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<第二次世界大戦FAQ

当時の募集ポスター
額面上は比較的高給であることが分かる

(画像掲示板より引用.元出典不明)


 【序】
 2ch.軍事板も本サイトも,基本的には慰安婦問題は興味の対象外.
 ときどき軍板に紛れ込む「お客様」向けに,本サイトでは,かなりの信頼度をもって事実とされることだけを記載する.
 訂正要求に関しても,かなりの信頼度をもって事実と考えられるソース以外は門前払いとする.
 議論したけりゃ,相手してくれる人を自分で探して,そちらでやるように.
 本サイトも,そしておそらくは軍事板自体も,慰安婦問題に関する議論は好まない.


 【link】

 なお,リンク先の記述を全て支持するとは限らないので念のため.
(他のどのページもそうだが,特にここでは念を押す)
 ここでは両論併記を基本方針とし,その方針に従ってリンクを拡充する予定.

「BLOGOS」◆(2013/05/20) 慰安婦って何? - 池田信夫

JOG:「従軍慰安婦」問題
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

「mumurブログ」◆(2006/9/27) 「従軍慰安婦を強制連行した決定的証拠」(笑)が見つかる

「Togetter」◆ (2016-12-13)「中世の遊女」から見る女性の地位について

「アゴラ」◆(2013/05/28) 自称「慰安婦」の矛盾だらけの証言

「アルファルファモザイク」◆(2013/07/06) 18歳の時,登校途中で日本籍の警察官に拉致され,インドで従軍慰安婦にされた…92歳最高齢“元慰安婦”が訪日へ

「アルファルファモザイク」◆(2013/07/26) 「従軍慰安婦についての本,捏造」発言の維新議員,慰安婦問題を世界に広める発端となった吉見教授に訴えられる

【おーぷん】気になったニュース」◆(2014/03/15) 米公文書「慰安婦は売春婦、もしくはプロのキャンプ・フォロワーにすぎない」

「キムチ速報」◆(2015/11/9) 【韓国】「モンキーハウス=米軍慰安婦?」~日本軍慰安婦問題の解決が難航してしまう

「在日朝鮮人から見た韓国の新聞」◆(2017/5/9) 朝鮮人慰安婦に謝罪が必要のない理由

『帝国日本の戦時性暴力』
https://www.gcoe-intimacy.jp/images/library/File/working_paper/New%20WP/WP_NextGenerationResearch_110_INOMATA2012_exceptKINOSHITA.pdf

デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金
 慰安婦問題に関する政府収集資料
(『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』(全5巻,龍溪書舎出版)として出版もされている)

「日刊プチバッチ」:慰安婦募集

日本軍「慰安婦」被害者 e-歴史館

日本の戦争責任資料センター

『慰安婦と戦場の性』(秦郁彦著,新潮選書,1999)

『「慰安婦」物語 写真が語る真実』(山谷哲夫著,宝島社,2013.10)


 【質問】
 第二次大戦において,従軍慰安婦はどの国にもいたの?

 【回答】
 定義の問題になるが,私娼,つまり売春婦まで含めるのなら,そう言ってよい.

 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999)を見ると,兵士の性的処理方法は,およそ3種類に分けられるようだ.

a) 「自己調達」型
 英米.
 「婦人部隊のWAVEでも,現地女性でも,戦場に追従してきた売春婦でも,自己責任で兵士が自分で調達しろ」パターン.
 同書には出て来ないが,イタリア軍やフランス軍もたぶんこれ.
(ただしフランス植民地軍には,「移動慰安所」という慣習的制度があった)

b) 公設慰安所設置型
 日独.
 平時から公娼=管理売春制が定着していたので,内地においてこれの管理を警察が行っていたのを,戦地においてこれの管理を軍が代わって行っていたパターン.
 また,米軍では占領地において,こうした日独の公設慰安所を「居抜き」で活用した事例もあった.

c) レイプ推奨型
 ソ連.
 また,ドイツ軍でも恐怖を煽るため,ポーランド人,ユダヤ人,ロシア人の女性を強姦することが推奨されていた.
 なお,(a)(b)の場合も,レイプなどの性暴力は軍規違反であるにも拘らず戦地で発生している.

 吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波ブックレット,2010)においても,(a)自体は否定していないが,その代わり,
>かりに人権侵害をみんながやっているとしても,人権侵害は許されないことです(p.53)
と苦言を呈している.
 一方,(c)については同書には記述自体が見当たらない.

 【参考ページ】
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999)
吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波ブックレット,2010)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/think/hanniti-4.htm


 【質問】
 戦前・戦時中の「日本は,公序良俗に反する借金漬けによる管理売春を認め」
http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-entry-1227.html
ていたのですか?

 【回答】
 吉見義明はそのように主張している.
 彼によれば,
・性の売買を自由意思で行っているという見せかけを作るため,内地において「娼妓(しょうき)取締規則」を日本政府は作ったが,事実上,娼妓による「自由廃業」は困難だった
・当時の識者や神奈川県議会も,「公娼制度は人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする,事実上の奴隷制度である」と指摘している
・加えて,軍「慰安婦」制度では,見せかけ上の「自由廃業」の規定すらなく,外出も制限されていた
という.
 詳しくは
吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2010),p.42-45
を参照されたし.

 この点は,秦郁彦もほぼ同意見である.
 彼によれば
・欧州の近代的公娼制をモデルとして日本政府は公娼制度を作ったが,実際には娼妓による廃業は難しい上,新たな正業に就くのも容易ではなかった
・仮に廃業できたとしても,大審院の判例によれば,前借金の契約自体は有効とされたので,借金返済ができない女性は,元の境遇に戻らざるを得なかった
・朝鮮半島では,李朝末期まで存続した「妓生(キーセン)」制度の影響で,売春婦たちの待遇は内地に比べてさらに劣悪だった
・廃業の自由や外出の自由について言えば,看護婦も一般兵士も同じように制限されていた.この点は,現在のサラリーマンも変わらない.
という.
 詳しくは
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999),p.27-59,395
を参照されたし.

2016.5.7


 【質問】
 なんで慰安婦が必要だったんですか?
 逆に士気低下を招く原因になると思うのですが.
 硫黄島では慰安婦はいませんでしたが,極限の状況の中,9割超えの類を見ない損耗率になるまで降伏せず奮戦しました.
 女がいないほうが寧ろ士気が保てると思うのですが.

 【回答】
 慰安婦がいれば士気が低下するってんなら,慰安婦と共に戦い玉砕したラモウ・騰越はどう見るの?って話だな.

 何ヶ月も勤務してれば休暇が兵隊には与えられるのだが,
「その時に性欲を発散させないと強姦に及んだりするから,公式に売春婦を雇って周囲の民間人を守らないといけない」
と,軍上層部は考えた.
 なぜなら第一次上海事変(1932年)において,停戦協定が成立しての警備体制移行後,日本兵による強姦事件が頻発したからである.

 また,その前のシベリア出兵では,性病患者が戦死者数や戦傷者数を上回った.
 性病の感染源は娼婦たちで,サハリン派遣憲兵隊の調査によると,彼女達の感染率は28%にのぼっていた.
 そこで軍は考えた.
 性病の感染拡大を防ぐには,民間の公私娼施設を軍民混用で利用するのではなく,軍専用の売春施設を作り,それ以外への施設の立ち入りを兵に禁じて,性病検査を含む軍の管理下に置けばいい,と.
 編者の私見だが,そのようなことまで「管理できる」と考えるところに,官僚的発想の浅はかさがあると思われるのだが…

 そんなわけで第一次上海事件後に,慰安所第1号が出来る.
 これは短期間で店じまいとなったが,その後,第二次上海事件~南京戦にかけ,慰安所は続々と誕生する.
 その理由は上記のようなことに加え,
「現地軍トップの配慮,作戦部隊の要求,一発屋的売春業者の売り込み,軍中央部の手配ないし黙認,のような諸要因が複合したものかと思われる」
と秦郁彦は述べている.

 【参考ページ】
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999),p.63-80

軍事板,2016/07/17(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 従軍慰安婦の強制連行はあったの?

 【回答】
 両論あるが,要するに,「強制連行」の定義が論者によってまちまちであるため,議論が噛み合わないものになっている模様.

 「あった」論者の代表が吉見義明であるが,その著書『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2010)では,おおよそ以下のような論旨により,「日本軍による強制連行はあった」としている.
y1) 日本兵に連行され,監禁・レイプされた証言が数多くあり,後の軍事裁判や民事の法廷でも,それは事実として認定されている
y2) 日本軍将兵による記録にも,「親に売られてきたらしいが,慰安所が何をするところかも聞かされていなかった」というものがある.
 違法な売買があったのなら,監督責任者である現地軍はその違法状態をやめさせねばならないが,日本軍や日本政府機関はそれを厳重に取り締まるどころか,軍はそうした責任があることに気付いてもいなかった.
y3) 連合國側の記録にも,斡旋業者に騙されて売春させられている女性がいたことの記録がある.

 つまり吉見の主張からは,
「『日本兵個人が連行を行う』,または,『業者が女性を騙して連れてきて,かつ,軍隊がその違法性を認識していながら黙認』していれば,それは『日本軍による強制連行』である」
という定義が導き出せる.
(これを「吉見定義」と仮称する)

 一方,秦郁彦は「日本軍による強制連行はなかった」説を唱えており,したがって当然ながら「強制連行」の定義の幅は狭い.
 『慰安婦と戦場の性』によれば,秦の主張はおおよそ以下の通りである.
h1) 韓国挺対協と挺身隊研究会による第1次報告書は,慰安婦の利益を代弁するものであるにも関わらず,証言者19人のうち「軍人・軍属による暴力的な連行」は4人に過ぎず,その4人もウラのとれない本人だけの申し立てでしかない
h2) 占領地では連行・拉致事件が少なからず報告されているが,ウラのとれぬ本人だけの申し立てが多く,事実だとしても軍規に違反した個人ないし少数グループの性犯罪,すなわち強姦事件のカテゴリーに入るものが殆ど
h3) 悪質な事件は日本軍憲兵隊自身の手で摘発されるか,戦後のBC級戦争裁判で処罰されている
h4) 現在の法常識では,時効の問題を抜きにしても,日本国が金銭的補償義務を負うのは,元慰安婦たちが「官憲の組織的強制連行」によってリクルートされたことが立証された場合に限られる

 すなわち秦の主張からは,
「『日本軍による強制連行』とは『軍人・軍属による組織的かつ暴力的な連行』のことであり,それらは裏付けのある証言などで立証されていなければならない」
という定義が導き出せる.
(これを「秦定義」と仮称する)

 吉見の主張には頷ける部分もあるものの,「吉見定義」は,通常の日本語の「強制連行」の意味合いからは大きくずれているように思われる.
 これは想像するに,慰安婦問題活動家が最初は「日本軍による強制連行」を喧伝していた手前,今更引っ込みがつかなくなったためであろう.

 両者の主張を突き合わせてみる限り,日本軍は慰安婦問題について全くの無罪潔白などではなく,監督責任は免れないだろう.
 そうであれば無理して「強制連行」という言葉を使い続けるのではなく,普通に「監督責任」と言えば,国民の理解ももっと容易に得られるだろうと思われる.
 にも関わらず,日本語の社会通念的意味を歪めてまで「強制連行」と言い張る理由が分からない.
 人々に広く理解されることよりもメンツのほうが大事なのだろうか?

mixi, 2016.6.1


 【質問】
 日本軍の性病対策は?

 【回答】
 抗生物質はない時代だったので,原始的な治療法が主体.
 性病は軍隊にとって大敵だったので,定期検診や,風呂などでの患者隔離などの対策がとられたという.

 以下引用.

------------
 〔略〕
 戦争末期,私の通っていた中学校は陸軍の兵舎になっていた.
 大勢の兵士の為に校庭の一角に作られていたのが風呂場である.
 建物は将校用と下士官兵の入るものとに別けられていた.
 2,3度覗いた事があるが,兵隊の入る建物の方は広い湯船が大小二つに分けられており,洗い桶にもはっきりと性病患者用の「文字」があったのを覚えている.

 淋病などは湯の温度が低いと伝染する恐れがあるし,淋菌が目に入ると失明する.
 集団疎開していた女児が温泉の浴場で淋病に感染し社会問題になった事もあった.

 軍の中に性病患者がどれ位の割合でいたのか知らないが,決して少なくはなかったのであろう.
 中でも数が多いのは淋病で,初期は痛みが酷く,歩く事が出来ない場合もあるという.

 世界の軍隊が恐れていたのは性病の蔓延だった.
 ドイツなどはその為に軍が直接慰安婦の管理に当っている.

 日本でも内地の遊郭の近所には必ず性病科の医院が有って,専門医が女性達の定期検診に当っていた.
 戦地ではそういう施設は無いからその役割は軍医が担う.
 軍の関わりはその為である.

 軍にとって性病は直接戦力に響く重要な問題だ.
 ここで注意して頂きたいのは,当時の医療水準である.
 今の医学を基に考えてはいけない.
 抗生物質の無い時代,淋病の特効薬は唯一サルファー剤であったが高価で量も少なく,もっと原始的な治療法が主体であった.
 治療中の兵隊などは役に立たない.

 性病は軍にとって大敵なのである.
 性病検査の模様も聞いた事がある.(抱腹絶倒モノだが,些か品位に欠けるので割愛する)
 感染している事が分かると
「貴様! 予防しなかったのか」
と衛生兵に2,3発殴られ,それで終りだったとか.
 その点はアッサリしていたらしい.

------------「国民年金の花柳な生活」,2007/06/29
※「おきらく軍事研究会」に転載されたもの

 棟田博氏の『陸軍よもやま物語』(光人社,1993.5)には,平時の陸軍における性病への対応が書いてありました.
 それによると,軍隊内で,負傷は3つにランク分けされていて
一等傷 公務における負傷
二等傷 通常の内科系疾病
三等傷 性病
ということで,性病に罹患すると悲惨な目に遭うみたいです.
 具体的には,
特務曹長にどやされる,
営倉入り(2~3週),
出身の市町村長に連絡,
連隊週報に実名報道(相手方の娼妓の源氏名,遊廓名も),
休日にかぎってなぜか衛兵勤務
などなど.
 営内には「突撃一番」の自販機があって,地方にくらべると安価であったとか.
 また,遊廓近辺には憲兵がいることがあり,所持品検査をされた上,「突撃一番」がないと追い返されたりしたそうです.

hdk in FAQ BBS

「突撃一番」
(画像掲示板より引用)

 もっとも,日本軍の戦地の医療水準は低かったので,対策にも限度があっただろうことは,想像に難くない.


 【質問】
 当時の日本の売春観は?

 【回答】
 それについては以下のような証言がある.

----------------
「で,徴兵検査はどうでした」
「わたしなんかはそれまで堅くしてたもんですから,
『検査に行くのに女を知らないのは恥だ』
とか,
『大人じゃねえか,女を知らねえなんてみっともねえ』
とか楽屋で言われたんです.
 芸人ばかりじゃない,職人だってなんだって,みんなそれが気風でしたよ.
 ですから,兵隊検査が近くなると,みんな遊びに行くんです.
 色気づいてきたし,金で済むことなんですから.
 そのころは1円でしたね.前座の2日分の給金で行ける.
 ですから,世帯を持っていないときは,赤線へ行ったほうが,安いし,手っ取り早いんです」

 普通は検査前まで堅くしていて,女遊びは検査後だろうと思っていたから,この点を林家正蔵師匠に伺ってみたら,
「いや,そうじゃないんです.
 わたしなんぞは横根を切って直ぐ検査でしたが,検査官に
『君は金鵄勲章をつけとるね』
と言われましたよ」
と説明してくださったから,私の思い違いか,山手と下町の気風の差か,そのどちらかなのだろう.

――山口正二著『聞書き五代目古今亭今輔』(青蛙房(せいあぼう),2003/7/5),p.70-71
----------------
〔古今亭今輔談〕「それにしても,赤線を無くしたッてことは,これは罪なことですよ.本当に悪いことです.
 あれはあったほうがいいんです.
 今,痴漢だなんて騒ぐのは,赤線がなくなったからです.
 ですから,女を保護するためにも,あれはなくちゃいけない.
 あれがなくなってから,うんと料金が高くなったんでしょう.
 ですから,可哀相ですよ,今の男は.真面目で気の弱い人ほど可哀相です.
 市川房枝なんてお婆さんは罪を作りましたねえ.
 オリンピックの前に,『公娼があるのは日本だけで,野蛮だ』とか言ったんでしょう.
 外国はみんな私娼なんですってね.
 昔のように,千束町だの,玉の井だけでも残しておけば良かったんです.
 それが風俗取り締まりで先にやられちゃった.
 群馬県なんかは,赤線てものは明治の時代になかったんです.
 誰かが廃娼運動をやったんですね.
 その代わり,高崎へ行っても,前橋へ行っても,どこへ行ったって,千束町みたいな所がありましたよ.
 ですから,公娼でなくったって,私娼は置かなきゃならないものなんです.
 今は検黴(けんばい)も何もないから危険だけど,昔は組合があって,衛星思想が発達してたから,梅毒になんかはならない.
 今のほうが余計に危ないんじゃないですか.ああいう病気は昔より増えてるんじゃないですかねえ.
 それにつけても,あのお婆さんは悪いお婆さんです.そうでしょう.だって……」

 日頃謹厳実直な今輔さんが,いつもの真面目な調子でこの話をする.
 一度だけではない.少なくとも3度聞いている.
 〔略〕

 この部分を『劇と新小説』誌に発表したとき,大田区に住む,作家の清水三郎氏から次のような文面の葉書を頂戴したから,これを転載しておく.
 赤線復活論は,世の常の男たちの意見を代表したものでしょう.
 (中略)
 あの問題につき,その当時たまたま市川房枝女史宅で対決したことがありますが,そのときの話で,
「売春は構わんと思うんですよ.
 ただ,それを国家で公認しているような制度が問題でしてね.
 まあ,その中間搾取制度の国家公認がね.
 こんなことをやってる国は日本だけなんで,これがあると国連加入資格に引っかかることなんです.
 私娼まで撤廃しろなんて言ってるわけではないんで,搾取がなく,個人の自由意思なら仕方ありませんねえ」

 このことを知らぬ人間が多く,ただ狭い視野や憤懣感情で言っていると思うのです.
 市川房枝女史も私娼まで撲滅せよと申した分からず屋でないことを余事乍(なが)ら弁明しておきます.
 右の通りであるが,今輔さんの言うことにも一面の真理があるように思う.

――――山口正二著『聞書き五代目古今亭今輔』(青蛙房(せいあぼう),2003/7/5),p.70-73

>日頃謹厳実直な
人物の証言であるという部分に留意.
 つまり,当時の意識では罪悪でもなんでもなかったことが分かる.


 【質問】
 従軍慰安婦は何人いたのか?

 【回答】
 日本の学者は,日本大学の秦郁彦教授が2万人説,中央大学の吉見義明教授が5~20万人説をとっている.
 一方,中国の蘇智良教授は中国人だけで20万人としているが,この数字は荒唐無稽.

▼ 2万人説の根拠としては,以下のように推定されている.

> 1942年9月,陸軍省の会議で報告された陸軍の専用慰安所は約400か所で,1か所に平均20人の慰安婦がいたとして,8000人.
> 終戦時までに倍増したとしても1万6000人程度であろう.
(常石敬一・秦郁彦・佐瀬昌盛監修『世界戦争犯罪事典』(文藝春秋,2002),p.109)

 一方,20万人説は,これはどうやら,中国人向けの遊里における中国人売春婦まで数に入れた,水増しされたものらしい.
 秦郁彦はこの数字に対し,
>しかし管寧のように,慰安婦総数が「最大限30万人,最小限20万人」で,最多数は中国人女性と推定するのは疑問がある.
>鈴木衛生軍曹のような日本兵が散発的に利用した,中国人向けの遊里における中国人売春婦を慰安婦に含めるのは,無理があると思われるからだ」
『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999),p.88)
と指摘している.▲

 詳しくは,
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999)
▼ 常石敬一・秦郁彦・佐瀬昌盛監修『世界戦争犯罪事典』(文藝春秋,2002)▲
を参照されたし.

▼ 一方,吉見義明の5~20万人説だが,それは次のような試算による.
1) 戦中,外地に派遣された兵力は陸海軍合計で日米開戦時 208万人,終戦時256万人,戦死者200万人だが,慰安婦が配置さえなかった地域を考慮して基数を300万とする.
(これは🚩郁彦『昭和史の謎を追う』出典の数字)
2) 日本陸軍は兵100名に1名の割合で慰安婦を用意したということが,金原節三『陸軍省業務日誌摘録』等に記録されている
3) 少なくとも慰安婦の交代率は1.5あっただろう(ただしこれは吉見の想像でしかない)
 ゆえに
300万名÷100名×1.5=4.5万人
 これは軍が上の方から用意する数で,これ以外に現地の各部隊や警備隊などが独自に徴募する数を含めると,どんなに少なく見積もっても5万人以上になる,と吉見は推計している.

 詳しくは
吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2010),p.55
を参照されたし.
 ただし20万人のほうの論拠は示されていない.
 この点では,
>その人数が20万人はいくら何でもムチャやで.
>20万人いうたら10個師団以上の兵力や.
>半島からそれほど大量の人員運べる輸送力あったら日本は戦争に負けてないわえ.
>http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20151112/dms1511121140005-n1.htm
という宮嶋茂樹のツッコミのほうが説得力ある.▲


 【質問】
 従軍慰安婦の出身別構成は? 

 【回答】
 秦郁彦教授によれは,
約70%が日本人,
約20%が朝鮮半島出身者,
約10%が中国出身者.

 詳しくは,秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999.6)を参照されたし.


 【質問】
 慰安所で働いてた女性はかなりの高給取りだったそうですが,今の金額にするとどれくらい稼いでたの?

 【回答】
 300円/月程度.
 これは募集要項にある,初任給の値段.
 現代の貨幣価値だと130万円/月くらい.
(貨幣価値換算は,公務員の給料等を比較した係数4400を用いました)

▼ ちなみに文玉珠さんは1万5千円貯めて,5千円を送金したと証言してます.
 ちなみに文玉珠さんは2万5千円貯めて,5千円を送金したと証言してます.
 5000円というのは
>今なら1億円程度の大金である.
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999)p.592)

 通帳を見ると,18年3月,通帳を作った時点で残高500円.
 終戦までの3~4か月(20年5月まで)は看護婦をやってたそうなので,18年3月からの慰安婦としての実働を26か月とすると,
平均(15000-500)/26=557円/月(端数切り捨て)
平均(25000-500)/26=942円/月(端数切り捨て)

 当時,陸軍中将の年棒でも5800円ですから,文玉珠は陸軍中将よりも多く稼いでいたことになります.

 また,ラバウルの海軍爆撃機隊にいた市川靖人飛行兵曹は,遊んだ相手の朝鮮人慰安婦に頼まれ,木更津から朝鮮の両親に200円の現金を送ってやったが,
「山梨県の田舎なら小さな家が一軒建てられるなあ」
と思ったそうです.
(『文芸家協会ニュース』 1992年10月号)

 さらに,日本人の高安やえは,吉原で10年暮らした後,
「昭和17年秋,抱え主から,戦地へ行ってみないかと言われ,すぐに応じた.
 内地では若い男は減っていたし,戦地に行けば今の10倍は稼げるし……
 稼いだら内地へ帰って商売を始めようと考えてラバウルへ……
 一人5分と限り,一晩に200円や300円稼ぐのはわけがなかった」
と回想しています.
(高安やえ「女のラバウル小唄」,『続・戦中派の遺言 女性版』(櫂書房,1979))

軍事板,2008/08/02(土)
青文字:加筆改修部分

 しかし厳密な数字を出すとなると,軍票か日本円か,インフレ率がどうこうを勘案しないといけないから,簡単には判断しにくい.
 軍票は,日本の敗戦と同時に紙屑と化しているし,たとえばビルマでは1945年3月のマンダレー失陥後には,軍票は殆ど無価値になってしまったという.
 また,日本軍が占領した海外の各地は,1943年頃から酷いインフレになっている.
 たとえば,1944年6月のビルマ,ラングーンでの750円は,東京の24円程度の価値しかなくなっており,同年12月には,更に11円程度まで低下している.
(太田常蔵『ビルマにおける日本軍政史の研究』吉川弘文館・1967年)
 上述の文玉珠の場合,1万円の貯金も,インフレ率を勘案すれば殆ど無価値だった.


 タコ部屋や水商売が物品でピンハネするのは,昔から有る手だから無いとも断言しきれない.
 むしろ悪質な業者はいただろう.
 事実,何かと名目をつけて慰安婦の稼ぎ高を強制貯蓄させ,払わなかった悪質な業者もいたという.
 満州東部,東寧に勤務した元兵士・杉田康一は1938年,なじみになった朝鮮人慰安婦から,
「一銭も貰っていません.
 全部親方が取り上げてしまいます」
と聞いた話を回想している.
(『アジアの声』第11集(東方出版,1997))
 秦郁彦は
「楼主の不払いは意外に多かったとも思われる」
旨,憶測している.
(下掲書,p.394)
 上述の文玉珠も,業者はお金を殆どくれず,軍人がくれたチップが貯まっていったという.
 もちろんチップは軍票だった.

 どっちにしろ日本軍は客にすぎないんだけどね.

モッティ in 軍事板,2008/08/02(土)
青文字:加筆改修部分

 これに関し,
常石敬一・秦郁彦・佐瀬昌盛監修『世界戦争犯罪事典』(文藝春秋,2002), p.110
によれば,戦地慰安所の生活条件は,平時の遊郭と似たり寄ったりだったという.
 ただし,慰安婦も業者も,戦地の危険性に見合う高収入を見込んでいたが,敗戦によってその期待を裏切られた面はあるという.

2015.8.13

 【参考ページ】
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999),p.590-596
吉見義明『日本軍「慰安婦制度」とは何か』(岩波書店,2010), p.46-51


 【質問】
 慰安婦に自由はあったのか?

 【回答】
 自由がなかったと明確に言えるのは,「廃業の自由」という点.
 他は,「自由」の定義次第でどうとでも言える話.
 慰安婦に自由があったかなかったかの議論では,それぞれがそれぞれの好きな範囲で「自由」を想定しており,その齟齬が放置されているために,不毛な言い争いになっているように思われる.

 では,まず否定的な見解を見てみよう.

 たとえば「自衛官OB」を自称する文谷数重(文中敬称略.他も同じ)は,
> 騙されて「女衒に連れ出され」(森)た娘を,借金証文を片に転廃業を許さず売春させたことのどこに「自由もあった」(森)のだろうか?
> 性的な奴隷労働そのものである.
> それを「総じて性奴隷などではなかった」(森)と言えると主張している.
http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-entry-1465.html
と述べている.

 ただし,同記事には根拠と呼べるものが何もなく,ただ単に自衛隊と森清勇とを誹謗しているだけに過ぎない.
> 自衛隊には正解がある.ライト・イズ・ライトで,右っぽいことを言っておけば安牌というものだ.
>まずは事なかれ主義のようなものだ.
> だが,それが世間に通用すると思い込むアレ隊員も出てくる.
>SAPIOやボイスで読んだ「正解」を,相手を見ず誰彼なく話すアレ下士官やアレ幹部がそれだ.
> 直前の講話で本田由紀の「やりがい搾取」の話をした己にもするくらいだから,まずは何も見えてはいない.
>全ての隊員は「正解」をいうと喜ぶと思っているのだろう.
>大概はアレな宗教に染まった隊員と同じで,やる気はあるが周りが見えないから出世は足踏み状態で外に出さないから問題はない.
[中略]
> 特に森さんには,この手の主張のように知的未成熟な記事が目立つ.
>やはり兵隊生活の偏頗な環境で,兵書と技術だけの偏頗な学問だけをやってきた結果なのだろう.
などと,ひたすら印象操作にいそしんでいる.
 これでは何の参考にもならない.
 読むだけ時間の無駄である.

 では,もっとまともな考察を見てみよう.

 吉見義明は,慰安婦には「居住の自由」「廃業の自由」「選客の自由」「外出の自由」「休業の自由」が無かったと述べている.
 彼によれば,
a) 「娼妓取締規則」の「自由廃業」規定は見せかけ.
 そのような規則があることを娼妓は知らなかった.
 また,自由廃業のためには警察に届け出をしなければならなかったが,業者などに妨害されるため,届け出ることは困難だった.
b) 運よく自由廃業の届け出が警察に受理されたとしても,前借金は無効にはならなかったから,娼妓は遊郭に拘束される仕組みになっていた.
c) 「選客の自由」「外出の自由」「休業の自由」は事実上,業者によって奪われていた.
 内務省は1933年,「外出の自由」を認めるよう業者に指示したが,これがきちんと守られていたとは言えない.
d) 軍の慰安婦制度では,自由廃業の規定もなく,外出は厳しく制限されていた.
 「居住の自由」「選客の自由」「休業の自由」なども無かったことは,言うまでもない.
(吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2010),p.42-45)
という.

 ただし,同書では(a)(b)(d)については論拠を挙げているが,なぜか(c)にはそれがない.

 これに対して秦郁彦は,
「時期により,場所により条件は違うが,利用規則で見る限り,各種の自由は制限付きながら認められていたと言ってよい」
と述べている.
 彼によれば,
C) 乱暴な客に対しては,股座を足で蹴っ飛ばして拒否したり,それでも言うことを聞かなければ,憲兵に申告したと,元慰安婦が証言している.
 内地では,そうした乱暴な客を制裁するのは,遊郭が雇っていた用心棒の役割だったが,戦地では憲兵がその役割を担っていた.
D) 「外出の自由」「廃業の自由」「休業の自由」等についていえば,慰安婦は戦地で働いていたという特殊事情を考慮に入れねばならない.
 戦地でそれらが制限されるのは,一般兵士や看護婦も同じである.
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999), p.27-62 & 390-395)
という.

 一方で同書では,吉見が指摘していた(a)(b)については,ほぼ同意見である.

 全体的に見て,秦も引用している
「兵隊も女も,どちらもかわいそうだったというより外ない」(伊藤桂一)
が,最も妥当な評価と言えるかもしれない.

mixi, 2016.10.13

 【質問】
 軍が女性に売春を強制したってホント?

 【回答】
 ▼そのような質問は板違いですが…▲

 軍が直接売春婦を雇用した例はありません.
 戦地での風紀の乱れや性病蔓延などを防ぐために,日本や朝鮮などの売春業者が募集をかけて,▼軍は戦地までの便宜を図っただけ.
 日本でも赤線地帯から何人も行ってます.
 朝鮮半島では女性たちのほぼ全員が,
親か本人の身売り
   ↓
朝鮮人ブローカーの周旋
   ↓
経営業者(日本人か朝鮮人)による開業
というルートを辿りました.


 そして,
常石敬一・秦郁彦・佐瀬昌盛監修『世界戦争犯罪事典』(文藝春秋,2002), p.109-110
によれば,強制連行などしなくとも,平時の公娼制と同じように,通常の募集で女性は集まったそうです.
 仮にもし,あからさまな「強制連行」などあれば,民衆の反乱が起きるはずだと,米軍に捕えられた朝鮮人捕虜が陳述しております.
 また,もし本当に「強制連行」などあったならば,終戦後,それに関与した日本人が朝鮮半島において復讐されていたでしょう.▲

軍事板,2007/02/17(土)
青文字:加筆改修部分(2015.8.9加筆改修)

 〔略〕 日本軍が組織的に一般人を拉致して,強制的に売春婦にするという犯罪はいっさい無かったということだ.
 そういう証拠はいっさい出てきていないのだ.

 たまに韓国のニュースなどで,日本軍が梅毒検査など売春婦の健康管理をしたことを「証拠があった」などと書くものがあるが,拉致して強制的に売春婦とした証拠にはならない.
 ――――軍隊内の規律の乱れによる個別の犯罪と,日本軍全体として行っていない事は明確に分けなければならない.

 (2007年に)マイク・ホンダ氏が連れてきた3人の証言のうち,韓国人2人は当時16歳という年齢からみて,自ら売春に応募したとは思えない.売春組織に親に売られた女性であると思われる.

 当時,日本軍は,日本兵が性の処理の相手を現地調達しないように,プロの売春組織を引き連れて移動したが,戦闘中なので売春婦の命を守る必要があり,日本兵に病気が移らないようにとの配慮から,売春婦の健康の管理をしたが,売春婦の募集や運営はプロの売春組織が受け持っていた.

 マイク・ホンダ氏の連れてきた韓国人の場合,日本女性だと言えと売春組織が無理矢理彼女にウソをつかせて朝鮮語を使うと殴ったようだ.
 日本軍が殴ったというが,16歳なので売春組織の人間と軍人の区別がついていなかったようだ.

 実際に売春婦の応募をした人の証言もある.
 希望者殺到で強制連行などありえなかったそうだ.
 慰安婦とは,今風にいえば援助交際希望者であって,いずれも本人の自由意志である.
 自由意志どころか強烈な願望であったそうだ.

 朝鮮半島では,貧乏な朝鮮人の親が,娘に何の説明もしないまま,日本軍に随いて歩くプロの売春組織に売春婦として売り飛ばした場合もあったのだろう.

 自称“元慰安婦”の韓国人,李容洙,金君子の場合は,電気拷問を受けたとか日本軍が小さな刃物で体を少しずつ切りつけ,服を激しく破り,コンドームも使わず跳びかかってきたとか,言うことがかなり誇張されていて,全て事実かどうかは疑わしい.
 話を作っているように思う.
 日本の軍人が,16歳の少女に電気拷問などするだろうか? 小さな刃物で体を少しずつ切りつけるだろうか?
 100%そのまま信じることは難しい.
 〔略〕

≪ WEB 熱線 第836号 ≫2007/03/12_Mon

 秦郁彦教授も「日本軍によって強制連行された」という話を否定している.
 同氏によれは,兵士による女性の誘拐や強姦は違法行為であり,発覚すれば罰せられた.
 また,業者が誘拐まがいのことをしないように日本軍は指導していた.
 なお,慰安婦は高額の給料をもらっていた.

 詳しくは,秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999.6)を参照されたし.

 この問題の元凶,朝日新聞も,2007年の社説では,

 どのようにして慰安婦を集め,戦地に送り,管理したのか.その実態は地域や時代によって異なる.
 しかし,全体としては,植民地や占領地の女性たちが意思に反して連れて行かれ,日本軍の将兵の相手をさせられたことは間違いない.
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

……と,かつて「軍が連行した」というキャンペーンを派手にやっていたのに比べると,大きく後退している.
 「連れて行った」のは誰なのかという肝心の問題を曖昧にしたまま,
「そんなことは枝葉だから,とにかく謝れ」
という主張に変わっている.

 こういう説教よりも,かつて自分たちが書いた記事が事実にもとづいていたのかどうかを検証するのが先だろう.

軍事板?

「軍による強制はあった」
とする証言もあるそうだが,その信憑性は疑問視されており,また,
「なかった」
とする側の証言や,強制を否定する米陸軍調査報告書もあるという.

 以下,引用.

------------
 慰安婦問題について書いてきた私の記事を読んで,ということで投書をいただきました.
 関東軍の軍人だったという方からです.
 産経新聞東京本社気付けで,ワシントンの私あてに転送されてきました.

 書簡は便箋5枚にペンでの手書き,きちんと明確な記述でした.
 内容はご自分の満洲時代の体験と観察から述べる限り,日本軍が現地の女性を強制的にさらって,売春をさせることなど,まったくなかった,という趣旨です.

 東京都下にお住まいの上野力さんという方です.
 上野さんのお手紙の記述のいくつかの部分を以下に紹介します.
 上野さんにワシントンからお電話をして,お手紙の一部を公表することの許可をいただいたうえです.
 紹介部分は原文のままです.
 現在の規準では避けるべきという表現や用語もあるかも知れません.
 明らかに公開が不適切な言葉は伏字にしました.

「私は大正7年生まれ,昭和14年兵,乙幹の下士官,5年兵,東京外大卒行,関東軍軍人でした」

「日本軍人が無知な○○女性をだまして,慰安婦にしたのではない.
 帝国軍人が工場,学校へ行き,○○人女性を強制拉致したら,必ず大暴動になっただろう.
 (そんな強制徴用をしたら)聖戦完遂不可能になった」

「慰安所は牡丹江にありました.
 経営者○○人,客は下士官兵,ときに開拓団少年.
 私服憲兵の巡視あり.
 旧市街の満洲人××屋は下士官兵の立ち入り禁止」

「私の経験したこと.
 昭和18年某月某日に登楼.
 慰安婦ではない自称16歳女性,
 軍曹の私に対して,まじめな顔をして
『兵隊さん,司令部へ行って,慰安婦の許可をもらってきて下さい.そうしたら,あなたはわたしの最初の処女客,タダでサービスするわよ』
と言うので,私は
『キミは女中であって,慰安婦でない.慰安所の女中だが,処女のまま結婚すべきだ』
と言うと,
『わたしはおカネがほしい,慰安婦になりたいです.16歳だから18歳だと言って,許可をもらってください』
と言いました」
「私は
『ぼくは軍曹だから司令部へ行き,頼んでもダメだ.処女のまま結婚するべきだ』
といさめると,
『処女であるより,慰安婦になって,おカネがほしい.お父さんに農地を買ってあげるための孝行です』
と言う.
『ダメだ.その考えはまちがっている.18になっても慰安婦になってはならない』
と訓戒しました.そしたら
『兵隊さん,わたしの気持ち知らない,もういいです』
と言って,去ってしまった」

「昭和19年,満洲某地で登楼したとき,敵娼(あいかた)の慰安婦はこう言った.
『兵隊さん,わたし○○人にだまされた.軍隊の工場で被服を作る仕事をすると言われて来たら,慰安所だった.客を取れと言うので,断ると,<お前には莫大な前渡金をお前の父に渡してある,それを返せばすぐ帰宅させる>と言う』
 これが実情だ」
 〔略〕

------------「古森義久イザ!」,2007/03/19/13:07
------------
 慰安婦問題についての貴重な証言を受け取りました.
 陸士,陸大卒,歩兵連隊中隊長,南方総軍参謀,大本営参謀などを歴任した高橋正二氏の発言です.
 戦後は明治薬科大学理事長などを務めた高橋氏は93歳ですが,健在で,つい数日前にも世田谷郷土大学で一時間以上の講演をされています.

 その高橋氏から「いわゆる従軍慰安婦について」というレポートを共通の知人を介して拝受しました.
 高橋氏ご本人がその内容を私のブログで紹介してもよいと言われたので,その要点を以下に記します.

「戦争間,従軍記者,従軍報道班,従軍作家,従軍看護婦等は存在しましたが,いわゆる『従軍慰安婦』なるものは絶対にありませんでした.
 ましてや『強制連行』云々は絶無であったことを強調しておきます.

 いわゆる『従軍慰安婦』なる造語も戦後,出現したものであり,戦時中,現地に『慰安婦』が存在したことは事実であります.
 その理由は現地住民を犯さないこと,性病を防ぐこと,それに防諜の立場からであり,いわゆる慰安婦は公娼制度の延長線であり,それぞれ民間人との契約によるものでありました.

 平時において,これらの事柄は警察が取り締っておりましたが,戦時中の現地においては軍が前述の理由で取り締り,かつ慰安婦を保護していたのであります」
 〔略〕

------------「古森義久イザ!」,2007/04/17 13:42
------------
「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」

 【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して,日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった.
 報告書は,この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し,現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている.

 報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された.
 「前線地区での日本軍売春宿」と題され,同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている.
 この経営者は,日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった.
 この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し,日米両国の研究者などの間で参照されてきたが,経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった.

 報告書によると,経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き,ある程度の利益を得ていたが,景気が悪くなり,新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた.
 この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという.
 同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格,外見,年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い,取得した.
 22人の女性は年齢19歳から31歳までで,経営者の占有する資産となった.
 日本軍は(この取得から)利益は得ていない.
 ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し,(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送,配給,医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」
と記している.

 このように報告書では,この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ,経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され,「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている.

 報告書によると,この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち,台湾,シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した.
 女性たちはその後,北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという.

------------産経新聞,2007/5/12
 〔略〕
 〔上記新聞記事にて言及されている〕文書の原文の冒頭部分を紹介しておきます.
A JAPANESE ARMY BROTHEL IN THE FORWARD AREA.

Note: The following is derived from interrogation at C.S.D.I.C.(I) of M.739, and from O.W.I. Interrogation at Ledo Base Stockade of 20 Korean “comfort girls”,

Report dated 21 Sept. 1944.

M.739, his wife and sister-in-law had made some money as restaurant keepers in Keijo, Korea, but their trade declining they looked for an opportunity to make more money and applied to Army H.Q. in Keijo for permission to take “comfort girls” from Korea to Burma. According to P.W. the suggestion originated from Army
H.Q. and was passed to a number of similar Japanese “business men” in Korea.

M.739 purchased 22 Korean girls, paying their families from 300 to 1,000 according to the personality , looks and age of the girl. These 22 girls were of ages from 19?31. They became the sole property of P.W. and the Army made no profits from them. H.Q. Korea Army gave him a letter addressed to all military H.Q. of the Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, transport, rations, medical attention, etc.

Leaving his sister-in-law to carry on the restaurant, M.739 and his wife, with their 22 girls, embarked at Fusan on 10 July 1942 in a group of 703 girls, all Korean, and some 90 Japanese men and women, all of them of the same base sort as himself.

They sailed on a 4,000 ton passenger ship in a convoy of 7 ships. Free passage Tickets were provided by Army H.Q., but P.W. paid for all meals during the voyages.

They called at Formosa, where 22 other girls bound for Singapore were taken on board, and at Singapore where they transferred to another ship, arriving at Rangoon on 20 Aug 1942.

At Rangoon they were divided into groups of 20?30 girls in each and dispersed to various parts of Burma, each group being attached to various regiments, units or formations, so that each had its own brothel (s).
------------「古森義久イザ!」,2007/05/14 22:59
米軍も慰安婦を「雇用」とみていたーー米陸軍文書から

 慰安婦問題での続報です.
 詳細は産経新聞5月18日付朝刊の私の記事に載っています.
 慰安婦は日本の民間業者と女性たちの間の「契約」に基づく「雇用」であるーーという認識が米陸軍の調査報告書にありました.英語の原文を書いておきましょう.

Every "comfort girl" was employed on the following contract conditions.

 カギは「employed」と「contract」という言葉です.
 「雇われていた」「雇用されていた」 そして「契約」に基づいて,というわけです.
 そのあとに「契約条件」の説明として以下のような記述があります.

She received 50% of her own gross takings, and was provided with free passage, free food and free medical treatment.

 ここには「強制徴用」とか「奴隷化」という言葉はまったく出てきません.
 この文書は日米双方の一部研究者たちの間では以前から知られてきたそうですが,ほとんど無視されてきました.
 〔略〕

 以下は産経新聞記事の紹介です.
慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書,大戦時に作成

 【ワシントン=古森義久】日本軍の慰安婦に関して戦時中に調査に当たった米国陸軍の報告書に女性たちは民間業者に「一定の契約条件の下に雇用されていた」と明記されていることが判明した.
 同報告書は「日本軍による女性の組織的な強制徴用」という現在の米側一部の非難とはまったく異なる当時の認識を明示した.

 「前線地区での日本軍売春宿」と題された同報告書は,米陸軍戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成され,米軍の「南東アジア翻訳尋問センター」の同年11月付の尋問報告に盛りこまれていた.
 73年に解禁され,近年も日米の一部研究者の間で知られてきた.

 当時の朝鮮のソウルで金銭と引き換えに徴募され,ビルマ北部のミッチナ(当時の日本側呼称ミイトキーナ)地区の「キョウエイ」という名の慰安所で日本軍将兵に性を提供していた旧朝鮮人女性20人と同慰安所経営者の41歳の日本人男性が米軍の捕虜となった.
 同報告書はこの男性の尋問を主に作成されたという.
 同報告書は「すべての『慰安婦』は以下のような契約条件の下に雇用されていた」と明記し,女性たちが基本的には商業ベースで「契約」に基づき,「雇われて」いたという認識を示している.

 同報告書はその契約条件について次のように記していた.
「個々の慰安婦はその総売り上げの50%を受け取り,無料の移動,食糧,医療を与えられた.移動と医療は軍から供与され,食糧は慰安所経営者が軍の支援を得て,購入していた」
「経営者たちは衣類,日常必需品,さらにはぜいたく品を法外な値段で慰安婦たちに売りつけ,利益をあげていた」
「慰安婦の女性がその家族に支払われた金額を利子付きで返済できるようになれば,朝鮮への無料の帰還の便宜を与えられ,自由の身になったとみなされることになっていた.だが戦争の状況のために,このグループの女性はだれも帰国を許されなかった」
「この日本人が経営した慰安所では女性1人の2カ月の総売り上げは最大1500円,最小300円程度だった.個々の女性は経営者に毎月,最低150円は払わねばならなかった」

 以上のように,この報告書は慰安婦の「雇用」や「契約条件」を明記するとともに,慰安婦だった女性は一定の借金を返せば,自由の身になれるという仕組みも存在したことを記し,「軍の強制徴用」とか「性的奴隷化」とは異なる認識を当時の米軍当局が有していたことを証している.

「古森義久イザ!」,2007/05/18/23:21

 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』に概要が紹介された資料も皆,
「日本の政府や軍が女性を組織的に強制徴用して慰安婦にしたという文書上の証拠はない」
という趣旨の政府の言明どおりのものばかりだという.
 以下引用.

――――――
その資料の一部を以下に紹介しましょう.

 〔警察庁関係(旧内務省関係)公表資料〕
 
▽昭和13年1月に山形県知事が陸軍大臣,内務大臣あてに送った文書
 「募集業者について銃後の民心,とくに応召兵士の家の婦女子の精神に悪影響を及ぼし,婦女の身売防止の精神にも反するとして,募集を断念させる説得を行ったと報告している」

▽昭和13年1月に高知県知事が内務大臣などに送った文書
 「軍の威信にかかわる言辞を弄する募集業者の活動は禁止し,渡航希望者にも証明書を出さないことにすると報告している」

▽昭和13年2月に内務省警保局長が各庁府県長官あてに送った文書
 「この通牒は募集者の言動を遺憾として,慰安婦となる者は内地ですでに『醜業婦』である者で,かつ21歳以上でなければならないこと,渡航のために本人が警察に出頭することと親権者の承諾をとることを義務づけている.婦女の募集周旋にあたって,軍の諒解または軍と連絡があるかのように言う者は取り締るべきだとしている」

〔防衛庁関係(旧軍関係)公表資料〕
 
▽昭和13年3月に陸軍省副官が北支那方面軍および中支派遣軍参謀長に送った文書
 「支那事変地における慰安所の従業婦等の募集に任ずる者の人選を適切にし,軍の威信保持上並びに社会問題上,遺漏なき様,配慮されたいとの通牒」

▽昭和17年5月に北支派遣軍の軍法会議が下した判決文
 「娼妓の廃業に要する金銭のため収賄した陸軍主計中尉に対する軍法会議判決文」

▽昭和17年5月の父島要塞司令部参謀部陣中日誌
 「東部軍参謀部は洲崎から26名,吉原から15名の女子を業者が準備し,15日ごろ輸送の予定であるが,人員数差し支えないかと問い合わせの電報」

 同種の文書は他に数百点もリストアップされています.
 ここで一貫しているのは慰安婦の女性は「募集」されていた,という記述や説明です.
 また慰安婦の「廃業」もあったこと,前線の慰安婦としては,吉原などですでに職業的売春に従事していた女性たちが多数,働いていたこと,などが明記されているわけです.
 これら文書からは,アメリカ下院の決議案がうたうような「日本軍により性的奴隷」とか,軍や政府による組織的強制徴用という実態はどこにも浮かんでいません.

――――――「古森義久ブログ」,2007/07/23 11:01

by 井原西鶴(うそ)

 以下は塚本幸一(女性下着メーカー「ワコール」の創業者)氏の講話です.
 別頁に「タイで終戦となった」とあるので,タイでの出来事と思われます.

――――――
 私たちの仲間でも,戦争が終わってから
「将来の日本というものは,もう自分たちにとっては,希望も未来もない」
と思った青年達が多くて,戦争に生き残った者がかなり自殺をしました.
 私たちの連隊でも,八月の十八日ぐらいでしたか,敗戦が通知されて,それから約一ヶ月間,毎晩毎晩,あちらこちらで,手榴弾の音が「ダーン」と.自爆です.自殺するわけですね.
 昔の日本の武士というのは
「われわれ武人は何のかんばせあって,再び故郷にかえらん」
という,そういった恥とか,気骨を持っていました.
 そうしたものをわれわれもまた受け継いでいたのです.それが自殺をしていく一つの考えになったわけです.

 そこで,当時,光機関という諜報機関出身の北辺邦雄という連隊長,これが,太っ腹の人で「こら,いかん」ということになったのです.
「この若者達を殺したらいかん.それには,百の説法するより,女だ」
というわけで,連隊の中に,いわゆる慰安婦を連れて来ました.
 そして,わら,むしろかこいで「ピー屋」という遊郭を作ったのです.「やれーっ」というわけです.
 長い間,戦争で何もかも殺伐となっていたのが,そのむしろ囲いで女を抱いたとたんに,生きることを考えましたね.
 それほどせっぱつまった,ギリギリのところを,ちょうど二十三,四歳で経験してきたということです.

――――――『松下政経塾講話録』(松下政経塾編,PHP文庫,1985年7月15日),P66-67から引用

 今だったら「あの上場企業社長が慰安婦を抱いていた!」なんて見出しでマスメディアが大騒ぎするでしょうねえ・・・

ラッキーマン in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 でもって,仮に慰安婦が「強制」だったのなら,なんで終戦と共に逃げ出していなかったんでしょうねえ?

 なお,最近では拉致問題に際し,この「強制連行」なる作り話を持ち出して,「日本も過去に拉致を行っているから云々」などと,問題を相殺しようとする言動が,北韓のみならず,一部の日本人の中にさえあるので要注意.
 詳しくは拉致問題FAQページを参照されたし.


 【質問】
 インドネシアにおけるオランダ人女性のケースについては?

 【回答】
 オランダ人のジャン・ラフ・オハーンと他のオランダ人女性たちの場合は,本当に日本の軍人に▼(個人的に)▲レイプされたようで,こういうことは軍規の乱れた軍の内部では実際に起こったのだと思う.

 インドネシアでは,イギリス軍が美しいオランダ人女性の捕虜たちを,毎晩レイプしていたという日本兵の証言がある.
 アチェで,現地の女性をレイプした日本兵が,アチェ人に斧で頭をたたき割られたのを見たという日本兵の証言もある.

 ▼どこにでも個別の犯罪は起こり得る.
 戦争になるといつも,女性が勝者の餌食となってレイプされている.
 イタリアでは,トルコ軍がイタリア女性をレイプしたそうだ.
 ベトナムでは韓国軍がベトナム人女性をレイプして,大勢の韓国人ハーフの赤ん坊が産まれたそうだ.
 恐ろしい思い出があるので,今でもベトナム人は韓国人が大嫌いなのだそうだ.
 沖縄では,アメリカ兵が沖縄女性をレイプしたり殺害したりした.

 また,これはタブーであまり日本人は口にしないのだが,支那では戦争の時,朝鮮半島出身の日本人が,いつも真っ先に現地女性をレイプしたそうだ.
 戦後GHQは,路地裏で,また産院で,日本女性を襲ってレイプしたり殺害したりした.
 ――――満洲でも,日本軍は現地女性を拉致してレイプしたそうだ.
 見ていた日本人の子供の証言もある.
 ▼軍規が乱れると人は個別に罪を犯すのだ.

 またソ連は,突然日ソ不可侵条約を破って満洲に攻め込んで来たとき,子供たちの目の前で母親を大勢で犯したそうだ.
 多くの日本女性がソ連軍人にレイプされたり殺されたりしたのだ.
 いくら日本女性が顔に墨を塗って,髪を剃ってボウズ頭にしても,ロシア人に捕まってレイプされたそうだ.

≪ WEB 熱線 第836号 ≫2007/03/12_Mon

 ただし,証言者の一人,ジャン・ラフ・オハーンについては不審点もあるという.
 以下引用.

対日非難は蒸し返し…オランダ女性の事例 末端将兵の行為すでに厳刑

 【ワシントン=古森義久】米国議会の一部やニューヨーク・タイムズが「慰安婦」非難で日本軍の強制徴用の最大例として強調するオランダ人女性のケースは実際には日本軍上層部の方針に逆らった末端の将兵が勝手に連行し,その違法行為が発覚してすぐ日本軍自身により停止されていた事実が明らかとなった.
 しかもこの違法の性的徴用の責任者たちは,戦後の軍事裁判で死刑を含む厳刑に処されており,今回の日本非難はすでに責任のとられた案件の蒸し返しとなっている.

 8日付のニューヨーク・タイムズは日本の慰安婦問題を安倍晋三首相がそのすべてを否定したかのような表現でまた報じたが,そのなかでオランダ人の元慰安婦だったというジャン・ラフ・オハーンさん(84)の
「インドネシアの抑留所にいた1944年,日本軍の将校に連行され,慰安所で性行為を強要された」
という証言をとくに強調した.
 同紙はオハーンさんの2月15日の米下院外交委員会公聴会での証言を引用しており,
「日本政府からの公式の謝罪が最重要」
と述べたとして,日本軍が組織的に総数20万人もの女性を強制徴用したという糾弾の最大の根拠としている.

 ところが慰安婦問題に詳しい日米関係筋などによると,オハーンさんは戦後すぐにオランダ当局がインドネシアで開いた軍法会議で裁いた「スマラン慰安所事件」の有力証人で,その証言などにより,上層部の方針に違反してオランダ女性を連行して,慰安所に入れた日本軍の将校と軍属計11人が48年3月に有罪を宣告され,死刑や懲役20年という厳罰を受けた.
 オハーンさんは同公聴会で日本側が責任をとることを求めたが,責任者は60年近く前にすでに罰せられたわけだ.

 日本政府には批判的な立場から慰安婦問題を研究した吉見義明氏も,著書「従軍慰安婦」のなかでオランダ政府の報告書などを根拠にスマラン慰安所事件の詳細を記述している.
 同記述では,オハーンさんらオランダ女性を連行したのはジャワの日本軍の南方軍幹部候補生隊の一部将校で,
(1)軍司令部は慰安所では自由意思の者だけ雇うようはっきり指示していたが,同将校たちはその指示を無視した
(2)連行された女性の父のオランダ人が,日本軍上層部に強制的な連行と売春の事実を報告したところ,すぐにその訴えが認められ,現地の第16軍司令部はスマラン慰安所を即時,閉鎖させた
(3)同慰安所が存在したのは2カ月だった
(4)主犯格とされた将校は戦後,日本に帰っていたが,オランダ側の追及を知り,軍法会議の終了前に自殺した-などという点が明記されている.

「ステージ発風」,2007/03/10/23:23付に転載


 【質問】
 スマラン慰安所事件は軍人個人の犯罪?

 【回答】
 主導したといわれるのは能崎清次中将(当時は少将).
 これほどの階級の人らが行っていたのに,兵の個人的なものとするのは,少し無理があるでしょう.
 おまけに,日本軍によって処罰されておらず,逆に昇進〔1945年3月,第152師団長に就任〕までしていますし・・・
 何となく,牟田口などを連想しますが.

ヨッチ in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分

 ただし,事件を起こしたのが「幹部候補生隊」なる,大尉から中将までの人員で構成された部隊である以上,関係者の階級が高いのは必然という見方も,低い確率ながらできるでしょう.
 また,処分がなかったことについては,単なる事なかれ主義である可能性も,僅かながら残っているでしょう.
 旧軍の事勿れ主義体質については,今更言うまでもないでしょう.


 【質問】
 トラックの遊郭では,強制連行された中国人売春婦もいたの?

 【回答】
 彼女らの殆どが職業売春婦であり,「強制連行された中国人慰安婦」は存在しないといってもいい.
 中国人犯罪者に誘拐され,売春業者間を転売されて最終的に戦地に流れ着いた女性被害者はいるが,これは「強制連行」ではない.

 トラック島を中心拠点としていたのは第4艦隊だが,『高円宮日記』には,「慰安婦200名送ること」との記述有り.
 中国人慰安婦の人数は編者の手元の資料だけでは不明だが,傍例としてラバウルでは,慰安所で働いていた300人の内訳は日本人,台湾人,朝鮮人.
 グアムでは40~50人がおり,内訳は日本人,朝鮮人,チャモロ族.

 秦郁彦(文中敬称略.他も同じ)の推計では,慰安婦総数1万~3万人のうち,民族構成比率は大雑把に日本人:現地人:朝鮮人:その他=4:3:2:1であったという.
 一方,吉見義明の推計では,慰安婦総数は最低でも5万人以上で,その内訳は朝鮮人51.8%,中国人36.0%,日本人12.2%.
 そして,
「なお,中国人『慰安婦』は交替率が高かったので,比率ももっと高くなるでしょう」
と吉見は述べている.
 ただしこれは,中国大陸において性病に感染した兵士が申告した「相手女性の国籍」であるので,その地域の民族比率が高くなるのは必然.
 大陸での中国人売春婦≒「現地人」であると考えれば,中国人売春婦の存在比率に関しては,吉見と秦の主張がさほど対立するわけでもないだろう.

 よって,トラック諸島では中国人売春婦の存在自体がレアだった模様.

 【参考ページ】
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999),p.134-136, 397-410
吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2010),p.54-57

軍事板,2016/08/25(木)
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
■従軍慰安婦問題:上海・慰安所売春,勧誘手口全容を初公表--戸塚悦朗・龍谷大教授 [2005/2/2 毎日新聞](リンク切れ)

 地裁判決によると,30年から上海で海軍軍人を客に売春業を営んだ業者らは,32年1月の上海事変で駐屯軍人が増加したのに目を付け,「海軍指定慰安所」を計画.
 長崎市などに在住の女性や娘を持つ親に,「兵隊相手の食堂」「仕出屋の女中奉公」などと勧誘し,同年3~5月,女性15人を長崎港から上海行き船に乗せ,慰安所で売春をさせた.

 戸塚教授は
「慰安婦問題については『当時は公娼制度があり合法』とする主張があるが,判決が示す実態は甘言をろうした拉致だ」
と指摘している.

◇吉見義明・中央大教授(日本近現代史)の話

 慰安所には,特に朝鮮,台湾から仕事内容を隠し,貧しい女性を送った例が多い.
 今回の判決文は,慰安所制度が当初から違法行為を前提に成り立っていたことを示しており,法的責任を認めない日本政府の姿勢に一石を投じるだろう.

 【事実】

――――――
■慰安婦問題,新たな"資料"公表! [カレーとご飯の神隠し]

 ・・・軍は,何も関与してないじゃん.

騙して売春させた業者を逮捕,有罪判決

悪徳業者を取り締まっていた証拠に

政府による強制連行説破綻

・・・もしかして,狙ってやってますか?
――――――


                      ____    、ミ川川川彡
                    /:::::::::::::::::::::::::""'''-ミ       彡
                   //, -‐―、:::::::::::::::::::::三  ギ  吉  三
            ___    巛/    \::::::::::::::::三.  ャ  見  三
        _-=三三三ミミ、.//!       l、:::::::::::::三  グ  は  三
     ==三= ̄      《|ll|ニヽ l∠三,,`\\::三  で       三
        /              |||"''》 ''"└┴‐` `ヽ三   言  ひ  三
         !             | /          三   っ  ょ  三
       |‐-、:::、∠三"`    | ヽ=     U   三.  て   っ  三
       |"''》 ''"└┴`       | ゝ―-        三  る  と  三
       | /           ヽ ""        ,. 三   の   し  三
        | ヽ=   、    U    lヽ、___,,,...-‐''"  三   か  て  三
.        | ゝ―-'′          |  |::::::::::::_,,,...-‐'"三  !?    三
          ヽ ""        ,.    | | ̄ ̄ ̄      彡      ミ
        ヽ、___,,,...-‐''"  ,,..-'''~             彡川川川ミ
          厂|  厂‐'''~      〇
        | ̄\| /


>戸塚教授:「甘言をろうした拉致だ」

 「騙して売春させる」「借金のカタに売り飛ばす」ってのは,現代でもあり得る事態なわけで,売春産業自体の抱え込む問題です.
 軍が関与した証拠ではない以上,それ以上の意味を持ちませんね・・・これ.

>吉見教授:「慰安所制度が当初から違法行為を前提に成り立っていたことを示しており」

 当時の売春産業が全て誘拐によって成り立っていたとでも?
 吉見教授の主張は「慰安所制度」のみならず,「売春制度」全体に対する問い掛けに等しいことを,教授自身は気付いているのでしょうか?

>吉見教授:「法的責任を認めない日本政府の姿勢に一石を投じるだろう」

 当時の日本政府は『違法業者の責任』を認め,これを摘発しましたがなにか?
 政府が違法業者を取り締まっていたということは,政府は「誘拐は違法」だと認識していたわけです.
 法的責任は違法業者にあります.
 責任の所在を取り違えないで下さい.

<以下,コメント欄>

 〔略〕
 この教授の主張する証拠の内容ってどこかで聞いたことがあると思ったら,朝鮮新報が既に去年の10月に同じ主張してました・・・
http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/05/0405j1023-00002.htm(リンク切れ)

(たしかrx178氏のブログ
http://chosonnews.txt-nifty.com/han/
で挙げられていて,知ったんだと思いましたけど.)
(2005年02月04日 20時27分42秒)

Eule

「週刊オブイェクト」,2005年02月03日


 【質問】
 慰安婦の中で,故国に帰れなかった人は多いの?

 【回答】
 さほど多いわけではない.
常石敬一・秦郁彦・佐瀬昌盛監修『世界戦争犯罪事典』(文藝春秋,2002),p.110
によれば,
「日本赤十字社の従軍看護婦の死亡率4.2%を上回ることはない」
という.
 ただし同書では,その根拠は示されていない.

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999)
にも,はっきりした根拠が書かれているわけではない.
 ただし,終戦前後の慰安婦の状況に関する断片情報の集積が,p.138-143に掲載されている.
 「死亡率4.2%を上回ることはない」というのは,同書の著者が,これら断片情報をもとに,大雑把な推測をしたものである模様.

 そして戦後,朝鮮人・台湾人慰安婦は同国人と共に,連合軍の復員船で,日本人よりも早く故国へ直行で帰っているという.


 【質問】
 従軍慰安婦に対する補償は,日韓基本条約で全て解決しているのでは?

 【回答】
 「全て解決している」というのが日本政府の立場.
 「条約交渉時には慰安婦問題なんて議論されていなかったから,慰安婦問題は別腹」というのが「挺対協」の立場.
 また,よりマイナーな見解としては,
「条約の例外事項として対応できる」説
「そもそも請求権は放棄されていない」説
などがある.

 日韓基本条約では,
「日韓間の両国間及び国民間の請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されていること」
「1945年8月15日以前に生じたいかなる請求権も主張もすることができないものとする」
とされている.
 その代わり,「個人への補償は韓国政府が行うので日本は韓国政府へ一括して支払って欲しい」として韓国側が要求していた21億ドルと各種現物返還に対し,日本政府は「独立祝賀金」と「発展途上国支援」名目で無償3億ドル,有償2億ドル,民間借款3億ドルの供与及び融資を行っている.

(ちなみに,韓国政府はこの供与及び融資を個人補償には殆ど使わず,自国の経済基盤整備の為に使用したので,現在この点を批判する運動が韓国で起きている)

 加えて,この条約に付随して「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が結ばれている.
 この協定において
・日本は韓国に対し,朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄するとともに,約11億ドルの無償資金と借款を援助すること
・韓国は対日請求権を放棄すること
が合意されている.

 これら事実に基づき,日本政府では「慰安婦問題も含めて全て最終的に解決されている」と主張している.

 これに対し「挺対協」やその賛同者たちは,
「慰安婦問題は当時の韓日会談で議論されたことがないから,最終的解決の中に含まれない」
と主張している.

 たとえばネイバーニュース/SBSは,
>日本「請求権問題は完全に解決済み」...真実を無視した主張
 [中略]
>協定の対日本請求要綱の8つの項目には,日本が持っていった財産や未支給の給与などを返してほしいという内容だけで,慰安婦問題や原爆被害などは言及さえされていません.
>当時交渉に参加した故チョン外務次官は著書で,慰安婦問題は韓日会談で議論されたことがないという点を明確にしました.
こちらより孫引用)
と述べている.

 また,2005年に韓国政府の「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」は,「日本軍慰安婦問題など,日本政府,軍などの国家権力が関与した反人道的不法行為」が請求権協定によって解決されていないとして,
「日本軍慰安婦問題は日本政府に対して,法的責任の認定など,持続的な責任追及を行なう一方,国連人権委員会などの国際機構を通じてこの問題を引き続き提起する」
ことを韓国政府に勧告している.

 マイナーな見解としては,木村幹・神戸大教授が,「世論次第で,条約の例外を執行できる」説を唱えている.
 すなわち以下のごとし.

------------
――世論が変わっていっても,政権側は「解決済み」という態度じゃないですか.日本としてのプライドを守ろうとしている部分があると思うんですよ.そういう部分は世論が変わっていくことで変えられるものなんですか.

 それは変えられるんじゃないですかね.
 条約の例外を執行しているケースはいくつかあるんですよ.
 例えば,殆ど知られていないけど,在日韓国・朝鮮人の軍人と軍属.日韓基本条約の交渉当時も当然議論したけど,韓国籍でない朝鮮籍の人に払っていないのは不公平だからと,2001年から在日永住外国人,つまり,在日韓国・朝鮮人や台湾人の元日本人軍人・軍属に戦没者遺族へ260万円,戦傷者本人へは見舞金・老後生活設計支援特別給付金として400万円を支払っています.
 でも,慰安婦問題は,みんなが過度に注目しているから役所も表だって動けない.
 日本政府は,一旦崩すと例外が際限なく出てくるんじゃないかと恐れている.
 文化財の問題も,どこかで線を引かないと延々と議論が続いて,日韓関係が悪化すると考えているんですね.

------------http://fightforjustice.info/?page_id=2479

 「日韓基本協定によって請求権消滅などしていない」という極めてユニークな説を唱える者もいる.
 山本晴太弁護士は,従軍慰安婦裁判の一つ,関釜裁判の控訴審の結審において,原告代理人の立場で,以下のように論述したという.

------------
 1 日韓協定は外交保護権を放棄したもので,個人の権利を国内法的に消滅させたものではない.
 2 「財産,権利及び利益」については措置法で国内法的に消滅させたが,「請求権」はその限りではない.
 3 「請求権」について韓国人が日本の裁判所に訴訟を提起することができる.
 4 右の場合に請求が認められるか否かは裁判所が判断することである.
 日本政府は「韓国人個人に請求権あり」と明言するのを避けようと意図的に曖昧な言い回しをしているが,結局は日韓協定によって請求権が消滅していない旨の答弁であることは明らかである.

------------http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-775.html

 ただ,「別腹」論や「例外」説,「請求権未消滅」説は,日本内外において広く受け入れられるとは言い難い.
 すでに日韓基本条約において当時の韓国政府が日本政府から個人補償のための巨額の金品を受け取っているからである.
 この事実は重い.

 慰安婦問題について「挺対協」側が「人道」を全面に押し立てているのも,法論では支持を得られにくいことを認識しているためと想像される.

 【参考ページ】
http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-c10d.html
http://horukan.com/blog-entry-2957.html
http://fightforjustice.info/?page_id=2479
http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/28/comfort-women-japan-korea-relation_n_8319014.html
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-775.html


 【質問】
 慰安婦問題について,今後も日本は謝罪し続けるべきなのか?

 【回答】
 もちろんこれにも賛否両論ある.

 吉見義明(文中敬称略.他も同じ)は単なる謝罪だけではなく,以下のようなことが問題解決のためには必要だと説いている.
1) 「軍の関与の下に」という主語を曖昧にした表現をやめ,「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」主体は日本軍であったということを,明確に認めることが必要
2) 道義的責任だけでなく,法的な責任も認める
3) 賠償のためのカネは政府が出す
4) しっかりした再発防止措置をとる.「軍『慰安婦』を服従させ,隷属させたことはなかった」といった意見に対しては,日本政府が公的に反論する
5) 女性たちへの十分な医療的措置
6) 以上の措置を実行するため,閣議決定を経た新たな首相声明を出し,国会でも決議を行い,さらに「恒久平和調査局設置法案」を成立させ,日本の戦争責任問題に関する国内の資料公開予備女性たちの被害状況に関するヒアリングを徹底して行う

「以上の措置が実行されるならば,被害者の名誉と尊厳は回復され,女性に対する性暴力の根絶と,多民族差別の克服への大きな一歩を進めることができるでしょう」(下掲書,p.63)
と吉見は述べる.

 ただこれは,以上の措置が実行されたからと言って,韓国の挺体協が納得したり,国際法違反の慰安婦像が撤去されたりすることを吉見は保証していないことも意味する.

 一方,秦郁彦は,少なくとも編者の知る限りでは,今後どうしたほうがいいといったことは述べていない.
「私のこの本からどんな解釈や結論を引き出すかは読者の自由に委ねたいと思う」(下掲書,p.430)
というくだりがあるのみである.

 謝罪無用論もある.
 たとえばエドワード・ルトワックは,以下のように述べている.

------------
 日本は韓国に対して既に十分すぎるほど謝罪したし,これからも謝罪し続けなければならないだろうが,それらは結局無駄である.
 なぜなら韓国がそもそも憎んでいるのは日本人ではなく,日本の統治に抵抗せずに従った,自分たちの祖父たちだからだ.
 たとえば終戦直前まで,日本の軍人は朝鮮半島で夕食を楽しんで官舎に帰ってくることができた.
 日本の軍部の高官が街を歩いていても,暴徒に襲われる心配はなく,護衛をつける必要もなかったのである.
 つまり,日本の統治は当時,大した抵抗に遭っていなかったのである.

 ヨーロッパにも似たような例がある.
 オランダだ.
 ナチス・ドイツが侵攻してきた時,レジスタンスはあったが,オランダは殆ど抵抗せずに従った.
 にもかかわらず,戦後の1960年代まで,ドイツのことを激しく嫌っていた.
 ドイツ人が休暇でオランダに行くことなどできなかった.
 オランダの大西洋沿岸の民宿は,休暇に最適の場所なのだが,看板に「ドイツ人お断り」と書かれていたほど嫌独感情が強かったのである.

 ところがその反対に,ユーゴスラビアのダルマチア地方(現在のクロアチア)では,ナチス・ドイツとの激しい戦闘が行われ,双方に多数の死者が出たのだが,戦後の民宿には「ドイツ人は無料」という看板が出ていた.
 それほどドイツ人の観光客を歓迎していたのである.

 1955年のドイツ人は,オランダの海岸では民宿を予約できなかったが,ユーゴスラビアでは無料で泊まれたのだ.
 この違いはなぜ生まれたのだろうか.
 ユーゴスラビアではドイツ人が多数の市民を殺し,ユーゴスラビア側もそれに激しく抵抗した.
 だからこそ戦後にユーゴスラビア人の多くは,「俺はドイツ人と戦ったぞ!」と誇ることができた.
 そうして民宿で朝食も共にできるようになったのだ.
 それに対してオランダ人はドイツ人と戦わなかった.
 彼らは従っただけであり,そこが韓国人と同じなのである.

 今日の韓国人は,自分たちの祖父たちを恥じている.
 その怨みが現在の日本人に向けられている.
 だからこそ,彼らは決して日本人を許せないのだ.

------------下掲書,p.129-130

 実際,日本側が,3桁に近づき「謝罪疲れ」を起こすほど謝罪を繰り返しても何の効果も見られないところから考えても,ルトワックの解説には説得力がある.

 【参考ページ】
吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2010)
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999)
エドワード・ルトワック『中国4.0』(文春新書,2016)


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