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◆◆「国家要素」
<◆戦略
総記FAQ目次


(大和田秀樹『ムダツモなき政治改革』より引用)


 【link】

「FSM」◆オセロのカド
>さて,国家間の領土問題でたまに見かけるんですが「そんな土地くれてやれよ」という意見です.

「ダイヤモンド・オンライン」◆(2013/07/29) 【3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言】政府の役割は実行ではない“決定”と“方向付け”と“エネルギーの結集”である

「ダイヤモンド・オンライン」◆(2013/11/12) 【3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言】公的機関は成果を上げられなくなったとき その存在意義を失う

「暇は無味無臭の劇薬」◆(2013/04/23) 「アメリカ以外で国民が最も洗脳されている国はどこか外国人が議論するスレ」海外の反応

「暇は無味無臭の劇薬」◆(2013/04/28) 「外国人が他国を完璧に表現出来るような画像を貼っていくスレ」海外のまとめ

「暇は無味無臭の劇薬」◆(2013/05/21) 「世界の国を擬球化して描いた漫画を外国人が貼っていくスレ」海外の反応


 【質問】
 第2次世界大戦後における,旧西欧諸国領からアジア・アフリカ諸国の独立の推移はどのようなものか?
 また,ナショナリズムは,独立運動とどう関係したのか?

 【回答】
 WW2によって,西欧諸国が完全に弱体化し,アジア・アフリカで植民地からの独立運動が一大運動となった.

 それまでの宗主国が,世界大戦によって弱体化したので,植民地における,いわゆるエリート達は,ナショナリズムを基幹として,ヨーロッパ帝国勢力に対抗した.

 だが,「言語」と「エスニシティ」を基盤とした19世紀型のモデルでは,アフリカ・アジア共に,何千というミニ国家を作らなければならなかっただろう,
 故に,エリート層は「国家がネーションを作る」権利を主張し,国を形成しようとした,
 これは19世紀とまったく反対のパターンである.

 アジア・アフリカの指導者たちについて,ナイ教授は以下のような見解を述べている.

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 現地の指導者たちは,多くの小種族を束ねてネーションを形成するため,植民地主義者たちが残していった国家機関−予算制度,警察,公務員制度−を利用せざるを得なかったのである.
 ナショナリズムという同一のイデオロギーが,ほとんど正反対の2つのこと−ネーションが国家を作るということと国家がネーションを作るということ−を正当化するために使われたのである.
 ナショナリズムが,手段としての使用価値のある政治的用語だったからである.
 この意味で,国家のアイデンティティは社会的に構成されるわけである(たとえフランスのように「国民が国家を作る」古典的な事例でも,国家はブルターニュのように[統合に]遅れた地域を組み込むために,教育と警察の力を動員した.)
--------------------------------------------------------

 植民地解放の運動初期に見られる「ロマンティック」な時代には「汎○○」運動という形で,ネーションを形成を阻害する「小さな差異」をぼやかすことができた.
 19世紀から20世紀初期に,すべてのスラヴ語圏の人々の共通自己認識を主張する「汎スラブ主義」が勃興した.
 近代の中東では汎アラブ主義が,アフリカでは汎アフリカ主義が生まれた.

 また,これらの主義者たちの共通行動として,ナイ教授は以下のように述べている.

--------------------------------------------------------
 外部勢力による統治に反対した初期の人々は,植民地化された人々はみな外部からの植民地化主義者によって同様に苦しめられたのだから,汎アフリカとか,汎アラブという形で結束すべきだと主張した,
 しかし,植民地主義への反抗とそれからの解放という段階が過ぎ,実際の統治という段階になると,予算制度や警察や公務員制度といった国家機関が必要になってくる.
 そして,そのような統治機構は汎○○の領域に存在するわけではなく,植民地統治によって人為的に作り出された境界線の内部ごとに存在したのである.
 したがって,ロマン主義が後退するにつれ,汎○○を基盤にした自己意識は,国家を基盤にした自己意識の主張に取って代わられるようになったのである.
 とはいえ,その後も汎○○運動のロマンティシズムは,混乱をもたらす勢力として残った.
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・WW2で西欧諸国の力が弱体したので,植民地独立運動が一大運動となった.

・多くの植民地では,その初期はともかく,その統治に関しては,旧宗主国の残したシステムを利用せざるを得なかった.

・「ロマンティシズム」は運動初期には有効だが,実際の統治レベルになると,混乱をもたらすものになる.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第6章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 なぜ,ナショナリズムはこれほど国家にとって,重要なファクターとなったのか?

 【回答】
 それまでの「王政」や「宗教」「文化」といった求心力が,戦争や領土戦争の結果,最上の求心力とならなくなったため.

 18世紀には,ナショナリズムはそれほど重要な要素ではなかった.

 この問題に関しては,コンストラクティズム(構造主義)の論理アプローチが分かりやすい.
 コンストラクヴィストは,国家や身分の上下などに関して,複数の横断的な忠誠心を持っていると主張している,
 故に「忠誠心」の対象は変化していっても,何の不思議でもない.

 自らの生活が脅かされた結果,アイデンティティが揺さぶられ,忠誠の対象が変化するようだ.
 これに関して,ナイ教授は以下のように述べている.

--------------------------------------------------------
 ネーションという観念が生まれるのは,多くの場合,最も強く揺さぶられた人々の間である傾向がある.
 これらの人々は,自らの通常の生活パターンが最も強く揺さぶられた人々の間である傾向がある.
 これらの人々は,自らの通常の生活パターンが最も強く揺さぶられ,疑問を発するようになるのである.
 したがって,ネーションの主張は,しばしば知識人や非主流の宗教集団から始まる.

 たとえば,19世紀における初期のアラブ・ナショナリストは,ムスリムというより,キリスト教徒たちであった.
 産業化や都市化が進み,農業社会の伝統的なパターンや忠誠心が揺さぶられるようになっていったのである.
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 あるアイデンティティを人々に確立させようとすることによる動揺は,内圧・外圧の双方からもたらされる.
 近代的なナショナリズムの確立は,フランス革命によって大きく促進された.
 いわゆる「中産階級」の登場は,伝統的な政治・社会体制を揺さぶり,さまざまにできた政治勢力は,国王を中心とする「フランス」という国家を望まないようになった,
 代わりに「ネーション」によって規定されるフランスを望んだ.

 このフランスのナショナリズムについて,ナイ教授は以下のように分析している.

--------------------------------------------------------
 外的に言えば,ナポレオンの軍隊はヨーロッパ中を進軍し,[それぞれの土地で]社会を揺さぶり,ドイツ語圏やその他の地方でナショナリティックな感情を呼び起こしていった.
 19世紀中葉までには,それぞれのネーションが国家を持つべきだ,との考えが広範に支持を集めるようになったのである.
 この理想は,ドイツとイタリアの統一によって頂点に達した.
 皮肉なことは,ビスマルクが保守的な政治家であり,別にドイツ語を話す,すべての人々を統合しようとしたわけではなかったことである.
 彼は,プロシア王室の下に制御可能な部分を統合しようとしただけなのである.
 しかし,この目的のために彼はナショナリズムを利用した.
 その結果,ドイツとイタリアの統合はナショナリズムの成功例と見られるようになったのである.
--------------------------------------------------------

・ナショナリズムは,それまでの「忠誠の対象」が没落したことによって台頭した.

・フランス革命が,近代ナショナリズムを大いに促進した.

・ビスマルクの意図はともかく,彼の政策によって,ナショナリズムの有効性が認識された.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第6章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 宗教ナショナリズムとは?

 【回答】
 多神教や一神教の過激主義を包括的に説明するための新しい概念.
 カリフォルニア大のユルゲンスマイヤー教授(宗教学)が導入したとされる.
・世俗ナショナリズム否定
・西欧的なものの拒否
・拒否の仕方が非常に激しい敵意,反感を伴っていて,ときとして暴力的な形をとる
・政治的なキャンペーンを非常に宗教的なレトリックを用いて行う
・宗教国家の実現を目指す
という特徴がある.

 以下引用.

 多神教の場合,絶対の聖典,教典というものがなく,教義の一部を選択的に選んで絶対視していく構造がない.
 そこが原理主義の定義と多神教がなじみにくい点といえる.

 そこで,多神教も含めた宗教と政治の関係を考える時に,カリフォルニア大のユルゲンスマイヤー教授(宗教学)が導入したのが「宗教ナショナリズム」という概念である.

 従来のナショナリズムが,民族や領域国家など宗教とは関係のない「世俗ナショナリズム」であったのに対して,現在は宗教に基盤を置いたナショナリズムの形成が起きており,その視点で見ていくと,多神教世界で起きていることの説明がつくという.

 たとえば,90年代のインドでは,ヒンドゥー・ナショナリズムが台頭したが,彼らが否定するのは独立後にネルーが敷いた路線である.
 独立後のインドはこれまで,国家としてはどの宗教にも与せず,政教分離に徹し,国家が特定の宗教から距離を置くところにナショナリズムの基盤を置いてきた.
 だが,ヒンドゥー・ナショナリズム,一部でヒンドゥー原理主義とも呼ばれる人々は,そういった世俗ナショナリズムを否定する.
 つまり,宗教ナショナリズムの第1の特徴は,この世俗ナショナリズムの否定である.

 ヒンドゥー・ナショナリストはヒンドゥー教の定義を,従来とは異なる独自の解釈をしており,インドで生まれた文化や宗教を総称してヒンドゥーであるという.
 したがって,仏教やジャイナ教はヒンドゥーに含まれるが,中東から入ってきたイスラム教やキリスト教は異質なので排除しようとする.
 世俗ナショナリズムを拒否する動機も同様で,政教分離という概念は西欧が生んだもので,インド文明とは異質であるとするからだ.
 特に戦後のアジアやアフリカにおいては,世俗ナショナリズムは新植民地主義の別名であると捉えられる.
 この,西欧的なものの拒否が第2の特徴である.

 そして第3の特徴には,その拒否の仕方が非常に激しい敵意,反感を伴っていて,ときとして暴力的な形をとるという点である.
 たとえば90年代初めには,アヨディヤのイスラム・モスクをヒンドゥー・ナショナリストたちが破壊する事件が起き,その後,南アジアでヒンドゥーとイスラムの大規模な暴動へと拡大している.
 この事件の直前には,ヒンドゥーのお祭りの際に神様が乗る巨大な山車の上から,インド人民党というヒンドゥー・ナショナリズム政党のリーダーが
「イスラムは出ていけ」
とのアジ演説を行っていた.
 このように,政治的なキャンペーンを非常に宗教的なレトリックを用いて行うところが第4の特徴と言える.

 究極的にはそういった闘争を通じて,世俗国家ではない,宗教国家の実現を目指すという点が,第5の特徴である.

小川忠=国際交流基金企画評価課長 in 『SAPIO』 2005/3/23号,p.33

 日本では類例がまだない――強いて挙げればオウム真理教か――ため,これがどれほど説得力があるかはまだ不明.
 神道系右翼団体も,宗教国家の実現を目指しているとは思われない.
 ゆえに信頼性の判断は保留.


 【質問】
 これから先も「領土国家」は普遍的な存在であり続けるのか?

 【回答】
 おそらくそれが主流ではあり続けるであろうが,そうではない場合も考えられる.
 過去には,常に領土国家が存在してきたわけではない,未来に必ず領土国家が存在するとは限らない.

 これについて,ナイ教授はツキュディディスを挙げている.

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 分散した集団と国家システムはツキュディディスの時代から存在してきたが,国際政治の主要な構成要素として広大な領土国家が発展してきたのはルネサンス以降のことである.
 17世紀の三十年戦争は依然として封建制度下での戦争の特徴を帯びていたため,それは封建制度下での最後の戦争であると同時に,領土国家による戦争の始まりでもあった.
 今日見られる広大な領土国家が,近代世界政治の主要な制度となったのは,わずか3,4世紀前のことなのである.
 数多くの未来学者が領土国家の衰退を予測しており,彼らの描く新しい世界秩序は,無政府状態のディレンマを克服する構造を内在している.
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 「領土国家」という考えは,確かに現状の主流であり,これはしばらく覆(くつがえ)りそうになりものの,可能性を類推することは可能である.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第9章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 これからの世界において,国家主権と統制の問題はどうなっていくのか?

 【回答】
 これについては世界中で熱い議論が起きているが,今のところ,国家の自立性を損ねるような意見には,多くの政治指導者が抵抗感を持っている.
 武力行使を制限しようとする国連の政治的役割,WTOによる経済問題の決定,環境に関する機構や条約の発展などの努力を憂慮している.
 この立場からの意見では,国際共同体だと言う考え方は幻想に過ぎない.

 だが,主権国家の運命についての議論の枠組みは,未だお粗末なものだとナイ教授は指摘する.

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 主権国家の運命についての議論の枠組みはお粗末なままである.
 コンストラクヴィストの政治学者ジョン・ラギー(John Ruggie)が指摘するように,「いまだに極端に貧しい思考様式しか機能していない.
 それは,制度的に国家に代替しうる実体という観点からしか,国家システムへの長期的な挑戦を捕らえる事の出来ない考え方である」.
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 ナイはさらに,中世の商人達と,現在の脱国家的な企業を比較例と出して,以下のように分析を行っている.

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 より有効な歴史的類比は,封建時代初期の市場と都市生活の発展過程である.
 中世の市は,封建的権威制度の代替物ではなかった.
 それは,城壁を打ち壊したり,領主を排除できるものではなかった.
 だが,それは新たな富,新たな連合,「都市の空気は自由をもたらす」という格言に要約される新たな雰囲気をもたらしたのである.
 中世の商人たちは,主として商売を行うための一連の私的な決まりとして,自分達の関係を規定する「商人の法」[lex mercatoria]を発展させた.
 今日では同様に,ハッカーから大企業に至るまですべての者が,インターネットの規範を部分的には公式の政治制度から離れた形で構築しつつある.
 ファイアーウォールの中や暗号化の背後で進む脱国家的企業内のイントラネットは,「公共空間の私的流用を意味している」.
 企業内のイントラネットや,環境などの特定の問題に関する世界規模のニューズ・グループといった,こうした私的システムは,主権国家の政府に正面から挑戦したりはしない.
 それらは,主権国家が効果的に統制できない関係の層を付加するだけである.
 人々は,忠実な市民でありながら脱国家的なインターネット共同体に参画しているだけなのだが,彼らの視野は,インターネット以前の典型的な忠実な市民のそれより広くなるであろう.
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 ただ,インターネット時代を迎えたといっても,政治制度の役割が劇的に変化する可能性は殆どないだろう.
 たとえば,領土国家が台頭した17世紀の頃にしても,イタリアの都市国家や,ハンザ同盟のような中世的な社会は,ほぼ2世紀に渡って生き残った,

 現代の真の問題は,主権国家が存続するかどうかではなく,そのエッセンスと機能がどのように変化していくかである.

 国家の活動領域は,ある分野では拡大し,ある分野では縮小してきた.
 指導者たちは,自分達が解決できない問題を遠ざける事で,かえって効果的な支配体制を促進できると認識していたのである.
(これは,かなりの部分正しかったと思う)

 現在,金融の流通・麻薬密売・気候の変化・AIDS・難民・テロリズムなど,国家統制の及ばない領域は増え続け,全ての国家がこれらの問題に直面していると言っていい.
 だが,これら国家統制と言う問題が複雑になっていく事と,主権が侵食されるという事は同義ではない.
 政府は,これらの問題に適応するだろう.
 だが,この適応の過程で,主権的な管轄権の意味や統制の役割は変化していく可能性が極めて高い.

 これについて,ナイ教授はアメリカの国境管理問題を例に挙げている.

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 たとえば,アメリカの国境管理の問題を考えてみよう.
 1年に4億7500万人の人々と1億2500万台の乗り物,2100万個の貨物が,301の通関地点の3700のターミナルから,この国に流入している.
 40フィートの満載の貨物コンテナを検査するには丸5時間はかかるし,そうしたコンテナが毎年500万個も搬入されるのである.
 さらに,最近は旅券などを持たない270万人もの移民が,メキシコやカナダから徒歩や自動車で国境を越えている.
 9.11テロ事件が示したように,テロリストは容易に忍び込めるし,毎年運び込まれる何トンものヘロインやコカインよりも,数ポンドの生物・化学兵器を持ち込むことの方が簡単である.
 国家安全保障省がこうした流入に対処する唯一の方法は,国境を越えて他国の情報収集と協力を行い,国際的な商業流通を追跡する透明性の高いシステムを作り上げるよう民間企業に依頼する事によって,積荷が国内に入る前に,司法当局が「事実上の」検査を行うことなのである.
 税関関係者はラテンアメリカ各地で,民間企業に対し麻薬密輸業者につけこまれるリスクを軽減するための安全対策の実施を支援しており,麻薬の流通を監視するするための協調的な国際的仕組みが発展しつつある.

 このように主権国家は順応する.
 だが,そうする事を通じて,政府の管轄の意味と排他性は変容していく.
 法的な境界は変わらないが,実際にはそれはぼやけている.
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まとめ

・国家主権の問題は,世界で多くの議論が交わされているが,政治指導者たちは,これについは抵抗を見せている.

・国家主権の運命についての議論は,粗末なものに留まっているが,新たな雰囲気の醸成は行われている.

・現在の人々は,脱国家的なインターネットの一参加者にすぎないものの,インターネットを使用する以前の人たちよりも,視野が明らかに広くなっている.

・国家主権の意味が変容していく事は,ほぼ確実であるが,主権が無くなる事もないだろう.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第8章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 現在,国家の主権問題は,どのように変化しているのか?

 【回答】
 1945年の国連憲章以来,人権条項が,国家主権を擁護する条項と共存してきた.
 国連憲章第2条7項において,国内が管轄する問題に関して,国連がそれに干渉する権利を一切認めていない.

 だが,反人種主義のグローバルな規範と,南アフリカのアパルトヘイト政策に対する批判が強まるにつれ,国連の大多数はこの原則を弱める方向に動いたし,コソヴォへのNATOの介入は,国際法学者の論争の的となった,
 つまり,国連の承認を得ていないので,NATOの介入は違法であると言う論理と,国際的な人道的介入に照らして合法であるという論理があった.

 チリの大統領在職中の人権侵害と犯罪を根拠として,ピノチェト将軍(元チリ大統領)の身柄引き渡しを要求し,イギリスがピノチェトの身柄を拘束した事件などは,この問題の複雑さを示す好例である.

 情報技術,特にインターネットは,人権活動家の調整を容易にして,彼らの力を強化したが,旧植民地の政治指導者などは,法としての主権が外部からの干渉に対して持つ保護機能に執着している.

 これからの世界では,こういった国家の主権に対して矛盾する2つの国際法上の立場が並立し続けるだろう.

<まとめ>

・国家主権と人権保護の問題は,国連憲章が出来て以来,並立して存在している.

・国家の主権に対して,国連は不干渉が原則ではあるものの,必ずしも,それが至上のものではなく,干渉が行われている例が増えている.

・これからの社会は,主権と介入という矛盾する二つの問題が並立して存在していくだろう.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第8章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 ミニ国家だと国防を同盟国に完全に任せちゃってるとこ多いよな?

 【回答】
 軍隊を維持するための費用を,経済活動に回す方が効率がいいしね.
 コスタリカのように常備軍を廃止している国もあるけど,そういうところは警察機構がその代わりをしていたり,民兵組織や準軍事組織がいたりするしね.
 海上保安庁なんかもそーだし.
 国民もそんなに居ないのなら,過剰な軍備はいらんしなぁ.

 ただの小国が,不必要なほど強大な軍備持ったら,維持するだけでもまず無理だし,さらに言えば地域紛争の火種になるだけだからな.

 シーランドの場合は,イギリス近海という立地条件が絶妙だった.
 欧州大陸側には,勝手に武力制圧する程斜め上な国家はないし,北アフリカにはイギリスに喧嘩売れる国はないから,当事者のイギリスが武力で解決する気がなければ,あんなふうに放置プレイされる事になる.

 ロシア近海で同じ事やったら,あっという間に一蹴されて終わりだろうな.
 太平洋とかカリブ海なんかにそんなワケわからん国家があったら,イギリスとかアメリカとかが「制圧」しにくるし南米とかでもチリやらアルゼンチンやらが干渉してきそうだよな.

軍事板,2009/09/24(木)
青文字:加筆改修部分

▼世界飛び地領土研究会『作り損ねた国々』
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/sokone.html

 人工島を作ろうとした場合は,訴えられたり,自然災害に破壊されたりでおじゃん.
 南太平洋の岩礁を乗っ取っても,周辺諸国にフルボッコ.

 裏から独立運動を支援して……というのも,なかなかうまく行かないようですね.

蒼野青 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年10月19日 12:55


 【質問】
 国家の「パワー」とは何か?

 【回答】
 属性,関係,構造の3つから決定されるものであるという.
 以下,引用.

1,パワーは属性(attribute)である.
2,パワーは関係(relation)である.
3,パワーは構造(structure)である.

 この上の三つを,私なりの理解でいえば以下のようになります.
 また例のごとく,たとえ話でいきますね.

 みなさんが学校のあるクラスの生徒だとします.

 ある日,テストが行われて,あなたは80点をとったとしましょう.

 そうすると,この「80点」という点数が,1,の「パワーは属性(attribute)である」というものになるわけです.
 「80点」というのは,本人の勉強する「能力」によって獲得したものですよね.
 むずかしい言葉でいえば,あなた本人がもっている能力の,絶対的な数値による評価なわけです.

 ところがそのテストで,クラスの平均が90点だったとしましょう.
 そうなると,あなたのとった「80点」という点数も,他のクラスメートたちと比べて見劣りしてしまうわけです.
 ようするに,「80点」という素晴らしい点数をとったにもかかわらず,クラスの平均と相対的に比較してみたときに,あなたの持っている能力はそれほどでもない,ということになってしまうわけです.
 これが2,の「パワーが関係(relation)である」という意味です.

 この1,と2,の二つのケースからわかるのは,パワーというものが,いずれもクラスの生徒であるあなた自身と切り離せない関係のものである,というところです.

 ところが3,の「パワーは構造(structure)である」というケースはどうでしょうか.
 これはちょっと特殊な話になります.

 あなたがあるクラスの生徒であるとした場合,この構造のもっているパワーというものはどこに現れてくるかというと,生徒であるあなたが属しているクラスとか,学校そのものを指すことになるのです.
 これを別の言い方で言うと,あなたが力を発揮する場そのものの基盤を形作っている力,ということになるわけです.
 おわかりいただけるでしょうか.

 これを国家でたとえた場合,こうなります.

 1,の「属性」は,核兵器をもっている,という事実から国家に生まれる力,ということです.

 2,の「関係」jは,核弾頭を,他の核保有国に比べて何発持っているか,という比較から生まれる力のことですね.

 3,の「構造」は,核保有国に対して国際社会全体が持つ政治的な影響力のことをいうわけですね.

 もっと身近に,自分がサラリーマンだと仮定した場合には,もっとわかりやすくなります.

 1,の「属性」は,自分の年収が何百万円だ,ということや,肩書きや,部下を何人抱えている,ということになります.

 2,の「関係」は,それが自分の同僚やライバルなどと比べた時にどういう意味を持ってくるのか,ということです.
 「あいつはオレよりもポジションが上だ」とか「おれよりも稼いでいる」とか「おれよりも多くの部下をかかえている」なんていうところから生まれる差のことですね.

 3,の「構造」というのは,自分が属する会社そのもののしきたりとか枠組みから生まれるパワーのことです.
 もしくは,もっと大きい意味では「世の中が不景気だ」とか,「不況である」というのも,まさに「構造」ということになるわけです.

 おわかりいただけたでしょうか.

「地政学を英国で学ぶ」,2005-07-2406:27

 1と2のパワーというのは,国際関係論などでは比較的初期から認識されていた違いです.
 ようするにパワーを持っている対象が「ある単一の国家」のような,一つのプレイヤー/アクター/エージェントということになります.

 ところが3の「構造」というのは,そのプレイヤーらを多く含む,ある一定の「枠組み」のようなものが持っているパワーということになりますから,パワーのかかっているレベルがもっと高いところにあることになります.

 このような議論が盛んになってきたのは,やはりミシェル・フーコーなどに影響された学者たちが騒ぎ始めた八十年代以降ということになります.

 このような三分類の形がハッキリとした形で国際関係論の議論として意識されはじめたのは,八十年代初期から始まったいわゆる「ネオ・ネオ論争」のころ以降,そして本格的には九十年代に入ってからです.

 まずこの議論で一つの論点として再び浮かび上がってきたのは,パワーの絶対的価値の獲得(absolutegain)と相対的価値の獲得(relativegain)が再びハッキリと意識されてからのことです.

 これを簡単に言うと,国家はパワーというものを,ただ単に獲得したいから欲しがるのか,それとも他の国家の力と比べるから欲しがるようになるのか,という違いですね.

 これを言い換えると,1の「属性」というのは,「絶対的価値の獲得(absolutegain)」であり,2の「関係」というものは「相対的価値の獲得(relativegain)」と深い関係を示していることがわかります.

 ところがこの二つだと,ある単一のプレイヤー,つまり国際関係論でいうところの「国家」がもつパワーしか想定していない,ということになります.
 ここで「おかしいじゃないか!」と異議を唱えはじめたのが批判理論や元マルクス系の,メインストリームじゃなかった学者たちです.

 彼らはこれをもっと哲学に,大きく考えたわけで,「国家が集まってなんどなく合意されている枠組みやしきたり,慣習みたいなものにも,一種の構造的なパワーがあるじゃないか」といい始めたんですね.
 この三番目の「構造」のパワーという概念が定着してきたのは,前の二つに比べればまだ比較的最近のことです.

 〔略〕
パワーに関係する議論で私が読んだ中でけっこう参考になったというものは以下のものがあります.

1,Perspectives on World Politics:A Reader
Richard Little & Michael Smith (eds.)

2,Paradoxes of Power
David A. Baldwin

3,The Penguin Dictionary of International Relations (Penguin Reference)

 これらにモーゲンソーの「国際政治」や,アロンの「平和と戦争」なども加えていただければかなりいけると思います.
 参考まで.

「地政学を英国で学ぶ」,2005-07-2608:33

 まあ,周辺が敵対的な国に囲まれているより,友好国に囲まれていたほうが有利,ということだろうか.


 【質問】
 ジョセフ・ナイ教授の「ソフトパワー」とは,自分の利益の為に相手を「強制」させるのではなく,「促せる」あるいは「協力させる」ための力と解釈しても良いのでしょうか?

ヤン in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 【回答】
 そう解釈していいと思います.
 ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4)によれば,自分たちが望むことを,相手にも望むように仕向けるように誘導する,魅力の力(ソフトパワー)であるとされています.

 以下ナイ教授の文章を引用.

[quote]

 ソフトパワーが依存するのは,自らが他をひきつける着想,すなわち他国の選好そのものを形成するような政治課題を設定する能力なのである.
 10代の子供を持つ親なら,子供を直接コントロールするよりも,子供の信念なり選好なりにある種の方向性を与えることに成功する事の方が,遥かに強力で長続きすることを知っているであろう.
 (中略)
 そのような選好そのものを打ち立てる能力は,おおむね文化とかイデオロギーとか組織とか言った,目に見えないパワー資源に関連しているようである.

[/quote]

 またナイは,「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」を併せて「スマート・パワー」とし,状況によって組み合わせて使うことが最も大事だと主張しています.

ますたーあじあ in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

▼ なお,有料の記事だが,WSJの記事
「米軍事請負企業,「スマートパワー」契約受注狙う」(by August Cole)
によれば,
> リベリアなど世界の国々における政治的安定と米国の影響力を強化するための軍事政策と,
>国造り政策をブレンドした「スマートパワー」と呼ばれる安全保障政策の試行に米政府は,
>ロッキードを起用した.
という.
 2009年には,ロッキードの中心的計画のうち,F-22戦闘機(ラプター)と大統領専用ヘリコプターの2つが中止になった一方で,同社は現在,ほかの複数の企業とともに,国務省が始める「世界刑事裁判セクター開発計画」に応札するとみられているという
 この計画は企業に5年にわたり最大300億ドルをもたらす可能性があると見積もられている.
 軍事請負3位のノースロップ・グラマンは,セネガルの平和維持部隊に人権法に関する訓練を施している.
 BAEシステムズは,イラクとアフガニスタンの米部隊に同行する人類学者を派遣している.
 米兵士が現地の文化を理解するのを手助けすることが目的だ.
 国防総省は,訓練や助言などのプログラムへの数百万ドルの投資により,将来,数十億ドルを要する可能性がある地域紛争を回避できる可能性がある,と期待しているという.

 もちろん,こうした動向を疑問視する見解もあるという.
 同記事より引用.

――――――
 一方,大手軍事請負企業はこの種のプログラムの運営に適しているか,といった疑問が一部に存在する.
 かつて英軍でシエラレオーネ兵の訓練に携わり,現在は軍事コンサルタント会社デンサス・グループで会長を務めるサム・ローゼンフィールド氏は,軍事請負企業が継続的なプログラムの創生に関与しているのか,それとも単に新兵に訓練を施しているだけなのかを判断するのは難しい,と述べた.

 また,軍事請負企業がいったん,この種の事業に参入すると,政府との長期間の関係を背景に,成果に関わらず,プログラムに一層の資金がつぎ込まれる結果になりかねないと懸念する向きもある.
 ワシントンの無党派シンクタンク,ニュー・アメリカ・ファンデーションのディレクター,ウィリアム・ハータング氏は「これは一種のソフトパワー軍産複合体だ」と述べた.
――――――

寄星蟲 by mail,2010年03月23日 21時45分


 【質問】
 『国家の品格』で,情緒を大切にすべきだという主張がありましたが,損得の発生する場面ではそうもいってられないのではないのでしょうか?
 日本人だけ情緒を大切にしていたら,いいようにされる気が….

 【回答】
 何をもって「品格」と呼ぶかにもよりますが……

 まず国家のパワーとは,別項にて詳しく述べられているように,属性,関係,構造の3つから決定されます.

 あまりにエゴイスティックな外交は,これらのうち「構造」を悪化させ,ひいてはパワーを減少させます.

 かといって損得勘定を無視して過度に遠慮すれば,国益を損ねます.
 上述別項で言うところの「属性」に当たりますね.

 結局のところ,月並みな結論で恐縮ですが,「総合的に判断し,よりパワーを高めるほうの選択をすべきである」ということになるでしょう.
 この場合,そのつどそのつどで,品格を重視したり,他の要素を重視したりすることになるかと存じます.


 【質問】
 総力戦って何?

 【回答】
 国家総力戦(total war)とも言い,国家が戦争遂行において,軍事力だけでなく,経済力,工業生産能力,技術力,報道,宗教など,ありとあらゆる国力を総動員して戦う形態の戦争をいいます.
 最初のトータルウォーとして戦われたのはアメリカ南北戦争で,最後にシャーマンが「海への進撃」を行って,南部連合の産業基盤を破壊したことで戦争は終わりました.
 また,戦略思想としてはクラウゼヴィッツの絶対戦争にその起源が見られますが,1935年にルーデンドルフが『国家総力戦』で論じられたため,用語として定着しました.
 WW1・WW2に代表されるように,総力戦はその性質上,前線の兵士たちだけでなく,後方の一般市民を巻き込んで多大な被害を及ぼします.

 【参考ページ】
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C1%ED%CE%CF%C0%EF
http://www.wikiroom.com/naow/?%C1%ED%CE%CF%C0%EF%C2%CE%C0%A9
http://rasiel.web.infoseek.co.jp/voice/goebbelstotal.htm
http://nomano.shiwaza.com/tnoma/blog/archives/000785.html

【ぐんじさんぎょう】,2009/5/3 21:00
※改訂済み

 3行目は専門的過ぎると思います.
 代わりに
「WW1・WW2に代表されるように,総力戦はその性質上,前線の兵士たちだけでなく,後方の一般市民を巻き込んで多大な被害を及ぼします」
ではどうでしょうか?

唯野 in mixi,2009年05月02日 21:39

▼ 大学の図書館では入手不可能で,防衛庁戦史室か国会図書館に所蔵されているものとして,1925年に村上啓作陸軍中将が著した「戦争要論」にも総力戦に言及した箇所がありますね.
 これは第1次大戦の各国状況を研究した本で,例えば以下のような記述があります.

――――――
 まず,総力戦下に於いて,戦争を勝ち抜く要因としては,「国民の精神力」,即ち戦意を高揚させ戦争協力を引き出すこと,
 この実現の為には,戦時教育,メディアを用いた精神動員を図り,「総動員態勢」を構築することが出来るとした.

 次いで,「戦争諸資源の質の優勢と数の豊富」,「戦争諸資源統一運用組織の優越」,「外交政策」と続いている.
 戦争諸資源というのは,石油,金属,石炭などの物質とそれによって生産されるものの他に,人員も含まれる.
 そして,質の高い資源を多く持ち,それらを統一的に運用する必要があるとして,戦時経済計画を運営した企画院,生産を司った軍需省の他,人の場合は,動員計画,召集延期制度,徴用などの軍需生産工場への人員分配などが統一的に運営されることが必要とし,全ての国民は戦争遂行の資源として,最大効率を達成することを求めている.
――――――

……なんて感じの本です.
 戦前に書かれた本は結構,この辺を参考にしているみたいです.

眠い人◆gQikaJHtf2

和月伸宏的「総力戦」
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 なんで総力戦というものが現れたのでしょうね?

 【回答】
 一言で言えば,前線で消費される物量が膨大になったから.
 何百万の兵士を食わせていくだけでも大変.
 それまでの戦いに比べて銃砲火力も近代化されたぶん,砲弾弾薬の生産が間に合わず,女,子供まで動員しなければ追いつかなくなった.

 つまり,戦争をやらかすには,従来の軍及び政府の軍関係の金だけではどうにもならないほどに人と金が必要になった.
 よって,国家は戦争を始める時は国家のそれこそ全力でやらなければならなくなった.

 艦隊法を制定し,3Bルートの開拓や陸軍の近代化に加えて,イギリスを打倒できるだけの艦隊整備までやらかしてたドイツなんて,19世紀末と20世紀初頭じゃ軍事費が10倍に跳ね上がってる.
 従来の,食い詰めた志願兵とプロフェッショナルの貴族・ジェントリ士官,それに,軍や政府から請け負った工場の工員だけじゃやっていけなくなっただけ.

世界史板


 【質問】
 総力戦は現代でも起こるの?

 【回答】
 軍事が政治と国家運営の主幹となっていた時代と,現代軍事は異なる.
 過去の軍事では輸送能力と展開火力が低かったので,総力戦に近い形にならざる得なかった.
 近代兵器は迅速に強力な火力を展開できるために,国家全体としての抑止力の構成の必要性が無くなった.
 戦争目的が橋一つ,島一つでも総力戦の様を呈した時代と,現代は異なる.

 第二次世界大戦では戦争終結の目標が定められず,大量破壊と大量殺戮に陥った(例,独のベルリン戦,日本への原爆)経験から総力戦には目的と目標が無いとされる.

 ましてや民族抹殺というのは軍事目的ではなく,第二次世界大戦の勝者の論理として,民族抹殺目的の軍事行動はより高位の政治という範囲で回避しなければならない.
 その為に軍事力というオプションは当然存在する.
 この例はボスニアですね.

 恐らくは全然説明が足りないと思います,
 私は学問としての考え方なので,建前を語る側の人間です.
 実務に関しての質問はご遠慮願います.

 軍事組織は存在しているだけで力を持っています,
 その力を自国を守る為にあるというのは最低限のことなのです.
 また,軍事というものは相対的なもので,何らかの意思と能力を持つ相手が,目的が不透明な軍事的冒険をしようとする場合,それを防ぐ為により高位かつ広範囲の選択肢を持つ政治の下に,軍事力が実行力を伴って属さなければなりません.

 国家総力戦は起こしてはならない,この概念が共通化されつつある現代こそ,今日において地域紛争への懸念や核・化学兵器の拡散に対して対処可能な余力が生じるのです.

元自A漢 in 軍事板


 【質問】
 日本とアメリカは同盟国だそうですが,”同盟”というのはどういう条件を指すのか判りますか?

 【回答】
 俺もよく判らない(識者の方フォローよろしく)けど,日米安全保障条約を締結しているだけで,「同盟」とは言わないと思われ.
 同盟というのは,一方が攻撃されたら,他方も協力して,その敵に戦する関係なんじゃないかな.
(そう言う意味で日英同盟はそうなんだけど,日独伊三国同盟は必ずしもそうとは言えないのではないか,と.
 ソ連の扱いを見ても….)

 日米安全保障条約の場合は,
「日本が攻撃されたら,アメリカが共に日本を防衛する」
という主旨だったはず.

名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2 :軍事板,2001/10/08
青文字:加筆改修部分

 ああ,大変面倒くさい用語に着目されてしまいましたね…
 厳密にいえば,現在『同盟』なるものは世界に存在しません.
(同盟とは端的にいえば,軍事的な攻守に関する協力関係のことです)

 同盟というものは本来,かつての戦時国際法の,最も基本的概念の一つであり,『戦争の自由』『中立の自由』『軍備の自由』と共に『同盟の自由』として,戦時国際法の根幹といえるものでした.

 つまり或る国家は,その必要性に応じ,自由に軍事的同盟関係を,不特定多数の国家と結ぶ事が出来,交戦中の国家間の一方に遠慮なく,軍事的な協力をする事が可能であり,その結果として,もう一方の交戦国がどんな不利益を蒙ろうと,問題なしとするものでした.

 面倒なので此処からイキナリ,国際連合憲章の成立過程まで話を飛ばしますが,ご了承ください.

 ご承知の事と思われますが,国連憲章では『戦争の自由』は完全に否定され,国家の権利として唯一武力を行使できるのは,自衛権の行使の場合に限られます.
 一般的に自衛権の行使は,『不正急迫の侵害』で,他に回避手段がない場合にのみ認められますが,国連憲章では『武力攻撃』を伴う場合と,更に限定されます.(憲章51条)

(戦争が否定されたにも関わらず,尚且つ自衛権として武力を行使できると言う理屈は,個々の国家の存立を守る権利は,自然権として存在すると言う概念に基づくもので,自衛隊の存在の法的根拠も,ここいら辺にあります)

 その他,国際連合は憲章42条で,違法な行動をとる国家に対し,加盟国共同で軍事的な手段を用いて,不法行為を強制的に排除する事が出来ます.
(国連軍をイメージされて構いません).

 しかし,軍事的強制措置に必要な国際的な軍事組織についての規定が,憲章43条に定められてますが,5大国が拒否権を持つ安保理で編成の審議がなされる以上,これが実現する可能性は,皆無といって差し支えないでしょう.
(朝鮮戦争の国連軍は,43条に基づくものではありませんでした)

 こうなると困るのは,軍事的に弱小な国家であって,自衛権の行使を認められていても,強大な軍事国家と武力紛争が惹起した場合(特にそれが安保理常任理事国だったりすると,)事実上,打つ手はありません.

 この問題を解決するために出来た概念が,集団的自衛権で,従来の国際法の概念には全く存在しないものでした.
(本当は憲章107条の敵国条項なども,その成立に絡んでますが,面倒なので端折ります)

▼ 集団的自衛権は,ダンバートン・オークス会議においては,全く取り上げられなかった問題で,サンフランシスコ会議でアメリカのごり押しにより,憲章51条が挿入されました.
 集団的自衛権は,東西冷戦を背景とした安全保障理事会の機能不全を見込んだラテン・アメリカ諸国の主張を受け入れる形で,安全保障理事会の許可を必要とせず,強制行動が発動できる法的根拠として,サンフランシスコ会議において加えられました.
 以下引用.

------------
 この規定は,同憲章 8 章の地域的取極に基づく強制行動の発動には,安全保障理事会の事前の許可が必要とされていたことから,東西冷戦を背景とした,安全保障理事会の機能不全を見込んだラテン・アメリカ諸国の主張を受け入れる形で,安全保障理事会の許可を必要とせず,強制行動が発動できる法的根拠として,サンフランシスコ会議において加えられたものである.

http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi058.pdf/$File/shukenshi058.pdf
------------

(集団的自衛権については,最近の新聞を捲れば,必ず書いてある筈なので,端折ります(^^;)

 という訳で,現在の『同盟』なるものは,主に集団的自衛権に基づく共同防衛条約に参加している,国家間の軍事的関係と解釈できるでしょう.
 日米安保条約は,日本国憲法が集団的自衛権を認めていないために,少々特殊な関係ですが,日本はアメリカの『同盟国』と見なす事が出来ると思われます.

(私はトーシロなので,上記の文章は間違いが多いと思われます.
 間違いに気づいた人は,訂正してくださいね.
 しかし,これを書くネタにしたのも,えらく古い論文なんですよね.
 つくづく,武力紛争法関連の本はないですね)

魚花 うるふ :軍事板,2001/10/09
七師三等兵 in FAQ BBS,2013/4/22(月) 18:25(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 同盟関係は,どうやって成立する物ですか?

 【回答】
 軍事同盟は通常,その同盟に参加する国がちゃんと調印することで締結されます.
 もちろん「事実上,同盟関係にある」場合で,実際に調印・締結が成されてない場合もありますが,現代の先進国では希ではあります.
 正式な文章での同盟締結がなく,国連や国際世論の後押しなく他国の戦争に過剰に介入すれば,だいたいの場合は叩かれますし.

 ちなみに,こっそり締結して
「何かあった時に発表して軍事行動を起こす大義名分にする」
ことも可能(いわゆる秘密同盟).


 【質問】
 「軍事協力」はなぜ必要なのか?

 【回答】
 国際社会では「軍事協力」が,外交と並列する国家間の協力関係の柱となっています.
 武器輸出も,そのひとつの手段ですね.
 国際情勢を観察すれば,軍事協力を含まない友好関係など,実際にはありえないことがよくわかります.
 その意味で言えば,我が国には米国以外,友好国は存在しないといえますね.(イラク・アラビア海への自衛隊派遣は,各国軍と交流ができ潜在的な友好国を作り出せた「かもしれない」という意味で,有益だったといえるでしょう)

 友好関係に軍事協力を求めない国がもしあったとしたら,悪辣な意図があるのは明白で極めて危険です.
 軍事協力できない国は譲歩に譲歩を重ねざるをえなくなり,いつかは乗っ取られることになるでしょう.

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)5月22日


 【質問】
 ある国が某国と敵対関係となった場合,戦争になれば,やはり敵国の同盟国とも事を構えることになるのですか?
「あそこの同盟国と戦う理由はないんだが…」
ということでも,実際にはそのために戦線を広げなくてはいけないのですか?

 【回答】
 場合によりけりです.

 例えば,第一次大戦時,米国はドイツには宣戦布告しました.
 しかし,二重帝国とオスマン・トルコ帝国への宣戦は躊躇し,二重帝国へは末期に漸く,
 オスマン・トルコ帝国へは,遂に宣戦を行っていません.

 同様に第二次大戦でも,ドイツに先に宣戦布告して,日本は後に宣戦布告なんていう事例が多数あります.

眠い人@風邪っぴき◆gQikaJHtf2

 外交的駆け引きに成功すれば,戦線を広げずにすみます.
 しかし,それは簡単ではありません.

 例えば中国−北朝鮮間で締結されている「中朝友好協力相互援助条約」では,

 第二条
 両締約は,共同ですべての措置を執りいずれの一方の締約国に対する,いかなる国の侵略をも防止する.
 いずれか一方の締約国がいずれかの国又は同盟国家群から武力攻撃を受けて,それによって戦争状態に陥つたときは他方の締約国は,直ちに全力をあげて軍事上その他の援助を与える.

とあります.

 ここでアメリカが「中国とやりあう気はない」とアピールしながら北朝鮮に軍事オプションを行使したとすれば,中国は黙って見ていることができません.
 北朝鮮からの支援要請を断ってしまうと「アメリカの圧力に負けて,2国間条約を一方的に反故にし,同盟国を見殺しにした国」になるからです.

 とはいえ,同盟破棄を巡る攻防は外交戦の華でもあります.
 周辺諸国間による熾烈な駆け引きに打ち勝ち,目標国を外交的に孤立させることが,その後の武力行使の行方を大きく左右し,戦わずして勝つことさえ可能にします.

 上兵は謀を伐ち,その次は交を伐ち,その次は兵を伐ち,その下は城を攻む(孫子)

 外交こそが国際紛争解決の主役だということを理解しましょう.
 軍事力は外交の道具でしかなく,戦争は方法論の一つでしかありません.


 【質問】
 「国際システム」とは,国家の集合体の関係を指すものなのか?

 【回答】
 単に国家の集合体と言う見方は単純すぎる.

 それは「関係のパターン」という曖昧なものである.
 ただし,これは国内政治のシステムにも言えることで,世論・メディア・憲法の恣意解釈の暗示的な取り決めなど,明確さを欠くこともある.

 だが,どのようなシステムであれ「全体のパターン」が「部分のパターン」よりも重要であり,相互の関係を見なければ,国際政治のシステムは見えてこない.
 このシステムとは,厄介なもので,度々システムを運用する当事者たちの意図しない結果をもたらすことがある.
 たとえば,1917年にポルシェビキがロシアで権力を掌握した時,彼らは国家間の外交を「ブルジョア的ナンセンス」とみなし,国家間外交を一掃しようとした.
 革命が労働者たちの団結を招き,国境を消滅させるであろうという理論である.
 しかし,現実には,彼らも自分たちが国家間システムの一部であることに気づき,やがてそのことが彼らの行動に影響を与えた.
 その結果は,本来,イデオロギー上の不倶戴天の天敵である,ナチス・ドイツとの同盟などに見られる.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授 「国際紛争」(有斐閣,2005.4) 第二章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 国は常に「勢力均衡」(バランス・オブ・パワー)に従うものなのか?

 【回答】
 ジョゼフ・S・ナイによれば,それは見方によっても変わるという.

 純粋にバランスオブパワーで見るのであれば,例えば第一次世界大戦で,アメリカはドイツと手を組んだだろう.
 当時の英仏ロの工業資源は世界の30%だったのに対し,独墺のそれは19%に過ぎなかった.
 「その国にとって,何が脅威なのか?」という脅威認識によって,これらは左右されやすい.

 もう一つは,時間・距離の近接性の問題である.
 1890年代のイギリスとアメリカで見れば,イギリスは,大国として隆盛をはじめたアメリカと戦うこともできた,
 だが,結局アメリカに宥和し,パナマ運河の建設など,色々な譲歩をし,結果,アメリカの海洋国家としての地位は大幅に上昇した.
 純粋なパワーでは,ドイツよりもアメリカの方が遥かに脅威だったにもかかわらず,イギリスはアメリカよりもドイツを脅威と認識した.
 しかし「近接性」がアメリカよりもドイツをイギリスにとって脅威であると認識させたのである.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」(有斐閣,2005.4) 第2章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi

 一方,ミアシャイマーによれば,そもそもパワー・バランスをとろうにもそれは不可能であるため,国家は自分のパワーを最大にしようと務めることになるという.
 国際システムの中では,最強になることが自国の生き残る最良の方法であると,国家は考える.
 なぜならば,
 (1) 安全が確保された,と大国が感じるまでには,ライバルに比べてどのくらいの「相対的」なパワーの差が必要なのかを知るのが難しい
 (2) 10年後,20年後の大国間の状態を考えた場合に,どれだけのパワーを持っていれば良いのかを判断するのは,さらに難しい
からである.
 そのため,大国にとって一番良いのは,「今のうちに覇権を達成しておく」こととなる.
 これは,「他の大国が挑戦してくる,どんな可能性でも潰しておく」ということを意味する.
 そして,自国のパワーの「絶対量」を最大化することを考えている国家は,他国のことを考えず,とにかく自国の持つパワーの拡大だけを気にし,バランス・オブ・パワーのロジックには動かされない.

 詳しくは,John J. Mearcheimer著『大国政治の悲劇』(奥山真司訳,五月書房,2007/1/28),p.56-63を参照されたし.

消印所沢

 また,『新・国際政治経済の基礎知識』(有斐閣,2004.7)の,高坂正堯氏の記述によれば,均衡勢力――この「均衡」の意味合いは,従来的な意味での原則論なので,ひとくくりに出来るかは微妙ですが・・・――が成り立つ前提として,

-------------------------------------------------------------------------
 1.その能力を増大すべく行動するが,戦うことより交渉する事を選ぶ
 2.疎の能力を増大させる機会を逸するよりは戦う.
 3.体系の基本的アクターである国家を除去するよりは,戦うのを辞める.
 4.体系のほかのメンバーに対して優越した地位を獲得する傾向がある連合,もしくは一国に対抗する.
 5.超国家的組織原理に従う行為者を抑制する.
 6.体系の基本的なアクターである国家が敗北するか,抑制された時,勢力均衡体系の中で役割を果たすパートナーとして再び体系に加わるのを認めたり,それまで基本的なアクターでなかったものを基本的なアクターにするように行動したりする.全ての基本的なアクターを協力可能なものとして扱う.
-------------------------------------------------------------------------

 そして,これが成立するのが困難な要因として.

 1.パワーの源泉が多様であるが故に,捕らえにくい.
 2.各国ともに,自国が有利なように均衡をとるように動くので,勢力圏競争が起きる可能性がある.(イギリスとドイツの軍艦建造競争なんかがいい例かな?)
 3.常に利益と国益について合理的な計算で動くとは限らない,感情やイデオロギーというイレギュラーな要素に動かされて戦争に突入する可能性がある.
 4.均衡勢力とは,戦争を否定する考えではないが,それが破滅的なものにならないとは限らない.(ただし,核という要素を入れると,流石に「破滅的」な行動は取らないと思うけど)

 上記は基本的に,17世紀から20世紀初頭までのヨーロッパの例に当てはめたものだが,基本的にプロシアがドイツとなり,イギリスのコントロールすら及ばないような強大な国家が現れたことで崩れてしまった.

 ……と,書いてて思ったんですが,自国の最大化にしても,やはり「自分の都合のいい均衡」を作る戦略はありだと思うんですけど,どうなんでしょうかねぇ.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 内政不干渉原則を決めた「ウェストフェリア条約」はいまだに有効か?

 【回答】
・ウェストフェリア体制は,今でも有効な条約ではあるが,至上のものではない.

・主権国家に対する干渉と一口にいっても,様々な方法がある.

・このように,内政干渉を行う場面は増えていくだろう.

***

 中国などの言い分を見てもわかるように有効ではあるが,その効力は徐々に減衰していて,原則論とは言い難くなってきている.
(例:ボスニア紛争介入,イラク戦争,アフリカの特定紛争(資源争奪戦の色彩も強いが))

 これに変わり「ポストウェストフェリア体制」が生まれつつある.

 以下,ナイ教授の分析.

-------------------------------------------------------------------------
 すでに1945年には,国連憲章の第55条,第56条の中で,国家は人権と基本的自由の尊守のための集団的責任を負うとされた.
 1991年に湾岸戦争後のイラクへの干渉に関する国連安保理決議が出される前でさえ,南アフリカのアパルトヘイトに対する制裁を国連が勧告したことは,国連憲章中の主権に関する規定に厳密に制約を受けない先例となった.
 ヨーロッパでは1975年のヘルシンキ合意によって,少数民族の権利が成分化され,違反した場合は欧州安全保障協力会議(CSCE)と欧州評議会にかけられるようになった.
 国際法は徐々に進化している,
 1965年,アメリカ法律協会は国際法を「国家と国際組織の行動を取り扱う規則と原則」と定義したが,20年後,同協会の法律家たちは「国家,国際組織と個人の関係」をも付け加えた.
 個人と少数民族の権利は,単なる国家の問題以上のものとして扱われつつある.
-------------------------------------------------------------------------

 また,「現実が追いついていない」という批判に対しては,以下のように述べている.

-------------------------------------------------------------------------
 [たしかに]世界の多くの,おそらくは殆どの地域で,このような原則が軽視され,違反してもお咎めなしになっている.
 このような不当行為すべてを正そうとする多国籍部隊の介入も,更なる混乱を生み出す大きな原因となるだけかもしれない.
 しかし既に見たように,介入は程度の問題でも,最も軽いものでは声明や経済制裁,最も重いものでは完全な侵攻作戦にまでいたる.
 限定的介入や複数国による主権の侵害が,国家間のパワーの分布を突然混乱させることなく,徐々に増加するであろう.
-------------------------------------------------------------------------

 これよりも大規模な,たとえば国内での大量虐殺やNBC兵器の開発が疑われる地域が,地域全体の脅威になりそうな場合は,国連憲章第7章にしたがって,軍事制裁が行われるかもしれない.

 この手の問題は,大体が拡大解釈され,次第にそれを行使する場面が拡大していくかもしれない.

 また,地域レベルで国家が集団として動くこともあるだろう.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第9章を参照されたし.

ますたーあじあ in mixi


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