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●春節抗議運動 2012

asahi_kokusai in twitter(2012/01/25)中国四川省で,チベット族住民と政府の衝突が激化している模様です.
外部からのアクセスが厳しく制限されており,実態がなかなか伝わってこないのですが,大きなデモが相次いで,治安当局による発砲で死者が複数出ている模様です.
http://t.asahi.com/5ck4

kinbricksnow in twitter(2012/01/25)
スイス人のジャーナリストからのメール
「焼身は悲劇的ではあるが,世界の共感を呼ぶものではない.効果的とはいえない.
ただちに止めさせるよう,ダライ・ラマ法王はもっと強いメッセージを発するべきではないか」

「Togetter」◆(2012/01/30)自由報道協会賞授賞式にて日隅氏「チベットの高僧のように(焼身)自殺をして名前を上げる(場内笑い)」→在日チベット人激怒
>ダライ・ラマ法王日本代表部から,自由報道協会へ抗議したそうですが,今のところ公式な回答はないそうです.

「VOR」◆(2012/02/13)中国チベット族自治州では18歳の女性僧侶の抗議の焼身自殺
>チベット族の人権団体「自由チベット」は,中国のチベット族自治州で18歳の女性僧侶が中国政府への抗議として焼身自殺を図った,と伝える.
>一命は取り留めたとしている.
>焼身自殺を図ったのはこの1年で22人目で,中国メディアは焼身自殺の報道を否定してきたが新華社通信は先週,こうした行動を受けて当局が安定を維持する為の取り組みに力を入れている,と伝えており,中国共産党系英字紙である環球時報紙も,ダライ・ラマとその支持者らは年内に謀略を図る決意を固めており,当局は分離独立工作に対する戦争に備えている,と報じている.
>自由チベットなどによると中国当局はこの数週間で,非武装のデモ隊に発砲して数人を死亡,数十人を負傷させたとしており,これに対して中国メディアはチベット族に襲撃された警察が自衛の為に発砲し,少なくともデモ参加者1人が死亡したと伝えている.

「時事通信」◆(2012/01/25)チベット族に発砲,また死者=四川省で暴動,緊張高まる-中国


 【質問】
 考古学としてのチベット史って聞かないな.
 農耕・牧畜の伝播や金属器の使用開始はいつごろだったんだろう?
 地図上の距離だけ見ればインダス文明にも近くはあるものの・・・

 【回答】
 チベットでの先史遺跡の発掘って,東チベットのカロ遺跡(チャムド近郊)くらいしかないね.
 約5000年前の遺跡.
 他にもたくさんあっておかしくないが,調査されていないだけだと思う.

 カロ遺跡からは粟などの穀物も発見されており,東チベットでは5000年前にすでに原始的な農業が始まっていたようだ.
 他にもアムド東部で4〜5000年前の農業の痕跡が発見されているらしい.
 農業が当時,中央チベットまで広がっていたかどうかはわからないが,あってもおかしくない(調査待ち).

 また,チャンタン高原では地上に石器がばらまかれてるのが多数発見されている.
 このあたりは河川が少ないので,埋没せずそのまま地上に残っている.
 この辺の人々は今も昔も遊牧生活を送っているので,遺跡らしいものはほとんど何も残さない.
 せいぜい年代不詳(紀元前〜現代まで可能性がある)のドルメンがある程度.

 青銅器・鉄器は,数は少ないながら紀元前とみられる墓地跡からいくつか見つかっている.
 青銅鏡などもある.
 これらはおそらく外来品.

 吐蕃時代になると墳墓から副葬品として青銅器・鉄器がどっと出てくる.
 金属器を自給できるようになったのはたぶん吐蕃時代からだろう.

 吐蕃時代の金属器については
高橋明子「吐蕃王家と金属器生産の関係」
(横浜市立大学)国際文化研究紀要 7号 2001-11
という論文がある.
 蔵語文献もきちんと当たってるし,切り口がなかなか面白い.

 吐蕃時代の墳墓は,チョンギェの吐蕃王墓は発掘されていないが,他の諸侯のものはあちこちでずいぶん発掘されている.
 碑文・銘文がほとんどないので,由来がわからないものばかりだけど.

 他にも,中共時代になってからバカスカ破壊された寺院跡(何万もある)の発掘も,中国では「考古学」の対象.
 報告書でも,廃墟となった経緯については絶対触れてはいけないことになっている(笑)

 アムド(青海省)では,殷周時代まで逆上る遺跡・遺物がたくさん発見されているけど,これはもうチベット史の範囲をこえている.
 吐谷渾の遺跡がもう少し明らかになると面白いんだけど(有名な都蘭の墳墓は,吐蕃時代に吐蕃王家に臣属した吐谷渾貴族の墳墓らしい).

 インダス文明とチベットが直接結びつく要素は今のところないけれど,おもしろいのがズィ(中国語では天珠)関連の話題.
 ズィというのは,紡錘形に整形したメノウに薬品を塗って高熱・高圧で焼きを入れ,脱色・着色して模様をつけたもの.
 これがインダス文明の遺跡から発掘されている,
 紅玉にエッチングして模様をつけたビーズとよく似ていて,両者の技術は関連があるという説もある.

 しかし両者をつなぐミッシング・リンクが発見されていないので,軽率に結びつけるのはためらわれる.
 そもそもズィの由来自体謎(チベットで作られたものではないらしく,一説ではペルシア起源)だし,その製法も十分には解明されていない.

 インダス文明の遺跡で見付かる紅玉などの宝石には,バダフシャンなどアフガン〜パミール方面産が多く見られるそうなので,もしかしたら東方であるチベット高原へも交易を通じて宝石および加工技術が流通していたのかも,と妄想してみる.

 でもねえ,あの特異なエッチング技法を残す宝石が,途中の地域,途中の時代にないんだよねえ.
 最近は台湾あたりで新造ズィが作られているけど,エッチング・焼き付けに必要な高圧をかけると大半が割れてしまうらしい.
 それほどの,現代でもかなり高度な技術らしい.
 だから謎.

世界史板


 【珍説】
【チベット】新石器時代からチベット文明は中華文明の構成部分だったことが判明
2008/4/23,中国国際放送局


 中国チベット学研究センターのゲレグ研究員はこのほど,記者のインタビューに答えた際,
「全体から見れば,チベット族の古代文化は疑いなく,中華民族の古代文明の不可欠の構成部分である.
 新石器時代のチベット族の原始文化から,チベット文化は中華民族の古代文化と変わり,融合し,分割できない血縁関係のようになった」
と述べました.
 ゲレグ研究員はそして,
「このことが,国内外の敵対勢力がチベットを中華民族の大家族から分裂させようとしても,その結果は失敗に終わり,チベットが中国の分割できない部分という歴史的地位を依然として変えられない原因でもある」
と述べました.

 【事実】
 中国がファビョり過ぎてギャグを発信し始めました.
 新石器時代に国の概念があったのかよww
 大体,中共そのものは60年程度しか歴史はないだろww

ニュース極東板


 【質問】
 羌族ってやっぱりチベット系の民族なの?
 『遊牧民から見た世界史』(杉山正明著,日本経済新聞社,2003.1)という本には,始皇帝を生み出した秦族がその一派であったとあるんだが.

 【回答】
 羌語とチベット語は,共にチベット・ビルマ系言語.
 チベット語の下に羌語があるわけじゃなくて,並列関係.
 「チベット・ビルマ系」の「ビルマ」を省略しちゃう人(もちろん素人さん)が多くて,誤解されることが多い.

 その本で秦についてどう書いてあるかというと
>「おそらくは戎?の範疇でくくられる集団の出であった」
>「せいぜい「西戎」の変種ぐらいにしか見なされていなかった」

 はっきり「秦は羌族」と主張してるわけじゃないね.
 杉山先生も史記秦本紀の内容を知らないはずないし,かといってきちんと検証していくのも面倒くさいから,こういう書き方になっただけで.秦の出自自体にあまり興味はなさそう.

 秦の王族は,贏姓部族.原郷は陜西ではないから祖先は羌ではない.
 むしろ東夷の一派が流れ流れて陜西にたどり着いたのが秦族,とみた方がいい(諸説あるが).

 陜西にたどり着く前には山西にいて,そこで秦族から趙族が別れた.
 そのころに北狄(匈奴と関係ある)と深く結びついたから,羌よりも狄と関係が深い.

 秦と羌はむしろ敵対関係にあり,西戎(羌)を陜西から甘粛・青海に追い出したのが秦.
 陝西すら漢族固有の領土ではなかったということだ.
 それどころか商代には,陜西よりもっと東,現・河南省西部が羌族の居住地だった.
 商が東から西へと徐々に羌の領域を侵食していった.

 商で盛んだった山岳信仰はもともと,羌が持っていた信仰と言われている.
 当時の山岳信仰最大の聖地・嵩山も,羌から奪ったものらしい.

 「岳」の甲骨文字は「羊」の下に「山」が描かれている.
 チベットでgnyan(野生羊)が岳神(あるいはその使い)とされている,
 そのまま.

世界史板


 【質問】
 秦族はもともと非漢族の遊牧民である西戒の一派の出身では?

 【回答】
 秦族は?姓.?姓諸族の主力は?子国(山東省)とか徐国(安徽省)などみな支那中〜東部にあって,秦族や趙族(秦族の分家,山西省)が支那西部にいるのは例外的.

 あと秦族の始祖説話「母親が燕の卵を飲んで生んだ男児が始祖となった」というのは,東方出身とされる商族の始祖神話と全く同じ.
 系譜でも?姓部族と商族は同源となる場合もある(諸説入り乱れていて一概には言えないが).

 秦の上代神話や?姓諸族の分布を調べると,東方から西へ移動していった経緯が窺える.

 秦族=西戎・説は,これら秦族の神話や?姓を
「もともと持っていたものではなく,箔をつけるために後で借用した」
と全否定(仮定)した上での話.
 その可能性も考えられるが,どこまでが(借用)神話でどっからを史実とするかの境界が恣意的で,証明までは至っていない.
 それは「東方出身説」も実は同じ.
 支那上古史は未解明の問題だらけ.

 余談だが,始皇帝は呂不韋(羌族の末裔である姜姓呂氏の一員?)の実子と噂されているから,
「始皇帝は羌族の皇帝だ.おお,羌族は偉大なり」
と強弁する人もいる(今の羌族出身の人が書いた文章にある)が,ここまで来ると身内贔屓が凄すぎて笑っちゃう.

世界史板


 【質問】
 シャンシュン王国って?

 【回答】
 シャンシュン王国(紀元前〜643年)は,西チベットのカイラス山一帯に存在しました.
 その首都はキュンルン・ンゥルカル(ガルーダ谷の銀城)といい,その廃墟は今でも残っています.
 シャンシュン王国の最後の国王リミギャは,チベットの王ソンツェンガンポにより暗殺され,シャンシュンはチベットに併合されました.
 ボン教の経典は元々シャンシュン語で書かれていました.
 ボン教のマントラはシャンシュン語で出来ているため,現在ではその意味を知るのはとても難しいのです.
 またボン教徒は,トンミ・サンボータがチベット文字を作る前から,チベットにはシャンシュン文字があったと主張しています.

世界史板


 【質問】
 シャンシュン文字は発見されているの?

 【回答】
 正確には「シャンシュン文字」は発見されているけれど,どうみてもチベット文字を変形させたもので,チベット文字より先に存在したとはとても思えない.

 現在発見されているシャンシュン語文献のほとんど全部は,チベット文字で書かれている.

世界史板


 【質問】
 シャンシュン語は何語に近い言語だったのですか?
 カシミール語? ネワール語?

 【回答】
 カシミール語は印欧語族で全然違う.
 ネワール語の方が近い.
 それよりもキナウル語が一番近いと言われている.

 キナウル語はチベット語とそれほど遠いわけではなく,
http://www.ethnologue.com/show_family.asp?subid=90300
シャンシュン語もそのグループの中に入る.

 かといって「シャンシュン語やキナウル語はチベット語の一方言」みたいな扱いじゃない.

世界史板


 【質問】
 吐蕃王国は強かったの?

 【回答】
 それなりに.
 唐に対しては軍事的優位に立ってシルクロードの大部分を支配した頃もあったが,それは安史の乱(756〜763年)で唐が衰退したことも大きい.
 ただ,
タングート族の西夏も宋から歳幣巻き上げてたし,近世のモンゴルや清との関係を見ても,なかなかのやり手だ.

世界史板
青文字:加筆部分


 【質問】
 ボン教って何?

 【回答】
 吐蕃時代のボン教については,史料が少なくてなかなか実態がつかめないが,祖霊信仰,アニミズム(山川の神などを祠る),悪魔祓いあたりを中心とした宗教で,当時すでにある程度体系化は進んでいたと思われる.
 日本の神道(国家神道以前のもの)とも似た形態.

 敦煌文献にもすでにシェンラブ・ミウォが現れているが,ボン教開祖としてではなく,シェン(司祭)の大物の一人として出てくる.
 実在の人物であった可能性は高い.
 この人物がボン教開祖に祭り上げられるのは,11世紀以降.

世界史板


 【珍説】
 イスラム圏→ヨーロッパがチベットに関心持つことなど19世紀までなかった.

 【事実】
 8世紀に西トルキスタンで,イスラム軍と吐蕃軍が共同作戦をとって唐と一戦交えたりしてるんだが.
 さらにイスラム軍(チベット名タジク)がチベット本土に使者を送ったりもしている.
 関心を持ってないわけないでしょ.
 だから当時のイスラム文献にTubbet/Tibbatという名がすでに出てくる.

 イスラム圏ではアッバース朝頃の武具のリストで「チベットの皮鎧」が良質なものの中に挙げられてるらしい.
 吐蕃がブイブイいわせてた時代.

 ヨーロッパ人がチベットに関心を持ったのは,それより遅れて13〜14世紀のモンゴル帝国時代.
 プラノ・カルピニ,ルブルク,オドリコなどの修道士のモンゴル・中国旅行記にチベットの話が出てくる(誤報だらけだが).

 その後,「チベットにはキリスト教徒が住んでいる」という噂が広まり,そのキリスト教徒を探しに,あるいは布教にと,17世紀以降宣教師がチベットに続々と入り始める.
 グゲ王国に教会を開いたアンドラーデとか,ヨーロッパ人として初めてラサに入ったデシデリなんかが有名.

 19世紀までチベットはイスラム圏/ヨーロッパから関心を持たれなかった,なんていう馬鹿な話は,物を知らずに当てずっぽう言ってるだけだよ.

世界史板


 【珍説】
 天山シルクロード(現ウイグル自治区)の領土を喪失すると,世界貿易から排除され,チベットが引きこもり国家になった.

 【事実】
 チベットが興味あるのは仏教の故郷インドだけと言っていいから,インドとはもの凄く密接に交流してたじゃんか.
 「世界貿易から排除」なんて偏見・無知もいいとこだよ.

 昔からチベットにとっては中国よりインドの方が大事だったのよ.
 だからチベット難民も苦しい生活ではあるけれど,仏教信仰が保障されていて,なおかつ釈尊・仏教誕生の地インドで暮らすことには,かなりの満足感がある.

世界史板


 【質問】
 宋〜明の時代のチベットは誰が支配していたの?

 【回答】
 9世紀に吐蕃帝国が崩壊してからは,旧吐蕃領を統一する政権はなく,吐蕃王家の末裔,各地方の豪族,氏族教団(特定の宗派と豪族が結びついた宗教・政治集団)などが各地に独立した状態.
 これが宋代の状況.

 その諸氏族教団の中から,サキャ派+クン氏がモンゴル帝国と結びついて,13〜14世紀にチベット全域に覇をふるった.

 モンゴル+サキャ派が衰えると,パクモドゥ・カギュ派+ラン氏がウー・ツァンに覇をふるった(14〜15世紀).
 その後,ウー・ツァンを支配したのは
リンプン氏(パクモドゥ派の代官だった,15〜16世紀),
シンシャク氏(ツァンパ,シガツェの領主,16〜17世紀).

 その間カム・アムド・西チベットには独立した政権がたくさんあった.
 これが明代の状況.

世界史板


 【質問】
 13世紀のチベット佛教はカギュ派とかサキャ派とかゲルク派など様々な分派がありますが,それぞれ統治するために軍事組織などは持っていたのでしょうか?

 【回答】
 僧院そのものが軍事組織を持っているわけじゃなくて(僧兵みたいなのもいるけどたいしたことない),その大施主(地方豪族)がめいめい軍隊を持っていた.
 サキャ派やディグン派なんかは特定の氏族が占有していたから,宗派と豪族の軍隊はほぼ一体化してるようなもんだけど.

 宗派と世俗権力が一体化した氏族教団は,

サキャ派=クン氏
パクモドゥ・カギュ派=ラン氏
ディグン・カギュ派=キュラ氏
ドゥク・カギュ派=ギャ氏
ツェル・カギュ派=ガル氏
ヤムサン・カギュ派=ラ氏
タクルン・カギュ派=ラガシャ氏

ってとこ.

 そういう基盤を持たないゲルク派は,初期には軍事的に非力で苦労してたから,他宗派があまり接触していなかったモンゴル諸侯に,軍事的支援を期待して接近していった.

世界史板


 【質問】
 チベットは千年以上前から中国の領土なのでは?
元王朝(1271-1368)
明王朝(1368-1644)
清王朝(1644-1911)

 【回答】
 唐・宋・元・明・清・・・・これらのいわゆる「中国統一国家」を見ても,漢族の国は宋と明だけで,実際に漢族が大陸で「いわゆる中華民族」の上にたったのは1/4くらいなんですよね.
 つまり各王朝は同民族の政権交代ではないんですよね.
 中国という名前自体が20世紀に作られたもので,中華民国も今の中国大陸を全て治めたわけではないし,中華人民共和国も,1949年にできたばかりの時は,雲南省・四川省・甘粛省・青海省・東北三省は中華人民共和国ではありませんでしたしね.
 西康省・熱河省・寧夏省などの地区分けを経て,段階的に既成事実にしていったわけです.

唐・宋・元・明・清・・・・考察很大的此等「中華五大統一国家」,漢族的国只有宋,明.漢族於大陸実際奪取「中華民族的威権」的時間是中華文明的1/4.考察此真実,各王朝不是同民族的政権之交代.「中国」之呼称自体是於20世紀作成的.中華民国亦不統治現在的全中国大陸.中華人民共和国亦同様.1949年建国当時,雲南省,四川省,甘粛省,青海省,東三省不是中華人民共和国.整理各省而成立西康省,熱河省,寧夏省等地区,踏各段階而成立「中国人民共和国統治全中国大陸」的事実.然此「事実」不是「真実」.

ジェネラル in mixi


 【珍説】
故宮の文化財,漢族とチベット族の共同発展の歴史を証明
(中国情報局 2008/04/09(水) 16:26:37更新)


 中国故宮博物院のチベット文物専門家の王家鵬氏は7日,
「故宮に保存されているチベット文化財は,チベットと歴代の中央王朝の緊密な関係を直接反映すると共に,チベットが中国から切り離すことが出来ない一部分だということを証明している」
と述べた.
 王家鵬氏は
「故宮には大量のチベット族の芸術品が保存されている.
 その中には1万件以上のチベット各時代の金や銅の仏像があるが,それらの仏像のほとんどはとても良い状態であり,その由来や収蔵された時期などの記録もある.
 また,数千枚のチベット独特の布に描かれた宗教画「タンカ」があるが,その内容は漢族とチベット族間の長い交流の歴史を記録している」
と語った.

 さらに王家鵬氏は
「チベットは13世紀半ばには,正式に中国の元王朝の領土に入った」
と述べている.

(写真)北京市の故宮博物院
ttp://news.searchina.ne.jp/2008/0409/national_0409_018_small.jpg

 【事実】
>中国の元王朝の領土に入った

(゚Д゚)ハァ?
 モンゴル帝国のことじゃん.
 なにサラッと捏造してやがる.

 まず元朝は,モンゴル帝国(あるいはモンゴル共同体?)の宗主国的立場にあり,あくまで中国を財政基盤としたモンゴル人の王朝なんだが.
 だいたい,チベットが中国に基盤を持つ王朝の支配下に入ったのは,清朝だし.
 しかもあくまで間接支配,自治も認めてる.

 それに清朝は,現在の中国東北部の狩猟・農耕民族である満州族が中心となって成立した王朝だし.
 まぁ清朝は純粋な満州族の王朝ではなく,モンゴル族や漢族も含んだ多民族国家ではあったが.

 征服王朝であっても最後は「中華」化していって中原に同化してしまう傾向があるが,清朝は,満洲の部分を残そうと躍起になっていた.
 まぁ,西欧の衝撃で,そこらへんがどんどん変質していくけど.

 それに清朝と今の中国の版図は,l幾つか除いて同じだけど支配の仕方がぜんぜん違うし.

ニュース極東板

 ちなみにモンゴル帝国になぜチベット仏教関連のものが多数流入していたかについては,上述項目参照.
 「支配の産物」なんかではないのでは念のため.

 プロパガンダをするなとは言わん.チベット側だって多少はやっていることだ.
 だが,やるなら巧くやれ.
 幼稚園レベルの「ウソ」と変わらんプロパガンダなら,やらないほうがマシ.


 【質問】
 ダライ・ラマ6世はダライ・ラマらしくなかったというのは本当か?

 【回答】
 本当らしい.
 『チベット マンダラの国』(松本栄一写真,奥山直司文,小学館,1996.6)では,6世について以下のように述べられている.

――――――
【ダライ・ラマ6世】(1683〜1706)

 ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャンツォはモンユルに生まれた.

 大摂政サンギェ・ギャンツォによって見出さた6世は,先代とは似ても似つかぬ「問題児」であった.
 政治には関心が薄く,酒色に溺れ,詩作に熱中し,ついには戒をも返上してしまう.

 だが,彼の作った詩は今もチベットの民衆に愛好されている.
 そこにあふれる甘美な優しさと悲しさが,不似合いな地位に縛りつけられた彼の悲劇の生涯とあいまって人を魅力するのだ.

 6世は大摂政を殺害したホシュート部によって北京に護送される途中,青海で死んだ.
――――――

 英語版のWikipediaを眺めてみました.

 確かに"ダライ・ラマのあるべき姿"ではなかったのかもしれません.
 僧としてではなく,一般人のような暮らしを好んだようです.
 酒にも女にも手をつけたし,ポタラの外にテントを張って生活したとあります.

 しかし,民衆には敬われていたようです.
 清朝と結んだグーシ・ハーン王朝が,ダライ・ラマ6世のこのような行動を口実に,彼を廃して新たなダライ・ラマを立てようとしました.
 それに対して,チベットの民衆は大いに抵抗した,とあります.

 むろんそれは,外圧への抵抗だったのかもしれません.
 外の人間に最高指導者を擁立されるのは,嫌でしょうから.
 今も昔も.

in mixi
(退会により投稿者不明)

ダライ・ラマ6世


 【質問】
 ジュンガルのガルダンはダライラマに唆かされて,トルコ・ムスリムを仏教に強制改宗させたの?

 【回答】
 強制改宗は聞いたことがないが,ウズベキスタン方面のムスリムを強制移住させて,農奴として使役していた.
 また銃兵や砲兵として従軍させてもいた.

 ジューンガル部については『最後の遊牧帝国』(宮脇淳子著,講談社新書,1995.2)という本が詳しいです.


 【質問】
 1720年,なぜ清朝はチベットに派兵したのか?

 【回答】
 このチベット派兵は「侵攻」というよりも,青海ホショト軍とのダライラマ7世決定についての内紛の鎮圧といった意味合いが強い.

 以後のトラブルを避けるため,清朝はラサに一人の大臣を常駐させてチベットでおきる出来事を報告させた.
 これが駐蔵大臣のおこりである.

 祭政一致のチベットでは,政治のトップはすなわち仏教の「転輪聖王」である.
 仏教世界から委託されて政治を任せられているのが現清朝の皇帝たちであるから,それに従うのは仏教徒としては当然であり,チベットやモンゴル人は清朝に従順であった.

岡崎溪子 in ≪ WEB 熱線 第998号 ≫2008/03/26_Wed


 【質問】
 清朝の皇帝の肖像画見てると,巨大な数珠を首から下げてるけど,あれがチベット仏教の関係者だという印?

 【回答】
 女真族は清朝以前の昔からチベット仏教信徒.

 清朝皇帝は,
満州人たちの部族長会議の議長と,
モンゴル人たちのハーンと,
漢人たちの皇帝と,
チベット仏教の最高施主と,
東トルキスタンのイスラム教徒たちの保護者
という五つの役割を一人で兼ねた,同君連合の統治者.

 清朝の歴代皇帝はチベット仏教を熱心に信仰し,北京の紫禁城の奥には擁和宮にチベット寺が建てられていたりと,皇族たちの信仰は深い.

 つまり,清朝の皇帝はチベット仏教のパトロン&最大の檀家.
 皇帝のあの巨大な数珠は,チベット仏教徒だから身に着けていると思われ.

世界史板


 【質問】
 チベットと清朝との関係は?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,チベットは,清朝の属国の属国のようなものだったという.

 以下引用.

――――――
 1750年に清朝の乾隆帝が,チベットを完全保護国化するが,このチベットのダライラマ支配体制は,1842年にモンゴルの首長グシリの支援のもと,ダライラマ5世が当時内乱中であったチベットを統一,聖俗両界の最高権力者となり,一種の神権国家を樹立するが,そのモンゴルは,7年前の1635年には後金=後の清朝)に併合されており,チベットはいわば,清の孫分に当たる.

 清朝の1644年〜1750年を通して,チベットと中国の関係はチュ・ユン=ラマ宗門と清王室壇家(?)の関係であり,18世紀中から20世紀までは,チベットが中国隷属下と見るのが正しいであろう.
――――――

 一方,
http://www.nytimes.com/2008/04/13/opinion/13sperling.html?ref=opinion&amp;<BR>pagewanted=print
にて,米インディアナ大学のチベット学教授のスパーリング(Elliot Sperling)が述べているところによれば,チベットは元と清にこそ隷属してはいたが,漢人地域と並列の地域だったという.
 また,元と清の間の明(1368〜1644年)の時代には,その行政文書や公定史書から,チベットが独立していたことは明らかだという.
 そもそも20世紀初頭まで,漢人の文人達は,チベットが清の皇帝の封建的支配下にある(feudal dependencyである)とし,漢人地域とは区別されていることを認めていたという.

 詳しくは太田述正コラム#2484(2008.4.13)を参照されたし.


 【質問】
 麗江の支配者として君臨していた豪族「木氏」は,最後はどうなったの?

 【回答】
 麗江の領主は,チベットの史書には「ジャン王」として登場.
 最盛期にはチベットの東南部(カム地方の南部)まで掌握したが,17世紀半ば,広大な属領をグシ・ハン王朝に没収され,さらに自分自身もグシハン王朝に隷属.
 雍正年間(18世紀)に,清朝がグシ・ハン一族のチベット諸侯への支配権を召し上げたとき,麗江の領主はカム地方南部への支配権を主張したが,取り合ってもらえず,麗江だけの小領主のまま清に服属した.

世界史板


 【質問】
 ラダックはイスラームに侵略されたの?

 【回答】
 何度も何度も撃退したり占領されたりの繰り返し.
 イスラム(カシミールのザイン・ウル・アビディンとかカシュガルのミルザ・ハイダルとか)に占領されても,短期間で終わってる.

 1680年頃ガンデン・ツェワンに攻められて耐えれなくなって,ムガルのカシミール総督に助けを求めて,ムガルの属国に.
 1750年頃ムガルがへたっちゃったら,また仏教国としてチベットと仲良しに.

 でも宗教的には西からジワジワとイスラム・シーア派が侵食して来て,西半分(もとはラダックじゃないけど)はイスラム圏内になった.

世界史板


 【質問】
 1908年の清のチベット侵攻は何のためか?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,チベットに清朝主権を確立し,英国勢力を駆逐するためだったという.
 侵攻に対する抵抗運動が,ラサ周辺で起こり,また,1910年,清朝によるダライラマ廃位計画を知ったダライラマは,チュ・ユン関係の終結を宣言したという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 イギリスや中国が攻めてきたときのチベットの軍隊ってどんな装備だったんだろう?
 ラメラー甲冑に刀に槍,弓矢みたいな感じか?

 【回答】
 当時のチベット兵だそうです.
http://www.geocities.jp/gogotibet/ripin/manga1/hedin44.jpg

 20世紀頭のチベット軍備については,
『西藏 英帝国の侵略過程』(ヤングハズバンド著,小島書店,1943)
を見るといい.
 ただし,これは著書の前半のみの翻訳だから,後半にもっと詳しい記述があるのかもしらん.
 原典を当たってくれ.

 イギリスに負けて,「チベットも軍隊を整備せねばいかん」てんで,矢島保治郎や英仏の力を借りて,近代軍制・外国の装備を導入し始めた頃(1910年代)については,

『世界無銭旅行者 矢島保治郎』(浅田晃彦著,筑摩書店,1986)
『西藏漂白』下(江本嘉伸著,山と溪谷社 1994)
『秘密国チベット』(青木文教著,芙蓉書房出版,1995.12)
あたりに出てる.
 軍隊の写真もあった.

 中共の侵略期(1950年代)については,
『四つの河 六つの山脈』(ゴンポ・タシ著,山手書房新社 1993.3)
『中国とたたかったチベット人』(ジャムヤン・ノルブ編著,日中出版,1987.1)
あたりを見よ.

世界史板


 【質問】
 清朝崩壊後,チベットは1951年まで独立国家だったと言えるの?

 【回答】
 微妙.

 たしかに1912年にチベットは独立を宣言したが,国際承認は得られていない.
 また,農奴制の項目で説明されているように,近代国家建設の努力はほとんどなされなかった模様.

 しかし一方,
http://www.nytimes.com/2008/04/13/opinion/13sperling.html?ref=opinion&amp;<BR>pagewanted=print
にて,米インディアナ大学のチベット学教授のスパーリング(Elliot Sperling)が述べているところによれば,1912年から中共が成立した1949年まで,支那の政権はチベットに支配権を行使したことはなく,ダライ・ラマ政権がチベットを統治する状態が,1951年まで続いたという.

▼ 19世紀以降チベットは永世中立国だったので,チベットは隣国と交流は殆んどありません.
 しかし,第二次大戦中にはイギリスが援蒋ルートをチベット経由で開く計画を持ち,政府と協議しています.
 重慶国民党も,延安共産党も,使節を送っています.

19世紀以后西藏王国是「永世中立国」故,西藏不交過隣国.
不過,於抗日戦争中,英国,美国,中華民国有了「開設経西藏的援蒋之路」的計画.各国們開催了關其計画的協議.
在重慶的国民党政府,在延安的共産党人民政府……中華各各民族的団體派遣了向西藏的使節.
西藏有了一个独立政府,西藏有了如独立王国.現在亦同様.

ジェネラル in mixi


 【質問】
 ちょっと確認.

>チベットを自治区に編入したのが1951年

この時点では主権は喪失していなかったということでしょうか?

 【回答】
 1951年の時点ではダライ・ラマ十四世はそのまま存続させておいて,チベット自体を自治区として編入
(この時点では間接的支配かと)
 その後,中国政府の苛烈な政策に反発,チベット動乱で,ダライ・ラマ十四世がインドに亡命し,それに伴い主権が喪失した
 チベットを中国政府が
「それじゃあ,俺が直接統治するわ」
って感じかと.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 チベット独立宣言後,それを国際承認させるような動きはあったのか?

 【回答】
 無かったようだ.

 ≪ WEB 熱線 第1033号 ≫2008/06/16付に転載された「せいろん談話室」によれば,独立宣言自体,清軍を中国本土へ撤退させ,中国のクビキから脱したと国民に示すための宣言のようなもので,ダライ・ラマ13世は世界各国と外交関係を結ぶこともなく,鎖国に近い状態だったという.
 国交らしきものがあったのは,隣接する英国(インド)・ネパール・ブータン・ビルマ・カシミール・パンジャムら,少数だったという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 タクタ・リンポチエとは?

 【回答】
 ダライ・ラマ14世の幼少時の第2個人教授.
 第1(上級)個人教授レティン・リンポチエの独裁が,僧院・貴族らから猛批判されて引退した際,執政権を譲られる.
 しかし,その政治・外交は失政の連続であり,外交的失敗から中国国民党にも侵略されかけ,また,この事態に復権を狙うレティン・リンポチエとの間に,内部権力抗争を起こしたという.

 詳しくは「せいろん談話室」を参照されたし.


 【質問】
 中国のチベット侵攻時,チベット側が使用していた兵器は,どこの国のものだったんでしょうか?
 あと,『セブン・イヤーズ・イン・チベット』で,チベット軍の最大の火器が大砲数門だったといっていたのは,本当なんでしょうか?

 【回答】
 本当です.

 チベット自体は中国で半独立国,しかも中立を標榜しているとは言え,英国の影響下にありました.
 ダライ・ラマ13世は英国に技術援助,軍事援助を仰ぎ,1920年代初頭には英国が第一次大戦で余剰となった武器を売りつけ,英国の武器体系を持つ近代的な軍を編成します.

 しかし,新軍隊の維持費として僧院に課税される事となり,また,僧院の私兵である戦士僧侶の存在が,新軍隊によって脅かされる事になりました.
 このため僧院側が改革に反対し,1924年,軍の近代化を断念してしまいました.

 また,ダライ・ラマ13世死後,摂政となったレティン・リンポチェは,軍事費を切り詰め,私腹を肥やしていきました.
 これにより,国軍の存在は霞んでいきました.
 何しろ,無線機は全国に20台程度しかなかったですし.

 後は軍より,主に僧院や大領主の私兵であり,彼らは第二次大戦の頃は,ビルマ,ラオス,インドなどを通じて米国,英国,ソ連製の銃を手に入れています.
 中共のチベット侵攻後,抵抗していたのは彼らの方です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

▼ 1940年代のチベット軍の写真です.

チベット歩兵.火縄銃を装備


チベット槍騎兵


チベット弓騎兵

元諜報員@FreeTibet in mixi,2008年04月15日 20:51


 【質問】
 マンネルハイム将軍がダライ・ラマ13世と会見したことがあるそうだが?

 【回答】
 マンネルハイム将軍は,有名なフィンランドの独立活動家,大統領で,軍人ですが,ロシア帝国軍時代にダライ・ラマ13世と会見しています.

「wikipedia」:カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
>その後,密命を帯びて中央ユーラシアを横断しつつ探検.

 要は諜報活動を行っていたのです.
 マンネルハイムは探検中(1906〜1908年),ラサ入りを欲しましたが,イギリス人により占領されていたためこれは断念.
 その後,ダライ・ラマ13世がラサではなく,ウライシャン山地の聖地にいることを知り,そこに向かいました.

 以下,マンネルハイムの言葉:

----------------------------------------
「・・・私の低いお辞儀に対して,ダライ・ラマは会釈で答えた.
 彼は,私がどの国から来たのか,何歳なのか,どの道を通ったのかと尋ねた.
 通訳は,前日に訪ねた最古参のラマだった.
 彼は,自分の主人に身をかがめ,私の話をひそひそ声で訳したため,これに対する見解は分からなかった.
 小休憩後,ダライ・ラマは合図を出し,チベット文字が書かれた白い美しい絹布が部屋に持ち込まれた.
 彼は,皇帝にこの贈り物を渡すように頼んだ・・・

 ダライ・ラマは,ウタエはいいところだが,心はチベットにあると語った.
 寺院を訪問した多くのチベット住民は,彼のラサ帰還を要請しており,恐らく,これは行われるだろう.
 私は,陛下が祖国を離れる必要があると考えた時,ロシア民族の共感は彼の側にあり,過去数年間に渡って減らなかったと指摘した.
 ダライ・ラマは,私の約束を大いに喜んで聞いた.

 接見の終わりに,贈り物としてダライ・ラマに手渡そうと思っていたブローニングを取り出す許可を請うた.
 拳銃には7発装填できることを示した時,ダライ・ラマは嬉しそうに笑った.
『この贈り物は,非常に簡単なことです』
と,私は語り,長い旅で武器の外に何も残らなかったため,他にいいものを捧げられないと愚痴った.
 一方で,聖人といえども,しばしば,祈りより拳銃が必要とされる時代なのだ.

 ダライ・ラマは,闊達,賢明で,精神的にも身体的にも強い人間に映った.
 出迎え時,中国関係のため,彼が非常に冷淡だったのは明らかに見て取れた・・・.
 彼は,自分の愛する祖国の一部を中国に引き渡したがる人物を全く気にも留めていなかった.

 翌日,ダライ・ラマは,12mの薄い赤・茶色のチベット製ラシャと,12本の香木を私に送った.
 もう一度中央アジアを旅することがあれば,必ずラサに受け入れることを約束して.」
----------------------------------------

 マンネルハイムは帰国後,ロシア皇帝に謁見し,この顛末を報告しています.

元諜報員@FreeTibet in mixi,2008年03月30日19:06


 【質問】
 第二次大戦時のチベット対外関係の事実は?
 イラン,アフガンにはドイツが使節出していたが英国の圧力で追放されたんじゃ?
 チベットは英国人数人しか居なかったのでは?

 【回答】
 第二次世界大戦中,ドイツ使節がどこ通ってチベット行くんだよ.
 北はロシア,南・西はイギリスが押さえてて,ドイツがちょっかい出せるルートはないよ.

 ドイツがチベットに調査隊を出したのは1938年一回だけ.
 それも自然科学の調査.
 オカルト本によく出てる「毎年調査隊を派遣していた」なんてのは嘘八百.ソースが示されたことはない.

▼ 当時の外交政策は,基本的には中立.
 在ラサ英領事館があったから,どちらかといえば連合軍サイドになる.
 当時の日本も,チベットを親英地方とみなしていたようだ.
http://www.geocities.jp/keropero2000/china/china01.html
 米軍輸送機がチベットに不時着したときに救助して,感謝されたという話もある.

 アメリカの援蒋ルート調査隊も受け入れてるが,援蒋ルートになるとかはなかった.

 イギリスの保護を得られないまま,どんな外交を展開すればいいかも分からなかったというのが本当の所だろう.
 ガンデンポタンの外交能力の欠如に対する反省が,穏健といわれる今のダライラマ14世の立ち回りのしたたかさに繋がっているのだろう.

 とはいえ,戦争前には真宗大谷派から留学僧が派遣されていたし,日本人が仏教徒というのは有名だった.
 だから同じ仏教徒というシンパシーはあった.

 チベット国旗を作ったのも,大谷派からチベットに派遣されていた青木文教だと言われている.▲

 戦後しっかり独立できるよう,その時ちゃんと外交活動やってれば,2008年現在こんなことにならなかったのに・・・.

世界史板

▼ なお中国当局は,「ダライ・ラマは親ナチ」とする事実無根のプロパガンダ工作を行っているようなので,注意を要する.
 以下引用.

――――――
「ダライ・ラマは親ナチ」 中国大使館員が米議会工作

 【ワシントン2日共同】ワシントンの中国大使館で議会対策を担当する書記官が米議会スタッフに対し,チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がナチスと深いかかわりを持ち,ヒトラーの友人と親交があったという情報を添付した電子メールを送っていたことが2日,分かった.
 下院外交委員会の共和党スタッフ,デニス・ハルピン氏がワシントン市内の討論会で明らかにした.
 〔略〕
 同氏とは別の議会スタッフに送信され,共同通信が入手した電子メールには,「ヒトラーとダライ・ラマ」と題された論評が添付されている.
 論評は中国国外のメディアの情報として
「ダライ・ラマは(ユダヤ人を)大量虐殺したナチス(の元関係者)と親密な関係にある」
と指摘.
――――――


 【質問】
 〔ナチスの〕ハーケンクロイツはチベットの卍から取ったんじゃないの?
 南極とチベットと富士山は地球のチャクラだよ.

 【回答】
 「チベットの卍」っていうけどさあ,その「卍」はインド起源だし,卍自体は世界中にある(ネイティヴ・アメリカンにもある).

 で,ナチスのハーケンクロイツは北欧起源だよ.チベットは関係ない.
 もともと北欧の雷神のシンボルで,ルーン文字にもある.
 北欧各地の貴族の紋章にもなっていたし,第一次世界大戦後にはラトヴィアやフィンランドの空軍がシンボルにしていた.

 で,19世紀末〜20世紀はじめにヨーロッパではやっていた「ゲルマン民族北欧起源論」というオカルト人種論と, 「スワスティカはセム民族文化にだけ存在しない」という噂(実際は嘘で,メソポタミアの遺物とかたくさんある)の影響で,ゲルマン優越主義・反ユダヤ主義団体が紋章に使った.
 イェルク・ランツが1907年に結成した新聖堂騎士団で,紋章に採用されたのが一番早いケースだろう.

 同じ頃,グィド・リストが『ルーン文字の秘密』(1908)で,スワスティカをゲルマン民族のシンボルと論じている.
 ランツもリストもインドやチベットとは全然関係がない.

 こいつらが1912年にゲルマン騎士団を結成し,さらにゼボッテンドルフが加わって1918年トゥーレ協会ができる.
 当然その紋章はスワスティカだった.

 そのトゥーレ協会の会員の中に,ナチ党の前身であるドイツ労働者党を結成したアントン・ドレクスラーがいた.
 ルドルフ・ヘス,アルフレート・ローゼンベルク,ディートリヒ・エッカート,ハンス・フランクなどの,後のナチ党の主要人物たちも,その会員だった.
 そのため,
1920年に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)ができると,フリードリヒ・クローンの発案でスワスティカが正式に党の紋章になったのだ.

 オカルト本によくあるナチスとチベットを結びつける話は,大半が根拠がない(ソースがいっさい明示されていない).

ハウスホッファーはチベットになど行ったことはない(遺族が否定している).
 彼が入会したという日本のチベット密教団体「緑龍会」なんてものは存在しない.
 ハウスホッファーがチベットでグルジェフに会ったなんてことも当然ない.

 グルジェフがチベットへ行ったりドルジエフに化けたり,なんてのもホラ話.
 実際グルジェフの思想にチベットの影響なんか全然ない.

 戦時中のベルリンにチベット人などいないし(当時のベルリン市外国人登録簿から明らか),そのリーダーだったという緑色手袋のラマなんてのも嘘.
 第一,チベット仏教で緑色手袋が何か意味を持つなんて聞いたことない.
 ベルリン陥落時のチベット人兵士の死体なんて,ポーウェルとベルジエの『魔術師の朝』(1960)にはじめて出てくる話で,こいつらがどこから拾ってきた話かいまだにわからない(間違いなく作り話).
 だいたい,『魔術師の朝』の長い序文で,著者自身が
「この本では,伝説(噂),事実,憶測,実際の見聞をないまぜにしている」
と書いてるんだから,その内容を鵜呑みにするなんて馬鹿げてる.

 ところが日本版『神秘学大全』は,この序文をばっさりカット(笑).
 だからまんまと騙された読者が多かった.

世界史板

▼ チベット人SSは電波だが,日本人で河口慧海よりも前にチベット入りしてて,13世の信任を得て近衛兵の訓練を任せられていた矢嶋はマジ.

世界史板


【珍説】【質問】
 以下の話は本当?▲

・太平洋戦争開戦前
 チベット
「日本が経済封鎖されて可哀想.羊毛送るよ.
気にすんな.同じ仏教国じゃないか.見過ごせないよ」

・戦時中
 アメリカ
「おい,中国が日本ブッ叩くための補給路確保に,お前らも協力しろ.」
 チベット
「日本とも国交のある我々は,最後まで中立を貫く.協力はしない.」

・戦後
 チベット→日本と国交があった為「敗戦国扱い」→中国のチベット介入→今に至る

軍事板

【事実】【回答】
 嘘ですが何か.
 羊毛を送ったってのは半分本当.
 あとは嘘.

 羊毛の話だが,チベットという国家としてはやってない.

 羊毛ネタのもとネタは,木村肥佐生の『チベット潜行十年』(中公文庫)でしょう.
 木村氏はすでになくなられましたが,第二次世界大戦中〜後,日本政府の特務としてモンゴルからチベットに潜行されていた方です.
 戦後にもチベット難民のためにいろいろ尽くされました.

 以下引用.

――――――
 日本に帰国後,多田等観先生から伺った話によれば,多田先生がツァロン大公宛の手紙の中に,
「支那事変が始まって以来,日本に羊毛の輸入が途絶えて困っている」
と書き送ったところ,カルカッタからアメリカ向けに輸出していたチベット羊毛を,彼は解約して無償で横浜に積みおろさせたため,汽船一杯の羊毛の引取り手を探して大変な思いをした,とのことであった.(文庫版p223)
――――――

 チベットから羊毛が送られてきたのは事実ですが,ツァロンというチベットの大富豪(セブン・イヤーズ・イン・チベットにも出てくる)が,多田等観というチベット学者とのつきあいのなかで,義侠心にかられて個人的にやってくれたことです(汽船一杯分ね).

軍事板
ニュース速報+板から転載)

 そのあとのくだりだが▲,中立・鎖国が国是だっただけだし,敗戦国扱いになぞなってない.
 というか,日本と国交があっただけで敗戦国扱いって理屈が正しいとするなら,スウェーデンやスイスも敗戦国になってしまうんだが?

 ついでに言うと,ラサとかにはイギリス軍の通信施設が存在した.
(空路による援蒋ルート維持のサポート)
 なので厳密に中立かというと怪しい.

軍事板

 前から思ってたんだが,どうやってチベットから日本に羊毛を運んだんだろう?
 インド・ビルマからは無理だし,雲南・四川方面も無理でしょ.
 残るはソ連ルートかモンゴル・ルートしかないけど,通してもらえるものなのかな?

軍事板


 【質問】
 汪兆銘政権はチベットの領有権を主張していたのかね?

 【回答】
 当然です.
 汪兆銘は蒋介石と中華民国の正統を争っていたのですから.

 中華民国は清朝の版図を継承していて,本土の省と東三省に加え,藩部と呼ばれた蒙古・新疆・チベットの領有も主張していました.
 蒙古には現在のモンゴル国も含まれます.

 孫文の三民主義に含まれるは民族主義は漢民族国家の樹立ではなく,清朝の版図に於いて漢民族を中心に各民族が平等に連携するもので,
チベット族も中華民国の一員ということになります.

 そもそも清朝の領土をそのまま継承するのは国父孫文の意志.
 毛沢東は外蒙の独立を認めた時点でやや後退している.

 清朝の領土とは本土の18省+満州(東3省)+藩部で,藩部には蒙古・新疆・青海・西蔵があった.
 藩部は土民の長による旧慣支配を認めていた.

世界史板


 【質問】
 西川一三(にしかわ・かずみ)とは?

 【回答】
 太平洋戦争時の特務調査工作員.

 山口県出身.
 1943年,特務調査工作員としてラマ僧の姿で,チベットやネパールなどに8年間潜入した.
 著書に「秘境西域八年の潜行」がある.
 2008/2/7,午後4時58分,肺炎のため盛岡市の病院で死去,89歳.


 【質問】
 西川一三の「秘境西域八年の潜行」を,面白そうだなと調べてみたら二巻組やら三巻組やら文庫版やら色々あるのね……
 上下二冊ってのを買えばいいのかな?

 【回答】
 芙蓉版は最初,上下で出て,漏れたエピソードを別巻に入れた.

 それを時系列順に組み直したのが中公文庫版(3冊).これが完全版だが,今は電子版でしか読めない.

 あまりにも量が多すぎるので抜粋した1冊ものが中公文庫biblio版.

世界史板


 【質問】
 共産党勝利前に蒙古族にはウランホという共産党員が居たが,チベット民族やウイグル民族にはゼロ?

 【回答】
 いたよ.チベット人の共産党員.

 例えばプンツォーワンギャル.
 木村氏の本には「プンツォーワンジル」という名前ででている.
 南京に留学中,ひそかにコミンテルンのオルグをうけて共産党に入党.
 故郷にもどり「チベット共産党」の組織化に従事.

 しかしソ連(コミンテルン)と中共の頭越しのとりひきで,彼のつくった組織は独立したチベット共産党にはなれず,中国共産党の下部組織にさせられた.

 中華人民共和国の成立後は,さっそく「民族主義者」として弾圧をうけ,文革の際はむろん投獄.

 文革の後,出獄し,共産党員としての名誉は回復されたが,チベットの中央・地方のいかなる実権あるポストにもつけず,飼い殺し状態で現在にいたる.

かきつばた ◆O1SdlnknBs in 世界史板


 【珍説】
 チベットは中国が来て文明化するまで,野蛮未開の土地だった.
 共通語はないに等しい状態だったし,8割以上の国民が文盲.
 中央政府の威光はないに等しい状態だし,ネパールみたいに人口豊かな盆地に王府があったわけでもないから,王や教祖の権力や統合力なんてしれたもの.
 家族単位,部族単位で土民が群れていたのが,一昔前のチベット.
 とても一つの国とは呼べない状態.

 【事実】
 多数の民族が入り混じっていた地域では,言語の違いがあるというのは珍しい話ではない.
 あれだけ広いと,一口にチベットと言っても実際には出自,階層以外にも色々な言語,文字,歴史,人種,属性,生活形態,利害関係がある.

 旧政府の統治がチベット全域に及んでいたかというと,とても疑わしいと思う.
 後進国では大戦後も,政府の統治が首都近辺に限られ農村部には及ばない国なんて珍しくなかった.
 ましてや内陸にあり,広さのわりに交通手段の乏しいチベットでは尚更だろう.
 それに文盲率,チベット系諸部族の間の文字・言語の違いなども加味すると…….

 部族単位で群れている云々とは,今の中国のことか?
 国の資産のほとんどが,北京などの極一部の都市部に集中しており,地方にはほとんど来ていない.
 しかも,地方はそれぞれ家族単位,部族単位で土民が群れている.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 中国人が来る前のチベットは,それはひどいものだった.
 親や子が死ぬと,死体を晒して鳥の餌にするわ,一人の妻を親子兄弟で性的に共有するわ,歴代のダライラマまで子供のころにさらって洗脳し教祖にしたてあげるわ,ちょっと文明国ではとおらない,野蛮未開の風習が跋扈していた.

 チベット人がいかに野蛮かは,彼らの習慣を見ればわかる.
 チベット人はつい最近まで,死体を鳥の餌にしていた.
 死体を野に晒して鳥の餌にするのが,彼らの葬式だそうだ.

 しかも死体を鳥が食べやすいように,鉈で手足や頭をばらばらにし,臓物をひきずりだして,鳥にあたえるらしい .
 チベット人は,剽悍で文明化されていない野蛮人なんだよ.

 中国人は,ひとにぎりの僧侶が宗教的迷信を餌に,一般民衆を搾取していた封建制を打破した.
 中国はチベット人の救い主なんだよ.
 日本がアイヌを文明化してやったように,中国人もチベット人を文明化してやってる.

 中国人が文明化しなければ,いまでも坊主どもの言いなりのままに,死体を鳥の餌にしたり,兄弟で一人の妻を性奴隷にしたままだったよ.

 【事実】
 インドでは死体を川に流す.
 チベットでは鳥に食わせる.
 ただそれだけの違いだ.

 酷いというのなら,中共に文句を言うべきだな.
 最近になって,鳥葬を保護する政策を取り出したのだから.

 「一人の妻を」云々はソースを示してから言うものだ.
 まあ,日本も戦前は地方では夜這いの習慣がある田舎がまだ残っていたがね.

 共産国が洗脳云々を言うのは何のギャグだ.
 そっちの言い分では,中国は文明国なんてとても通らない野蛮な国だな.

 中国ではホンの数%,一握りのエリートが国の財産のほとんどを握っているが,それとどう違うんだ?

 ちなみに,アムネスティ・インターナショナル発表 《世界の死刑執行数》

2003年 1146人 第一位…中国 726人
2004年 3797人 第一位…中国3400人 
2005年 2148人 第一位…中国1770人
2006年 1591人 第一位…中国1010人
2007年 1252人 第一位…中国 470人

*中国の死刑執行数は極秘も含めれば年8000件との見解を示す

 中国旅行に行ったとき,ガイドが毎年1万人以上銃殺刑されていると言っていたっけ・・・
 なんて野蛮で非人道的な国だ.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 チベット人と言えば,その残虐さでも有名.

 グロ注意;
http://blogs.yahoo.co.jp/netpilot_japan/53496253.html
子供の皮
手を切断された奴隷
人間の皮 各種
奴隷

髑髏杯
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/tounitibi/ekai/ekaidb/ekaiimage/main/E0353.jpg

人骨の笛
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/tounitibi/ekai/ekaidb/ekaiimage/main/E0355.jpg

頭蓋骨の数珠
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/tounitibi/ekai/ekaidb/ekaiimage/main/E0356.jpg

 これって,鎖国下のチベットに潜入した日本人が持ち帰った物なんだけど,これも“中共の捏造”?(笑)

 これらはダライラマに献上する宗教儀式用の工芸品なので,熟練の皮剥ぎ職人が腕によりをかけて仕上げました.

――――――
“ダライラマの誕生日をお祝うために,”忿怒十五施食回遮法”を下密院全員が行います.
 よって,当日”抛食”の礼を行う必要があります.
 人間の腸1セット,頭を二つ,各種の血,人間の皮1セットを至急送りなさい.”

――――――1950年代の初め,ガンテンポタン(旧チベット政府)が出した文書より (チベット資料館に保存中)

 【事実】
 これは鳥葬された後の遺骨を使ったものだよ.

 チベット人の思想では,人間の体は魂を抜いた後は,ただの物にすぎない.
 だから人体を使って,鳥や獣に施しをする.
 残った骨を利用するのはかまわない.

 これは特にニンマ派やカギュ派のヨーガ行者が使うことが多い.
 この宗派は特にインド直系のヨーガ行法を色濃く受け継いでいて,わざとおどろおどろしい姿を とる.

 髑髏杯やら人骨笛やらを捏造といってるわけじゃない.
 捏造は「皮剥」.
 熟練の皮剥職人なんてのも聞いたことすらないし,中国侵攻前の各種報告でもそんなものは見たことはない.
 そんな風習が本当にあったのなら,経典だの訪問した欧米人の報告だのにあるはずだろ?
 全部中共側の報告しかない.あの嘘しかつかない中共のね(笑).

 また,仮に奴隷制で人民を苦しめ,子供の皮はぐようなキチガイ支配者だったというのが事実なら,どうしてダライラマがチベット人に未だに支持されてるんだ?
 どうしてチベット仏教がモンゴルにまで浸透したんだ?
 仮に関東軍の残党が大連に「日本亡命政府」とか作って,「アメリカの占領はけしからん」とか言っても,俺は相手にしないぜ.

世界史板
青文字:加筆改修部分



 【珍説】
 “訪問した欧米人”って(笑)
 チベットは中共に占領されるまで鎖国してたんだぜ(笑)

 【事実】
 ヒュー・リチャードソンを知らないの?
 ヤングハズバンドを知らないの?
 デシデリの報告を知らないの?

 17世紀に宣教師が初めてチベットに入ってから.何十人の欧米人がチベットに入ったと思ってるんだ.
 鎖国にもかかわらずたくさん入って,大量の報告があるんだよ.

 お前,河口慧海すら知らないだろ.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 中国軍が占領する前のチベットに農奴制があったっていうのは事実なの?

▼ 【回答】
 事実だよ.
 中国侵攻前のチベットが
識字率10%未満,
平均年齢36歳,
かなり酷い農奴制の祭政一致国家
っていう暗黒国家だったのは否定し得ない現実.▲

 まあ,中国のチベット統治は輪をかけて悲惨なので,中国を擁護する気にはならないが,正直「楽園チベットに侵攻した悪逆非道な中国軍」つってる連中は,当時のチベットを幾らなんでも美化し過ぎ.

軍事板

▼ 大正時代にチベットに留学した青木文教『秘密国チベット』(芙蓉書房出版,1995.12)によると,産業は原始的な農業,牧畜のみで工業はほぼ絶無,
 食料の自給も出来ず,ブータンから輸入してたような状況だったそうだ.
 もし中国に併合されず独立したままだったとしても,未だ最貧国だっただろうことは間違いないだろう,

軍事板

▼ ただし,清帝国関連の学術書のチベット部分を読むと,ぜんぜん「暗黒」でも「悲惨」でもない.
 農奴身分でも,食うには困らなかった.
 「餓死」って言葉はチベットになかったそうな.
 中国に侵略されて初めて餓死者が大量に出ている.

ニュース極東板

▼ もしチベットが「暗黒」だったとしたら,当時の世界のかなり(つか,ほとんど)の地域も「暗黒」だったということになるが?

 ちなみに『清帝国とチベット問題』(平野聡著,名古屋大学出版会,2004.7),225〜6頁を読むよろし .

[quote]

 今日の中華人民共和国の体制教義的な言説は,近代以前のチベットについて,「過去のチベットでは,ラマと貴族が農奴から搾取するという,世界で最も暗黒な封建的支配が展開されており,
 自らそれを改める意思も能力もなかったので,反帝・反封建の立場で覚醒した中国人民を最も正しく代表する中国共産党が貧困農奴を立ち上がらせて封建支配を打破し,祖国の統一と,自らが主人となる社会主義建設の道へと進ませた」とする.

 しかし,同時期までの清帝国とチベットの関係をみると,このような「暗黒支配」とそれに対する「チベット農奴」の不満の蓄積が,中国共産党のチベット統治に伴って様々な軋轢や混乱が引き起こされた以上に深刻であったことを示すものは,管見の限り見当たらない.
 しかも,チベット現地基層社会に対する清帝国エリートの認識は,十九世紀のかなり遅い段階まで,たとえダライラマ政権に対して不信を抱き,その自治に否定的な見方をしていた官僚であっても,
「辺外の田園には麦や豆が植えられ,見渡す限り青々としており,民情はなおも安謐に属する.
 蕃民は耕作に勤め,婦女は毛や糸を紡いで絨毯をつくり,男耕女織のさまは内地の景象と異なるところはない.
 僧俗のなかでも明らかに事に通じる者は,蕃民が升平の福を久しく享受していると称する」
と記する通り,清帝国のもと調和のあるチベット社会が実現していたとするものであった.

[/quote]

ニュース極東板

▼ ただし,平野聡の本については問題があるとの見解もある.
 以下引用.

[quote]

 この質問部分とは直接関係しないのですが,この書にはかなり問題があります.
 前近代史部分は史料の使い方が全くなってないし,お陰で本書が示した図式はほぼ壊滅してます.
 チベット史研究者石濱裕美子氏の書評がネットにアップされていますので,関心のある向きは参照ください.
http://tibet.que.ne.jp/okamenomori/qing.html

 また,同氏による以下の頁もチベット問題の理解に大いに役立ちます.
http://tibet.que.ne.jp/okamenomori/problem1.html
http://tibet.que.ne.jp/okamenomori/tibetanstudy.html
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/tibetanhistory.html
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/TibMap.html

〔略〕

 専門家の間での該書の評価は既に定まっています.
 満洲語を扱える清朝史研究者からの評価も辛辣なものです.
 平野氏は政治学出身の政治史研究者なので,史料の扱いや読解能力が専業の歴史学者に劣るのはしかたがないのですが,チベット語史料の中国語訳が杜撰なのは有名だし,漢文史料の扱いも一般論としての漢文史料の扱い方とチベット史の文脈を抑えていないがための誤読との両方があり,ちょっと擁護しきれません.

 着眼点は良いのですが,いかんせんこのテーマは前近代史部分については,信頼に足る史料の翻訳・解説が少なく,個別の史実確定も未だしの状況のため,根拠を持ったモデルを構築しようと思うと,歴史学者に伍して一次史料から当たらねばなりません.
 ために政治学者としての彼の本領を発揮する以前の部分で,明後日の方向を向いてしまう結果となってしまったのではないかと.


[quote]
―――hoge in FAQ BBS

▼  チベット亡命政府主席大臣,サムドン・リンポチェは,以下のように文献引用をもって「暗黒論」」を否定している.

[quote]
http://www.tibethouse.jp/situation/height_of_darkness/Height_of_Darkness_2.html

 中国は常に,そのチベット侵入と占領,チベットにおける弾圧的政策を正当化しようとして,チベットの伝統的社会の姿を最悪に描いてみせてきた.
 中国は,そのチベット軍事侵攻と占領を,チベット社会の「中世封建時代の農奴」と「奴隷」状態から「解放」したのだとみなしている.

 伝統的チベット社会が―同時代のアジア諸国の多くと同じように―後進的で大いに改善の必要があったのは事実である.
 しかし,伝統的チベット社会を,中世ヨーロッパのような観点から「封建的」と呼ぶのは大きな誤りである.
 中国の侵入以前のチベットは,実際,当時のほとんどのアジア諸国よりもはるかに平等的だったのである.

 ヒュー・リチャードソンは,英領インド最後の,またインド独立後初代の代表として通算9年間チベットですごした人物だが,次のように書いた.
「共産主義の著者といえども,[1949年以前の]チベットには貧富の大きな格差は存在しなかったということを認めざるをえない」(※12)
 同様に,国際法曹委員会の法律調査委員会は,次のように指摘している.
「中国の侵入以前はチベット人には人権が保証されていなかったという中国の主張は,チベットの生活の歪曲と誇張に基くものである」(※13)
(後略)

※12
 H. E. リチャードソン著『チベットとその歴史』(『Tibet and its History』)(オックスフォード大学出版,ロンドン,1962)

※13
 『チベットと中華人民共和国』(『Tibet and the Chinese People's Republic』)
 チベット法律調査委員会による国際法曹委員会への報告(ジュネーブ,1960)

[/quote]

 20世紀前半て今の基準で考えると,ほとんどまともな国なんて無いからな.
 人種差別は合法な国が多いし,共産主義国は反対派殺しまくりだし.

 だいたい独裁国家が宗教国家を解放なんて,ギャグとしか思えない.

ニュース極東板


 【質問】
 チベットにおける農奴制は,どのようなシステムだったのか?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,主[あるじ]たるチベット仏教と僕[しもべ]たる農奴の統制組織であり,チベット農奴は総てこのチベット仏教の僕であり,土地もチベット仏教の財産だったという.
 つまり,チベット人民は,生活費以外にもすべての生産物がこのチベット仏教所有である,との意味合いがあったという.
 これはチベットが1913年に独立を宣言をしてから,中共軍の侵攻を受けるまでの37年間の間も,近代国家建設に向けての努力は見られなかったという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 河口慧海が記したチベットの奴隷制に対する客観的な記述もご存知でしょうな〜(笑)

 【回答】
 河口の『西蔵旅行記』(講談社学術文庫,1978)には「奴隷」という単語は,たしか一度しか出てこない.
 それは借金の形に子供が働かされる,という話で,そこで「これはまるで奴隷と同じ」と書いているだけ.
 奴隷制が存在すると主張しているわけではない.

 君が「河口が奴隷制について書いている」というのなら,その文面をコピペしてくれ.
 できれば講談社学術文庫版の何巻何ページか明記して.よろしく.

 ああ,お得意の捏造と歪曲はなしね(笑).

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 チベットでもともとすごく生活レベルの低い土地だから,占領されてもされなくてもあんま変わらなかったんじゃないの?

 【回答】
 占領される前は,
解放軍に食糧掠奪されたり,
気候土地に合わない作物無理矢理作らされて当然凶作になって餓死者が続出したり,
味噌糞一緒に収容所で拷問されたり殺されたり
することはなかったよ.

 中共サイドにいたはずのパンチェン・リンポチェやプンツォク・ワンギェルにさえ批判されるんだから, そういうこと.
 史上最低の支配者>毛沢東

世界史板

▼ チベットというのは,領民からのそれほど大きな不満が噴出していたわけではなかったのに,あっけなく崩壊したローマ教皇国家に似ている.
 宗教的権威でもって中世のままの不輸不入の治外法権がたいした努力もせずに維持できると甘い考えをもっていて,近代世界の力の国際政治から取り残されていた.
 宗派がタイやスリランカやビルマと同じ南伝仏教だったら,少なくとも味方してくれる国が3カ国いたはずだが.

世界史板


 【質問】
 中共はチベットの教育水準を引き上げた,というのは事実なの?

 【回答】
 大正時代にチベットに留学した青木文教『秘密国チベット』(芙蓉書房出版,1995.12)によると,当時のチベットには普通教育機関は寺子屋みたいなのがあったくらいで,後は貴族の子弟が通う学校が何個かあった程度,
 男尊女卑も酷くて,女子にはほとんど教育つけなかったようで,日本で言えば戦国時代のレベル,
 中国の主張していた識字率10%未満というのも恐らく事実だろう,

(ただ,その識字率10パーセント未満と言うのが漢字の識字率なのかチベット文字の識字率なのかは,ちょっと気になる(笑)
 国民5〜6人に一人が坊さんだった国で,識字率10パーセント未満だと,字の読めない坊主だらけじゃん)

 だからそれに比べればマシだとは言えるだろうが,現在の中国占領下でも愚民化政策の影響で,チベット人の12才以上の文盲率は,中国側の発表でも男子61.39%,女子87.22%と異常に高い.
(何語についての数字なのかは,こちらも不明)

 また,チベット語が全く教育されない時期もあったようだが,今では状況は改善されている模様.
 以下引用.

[quote]
"TIBET TIBET" 上映会&ペマ・ギャルポ氏講演
2001年5月20日(日)
鎌倉市立御成小学校多目的ルーム


Q チベットへ行くと中国語がペラペラの子供達と対照的に中国語をまったく解さないチベット人も沢山います.
 その一方で僧侶の中には英語を話す人もいます.
 チベットにおける言語状況について教えて下さい.(質問者;私)

A 一時期はまったくチベット語が教育されないときがありました.
 チベット語だけでは役に立たないというもの現状ですが,最近はチベット語の教育も整ってきているところもあります.
 中国の教育は,州単位によってカリキュラムが組まれているので地域差もあります.
 青海省などはかなりしっかりした教育がなされています.
 一方で民族が混在している雲南省の中甸蔵族自治州などは,しっかりとやっていないのが現状です.
 また,カリキュラムがしっかりしているといっても12年生までであって,大学に入るには中国語だけが必要です.

[/quote]

 最近はチベット語の教育も盛んになってるみたいだよ.
 まあチベット人を差別してるのは間違いないんだろうけど.

軍事板

▼ しかしよく出てくる識字率だが,五人に一人が坊さんだったチベットで本当にそんなに文盲がいたのかな.
 漢字の識字率なのか,チベット文字の識字率なのかは,ちょっと気になるところ.
 まあ,普通の国に比べて低いのは確かだろうし,識字率を上げたのは間違いなく中国の功績だ.
 それは認める.

 とはいえ,……

――――――
http://www17.tok2.com/home/yueliang/pema.htm

Q チベットへ行くと中国語がペラペラの子供達と対照的に中国語をまったく解さないチベット人も沢山います.
 その一方で僧侶の中には英語を話す人もいます.
 チベットにおける言語状況について教えて下さい.(質問者;私)

A 一時期はまったくチベット語が教育されないときがありました.
 チベット語だけでは役に立たないというもの現状ですが,最近はチベット語の教育も整ってきているところもあります.
 中国の教育は,州単位によってカリキュラムが組まれているので地域差もあります.
 青海省などはかなりしっかりした教育がなされています.
 一方で民族が混在している雲南省の中甸蔵族自治州などは,しっかりとやっていないのが現状です.
 また,カリキュラムがしっかりしているといっても12年生までであって,大学に入るには中国語だけが必要です.
――――――

 最近になって,ようやく改善されてきたという感じで,偉そうに言えるものでもないと思うがね.
 チベット人の12才以上の文盲率は,中国側の発表でも男子61.39%,女子87.22%と異常に高い.

世界史板
青文字:加筆改修部分

▼ 問題はそんなところにはなく,中国のチベット領有が正当性を欠いていると言う事であって,それを被侵略国の側の貧困や識字率の低さによって正当化するのは間違っている.

世界史板


 【質問】
 イギリスの指導が続いていれば,今頃は民主化もできたろうし,少なくとも大躍進〜文革時代の大量の餓死者・虐殺被害者なんていう悲惨な状況は起きなかったのでは?

 【回答】
 何事にも最良と最悪の可能性がある.

 「イギリスの保護国→民主化したら虐殺が起きない」なんて保証はない.
 イギリスの統治は現地の権力構造を利用して対立させるものだ.
 ダライラマ13世の頃にもパンチェンラマとの対立があったし,チベットといっても遊牧民と都市民,地方格差がかなりある.
 独立後に内部対立・戦争という事はママある.

 また,当初から民主主義が機能する国は存在しないから,支配階層に対する不満は温存される.
 そのために暴動・虐殺・革命が発生することもママある.

世界史板


 【質問】
 中共軍のチベット侵攻までの経緯は?

 【回答】
 平松茂雄によれば1949年,中華民国が崩壊したとき,ダライ・ラマ14世は独立の動きを示し,欧米諸国の支持に期待したという.
 だが'50年10月,朝鮮戦争のどさくさに,中国軍は大部隊でチベットに侵攻.
 当時,中国本土とチベットを結ぶ道路はなく,部隊は獣道を踏み分けて進んだという.

 そして'51年5月,北京で「チベットの平和解決に関する協定」締結.
 協定の内容は,
「チベットの政治制度,宗教,風俗,習慣およびダライ・ラマの地位・職権を保障することと交換に,中国軍の進駐を認め,中華人民共和国の一員として地域自治を実行すること」.
 ……全然,保障していないけどな,中国.

 詳しくは産経新聞,2008年3月21日付を参照されたし.


 【珍説】
 中国のチベット侵攻の理由は,ダライラマとガンテンポタンが中国の“保護”を受け入れたため.
 断固として拒否していれば,朝鮮とインドシナで大変だった中国は,それほど積極的に侵攻して来なかった.

 また,ダライラマは外モンゴルを通じたソ連からの保護申出は,中国を優先して断っている.
 これは唯一の外国人だったナチ党員の言葉に惑わされたため.
 モンゴル人の多くは,ダライラマが自分達を信じなかった事を大変残念に思ってる.

 【事実】
>中国の“保護”を受け入れたため

 何言ってるんだか.
 話し合いもなく,いきなりラジオで一方的に「解放する」と宣言して,侵攻してきたくせに.
 断固として拒否したのに侵攻してきたんだよ.

>これは唯一の外国人だったナチ党員の言葉に惑わされたため.

 ハインリヒ・ハラーのこと?
 ハラーはナチ党員じゃないじゃない.
 どうしてナチ党員とぼかすの?
 『セブンイヤーズインチベット』のハラーのことだと知られるとそんなにまずいの?

 それに当時イギリス人も駐在してたんだよ.
 イギリスの言うことを聞かずに,その敵の(君らの脳内)ナチスの言うこと聞くのはなぜなの?
 不思議な理屈だねえ.

 「ハラーはナチ党員」が通用してるのは中共系の報道でだけ.
 君らの世界はもの凄く狭いんだよ.知らなかった?

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 中共軍はチベット侵攻にあたり,どのような準備をしたのか?

 【回答】
 ≪ WEB 熱線 第1018号 ≫2008/05/12_Monに転載された「せいろん談話室」によれば,1950〜51年の中共によるチベット侵攻作戦は「昌都→邦達→拉薩」と進撃したが,それに先立つ1950年3月(中国共産党が建国宣言してから,まだ5ヶ月目)からは中共軍は,四川省成都周辺でチベット進撃の軍事訓練を重ねたという.
 そしてこの軍事作戦の物資輸送のため,康定[ダルツェンド]→ダウ→タンゴ→カンゼまでの軍事自動車道の建設に入ったという.
 これに対して,当時のチベット領側の国境の町,徳格・巴塘には国境守備隊の駐屯地があり,中共軍の侵攻作戦近しの報告は直ちにラサに知らされたが,チベットのポタラ政権は,なんらこれに対抗する手を打たなかったという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 侵攻作戦の際の,中共軍のチベットへの最初の攻撃は?

 【回答】
 1950年6月,まだ軍道は完成していなかったが,中共軍は軍道路終点の甘孜[カンゼ]から山越へに,チベット側の徳格へ威力偵察的な攻撃をかけた.

 チベット亡命政府によれば,町は一時中国軍に占領されたが,昌都[チャムド]からのチベット反撃部隊により,中国軍部隊600名は全滅し,徳格[テーゲ]の町は奪還されたという.

 しかし≪ WEB 熱線 第1018号 ≫2008/05/12_Monに転載された「せいろん談話室」によれば,現地での聞き取り調査をしたところでは,100人規模の中共軍に対して,抵抗らしい抵抗もなく町は陥落,中国軍は仕方なく町を占領するが,補給の問題もあり数日でカンゼに引き上げたという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 中共軍によるチベット侵攻の戦闘経過は?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,1950年10月,人民解放軍は3方面より金沙江(通天河,長江の上流)を渡りチベット領内に突入したという.
 3〜4個師団の兵力だったらしい.

 主力は昌都を総攻撃.
 318号線の理塘からは芒康[マルカム]へ側面攻撃.

 昌都[チャムド]では,住民兵数千人が抵抗を試みたが,1日の戦闘で制圧され,カムの地方総督アボ・ガワン・ジメクは人民解放軍に降伏.
 邦達[ホムダ]も一瞬にして制圧.

 10日後には,中国軍はラサ東方100キロまで進出したという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 中共軍侵攻に対し,チベット軍はどの程度抵抗したのか?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,チベットの守備隊は1日中逃げ回り,追いつめられて降伏したという.
 同ブログは以下のように嘆いている.

――――――
 かって大国の唐を圧した吐蕃の勢威は,ラマ教の普及とともに消滅した.
 宗教は発展したが,国家形態はアヤフヤなものになってしまったのではないだろうか?
――――――

 これに関し,チベット取材経験のある長倉洋海は,以下のように解説している.

――――――
 チベットでも,若い人はポップス音楽を聞いたり,ビリヤードをしたり,オートバイを乗り回したりしています.
 しかし,どこででもマニ車(1回まわすごとに,中の経典を1回読んだことになる)をまわす人がいましたし,五体投地で2年かけてラサまでの巡礼をしている人もいました.
 そうした巡礼者に対しては,周りの人々が喜捨をして,その旅を助けていました.
 チベット仏教徒は,小さな虫でも殺生を嫌います.
 人を恨んだり,暴力を振るうのもいけないことです.
 現世で功徳を積み重ね,やすらかな涅槃に入るのがチベット仏教徒の願いなのです.

 チベットの人々は中国政府が禁止しているにもかかわらず,指導者ダライ・ラマの写真を飾り,バッジを胸につけています.
 昔は唐に攻め入るほどの勇猛さを誇ったチベット人が,仏教徒に帰依してからすっかり変わってしまったというほど,チベット仏教は人々の心に入り込んでいます.

――――――長倉洋海著『ぼくが見てきた戦争と平和』(バジリコ,2007.5.15),p.51 & 54

 ちなみに祖国シャカ国をコーサラ国に占領されて祖国が滅亡しても,それをよそに道を説き続けたのがブッダ.


 【質問】
 中共軍の侵攻に対し,チベット軍には勝ち目は全くなかったのか?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,必ずしもそうとは言えなかったようだ.

 中国とチベット国境には,通天河=長江の上流)瀾滄江=メコン川の上流)怒江=サルウイン川の上流)があり,水際作戦で守る気さえあれば,1ヶ月程度の防衛はどうにでもなったはずだという.
 その間にインド軍の支援がラサに入るのを待てばよい,1500キロ〜1700キロも進まなければならん中国軍より,兵站線では問題ないぐらいインドが有利なのだから,としている.

 詳しくは同ブログを参照されたし.

 当時のインドに,中国に対する紛争に介入する気があったかどうかという問題もありそうだが.


 【質問】
 チベット軍旗はどんなものか?

 【回答】
 1957年〜1974年の武装闘争時に使用されたものです.

 画像上が基本形で,中の図のように動物の絵やチベット文字が描かれたバージョン(中図はLithang連隊を意味)もあります.

 バックの黄色は仏教色で,中国からこれを守ることを意味します.
 燃える剣は,無知を根絶するマンジュシュリー(文殊菩薩)の武器です.無知が共産主義の起源だと考えられています.
 もう1つの剣は,チベットの伝統的な武器であり,彼らの勇気を示しています.



元諜報員@Free Tibet in mixi,2008年04月26日20:47


 【質問】
 これ↓,ホント?

――――――
349 2008年04月03日 10:19 Dandy J  そうですなぁ,〔イラクと違い,〕ジェット軍用機で空爆して一般の人たちを殺すということは中国はチベットでやっていないですなぁ.

――――――in mixi

 【回答】
 中国のチベット侵攻は1950年(朝鮮戦争のドサクサに紛れてこっそり強行)なので,中国空軍はまだ,ジェット戦闘機は数を持ってなかったのですよ.
 ソ連から譲り受けたものがありましたが,数少ない貴重なジェット戦闘機は台湾及び朝鮮半島方面へ集中していました.

 で,中国空軍はチベット侵攻の際にレシプロ戦闘機で空爆を行い,チベット人を殺していったのですよ.

 確かにジェットじゃないですけど,Dandy Jさんの書き方はちょっとずるいです.

JSF in mixi


 【質問】
 チベット動乱って何?

 【回答】
 チベット東部のカム地方東部(四川省西部,雲南省西北部)の人々が,1956年に反中武装蜂起して始まった戦いです.
 彼らはすぐに中共軍の反撃に遭って,ガンデンポタンの「西蔵地方政府」へ逃げ込みます.
 この地で統一反中組織「チュシガンドゥク」が作られ,「西蔵」各地で中国軍の駐屯地などを襲撃しますが,ダライ・ラマ劇場招待に端を発する,ラサでの市街戦が1959/3/20〜22にかけて起こって,2000〜一万人のチベット人が死亡,4000人が捕虜となって終わりました.

「ぐんじさんぎょう」,2008/3/21

 国際教養大学理事長・学長,中嶋嶺雄によれば,その「チベット動乱」の際は,中国軍は徹底的な弾圧を加えたという.
 富裕層や地主らを公衆の面前で銃殺に,あるいは生き埋めにし,僧侶を撲殺,焼殺するなどして,動乱を鎮圧したという.
 詳しくは産経新聞,2008.3.20 03:34付を参照されたし.

▼ そのときの模様を,マイケル・ダナム著『中国はいかにチベットを侵略したか』から抜粋引用.

――――――
 1956年は,中共の約束事が耳をかす値打ちもない大嘘だったことがはっきりしたという点で, チベット人にとって忘れられない年だった.
 民主的改革? 土地改革? 援助? 進歩?
 それらはすべて暴力,脅迫,飢餓,死,に言い換えてみれば,ずっと分かり易い.
 それが中共の共産主義への道だった.
 チベットを乗っ取り,完全にわが物にするのが中共側の目的だったのだ.
 これが毛沢東のいう,「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった.

 カム,アムド,ゴロク,どこの村でも中共の虐殺を経験しており,抵抗の狼煙を最初に上げたのは自分たちの村だったというだろう.
 誰も間違ってはいなかった.
 ほんの数週間のうちに東チベットの抵抗勢力は吹き荒れる嵐となって広がったのだ.

人類の敵・中国共産党の非道

 中共側も負けてはいない.
 妻,娘,尼僧たちは繰り返し強姦されまくった.
 特に尊敬されている僧たちは狙いうちされ,尼僧と性交を強いられたりもした.
 ある僧院は馬小舎にされ,僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた.
 あくまでも拒否した僧のある者は,腕を叩き切られ,「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された.
 大勢のチベット人は,手足を切断され,首を切り落とされ,焼かれ,熱湯を浴びせられ,馬や車で引きずり殺されていった.
 アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴にほうり込まれ,村人はその上に小便をかけるよう命じられた.
 さらに高僧たちは,「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ,揚句に全員射殺された.
――――――

世界史板
青文字:加筆改修部分

 何割かはプロパガンダも混じっているだろうが,それを割り引いてみても「陰惨」という一言に尽きる.



 【質問】
 テュシ・ガントゥックの乱とは?

 【回答】
 一連のチベット動乱の中の大きな出来事の一つ.
 1957年,独立義勇軍テュシ・ガントゥックが北京政府に対して反乱を起こしたが,中共軍が5500人を殲滅して終息したという.

 【参考文献】
『20世紀世界紛争事典』(浦野起央編著,三省堂,2000.6)



 【質問】
 青海反乱とは?

 【回答】
 一連のチベット動乱の中の大きな出来事の一つ.
 1958年に青海省で起こった,北京政府に対する反乱.
 中共軍が反乱軍16万6000人を殲滅して鎮圧したという.

 【参考文献】
『20世紀世界紛争事典』(浦野起央編著,三省堂,2000.6)



 【質問】
 循化県反乱とは?

 【回答】
 一連のチベット動乱の中の大きな出来事の一つ.
 1958年に循化県で起こった,北京政府に対する反乱.
 チベット人人口1万1000の町で,2500人が逮捕され鎮圧させられたという.

 【参考文献】
『20世紀世界紛争事典』(浦野起央編著,三省堂,2000.6)

 【質問】
 チベット動乱の動機は?

 【回答】
 平松茂雄によれば,1951年5月に北京で締結された「チベットの平和解決に関する協定」と,その後の事態の進展に,チベット人が反発したからだという.
 たとえばチベットを支配下に収めた中国は,中国本土とチベット各地に駐屯する部隊を結ぶ道路を建設したが,多くのチベット人が過酷な労働に投入され,山岳地帯,渓谷地帯での道路建設では多くの犠牲者が出たという.
 また,各種の「改革」が実施された結果,チベット仏教の僧院は破壊され,僧侶は迫害され,その他の文化,生活,風俗も破壊され,これに反対し抵抗する動きは封殺されたという.

 詳しくは産経新聞,2008年3月21日付を参照されたし.

▼ 以下,『ダライ・ラマ自伝』(ダライ・ラマ著,文春文庫,2001.6),p.104による,1952年の状況.

――――――
 17箇条"協定"の条項は,ティベット地方政府は,自発的に改革を遂行し,中国当局の強制に従うことはないと明白に規定している.
 これら初期の一連の土地改革の試みは,何千という農民にすみやかな恩恵をもたらしたが,やがてわが"解放者"は農業制度にまったく異なった態度をとろうとしているのがわかってきた.
 すでにアムドでは集団農業化が始まっていたが,最終的にティベット全土に導入され,その直接的結果として広範な飢饉を引き起こし,何十万という餓死者を生んだのである.
――――――


 【質問】
 「チュシ・ガンドゥク」をCIAがこっそり援助していたって本当?

 【回答】
 1959年のチベット動乱時にCIAがチベットを援助したのは,秘密でもなんでもありません.
 当時の義勇兵「チュシ・ガンドゥク」(4つの川と6つの山脈)は公式HPも持っています.
http://www.chushigangdruk.org/

元諜報員 in mixi,2008年03月24日20:58

 その後,米中国交樹立によって援助は打ち切られ,そのために1974年に「チュシ・ガンドゥク」は解体してしまうのですが.


 【質問】
 なぜダライ・ラマ14世は中国から脱出したの?

 【回答】
 時期はチベット動乱の最後にあたります.
 1959年,中共軍はダライ・ラマ14世を観劇に招待しますが,ラサ市民はこれをダライ・ラマを拉致するための口実と疑います(まあ,当然ですね).
 ラサ市民は夏の宮殿ノルブリンカ前に集結.
 これに対して中共軍は解散要求を突き付け,結局ダライ・ラマ14世はラサを脱出することになり,チベッド動乱はこれをもって事実上の終わりを告げました.

「ぐんじさんぎょう」,2008/3/20


 【珍説】
 ダライラマは中共との対話路線を進めたが,旧政権の復活に拘って失敗した.

 【事実】
 違うな.

 急激な社会主義体制化政策の失敗,凶作(農業政策も失敗),仏教弾圧でカム・アムドのチベット人の不満が爆発.
 ウー・ツァンでは社会主義体制化は猶予されるはずなのに,どんどん進め――どうもラサ駐在の共産党幹部が功を焦って,党中央の指示も無視したようだ――,ウー・ツァンでも不満が爆発したのだよ.

 極左路線の誤りは胡耀邦が認めて,チベット人にわびることまでしたんだけど,もう忘れてるんだな.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 最後までムスタンのゲリラ基地で抗戦してたのはカム・アムドの元貴族達.

 【事実】
 あなたは『四つの河,六つの山脈』(ゴンポ・タシ著,山手書房新社,1993.3)を読んだことがないのですね.
 司令官のゴンポ・タシはカムパの牧民だよ.
 義勇兵の中には貴族出身者もいただろうが,特定の貴族が中心となった組織的な軍隊じゃないよ.
 あくまでチベット民衆が立ち上がった義勇兵だ.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
平凡社大百科事典「チベット問題」より.

――――――
 ついで62年秋ふたたび大規模な衝突が発生した.
 軍事的には中国が大勝したが,中国は一方的に停戦して退却するとともに捕虜を釈放した.
 この水際だった措置により,中国は外交的,道義的勝利をもあわせ手にしたのである.
 蜂起失敗後,官府,貴族,寺院の三大領主の力は大幅にそがれ,チベットの民主改革が進み,農奴の解放も行われた.
 その残酷をきわめた中世紀的農奴制の実態は映画化もされ,仏教の慈悲にあふれた桃源境と宣伝されてきたチベットの暗黒の現実を白日のもとにさらしたのである.
――――――

 【事実】
 印中国境紛争は,中共国内が大躍進の大失敗で,あれ以上戦争続ける余裕がなかっただけじゃんか.
 仕方なく撤兵したのを,まるで善意の撤兵みたいに捏造するんだから笑うな.

 それに前半は印中国境紛争で,後半はチベットのこと.
 直接関係ないのに,なぜこういう小細工をするのかな?

 そんなことばかりやってるから誰にも信用されないんだよ.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 大躍進の時はチベットはまだ地方政権の時代で,中共はチベットの内政に関与してない.

 【事実】
 カム・アムドの社会主義化は1950年の侵略後すぐに始まり,チベット人に混乱をもたらした上に農政も失敗.迫害されたチベット人(特にカムパ)は虐殺を避けてどんどんラサ方面に逃げ始めた.

 ウー・ツァンでは社会主義化は公式には猶予されたが,中央には内緒で在ラサ党幹部が勝手に色々始めていた.
 だからチベット政府は,約束が違うと怒り始めた.
 それが不満となって,1959年の民衆の爆発になったんじゃないか.

 いいかげん,中共教科書にもないガセネタばらまくのやめろ.

世界史板
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 【珍説】
 寺院破壊の主体は共産主義に過激に染まったチベット人だったぜ.

 【事実】
 チベット人に銃を突きつけて寺院を破壊させ,
「壊したのはチベット人.中国人は悪くない」
だからな.
 将来こういう言い訳をするために,卑劣な小細工ばかりしてきた.そんな連中の支配を受け入れろ,なんて無理な話だ.

世界史板
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 【珍説】
 文革時代は,いままでチベットにいなかった知識人や技術者が,下放政策で送り込まれ,チベット自体は底上げされてる.

 【事実】
 文革でチベットにやってきたのは文革小組のチンピラども.
 内ゲバを繰り返し,行政を完全に破壊.
 産業,文化,経済,宗教を完全に破壊した.

 「文革期にチベットが発展」なんて異常な妄想は,今時の中共でも持つ奴いないぞ.

世界史板
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▼ 文化革命時のチベットは,漢土で行われてた文化抹殺よりも酷い状況だった.
 チベット人が命よりも大事にしてるものは何?
 仏教だよ.
 その仏教の拠り所のお寺を99%破壊したんだよ.
 酷いときは,チベット人に紅衛兵が銃を突きつけて,自分で壊させた.
「マルクス思想を学習したチベット人たちが,自ら立ち上がって旧弊を打破した」
と言い訳できるように.

世界史板
青文字:加筆改修部分

▼ ちなみに文化大革命時,少林寺においても,
「共産党指導による農民と労働者の理想社会建設という」
名目の下,紅衛兵に幾度となく踏み込まれ,寺の文物は破壊され,僧は
「宗教は人民を惑わす毒である」,
「人民を搾取する」
等の理由で批判大会にかけられた.
 このため多くの僧が,強制的に還俗させられたり,自ら難を逃れて寺を離れたりし,少林寺はこの時期半ば廃墟のようになっていた.
 寺には僅かに行正,徳禅,素喜等が残り,細々と伽藍を護っていた.
 武術もまた
「師弟関係は封建的なものである」
事から,おおっぴらに練功する事が出来なくなり,この時期多くの古くから伝わってきた拳譜や兵器が燃やされたり壊されたりして失われた
(追求を恐れて,自ら破棄したものも多い).

 どこかと良く似てるのう.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ケ小平のチベット政策は?

 【回答】
 たとえば以下のようなエピソードが残されている.

[quote]
http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_40.html

接見嘉楽頓珠[ 達頼喇嘛・丹増嘉措的哥哥] 指出: 歓迎達頼回来,只回来看看,歓迎: 回来後出去,歓送.如果他們回国,政治上会作很恰当的安排.我可以保証一条: 来去自由.二十 年隔離,不看看怎?行?

「ダライ・ラマの兄ギャロ・トゥンドゥップを接見した際に,ケ小平はこう指摘した.ダライが帰国することを歓迎する.単に様子を見るために戻るのでも歓迎だ.帰国したあと, 再度出国するのならば,歓送する.もし彼等が帰国するのならば,政治面で本人にぴったりの任務を依頼したい.
 私は次の1 カ条を保証する.
 すなわち出国も帰国も自由だ,という点である.
 20 年も隔離されていて[1959 〜 1979],様子も見ないということで済むだろうか」

『ケ小平年譜』(上)492 ページ

 〔略〕
 一説には,中国当局はダライ・ラマに対して全人代副委員長のポストを提示しつつ,北京への帰還に同意した.
 他方,ダライ・ラマは北京への帰還ではなく,ラサへの帰還でなければ意味がないと応答したと伝えられる.

[/quote]

 問題の本質を理解するまでには至っていないものの,歩み寄ろうという姿勢は感じられる.


 【質問】
 チベット問題に対する胡耀邦のスタンスは?

 【回答】
 たとえば,以下のような演説を1980年にしたとされている.

http://www.tibet.to/tnd/tnd35.html#2

 チベットで働いている漢民族幹部は,チベット語を学ぶべきだと,私は考えている.
 あなた方は10年も20年もここで働いているにも拘わらず,チベット語の能力は私と変わらない.
 『タシ・デレ』というような目出たい言葉位しか知らない.
 私のような遅れた人間の真似をすべきではない.
 どうして学ぼうとしないのか.
 チベットで働く漢民族幹部はチベット語を学ぶべきだと,私は思う.
 これは必須であるべきだ.
 さもなければ,あなた方は大衆から浮き上がってしまうことだろう.
 あなた方が少数民族に暖かい気持ちを抱くということは,単に口先だけでの話ではない.
 あなた方は,彼らの習慣や風俗また言語を歴史を文化を尊敬しなければならないということだ.
 もし実際にそうしなければ,それは空念仏になってしまう.
 繰り返してもう一度言いうが,チベットの文化を否定したり弱体化させようとの政治思想を持っている漢民族幹部は,たとえそれが誰であっても,完全に間違っているのだ.
 民族の統一強化に損害を与えているのだ」
~~~~~~~

 胡錦涛泪目m9(^Д^)プギャー

ニュース極東板


 【質問】
 1989年のラサ暴動について教えてください.

 【回答】
 1989年3月10日,ダライ・ラマ14世の中国脱出から30周年を迎えての抗議運動が暴動に発展し,武力鎮圧されて死者16人を出しました.
 そのため,ラサには戒厳令が敷かれました.
 そして,このときの武力鎮圧の実績を評価されて抜擢されたのが,2008年現在の国家主席,胡錦濤です.

「ぐんじさんぎょう」,2008/3/16

▼ 胡錦濤主席はチベット自治区のトップをやってて,89年のチベット動乱でチベット人を弾圧してますね^^;
 また動乱が起こったので,胡錦濤主席の面子も丸つぶれです.

 その結果かどうか分りませんが,後継者の習近平は軍事委副主席に選ばれませんでした.
 軍を掌握出来ないって事は,ポスト胡錦濤はまだまだ先になるって事で,中国の混乱はまだ続きそう^^;;

チェーザレ in mixi

▼ ただし2008/07/15/21:49付「現代中国に関する考察」によれば,胡錦濤氏が二度にわたる戒厳令を敷いたのは,江沢民による胡錦濤失脚の策謀のためだったという.
 潜入させている自派の内通者にチベット人を焚き付けさせて,騒ぎを起こさせ,その対応次第であわよくば将来のプリンスを失脚させたかったのだ,としている.
 しかし同ブログにおいては,何ら根拠は示されていない.▲


 【質問】
 ニマ少年失踪事件とは?

 【回答】
 ダライ・ラマ14世がゲンドゥン・チューキ・ニマ少年(当時6歳,右写真)を,パンチェン・ラマ11世として1995年5月14日に認定すると,中国政府が5月17日,ニマとその両親を極秘裏に拘留した事件です.
 チベット仏教の伝統によれば,パンチェン・ラマはタシ・ルンポ寺で養育され,適切な宗教教育を受けることになってますが, 1995年以来,現在までニマ少年は拘留されたままとなっており,それどころか1996年5月28日まで中国当局は交流の事実すら認めていませんでした.
 そして中国は勝手に,ギェンツェン・ノルブ少年を1995年11月29日にパンチェン・ラマ11世に担ぎ上げています.

【ぐんじさんぎょう】

 なお,写真はダライラマ法王日本事務所サイトより引用.


 【質問】
 中国大使館垂れ幕事件とは?

 【回答】
 2005/12/6,ニューデリーにある中国大使館にチベット独立派グループが侵入し,「チベット解放」と書かれた垂れ幕を掲げた事件.
 彼らは駆けつけた警察官に捕らえられた.
 活動家らは動機について,中国政府がその先週,チベット僧5人を拘束したことに抗議するためだと述べたという.

 ソースは「日テレNEWS24」など.


 【質問】
 ナンパラ峠亡命者射殺事件とは?

 【回答】
 2006/9/30,中国に今も侵略支配されているチベット,そんなチベット人の僧侶達が,その圧政から逃れようとして亡命しようとしているところを問答無用で兵士に撃たれた事件です.

 チベットが侵略支配されているってことを知らない人は以前の日記を参照あれー.1950年から現在でさえ,人権を犯すような理不尽極まりないことが行われています.

 で,事件の内容に戻って
 昨日マイミクになったサリーさんがまとめてくれた文章,転記させてもらいますv

 「チベット問題を考える会」コミュニティより

事件の概要

 9月30日,ネパール国境ナンパ・ラ峠で2名のチベット亡命者が銃殺された.17歳の尼僧と13歳の子どもが犠牲になった.
 亡命者は70名ほどで女性や子どもも多くいたという.
 事件の被害者は推定30名ほどとされる.
 この時登山者など目撃者が40名ほどいたという.それも1キロ先というほど近い場所で.
 銃撃映像を撮影したカメラマンは後に,「中共兵に連行された人々がどうなったかは分からない」とコメントしている.

 中国政府は最初,「引き返すよう呼びかけたが,抵抗されたので銃撃した」と発表した.
 映像がそれは嘘であることを物語っている.
 尚,40名ほどはネパールまでたどり着いたという.映像の中でトイレに隠れていた亡命者も無事とのこと.

 以下,他での文章を引用します.

 なぜ,チベット族の70人は難民としての道を選んだのだろうか?
 報告によるとチベット人の尼僧や僧侶たちは,こども達に教育を受けさせたいと願っていたようだ.
 そして,ヒマラヤを越えてネパール・インドを目指す決意をしたのだと言う.
 その為に,こどもが多かった.

 そして,その小さな希望は非道な銃弾によって打ち砕かれてしまった…

 チベット亡命政府は,以前からこう訴えている.
「私たちには,資源もなければ技術力も何もない.
 しかし,こどもは宝だ.
 こども達に高い教育を与え,人材を育てることしかチベット族が生き延びる道はない…」

 銃撃の瞬間の映像から.(まったくグロい映像ではないので見てください)
http://www.youtube.com/watch?v=tNnA3K_kCEc
(日本語字幕)

http://www.youtube.com/watch?v=hXC5RxhZUYw
(英語)

http://www.protv.ro/stiri/international/exclusive-footage-of-chinese-soldiers-shooting-at-tibetan-pilgrims.html
(Pro TV ルーマニアの最大の放送局)これが元ネタ映像.

 「サリーさんの日記」より

 殺されたのは17歳の尼僧.
 列の最後で銃殺たれたのは13歳の子ども.
 群れの最初と最後を狙うのは群れを混乱させるゲリラ戦略らしい.

 非道.

 日本では全然報道されない.

 唯一産経新聞の記事
http://www.sankei.co.jp/news/061013/kok011.htm

 朝日も出したけど
http://www.asahi.com/international/update/1013/015.html
おかしい事に気づきますか?

 朝日の,特に外国時事なんて鵜呑みにしてはいけませぬ.
 大体中国に関する記事で,新華社の引用をしていたら,ほぼ操作された嘘だと思って間違いない.

 中国政府は,亡命者に警告したが抵抗したので発砲したとか言っている.
 そんなわけない.

 映像はルーマニアのカメラマンが撮ったもので,身の安全を確保した後に放映されたみたい.

 米政府も中国政府に抗議文を送ったらしい.

 これ,氷山の一角.
 今回は外国人登山家の人の目撃もあり,ニュースになった.
 勇気を持って暴虐を告発した登山家の方たちがいなかったら知らなかったのかも,と思うと恐ろしい.

 以上,転記終了.

 映像を見ればわかるけど,射殺された,といってもどうみても狙撃に近い.
 中国政府は,集団で抵抗されたからっていうけど,映像を見る限り,亡命者のそばに兵士の姿はない..

 日本って,こういうことホントに報道されないなぁって思う.
 せいぜい,ネットで誰かが流してくれた情報を辿らないと,外の中立なニュースを得られない.
 テレビ,新聞だけじゃ都合のいいように利用されるだけです.
 気をつけないとね.

 それから,チベット問題でもわかるように,現代にはまだ戦争やってるとこや,奴隷がいるところ,圧政をされているところがたくさんある.日本人は対岸の火事的なトコロがあるけど.

 対岸の火事,というかもうある程度扇動されてる国民かな..

 ただの観光客になって,高いホテルに泊まって,お土産買いあさって,ただはしゃいでるだけの,恥ずかしい大人にならないように注意しませう.

たっさん in mixi
(「サリー」「たっさん」両氏から転載許諾済み)

 ちなみに「東アジア黙示」の記事が一番簡潔にまとめられています.
 転載OKとのことですので,こちらもどうぞ!

http://dogma.at.webry.info/200610/article_15.html

http://dogma.at.webry.info/200610/article_16.html

サリー in mixi

 続報も出ました.
 より詳細に問題が伝えられています.

中国の人権蹂躙映像,世界へ チベット亡命少年僧ら銃殺

 【北京=福島香織】9月末に中国チベット自治区とネパールの国境近くで亡命を試みたチベット尼僧(25)や少年僧(15)らが,中国の国境警備隊の銃撃を受け少なくとも2人が死亡した事件の映像が世界中で放映され,国際社会を騒然とさせている.
 北京五輪を控え,「和諧(わかい)(調和のとれた)社会」構築という胡錦濤政権が提唱する“理想”の陰で行われている中国の人権蹂躙(じゅうりん)に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も調査を開始,米国などが非難の声を上げ始めている.
 映像はルーマニアの登山家,セルゲイ氏が偶然撮影したものをルーマニア民放局が14日に放映.その後,日本を含む各国でも放映され,米国の動画投稿サイト「ユーチューブ」などインターネットの映像配信で世界中を駆け巡っている.

 現場はエベレストに近いチョオーユー峰のベースキャンプから見渡せる氷河.
 映像は9月30日早朝,氷河の上を1列に並んでネパール国境のナンパラ峠に向かって歩いている約30人の行列を見下ろすように撮影されている.
 警告発砲音が響いた後,次の発砲音で先頭の尼僧が倒れた.
 カメラは銃を構える中国兵士の姿,続く発砲で行列の最後尾の少年僧が倒れる様子,倒れた人を抱き上げる兵士の姿をとらえ,目撃した登山家の「犬のように撃ち殺された」というコメントが流れる.
 セルゲイ氏がテレビのインタビューに答えたところによると,一行はチベット仏教徒でダライ・ラマ14世に会うために亡命を敢行した.
 セルゲイ氏は兵士の襲撃を逃れた亡命者を助け,食料や衣類を分け与えたという.

 この事件について12日に中国当局は,兵士が違法越境者に対し引き返すように説得したものの,
「(抵抗したため)発砲した.正当防衛だ」
との公式見解を発表.1人が死亡,2人が負傷したとしている.
 しかし,映像が公開されたことで,亡命者の約半分が6〜10歳の子供で,無防備な状態を背後から銃撃されたことが判明.
 チベットの難民組織など複数の人権団体の情報を総合すると,亡命者は全部で73人で,ネパールにたどりついたのは43人.
 そのほかは子供を中心に相当数が当局に拘束されているという.

産経新聞,2006年10月22日(日)03:24

▼ なお,この件に関して野口健(アルピニスト)は,被害者は亡命者でさえない,普通に往来していた人々である可能性も述べている.
 以下引用.

[quote]

野口
 〔略〕
 エベレストの比較的近くに,ネパールとの国境であるナンパ・ラ峠があります.
 チベット人はその峠を越えてネパールに入り,交易や巡礼をする.
 峠のネパール側にはシェルパ族の村があり,私がネパールに行ったときも牛に似たヤクという動物に品物を載せて,彼らはシェルパ族の村に行商に来ていました.
 2006年10月13日,いつものように彼らがナンパ・ラ峠を越えようとしたとき,一行に向けて中国警備当局が銃を発射した.
 近くにいたヨーロッパの登山家が一部始終を撮影し,その映像がユーチューブを通じて世界に流れ,弾圧の現状が知られるところとなりました.
 私も映像を見ましたが,ほんとうに驚きましたね.
 行列の先頭の人が撃たれて倒れたら,普通の人は逃げるでしょう.
 しかし,彼らはまったく動じない.
 さらにパーンと撃たれ,次の人が倒れても,整然と歩いている.
 チベット人の覚悟を見た気がしました.
 
山際
 彼らはチベットからの難民ではないのですか.
 難民がナンパ・ラ峠を越え,ネパールに逃れようとした,という見方もありますね.
 
野口
 あのルートは有名で,交易する人も,難民も,同じ道を歩くんです.
 真相ははっきりわからない.
 にもかかわらず『朝日新聞』は,チベット人が中国警備隊に危害を加えようとしたから,正当防衛で撃った,と報道した.
 その後,清掃活動のためにエベレストに足を運びましたが,ベースキャンプで大変な人数の「公安」を見掛けました.
 僕らが清掃で何を拾っているかも調べに来ましたし,アメリカ人が「フリー・チベット(チベット解放)」と看板に書いただけで逮捕したり,という厳しさでした.

[/quote]
―――2008年4月10日 VOICE

 何にしろ,中国がさっぱり情報開示しないので,実際のところはどっちだったかも分からない.


 【珍説】
2ちゃんトップページに中国軍の「射殺映像」
----------------------------------------------------ここから引用----
 2ちゃんねるのトップページに「中国軍がチベットの巡礼者を撃ち殺す映像」という,ユーチューブへのリンクが突然出現した.
 当初はスレッドも盛り上がりに欠けていたが,産経新聞がこの映像を「中国の人権蹂躙映像が世界へ」と報じたのがきっかけで,アクセスが殺到している.
 一方,中国政府は「正当防衛だ」としている.
 〔略〕
 2ちゃんねるにスレッドが立ったのは,報道から3日後の10月17日.
 18日夕方になって,「ゴルジ体@どうやら管理人」と名乗る,2ちゃんねるの管理人・ひろゆき氏とおぼしき書き込みがスレッドに登場,「すげー」と,話題に関心を示し出した.
 23時半過ぎには
「トップページから動画にリンクを張った」
旨の発言をし,
「社民党とか朝日とか騒いでくれそうなところに,見解を聞いてみる人募集」
などと書き込んだ.
 スレッドの中には,元々英語だった動画に,日本語の字幕をつけてユーチューブにアップロードする「職人」もおり,この画像に対しても同様に,トップページからのリンクが張られた.
--------------------------------------------------------------------
 こうして,少しずつ,動画の存在がネット上で知られていく中で,10月22日,産経新聞が1面に「中国の人権蹂躙映像が世界へ亡命少年僧ら射殺」という見出しの記事を掲載,
「少なくとも2人が死亡した事件の映像が世界中で国際社会を騒然とさせている」
と報じた.
 同記事中ではユーチューブに動画が掲載されていることを紹介した上で,動画の内容を詳しく紹介している.
--------------------------------------------------------------------
 この報道をきっかけに,「事件」に対する関心はさらに高まり,ユーチューブの動画(英語)へのアクセスは,10月25日17時現在,40万を超えている(現在この動画を見るためには,ユーチューブにログインすることが必要).
 〔略〕
-----------------------------------------------------引用ここまで---
 2ちゃんねると産経新聞の連動プレーと言うと言い過ぎでしょうか?
 それにしても今のメディア状況を表していますね.

あつこば(小林アツシ) in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)

 【事実】
 事実は事実としてまた中国による人権蹂躙なわけですから,それには〔あつこばは〕全く触れられないのに,
産経が〜とか2ちゃんが〜
とか言われても説得力ないですなあ.

あつすい in mixi

 ムカついたのでただいま.
 良いからこれ見てから2ちゃんが云々ぬかせと.
http://www.youtube.com/watch?v=o1-y6-Rxyvc〔リンク切れ?〕

ぉ拓 in mixi

>2ちゃんねると産経新聞の連動プレーと言うと言い過ぎでしょうか?

 日本でこそ扱いが小さかったが,この報道は海外では大きく扱われたそうなのだが.

 以下,許可を得たので転載します.

----------------------------------------------------
 チベット亡命者殺害に関して英語〔検索ワード〕では
Chinese soldiers' killing of Tibetan

Chineses hoot Tibetan refugee
などです.

 チベットに関してはYahoo NewsのChinaを定点観測するといいですよ.但し英語ですが.
 この英語記事,つまり海外では多く話題になって記事もたくさんあるのに,日本語サイトで検索しても全くないところから,もう全然この事件の扱いが日本とは違います.

http://news.yahoo.com/i/2184/
これでTibetやRefugee(難民),またIndiaとかで検索すると,いろいろ出てきます!

 私も後を追っていますが,事件のその後がよくわかりません...

 また,先日11月22日あたりからコキントー(フー・チンタオ)がインド,パキスタンを訪問した際インドのニューデリーではデモが起こり,コキントーが泊るホテルの前で自分の体に火をつけたチベット人までいました.
 デモ参加者は多くがチベット難民でしたが,外国人も結構いたようです.
http://www.phayul.com/photogallery/2006/india/hu%2Dprotest%2D21%2Dnov/index_10.htm#139
には,抗議デモの写真がたくさん載ってて貴重です.

 今年アメリカがインドに原子力開発の協力を約束してるので,今回のコキントーのパキスタン訪問はパキスタンと原子力開発の協定を結ぶ目論見があったとされています.アメリカに対抗して.

 ちょっと余談でした.

-------------------------------------------------------

Tibetans shot- at by Chinese troops narrate horrortale
「中共軍がチベット人を襲撃した恐ろしい事件」


Global day of action for Tibetan Detainees
襲撃事件で拘留されたチベット亡命者の抗議国際デー


 ニューヨークで学生がプレートを持って抗議しています.
「中共軍はチベット人と同じように私を撃てるのか?」と.

イタリア人が中国公館前で猛抗議!
(他各国でデモがあったという記事もありました.
 アメリカの人権団体は抗議文も提出しています.)

登山家のサイト(動画あり)

 他,アムネスティで拘留されたままの亡命者の解放を訴えるアピール文要請もありました.
 中国への抗議文ですね.
 私はメールでも書簡でも送りました.
 残念ながら11/23でリンクが切れてしまってますが.

 他にもたくさんあったんですけどもう殆どがリンク切れてる状態です.
 あ,あと先日の東京でのダライラマ法王の講演で,女優の木内みどりさんが講演後に事件のことを観客に伝え,外でチラシを配っていましたねぇ.

 さくっと調べた感じではこのくらいです!

---------------------------------------------------

 発砲の動画ですが,youtubeで転載されて,私もすぐに見たんですが,すでに日本人以外のところからものすごい批判のコメントがあがってましたよ.
 F○CKのオンパレードでしたから.

 で,日本で2ちゃんの影響で爆発的にアクセス数が増えて,そこからは日本からの批判コメントが多数あがって,反日中国人は日本人のコメントに反応して反撃してきたような感じでしたよ.

 日本では動画が知れ渡ったことで話題になりましたが,その前から海外では抗議活動が起きていました.

 産経との関係など良くわかりませんが,関係していようとしてなかろうと結果は同じだと思います.

---------------------------------------------------

消印所沢 in mixi

 なお,この記述に関しては,ふだんあつこば寄りのHN「タケル」さえ,異議を表明している.
 つまり,それだけトンデモということである.


 【質問】
 ナンパラ峠での狙撃事件で,こういう意見がありましたが?

――――――
 彼らは違法に出境しようとした犯罪者達です.
 中印国境は交戦地域だった事もあり,違法に国境線に接近する者への無警告銃撃は当然の行為です.
 中国側の国境線手前には,“この先,無許可立ち入り厳禁”と巨大な看板が出ていますし,無許可での出境禁止者に射殺を含む阻止活動を行うのは,正当な警察権の行使です.

 また,国境線に立ち入りる許可(出境を含む)が取れないという事でもありません.
 地元の人間に対しては,公安局でたったの5元で出境証が発行されています.

 にも関わらず,この僧侶達は不法に出境しようとしたのですから,何らかの目的を以って積極的に法を無視している=非合法活動を行っていると合理的に推察される人物達となります.

 日本の海上保安庁も,日本領海内から逃亡した北朝鮮の工作船に対して銃撃を行い停船させ交戦に至りましたが,これと同様の行為です.
――――――

ヨッチ in FAQ BBS

 【回答】
 中印国境紛争は1962年に停戦合意しています.
 交戦地域であるとは誰も認めていません.
 さらに言えば,ナンパ・ラ峠は自治地域と「ネパール」の国境地帯です.

>地元の人たちであれば

 政治亡命的な要素を持つ高僧達が,そんな許可を取れますか.

>不審船事件と同じです

 不審船事件では「停船命令」,「警告」を数度発し,「威嚇射撃」を行った後に「攻撃を受け」,「正当防衛射撃」を行い,不審船が「自沈」したものです.
 まったく同じではありません.

 ウィキペディアだけでは何なので,海保のページも貼っておきます.
http://www.kaiho.mlit.go.jp/info/news/h14/fushinsen/030314/index.html

 はっきりいって,全部が全部悪質なデマゴーグです.
 こんなもの中国側だって迷惑でしょう.

うどん in FAQ BBS


 【質問】
 仙乃日山衝突事件とは?

 【回答】
 中国人権民主化運動情報センターによれば,2007/6/10,チベット人数百人が仙乃日山森林伐採作業の労働者と衝突,6人が負傷した事件.
 同山は中国・四川省稲城県の亜丁自然保護区にあり,チベット人はこの山を「神の山」と崇拝しており,「神木」が傷つけられたことに怒ったものだという.
 亜丁は国連教育科学文化機関(ユネスコ)が認定する「世界生物圏保護区」の1つだが,稲城県政府は保護区内にロープウエーとホテルを建設することを決め,仙乃日山で大量の伐採を行ったのだという.

 警官隊が出動し,当局は12日に亜丁一帯を封鎖して鎮圧しているという.

 詳しくは,2007年6月15日18時0分付,時事通信を参照されたし.


 【質問】
 理塘県衝突事件とは?

 【回答】
 2007/8/1,警官によるチベット人住民の連行をきっかけに,チベット人と警官隊が衝突した事件.
 負傷者2名.拘束者は最低でも30人と見られる.
 以下引用.

[quote]
中国四川省でチベット族住民1000人と警官隊が衝突
2007年8月4日20時44分,読売新聞


 【香港=吉田健一】4日付の香港紙・明報などが報じたところによると,中国四川省の甘孜チベット族自治州理塘県で1日,警官によるチベット族住民の連行に反発した住民約1000人と警官隊が衝突,住民2人が負傷し,30人が身柄を拘束された.
 拘束者は200人に上るとの情報もある.
 衝突時,警官隊は威嚇発砲したという.

 同紙などによると,同県でチベット族の祭りが催された際,男性住民(53)がチベット族の団結やチベット独立,死刑判決を受けたチベット仏教高僧の釈放などを訴える演説を行った.
 警官がこの男性を連行しようとしたため,住民との衝突に発展したという.
 衝突後,住民約200人が留置施設に押しかけ,男性の釈放を求める騒ぎも起きた.

 〔後略〕
[/quote]

 【質問】
 万里の長城抗議事件とは?

 【回答】
 2007/08/07,チベット人活動家6人が万里の長城で,チベット独立運動への弾圧を続ける中国に来年の北京五輪開催資格はないとアピールした事件.

 以下引用.

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チベット活動家6人,万里の長城で中国に抗議「五輪開催資格ない」
SankeiWEB(2007/08/07 19:14)


 チベットの独立を支援する国際団体「自由チベット・キャンペーン」(本部ロンドン)によると,米国など海外に住むチベット族の活動家6人が中国の万里の長城で七日, 中国語と英語で「一つの世界 一つの夢 チベットに自由を 2008」と書いた横断幕を掲げ,チベット独立運動への弾圧を続ける中国に来年の北京五輪開催資格は ないと訴えた.

 政治的自由が認められていない中国で,政府に対する抗議活動が公然と行われるのは珍しい.
 6人は間もなく当局に拘束された.所在は不明.

 同団体によると,6人のうち2人が万里の長城の上からロープで横断幕を垂らし,中国の「チベット占領」(同団体)に抗議.残り4人は抗議活動の様子をビデオに収めるなどしたという.(共同)

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 この6人のその後の安否が案じられる.


 【質問】
 デプン寺衝突事件とは?

 【回答】
 21日付の香港紙・明報によれば2007/10/17,ラサ西郊にある著名寺院デプン寺で,ダライ・ラマ14世の米国での受勲を祝福する儀式を行おうとした僧侶が警官に制止され,怒った僧侶約900人が警官隊と衝突した事件.
 当局側は僧侶らが市中心部に移動して抗議活動を行うのを阻止するため,僧侶約1100人と参拝者数十人を寺の中に閉じ込め,一切の出入りを禁止し,また,寺周辺から市中心部に向かう幹線道を封鎖したという.

 【参考ページ】
2007年10月21日17時0分付,時事通信


 【質問】
 2007/10/18越境者銃撃事件とは?

 【回答】
 2007/10/31付,AFP通信によれば,チベット自治区からネパールに越境しようとした約30人のチベット族に対し,中国国境警備隊が銃撃を加えたとされる事件.
 支援団体「チベットのための国際キャンペーン」(本部ワシントン)によると,死傷者はなかったが,数人が拘束されたとし,
「今回の事件で,〔ナンパラ峠亡命者射殺事件の頃から〕中国側の姿勢に少しも変化がないことが分かった」
と非難したという.

 【参考サイト】
 2007/11/1付,朝鮮日報


 【質問】
 四川省衝突事件とは?

 【回答】
 ダライ・ラマ14世によれば,2007年7月,四川省のチベット族居住地区で行われた祭りで,
「ダライ・ラマの帰還を願う」
と大声で叫んだ1人のチベット族男性が当局に逮捕されたことをきっかけに,数百人の民衆と警官隊が衝突した事件.
 多数の民衆が殴打され,その数日後,軍兵士ら計約1万人が出動し,住民4000人の村を包囲し,「不穏分子 」を次々と逮捕したという.

 また,ダライ・ラマが米議会から議会名誉黄金章を授与された当日の早朝,ラサでチベット仏教の僧侶数百人 が受章を祝う活動を行っていたところ,4000人の武警や軍兵士が出動し,多数の僧侶を殴打し,数十人の僧侶 が逮捕されたという.

 【参照ページ】
2007.11.19付,産経新聞


 【質問】
 ナチュ衝突事件とは?

 【回答】
 2007/11/26付の香港紙明報によれば,ラサ北東約300kmにあるナチュ地区で,その先週,チベット僧侶3人が公安当局に拘束されたことにチベット系住民が反発,約600人が公安局を取り囲んで公用車を壊すなどし,800人余りの武装警察と衝突したとされる事件.
 複数の住民が拘束された模様だという.

 【参考文献】 
2007/11/26付,朝日新聞


 【質問】
 チベット国旗を中国国内で作っていたというのは本当か?

 【回答】
 事実.
 広東の工場が2008年4月に摘発されている.
 大部分の従業者はそれがチベット国旗だとは知らず,何かカラフルな旗を作っているとしか思わなかったという.
 工場主も「旗は国外から発注されたもの.チベット国旗とは知らなかった」と自供している模様.
 TVで見て初めて気づいた従業員が,当局に通報して初めて発覚したのだという.

 詳しくは「BBC News」を参照されたし.

確かに,こういうコラージュ画像が何ら違和感がないほどカラフル


 【質問】
 チベット牧草地回復計画とは?

 【回答】
 減退しつつあるチベット南西部の牧草地120万km2を,2030年までに回復させるという計画.
 2009/2/18,北京政府の閣議で打ち出された.
 チベットの気温上昇は,1997〜2007年の10年間で,摂氏0.32度に達し,この値は,世界や中国全体の平均よりも高いという.
 チベット農村地域でのクリーンエネルギー(水力発電,メタンガス発電,太陽光発電)の使用促進,自然草原保護,森林火災予防,沼沢地保護,強風や嵐に対抗するための森林ベルトの育成,牧草地の砂漠化防護,などがその概要.
 NDRC(National Development and Reform Commission )のチベット担当副主任プ・キオン Pu Qiong によると,80億元,約12億ドル相当の予算が2009〜2010年に,チベットの農民や牧夫のための,インフラの改善,特に,家庭水需要,電気,道路,通信,に費やされるという.

 詳しくは
China aims to curb pasture degradation in Tibet by 2030
および,
【日刊 アジアのエネルギー最前線】,2009/2/23付
を参照されたし.


 【質問】
 チベット動乱から50周年を迎えての,チベット人のの活動・運動はどうなっていますでしょうか?

 【回答】
 50周年の旧正月には,「あえて新年を祝わない」という形の抵抗運動があったそうです.
http://www.mobileplace.org/dias/blog/tibetans-skip-new-year
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20090310/1236690645

 また,自殺という形での抗議行動も見られたそうです.
http://ihasa.seesaa.net/article/115442508.html


 【質問】
 青海省大地震について教えられたし.

 【回答】
 2010.4.14朝,中国西部の青海省玉樹チベット族自治州玉樹県で発生した地震で,震源地は玉樹県の中心地,結古鎮(人口約2万3000人)近く.
 震源の深さは約33キロ.
 2008年5月の四川大地震の震源地から600キロ余り離れている.
 「Guardian」紙によれば,ダムに大きな亀裂が生じて,漏水が起こり,この対策に関係者が走り回っているという,
 この震源地の下流では,世界最高のアーチダム,小湾ダムが工事中.

 【参考ページ】
「日刊 アジアのエネルギー最前線」,2010.4.15付


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