12Yになると副接合棒方式になるため,技術の蓄積が無く,実際量産化しても,モノには出来なかった可能性があります.
 また,減速歯車も,歯車相互の中心距離を240mmから300mmへと拡大する必要がありましたし.

 愛知のDB600や川崎のDB601も装備しようと思えば装備出来ましたが,軸部の熱処理不良に始まる各種の技術的障害があり,装備せずに終わりました.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 三菱がイスパノ系列の水冷/液冷発動機に見切りをつけたのは何時頃でしょうか?

 【回答】
 1934年まで,Hispano-Suizaのエンジンが製造されていますが,450馬力でまず製造困難に直面し,650馬力に至っては手に余る有様で,それを発展させた九三式も同様に少数生産に終わっています.
 これは,熱的設計が今までの経験と全く異なっていたことと,燃料の問題もあり,更に今まで補機類はフランスから買い付けていたものの,これを国産品に改めたために,品質の問題が発生したためです.

 この対策費が莫大になったことと,そのHispano系エンジンの故障に業を煮やした海軍から,「使用ニ耐エス」と言う通告があって,ついには工場で生産するエンジンが無くなり,三菱航空機の経営に相当の支障を来すようになったため,三菱財閥の岩崎小彌太主導で,造船と航空機の合併が,1934年6月に実施され,三菱重工業が成立します.

 この時,発動機部長に就任した深尾氏が立てた目標は,
 1. 性能,信頼性,および安価であることに於いて,世界一の航空発動機を作る.
 2. 水冷か空冷のどちらか一方の開発に絞る.
   (海外優秀メーカーはどちらか一方に特化している.二兎を追う者は一兎をも得ず)
 3. 海軍用,陸軍用を区別すべきではない.
 4. 軍と合作では世界一のものは作れない.他の掣肘を受けることなく,独自に設計すべきである.
として,水冷,空冷の方針検討を行います.

 ちなみに,1934年6月に三菱重工常務の郷古潔の渡欧時に,Hispano-Suizaとの間にライセンス契約の更新を行い,水冷650馬力エンジンのLicenseを締結したばかりでしたが,年末には,深尾は空冷一本の方針を打ち立て,以後は空冷一本に開発が絞られます.

 その理由としては,
 1. 水冷論者は直列型の前面抵抗が小さいことを重視するが,馬力向上に従って差が無くなる.
 2. 水冷よりも吸気弁を大きくできるから馬力が大となる.
 3. 気筒数は複列にすることで,水冷より多くできる.
 4. 水冷式は部品の大きなものがあるから廃却品の影響が大きい.
 5. 同型部品数が多いから量産に適する.
 6. 水冷式は機関砲の取付が容易だと言うが,回転同調装置の使用により,優劣はない.
 7. 冷却器が不要である.
としています.

 但し,そのボア・ストローク径は爾後,ほぼ一貫して,三菱系航空機エンジンに用いられています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 DB601エンジンのライセンス購入のエピソードで,陸海軍両方が支払って二重払いになったというものですが,学研で出てきた説に,「二重払い」ではなく「ドイツ側の提示額が高すぎるのでワリカン」という話がありましたが,これの信憑性はどれほどあるのでしょうか?

・最初にDB600の購入に海軍が興味を持つ.
・陸軍も欲しいと思ったけれど話し合いの結果海軍優先になる.
・ところがダイムラーが提示したライセンス料280万円に対し,海軍が提示できたのは40万円.
・揉めに揉めたあげく,お役所的で予算の大幅増額が難しい海軍を通してでなく愛知が交渉の前面に出る.
・具体的な金額は不明だが,ライセンスの範囲をDB600CIIIまでに限ることによって当初の要求の半額以下で契約した.
・おかげでDB601のライセンスは別途契約するはめになった.

こんな感じだったと思います.

●反論情報掲載

・元々買おうとしていたのはDB600で,最初は海軍がドイツ当局を介して交渉
・この契約はその気になれば陸海軍どちらでも使えるもの
・海軍の予算は30万から40万,相手の希望価格は280万だったが,どうもドイツ当局が説得したらしく140万円で購入が纏まる
・軍が川崎の主導でDB601を購入したときの価格は180万円
・海軍の交渉が難航していた時,陸軍がやろうとしたが海軍の話が一段落するまでは手控えろ,とこのときは相談していた

 なんかよく分からなくなりました.

マチムラ in FAQ BBS

 【回答】
 古書『丸メカニック 飛燕&5式戦』を入手.
 その中に土井武夫・元川崎航空機試作部長の記述がありました.(p.51-52)
 以下に引用させていただきます.

――――――――――――
 陸軍はいったん空冷式エンジンで進むことに決めたが,当時英米独ソの戦闘機が主として水冷式を装着しており,ことにわが国と友好関係にあったドイツにおいて,水冷式エンジンのダイムラーベンツDB601(出力1100ps/ 4000m)を装着した戦闘機,メッサーシュミットMe109(単発)およびMe110(双発)が高性能を誇っているのを見て,昭和13年の中ごろから川崎をしてダイムラーベンツ社との間にDB601の製造権購入の折衝に当たらせた.
 両者の間で製造権購入に関する契約がまとまったのは昭和14年1月で,川崎は直ちにその製造技術習得のため山崎精氏を団長とする技術者10名をダイムラーベンツ社に派遣した.
 このDB601については,これより少し前に海軍においても愛知航空に製造権を購入させ同社で製作することになっていたが,改めて陸軍の分として川崎が製造権を獲得したのである.
 製造権の金額が当時の金で50万円というから陸海軍を合わせると100万円(現在の金で約20億円に相当)になる.
 日本政府しとて(原文ママ)購入すれば半額の50万円で足りるものをと,ヒトラーは日本の陸海軍の中の悪いことを皮肉っていたという.
 このことは筆者が川崎重工の鋳谷社長(川航社長兼任)から直接きいた話である.
――――――――――――

 学研の新説がどのような資料的根拠に基づいているのか,当方は拝見しておりませんが,関係者のこのような証言がある以上,従来の二重払い説のほうに信憑性があると愚考いたします.

消印所沢 in FAQ BBS


 【質問】
 DB601エンジンについては,燃料直噴技術と無段変速過給器に惚れ込んでライセンス生産権を日本は取得したらしいのですが,この無段変速過給器や燃料直噴技術は,そのまま日本の航空機エンジンに応用されてるんでしょうか?
 震電に搭載予定だったハ43が無段変速過給器を装備しているらしいのですが,これはDB601のものを改良したものだと思って間違いないでしょうか?

 【回答】
 三菱の航空機エンジン開発に於いて,ドイツの影響は弱いものです.

 三菱は,Hispano-Suizaに学び,またP&W社との技術交換(技術者間では,実用化前のTwin Hornetを見せられたり,金星のアウトラインを話したりしています.)をしており,三菱のエンジン開発の総元締である,深尾は,欧米視察の際,総じてヨーロッパのエンジンに見るべきものはないと結論づけています.

 この辺の技術は,三菱に於いては国産開発か,P&Wの技術の応用のいずれかで,DB社の改良などは,まず,社内で採用されなかったでしょうね.

 ただし,DBの燃料噴射装置については,製造会社のボッシュがライセンス提供を認めなかったので,三菱の燃料噴射装置は実質的にボッシュの無断コピーをしています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2他 in 軍事板


 【質問】
 DB601Aをライセンス生産したのは,日本の工業水準を考えると無理があったの?

▼ 【回答】
 これについては,普通にライセンス生産してそれなりの物を作っている.
 渡辺哲国によれば,当時の日本の航空発動機移管する開発・生産技術レベルは,米英独に比べて5〜10年ほどの遅れがあり,愛知飛行機でのDB601A国産化は苦心,改良の連続.
 その過程で無酸化調質法などの特許技術も開発したという.


 元701空整備分隊士,青海中尉の手記によれば,問題が起きたのは多かったのはアツタ21型では
・理解不足による整備不良や破損箇所の修理ミス.
・粗悪な燃料が異常燃焼を起こす.

・後期に入り,圧縮比を上げて出力向上を狙った結果,生産ラインの変更に対応できずにを起こす
・燃料噴射量を補正する温度感受器の不調による振動,爆音不調
・倒立V型の宿命ともいえる,燃料室への燃料,潤滑油の残留による点火栓汚損
・出力調整を行うための各管制器の不調

――といった点.

 その後,努力が実ってアツタ21型の生産と品質がやっと安定した頃に,出力向上を目指したアツタ32型への大幅な設計変更があり,それに伴う準備の遅れと技術的問題
冷却液の代わりに加圧水を用いるように改設計した結果,冷却系が内圧に耐えられないということも起きた.
 また,エチルアルコール入り燃料が発生する蟻酸対策を施したり,ニッケル輸入途絶という日本の国情に合わせた改修をしたりもしていて,そうしたニッケルクローム鋼からシリコン・マンガン・クローム鋼への切り替えに伴うクランク・シャフト・ピン軸部の剥離・研削割れやローラーのピッチング等が発生している.
,そのままコピーした上での製造ミスによる不具合を生じていた訳ではない.

とが発生して,そのために立ち上げが3〜4ヶ月遅れて生産遅延,「首なし彗星」が発生する原因となったが,立ち上げ後は一時期を除いて敗戦まで,アツタ32型の生産は継続されたという.

 詳しくは『世界の傑作機69 海軍艦上爆撃機「彗星」』(文林堂,1998.3.5),p.68-73を参照されたし.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 また,『液冷戦闘機「飛燕」』(渡辺洋二著,文春文庫,2006.7) によると
(今手元に無いんで正確ではないですが)
・液冷の為,長いシャフトが必要だが,必要な強度を得られなかった
・途中からモリブデンなど使用禁止され,さらに強度が落ちた
・同軸機銃の装備も構造が複雑になるので見送られた
なんて記載もありますね.
 エンジン製造遅延はかなり最初から起きてるようで…

 工具などにしか貴重な金属が使えず…という貧乏体質が,こういうとこにも出て何とも…

ちくお in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


 【質問】
 戦時中日本で国産化されたDB601.
 製造上のトラブルとしてクランク・シャフトが上げられることは多いですが,フルカン過給器の製造トラブルとかはあんまり聞きません.

 フルカン過給器の国産化はネックにならなかったの?
 実はそうとう梃子摺ったけど,さらに梃子摺った部分があったから,クローズ・アップされないだけ?

 【回答】
 フルカン過給器より前の段階で,既に技術的限界に達しており,過給器のトラブルは目立たなかったようです.
 と言うか,日本の技術水準でDBを国産化するのが無謀の極みでした.Jumoなら何とかなったかもしれませんが.

 そもそも,フルカン接手式過給器というのは,流体カプリングの内部に入る油量を高度(空気密度)に応じてアネロイドで自動的に調節し,過給器のブースト圧力を制御すると言うものです.
 これは,ディーゼル機関車とか自動車のトルクコンバータと仕組みは同じです.
 この実現には油量制御が重要なファクターとなってきますが,日本のシールド技術は,今とは比べものにならないくらい低いものでした.
 従って,潤滑油制御が出来ませんから,これもネックと言って良いのではないでしょうか.

 余談ですが,日本でトルコンがまともに実用化できたのは,1950年代後半から60年代に掛けてで,最初に手がけたのは,1950年のこと.
 これを実用化したのは,今はオフィス家具の大手である岡村製作所だったりします.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

 【質問】
 なんでまたDBを?
 フルカンと直噴があったればこそこれを選んだんだ,って気もしなくもないですね.
 わざわざ常識的なJumo買い直すくらいなら,むしろイスパノ捨てずに進んでおいても良かっただろうし

 【回答】
 一応,「ドイツの技術は世界一ぃぃ〜〜〜」ですから(苦笑.
 スペイン戦争で活躍した,Bf-109やHe-111が装備していたエンジンで,しかも最新技術を利用していると言うことで,日本の軍部が勇んで購入したみたいです.
 ドイツに於いても生産や稼働状況に難があったのですがねぇ.

 川崎航空機のParis駐在員で,このエンジンの技術導入交渉に当たった人が,
「Daimler-Benzの精緻な構造と斬新なアイデアは日本の技術水準では無理だから,寧ろ設計がオーソドックスなJumoが良い」
と意見具申をしていたそうですが,無視されたそうです.

 歴史に「たら・れば」は禁物ですが,万一,Jumo装備のHe-111が伊式重爆の代わりに入っていたら,Jumoで行ったかもしれません.

 Hispano-Suizaの12Yシリーズは,エンジンの回転数が低かったので,馬力が出なかったですし.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 日本陸海軍はDB601のライセンスを買ったが,ハ40は設計段階から材質を落とした.
 そのハ40の出力向上型がハ140で,首なし飛燕に搭載されるはずのエンジンはこちらになる.
 二重に「日本向け」な改設計を行っており,ライセンス生産の要件を満たしているとは言えないのでは?

 これでライセンス生産なら,栄だってライセンス生産だ….

 【回答】
 ライセンスを買って生産した物を「ライセンス生産で無い」とは,これ如何に?

 改設計といったって,心臓部のシリンダとクランクは,材質を変えた程度でほぼ手付かず.
 冷却系がやや変更になったくらいで,改良の域を出てない.
 ハ140は,圧縮比と回転数を上げ,水メタ噴射装置をつけたのみ.
 逆に言えば,それ以外はほぼ手付かずでDB601のままなんですけど.

 一方,栄は「寿」をベースに,複列・小型化,高出力化したものであり,シリンダやピストン,クランクなどのエンジン心臓部が完全なオリジナル設計となっています.
 栄とハ40は,どう考えても同列では無いでしょう.
 そんなこと言ってる資料見たこと無い.
 あるならぜひ見せていただきたいものです.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WWU当時,三菱の金星はちゃちゃと動き,中島の誉は「国を滅ぼす」と言われたのかな?
 馬力数だけの問題だったのでしょうか?
 中島は三菱に比べて粗製濫造だった,というような話を聞いたような気がするのですが.

 【回答】
 三菱のエンジン開発は,深尾という造船のdiesel engine部門にいた技師が,発動機部門を統括し,彼を中心に回っていました.
 彼はDiesel engine実用化で苦労したことから,エンジンの設計を整理し,金星を作るに当り,そのシリンダーのボア・ストロークを140mm×150mmとして(これは当時ライセンス生産していたイスパノスイザの水冷エンジンと同じもの),これをベースに,ストロークを短くして排気量を小さくしたものを瑞星,排気量を大きくしたものを火星として開発しています.
 火星は排気量を大きくするために,ボア・ストロークを150mm×170mmと拡大していますが,気筒数など大きな変更はありません.

 即ち,大幅な設計変更をせず,今まで実績のあるシリンダを組み合わせることで生産の効率を上げ,トラブルを招かなくても済んだのです.
 実際,三菱で製造されたエンジンは,ボア径は140mmか150mmのいずれか,ストロークは130mm,150mm,170mmのいずれかしかありません.

 方や,中島には深尾の様な全てを統括する技師がいませんでした.
 このため,各設計者が自分の考えでボア径,ストローク長を決めていました.
 信頼性のあるエンジン開発で,手慣れたボア径を変更することは危険です.
 一方で,新機構,馬力などの性能に拘り,ボア径は110〜160mmまで5種類のものを用い,また,コンパクトにすると言うことは剛性が弱いと言うことも言えるでしょう.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 「誉」エンジンには,どこに問題があったのですか?

 【回答】
 戦時用としては理想に走りすぎていたため,耐久性に問題がありました.
 以下ソース.

「昭和17年7月,(零戦後継機の)計画要求書が三菱社へ届いた.これにはエンジンの指定はなかった.
 堀越技師は,会社の主張が通る余地があるものと解釈した.
 しかし9月になって,「誉」を使用することを海軍側で決定し,三菱社へ通達してきた.
 堀越技師としては当然,不満であるが,烈風は本来,海軍の戦闘機であり,海軍が使うのである以上,これ以上に言うことはないと考えた.
〔略〕

 19年4月,〔烈風〕1号機試作が完了,5〜6月にかけ,会社および官の試験飛行が行われた.操縦系統その他振動などの問題はなかったが,エンジンの調子が不良で,出力不足は歴然としていた.
 19年7月,官民合同研究会で性能不足は第一に取り上げられ,大問題となったが,「その原因がエンジンの出力不足にあり」と指摘する人は,海軍側には一人もいなかった.
 「誉発動機取扱説明書」冒頭部分には,
「本書記載の諸元は計画上ないしは試製発動機により得たる数値にして,本発動機の標準値を示すものなるも,各発動機の諸元に関しては,所属の来歴簿記載の検査成績を参照し,取扱上注意を有す」
という記載があったという.
 これは,量産された機体に搭載された「誉」エンジンの性能は保証しないとも解釈できるのである.

 三菱社は「誉」エンジンを機体から外し,地上テストをした結果,海軍提供データより25%も少なく,また,このデータは,飛行試験で測定した性能データから逆算した出力に一致した.
 また,「誉」エンジン装備の,川崎社の紫電改や中島社製の彩雲について調べてもらった結果,いずれの「誉」についても性能低下が起きていることが分かった.
 昭和19年9月,空技廠で研究会が開かれたが,「誉」装備の新型機の試験飛行は必要なしの空気が支配的だった.
 堀越技師は,最近のエンジン出力低下のデータを見せて説明し,三菱の「MK9A」を装備しての試験飛行をさせてほしいと要望した.
 航空本部と軍需省の関係者は行きがかり上,賛成はしなかったが,航空本部関係者の一部が共感を示した上,航空本部長,和田中将が熱心に支持斡旋し,烈風改の設計データを得るために,三菱社のリスクで5,6号機に「MK9A」を装備して試験することが,航空本部によって認められた.
 ところが8月に入って突然,軍需省から三菱に対し,「烈風の生産を中止し,紫電改の生産準備をせよ」の指令が届いた.これは三菱社内の関係者にとって,相当なショックであった.
 しかし〔略〕飛行試験は7月4日の会議で公式に認められている.

〔略〕
 「ハ45(誉)」エンジンは,「ハ25(栄)」エンジンと殆ど変わらぬ直径で大出力を実現した,夢のエンジンだった.
 しかし,ピストン・スピードは世界常識を超えており,戦時用としては理想に走りすぎていた.耐久性に問題があったのである.
〔略〕
 戦闘機開発計画に関しては,操縦者が強すぎたようである.往々にして,敵機を全く撃墜していないパイロットも,次期戦闘機はかくあるべしとの主張は持っていた.
 そして海軍には,「技術者は用兵上の意見を具申すべからず」という伝統的不文律があったといわれている」

(「陸海軍『戦闘機開発システム』を検証する」是永明彦,from「丸」 Feb., '01)


 【質問】
 海軍が誉エンジンにこだわったのは何故ですか?

 【回答】
 対抗馬A20はカタログ性能上,海軍の要求に合致せず,また,中島に対する軍の肩入れもあったため.

 誉エンジンは,1940年に企画が立てられました.
 それは,栄エンジンと同じボア・ストロークで,外径寸法は栄の僅か30mm大というもので,栄の18気筒版というものでした.
 使用ガソリンは,米国から輸入する100オクタンを想定していました.

 海軍は性能の良い航空機を開発するには,軽量で出力のあるエンジンが必要と考えており,誉は正にそれに合致するものとなった訳です.

 一方の三菱は,金星を18気筒化したA20エンジンを開発しています.
 こちらは,手堅く,将来のオクタン価が低いガソリンの使用も考慮し,若干大型で放熱設計などもきちんと為されていましたが,こちらもクランクシャフトの焼き付きなどの問題が発生しています.
 ただ,誉に比べエンジン外径で50mm大きく,乾燥重量では115kg重かったのと,カタログ性能上はパワーウエイトレシオが低く,海軍の要求に合致しませんでした.

 ついでに,三菱は,製品全般に言えることですが,官に無条件に従うものではなく,言うべき所はきちんと主張するために,結構軍との軋轢もありました.
 このため,軍の意向をある程度汲んでくれる,中島飛行機の方に肩入れをしたと言うのもあります.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

 例えば,烈風の開発に関する記述を読みますと,烈風計画が具体化した昭和17年夏,堀越技師はMK9A(のちのハ45)を推したが,海軍はNK6A(誉)を推し,押し切られた形となったそうです(碇義朗「幻の戦闘機」,サンケイ出版).
 また,19年5月の試験飛行により,エンジンの出力不足が明らかになっておりますが,
「なおも海軍側は機体の設計や工作上に,速度不足の原因を追求して,発動機側の問題を正式に取り上げようとしないので,我々は全く苦しい立場に追いこまれて,何か我々の過失を責められているような気持ちで,実に耐えられないものがあった」(曾根嘉年技師)
という状況があり,海軍側も,
「我々は余りにも誉に首を突っ込みすぎ,愛情を持ち過ぎたため,冷静な客観的判断に欠けたきらいがあったかもしれない」(空技廠発動機部・松崎敏彦少佐)
と証言しております(「幻の戦闘機」).

 一方,異なる見方もあります.
 学研の「烈風と烈風改」は,「拘ったのではなく,当時は『誉』以外に選択肢はなかった」説をとっています.

 同書によれば,誉のライバルとして挙げられているA20(ハ43)ですが,設計開始が誉の昭和15年2月に対してハ43は昭和16年前半,初号機完成が昭和16年3月に対して昭和17年4月,量産開始が昭和18年9月に対して昭和19年11月と,ほぼ一年の開きがあり同世代の発動機とは言いがたいものがあります.
 一見すると海軍は誉にこだわっていたように見えますが,早期戦力化を望む海軍としては誉以外に選択肢は無かったというのが実情のようです.

 その根拠として,
(1)「A7M1計画説明書」の中に
「MK9C(「ハ43」51型)及びNK9K(「誉」22型)の二者を候補として諸性能の基礎研究をなしたる結果,性能上は前者の方が有利と認めたるも,発動機完成時期の確実さより後者を採用することに指令せられたり」
と書かれている事,
(2)・昭和17年12月に出された「十七試艦戦計画要求書補足事項」において発動機換装が容易に行えるように要求されていること,
・十七試局戦及び十七試陸戦の発動機にはハ43が指定されていたこと等,
海軍が状況にあわせて発動機を選んでいることが示されていること
が挙げられています.

 烈風について言えば,
・昭和18春以降,陸上戦闘機の主力化が進み艦戦の価値が低下したこと.
・九州飛行機に対して発注されていた量産型烈風の部品が,初飛行前にすべてキャンセルされていたこと.
・烈風と同じ発動機を積み,烈風と同じく発動機の不調に悩みながらもそこそこの数字を出し,烈風より先に飛んだ紫電改が,昭和19年春に次期艦戦に内定していたこと等,
海軍は初飛行前から烈風に見切りをつけていたことが述べられています.

(B7A2 in FAQ BBS)


 【質問】
 航空用空冷エンジン,栄と瑞星について質問です.
 太平洋戦争中,主力エンジンとなったのは「栄」でしたが,最終的には「瑞星」も相応の出力向上に成功しています.
 しかし,大々的に量産された栄に対し,瑞星は微妙に影が薄いです.

 栄と瑞星を分けたものは何だったのでしょうか?
 瑞星は栄に対して何が劣っていたのでしょうか?

 【回答】
 一番大きいのが,中島の方が量産化技術に関しては一日の長があったことです.
 三菱は,各工程に「名人」がいて,仕事は丁寧なのですが,量産には向かず,これを是正するのに幹部は苦労しています. ※

 一方,軍部に対する姿勢は,三菱が,軍部の意向と関係なく,独自の姿勢を貫いたのに対し,中島は,軍部の意向を積極的に取り入れたこともあります.

 更に,三菱は,金星を主力とし,瑞星は小型機用,火星は大型機用と割り切ったこともあります.

 ※学研ムック「疾風」所載の数字ですと,

瑞星(ハ26)の総加工時間 最大5,090h 最小1,970h に対し
栄10の総加工時間      最大6,560h 最小3,392h

ハ102の総加工時間 最大9,250h 最小2,080h に対し
ハ115の総加工時間 最大7,177h 最小3,621h

となって,やや瑞星系が優位に立っているようですが.これは三菱が内製を好んだのに対し,中島が外注を多用したことも一因です.
 三菱の名古屋製作所の場合,
第一次工場が130(エンジンに直接関係する工場数60,直接利用できる工場数37),
第二次工場が234
で,エンジンについては20%しか外注していません.
 このため,需要が急増した際には生産能力が不足し,協力工場の保有能力を発揮出来ていません.
 また,生産の際には,信頼性維持に重点を置き,試運転中に事故を起こしたエンジンは徹底的に分解,その部品一つ一つを調べ,原因を追及することに重点が置かれており,生産機械はあるものの,それを生かす状態にはありません.
 また,内製でも加工不良率は45〜49%で,素材重量の25%が製品化出来ると言う状況でした.
(参考ながら,ライトの場合は材料不良率,加工不良率共に10%程度でした.)

 中島は,早くから部品に関しては外注先を育成しており,84社の協力工場の本社作業の割合は70%に達しています.
 気化器,燃料ポンプ,マグネトー,軸受,バネについては全量外注工場で製作され,敗戦近くになると,吸排気弁,ピストンピン,弁てこ,弁てこ軸,サブコネクティングロッドに至るまで,協力工場に移しており,協力工場も技術的向上があります.

 後,余談ですが,三菱が金星を作った時,これは陸海軍に反対されている状態の中で製作を強行しています.
 しかも,金星は海軍向けとなり,陸軍向けに開発していたハ6は結果的に後回しになり,更に,金星の性能が高かった上に,三菱の所長がハ6は不合格になっても構わないと発言したと伝えられたこと,加えて,別のエンジン試作での陸軍の研究指導が拙劣だと言う内部文書が見つかって,大騒ぎになり,陸軍は赫怒しています.

 このため,陸軍は金星とほぼ同じ機構に改良したハ6は,1937年に理由無く不採用となり,中島のハ5生産を命じられます.
 陸軍が,金星を採用したのは,1941年のことです.
 また,堀越技師は本来,零戦に金星を使いたかったみたいです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2他 in 軍事板

2007年,ヤフー・オークションに出された「瑞星」エンジン



 【質問】
 栄エンジンをパワー・アップさせることは考えられなかったの?

 【回答】
 栄のパワーアップ版が誉ですよ.誉の設計は,基本的に栄の18気筒版でしかありません.
 単純に言って,栄の3割り増しの排気量で3割り増しの出力.
 さらに高回転型にチューンすることで無理矢理1500から1600馬力を絞り出したチューンドエンジン.
 だから生産性も悪ければ扱いもややこしかったのです.

軍事板


 【質問】
 ハイオクガスがあれば,誉もあっさり2000馬力で回ったのではないでしょうか?
 誉が無理な設計だったと言うよりも,低オクタン燃料での運転が無理だったと思っていますが.
 構造的には,誉は単なる栄の18気筒版だと思うのですが.
 で,栄よりも高回転かつ高ブーストと言う運転条件の面でハイオク燃料が必要だったと思います.

 【回答】
 「誉」は構造的に無理がありましたから,性能低下や信頼性不足は燃料の質だけの問題ではないです.
 アメリカで行われた疾風の試験時,誉には入念な整備が行われ,なおかつオクタン140の特殊ガソリンを用いて,その時点で離昇出力は2040psでした.
 あっさり2000馬力はどうかと....
 低オクタンで高回転まで回そう,というのに無理があるのは事実ですが,それ以前に高回転で回すことそれ自体による無理がそこかしこにあるエンジンでした.

 とにかく,燃料とかプラグとかどれか一要素が良くなっただけで飛躍的に性能が上がる程,当時の日本の航空エンジン事情は甘くは無いのです.

軍事板

 本来,誉は1600HPあたりを狙っていたのですが,問題は要求出力をさらに欲張りすぎた事と,仕様どおりに製造できなかった事があると思います.
 末期においては数をこなすために,不良チェックがかなり甘くなり,いいかげんなものまで納品されてしまったようです.
 今に通ずるお役所仕事的な事が横行していたと聞きます.

 実際,誉も部隊(47戦隊でしたっけ)によってはちゃんとした稼働率を誇っています.

 ていうか,その原因は当時の日本の技術知識水準が低過ぎる事に有ると思います.
 なにしろ自動車に乗れるのがまだ特殊な技術でした.
 軍隊に入ってはじめてエンジンに触る人も多かったでしょう.
 ましてや,そういった行政を取り仕切る高級将校などはさらに世代の年代なので,さぱっぱりわからなかったのではないかと想像します.
 ここで大きな差が出てくると思います.
 他国では,エンジンのプラグやオイル交換,オーバーホールをするのは当然ですが,日本ではほとんどそういった習慣がありません.
 その部隊は,ちゃんと整備をする事によって稼働率を維持できたようです.
 それが日本では特異な方式だったようで,他の部隊から良く見学者が来たとの事ですが,アメリカ軍の整備方式は(当然ながら)同じようにやっています.,

 また,失策としては本来リスクの大きなエンジンの開発を一本に絞り,他のエンジン開発を中止させた事が有ると思います.

軍事板


 【質問】
 大戦末期の日本軍の空冷18気筒エンジン,ハ44について質問です.

 信頼性・稼動率を重視し,「誉」よりは常識的な設計に抑えたものの,トラブルが頻発したとの説明をよく見かけます.

 1)このトラブルはどんなものだったのでしょうか?
 2)このトラブルは当時の技術では解決できないものだったのでしょうか?
 ハ44を玉成させるために必要だったものは(時間以外),なんだったんでしょうか?

 【回答】
 え〜っと,ハ44は川崎が特殊連絡機用に試作した直列6気筒エンジンなのですが,統一名称の方のハ44ですかね.

 寿系の最終発達型ではありましたが,後列シリンダの冷却が不十分で,性能が上がらない状態だったようです.

 後段に関しては,思いっきりたらればの話になるので,明確な回答にはなりませんが,三菱のようにエンジン開発体制として中心に一人責任者を置き,彼が全体を統括,彼によってボアとストロークの関係をきちっと整理出来ていれば,また,前列シリンダと後列シリンダの間隔を適正なものに変更できていれば,更に,工作精度が戦前並みに確保出来ていれば,醸成が可能だったでしょうし,更に言うならば,誉開発に手が取られなかったら,もっと楽になっていたかもしれません.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 ハ5 ハ109 ハ41は失敗作だという説を聞きました.
 基本的に使い慣れた寿の14気筒版としか思えないのですが,何が問題だったのでしょうか?
 まったく新規のボア・ストローク・14気筒でベストセラーになった「栄」を見てると,中島の技術力が逝けてなかったとか言うのは解せない気もします.

 また,コレがダメダメだったと言うことは,発展型のハ44がなぜ企画されたのか,それも教えて下さい.

 【回答】
 確かに初期のハ5については,寿の9気筒から7気筒複列にすることによって,後列シリンダの冷却対策を
とりましたが,吸排気系統の取り回しが複雑になり,クランクシャフト周りが複雑になるため,第一号エンジンではこれらが上手く機能せずに,再設計したものを製作しています.
 しかし,失敗作と言うのだったら,7千余基も作られはしませんわな.

 後,ハ44の計画ですが,栄系列のエンジンは直径を小さくすることで,前面面積を減らし,機体設計の際の空気抵抗軽減に寄与しようとしていました.
 しかし逆に言えば,ボアやストロークが小さいので,馬力を無理に向上させようとすると無理が生じ,信頼性が低くなります.
 なので,手堅い寿系のボア・ストロークを採用することで,余裕のあるエンジンを目指した,と言えるのではないでしょうか.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 光エンジンと護エンジンの生産台数を教えてください.

 【回答】
 手元資料では「光」については,正確な生産台数が判りませんでした.

「光」は,1934〜40年に掛けて,約1,200基.
「護」は,1941〜44年に掛けて,176基.

となっています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 ハ5,ハ41,ハ109の生産台数も分かればお願いします.
 これらのエンジンは金星系とか寿系のように「ハ5系」とでも呼べばいいのでしょうか?

 【回答】
 ハ5とハ41については,NAL系と言うことで一纏めにされています.
 NAL系は,資料によって異なるのですが合計で7,366基(うち,ハ5の1,831基は三菱で製造).
 ハ109も上記数字に入っていると思いますが,こちらの生産台数は3,554基です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 隼2と3じゃずいぶん最高速度が違いますが,これは水メタ使ってブーストあげているためですか?

 【回答】
 水メタ使っても,過給器が変わらないなら,ブーストかかる高度は変わらない.
 例えば6000mで全開できるエンジンに水メタ使っても,6000mでかかるブーストは変わらないので馬力も変わらない.だから速度は変わらない.
 6000m以下なら過給器の性能に余裕があるから馬力は上げられるけど,空気抵抗も大きいので,相殺になるので「最高速度」は殆ど変わらない.
 もちろん,その高度における速度は上がるけど,最高速度を書き変えるかどうかは微妙.
 だから隼の2型末期と3型で最高速度は殆ど同じ.
 水メタはブーストが同じでも吸気冷却効果で多少馬力が上がるから,実際には少し速くなるけど,まあ水メタ積んでも最高速度は殆ど変わらない.


 【質問】
 日本の航空エンジンについて質問です.
 戦争末期になると,おもな航空機エンジンに水メタノール噴射装置が追加されているみたいですが,おもな航空機エンジン(栄とか金星とか)の水メタ噴射装置の装備時期を教えてください.
 だいたいが19年以降みたいなのですが,ときおり18年末には登場している(金星60系?)とする資料もあったりして,どれが正解なのかわかりかねています.

 【回答】
 試作品ならば,火星23型で1941年12月に追加されています.
 金星52型も1942年頃でしょうか.

 手元の資料は三菱系のものしかありませんが,元々,オクタン価の高いガソリンで稼働していたエンジンを,オクタン価の低いガソリンで稼働させようとした場合,異常燃焼の発生に伴う馬力低下をどうするか,その対策のために種々検討されたもので,1941年頃までに水・メタノール噴射の研究が行われていました.

 その成果としての水・メタノール噴射装置の装備については,1941年末の火星を奔りとして良いのではないか,と思います

眠い人 ◆gQikaJHtf2


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